深層救助屋――帰還禁止の少女   作:病んでるくらいが一番

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第13話 古い図面

 作業机に広げた図面の右端を、水瀬透(みなせとおる)は水のボトルで押さえた。

 左端には工具箱が載っている。どちらも春風安江(はるかぜやすえ)が勝手に置いたものだった。

 

「折り目が戻るんだって。手で押さえてると、何もできない」

「わかるけど、工具は向こうへ置いてくれ。図面が汚れる」

「それ複写」

「借り物」

 

 安江は布を一枚挟んだ。

 工房の休憩室には、点検予定の古い排水設備の図面が並んでいた。翌日の作業に先立ち、避難経路を確かめる仕事を透が請けたのだ。

 場所は第十二階層。採掘に使っていない区画だが、隣の鉱区へ水が流れ込むのを防ぐ設備が残っている。

 

「最近の地形図は?」

「今日の夕方に届く。俺も明日入って確認する」

 

 透は太い線を指でたどった。

 

「これは据えつけたときの図面だから、道が今もあるとは限らない」

 

 結城葵(ゆうきあおい)は、隣の机で古い照明の覆いを拭いていた。

 安江が処分する器具から外した部品だ。手伝いたいと言われて、割れや尖ったところのないものだけ渡してある。

 葵の手が止まった。

 

「その線は、道じゃないです」

 

 透は指を離した。

 

「これ?」

「水を逃がす管です。人は通れません」

 

 安江が図面の凡例を探した。

 用紙の隅が薄くなっている。古い印刷の上から書き足された線もあり、同じ太さの線が何種類も重なっていた。

 

「こっちの点線が、人の通るところ?」

「はい。設備の裏を通る道です」

 

 葵は布を置き、机へ寄った。

 透は椅子を空けた。本人が座ってから、図面をそちらへ向ける。

 

「この形式、見たことあるの?」

「画面で。紙は、あまり」

 

 葵の指が図面の中央で止まった。

 

「ここから水が増えたときに、この扉を閉めます。でも、閉めると点検する人も出られなくなるので」

 

 薄い点線が、扉の手前から横へ折れていた。

 隣の図面とつながる位置だ。透は二枚を寄せた。

 

「裏へ出るほうか」

「たぶん。先が切れているので」

 

 葵はそれ以上指を進めなかった。

 安江が図面番号を書き留め、設備会社へ電話をかけた。

 

 透は、自分が引こうとしていた印を消した。

 地形ならわかる。どれが配管で、どの扉が何を止めるかは別の知識だった。

 

「助かった。明日、現物を見るときに確かめる」

 

 葵は椅子の背に触れないまま座っていた。

 

「違ったら」

「そのときは違うってわかる。今の話だけで誰かを通したりしないよ」

 

 安江が電話口で礼を言い、端末を置いた。

 

「別紙があるって。送ってもらう。それと、この番号の設備、去年一部を交換してる」

「じゃあ、古いほうと照合だな」

 

 葵は図面から手を引いた。

 透は休憩室の時計を見た。来てから一時間近く経っている。

 

「今日はこのくらいにしようか」

 

 葵は黙っていたが、安江が水を差し出すと受け取った。

 図面はそのまま机に残した。葵の言った箇所には、透が青い鉛筆で確認待ち、と書き込んだ。

 

 *

 

 翌日の第十二階層は、ひどく蒸していた。

 透は設備班の男二人と合流し、ヘルメットのライトをつけた。入口にある看板には、排水設備の点検中、と大きく書かれている。

 

「先に裏道を見る。閉める扉には触らないでくれ」

「了解。こっちは電源を確認する」

 

 男たちと分かれ、透は意識を集中した。

 同じ階層の坑道や空洞が、頭の中に広がる。目の前の設備を中心に範囲を絞り、紙に描かれていた経路と比べた。

 通路はあった。

 ただし、途中に角張ったものが二つ置かれている。

 

 透は入口まで歩き、ライトを向けた。

 空の金属箱だった。古いポンプから外した部品を入れていたらしい。向こうの扉を半分塞いでいる。

 

「裏道、生きてる。荷物で塞がってるから、先に動かそう」

 

 呼び戻した男たちと箱を持った。

 一人が押し、二人が引く。底が床の継ぎ目に引っかかったので、透が少し持ち上げる。

 

「そっち、指を挟むなよ。せーの」

 

 箱が動いた。

 扉を開けると、設備を回り込む細い通路が見えた。先は入口近くの廊下へつながっている。

 

「ここ、避難路だったのか」

 

 箱の陰になっていた扉の下のほうに、小さな看板がついていた。若い設備員が表面の埃を拭うと、退避路の文字が現れた。

 

「ここじゃ箱を置くと隠れるな。人の目の高さにつけ直してくれ」

「つけ直します」

 

 もう一人が図面と扉の番号を照合した。

 葵が説明した通り、扉は増水時に水を区切るものだった。ただ、閉鎖を知らせる警報器が交換されている。古い図面だけで判断せず、今の設備での操作手順も確かめる必要があった。

 透は現物の写真を撮り、経路図に添付した。

 

 設備員が、壁に打たれた細い金属板を見上げていた。

 板には間隔を測る目盛りがあり、二本の線が揃っている。

 

「こっちは、まだずれてないな」

「地形変動の監視か」

「ああ。この区画は落ち着いてるけど、配管は隣まで延びてるからな。向こうの地形が動くと、管が引っ張られて継ぎ目が外れることがある」

 

 男は記録用紙へ値を書き込んだ。

 ダンジョンの地形は、自然に変わることがある。

 昇降機や常設の設備は、地形の変化が少ない場所を選んで造られる。それでも、周囲まで永久に動かなくなるわけではない。採掘で負担がかかれば、今まで使えた通路も点検が必要になる。

 

「十九は大変だったそうだな」

「壁が動いた。あっちは設備で切り替わる場所もあるみたいだけど、俺には仕組みまではわからん」

「図面と一緒に見ないと、壁なのか扉なのかも間違えるからな」

 

 男が、隣の壁を覆う大きな金属板を叩いた。

 壁に見えたが、床に細いレールが続いていた。透は開閉範囲の表示を撮り足した。

 

「今の形だけじゃ足りない、ってことか」

「そういうこと。だから、こいつの前にも箱を置くなよ」

 

 若い設備員が、先ほどの箱へ手をかけた。

 透も反対側を持つ。図面に線を引くだけで終わらせず、実際に通れる状態へ戻してから、設備班へ作業を引き継いだ。

 

 大きな事故は起きなかった。

 点検は予定より少し遅れて始まり、終わったあと、三人で退避路をもう一度歩いた。箱は別の保管場所へ移され、扉の前には物を置かない範囲を示す黄色い線が引かれた。

 

 透は地上へ戻る昇降機で、葵へ連絡を入れた。

 

「仕事が終わったよ。教えてくれたところも確認できた」

 

 端末の向こうで、小さく息を吸う音がした。

 

『道、ありましたか』

「あった。ちゃんと通ってきた」

『そうですか』

 

 それだけだった。

 透は続けようとして、帰ってから写真を見せようと思った。

 

「夕飯までには戻る」

『はい』

 

 通話を終えると、隣の設備員が昼食のパンを差し出した。

 

「余った。食うか」

「食う」

 

 透は受け取って袋を開けた。

 今日は顔を洗い、装備を返し、帰る時間も残っていた。

 

 *

 

 家の食卓で写真を見せると、葵は扉の看板を拡大した。

 その横に、透の描いた矢印がある。

 

「これは、今の地図ですか」

「今日見てきたところを描いたんだ。次に行く人にも渡すよ」

 

 葵は写真を一枚戻した。

 壁についた新しい警報器を見ている。

 

「これ、知らないです」

「去年替えたんだって。設備の人に教わった」

 

 葵はうなずいた。

 透は端末を机に置き、その隣に工房でもらった菓子の袋を出した。

 

「安江さんがくれたんだ。図面を手伝ってくれたお礼だって」

 

 葵は袋を取らなかった。

 

「あれだけで?」

「あれがなかったら、確認するのにもっと時間がかかってた。俺からも、ありがとう」

 

 ようやく葵の手が伸びた。

 袋の裏を読み、一枚だけ取り出す。甘い匂いがした。

 

「残りは、置いといていいですか」

「好きなときに食べて」

 

 葵は袋の口を二度折った。

 透は自分の仕事用端末を引き寄せ、今日の点検を完了にした。

 向かいでは、菓子を噛む小さな音がしていた。

 

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