深層救助屋――帰還禁止の少女   作:病んでるくらいが一番

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第14話 待ち合わせ

 結城葵(ゆうきあおい)は、玄関の鍵を一度回し、引いて確かめた。

 内側では、同じ鍵を回せば開いた。

 何度も試したので、それは知っている。外から閉めたあとも、自分で開けられることを確かめたかった。

 

 階段を見下ろすと、一階の降り口に知らない女性が立っていた。

 薄い青のシャツに、肩から小さな鞄を下げている。葵に気づくと、手を上げた。

 

「おはようございます。田中きなこ(たなかきなこ)です」

 

 声を聞いて、わかった。

 地下で何度も、耳のそばから聞こえていた声だった。今日は雑音がない。

 

「おはようございます」

 

 葵は階段をゆっくり下りた。

 足の傷は塞がり始めている。長く歩かないよう言われていたので、手すりから手を離さなかった。

 

「顔を合わせるのは初めてですね。今日は私も買い物をしたくて。付き合ってもらえると助かります。帰りに寄りたいお店があったら、言ってくださいね」

 

 きなこは葵の足元を一度見て、歩く速さを落とした。

 同じ角を曲がるまで、具合はどうかと聞かれなかった。

 

 水瀬透(みなせとおる)なら、玄関を出る前に聞く。

 階段でも聞き、道路へ出たら、靴が痛くないかも聞く。

 今日はそれがないので、葵は自分の歩幅で歩けた。

 

 *

 

 店の中は、どの棚も明るかった。

 靴下、タオル、肌着。品物の上に、値段と大きさが書いてある。何に使うものかは知っているが、同じ用途のものがこれほどあるとは思わなかった。

 

「この棚は、三つ買うと少し安くなるんです」

 

 きなこが靴下を一つ手に取った。

 葵は値札を見比べた。安いほうには派手な果物の絵がある。

 

「同じのを、三つでも?」

「大丈夫。でも一つで足りるなら、一つのほうが支払いは少ないですね」

 

 葵は籠へ入れかけて止まった。

 きなこが別の棚へ指を向ける。

 

「必要な数だけでいいですよ。迷ったら最後に戻ってきましょう」

 

 財布には、生活支援の手続きをして受け取ったお金が入っていた。

 自分で使っていいと言われた。何を買ったか透へ全部報告しなくてもよい、と相談員にも説明された。

 葵は籠の底へ、薄い灰色の靴下を二つ置いた。

 

 タオルの棚では、触ってよいのか迷った。

 見本と書かれたものを、きなこが指で押している。葵も同じようにした。病院のタオルより柔らかい。

 

「こっちは、洗うと乾きにくいんですよね。私は薄いほうが好き」

 

 きなこは安いほうを籠へ入れた。

 葵は柔らかいものと、薄いものを一枚ずつ選んだ。

 自分がどちらを好きなのか、まだわからなかった。

 

 棚を移る途中で、壁際の大きな画面が切り替わった。

 地下から運び出される鉱石と、夜の街を映した映像。安定した供給を、と太い文字が出る。

 葵はその場で止まった。

 

 画面の中では、明るい建物の間を人が歩いていた。買い物袋を提げた人が、店先で立ち止まる。自分も今日は、きなこと歩いてここまで来た。帰りに寄りたい店があったら言ってほしいと、きなこは言ってくれた。

 

「人が多くて疲れました?」

 

 きなこが戻ってきた。

 葵は画面から目を離した。

 

「あれも、地下のものですか」

「鉱石ですか? そうですね。いろいろな工場や発電に使っています」

 

 きなこは画面を見た。

 

「昔より安定して採れるようになった、とよく宣伝してますね。私が小さい頃は、避難訓練も今より多かったです」

 

 葵は籠の持ち手を握り直した。

 地下では、制御設備の画面に並ぶ数値が下がると、担当者の声が険しくなった。供給という言葉を聞いて、その声を思い出した。

 

「今は、困らないんですか」

「事故もあります。だから私たちの仕事があるんですけど」

 

 きなこは葵の顔を見て、話を止めた。

 

「ここの出口、向こうにもあります。静かなほうから出ましょうか」

 

 葵はうなずいた。

 画面は次の広告へ変わっていた。今度は大きな菓子の箱で、音楽も明るい。葵は振り返らず、きなこの隣を歩いた。

 

 会計では、きなこが先に支払った。

 葵はその手元を見てから財布を開いた。小銭を数えるあいだ、後ろに人が並ぶ。

 急がなければと思うほど、硬貨が指から滑った。

 

「こちらに出していただいても大丈夫ですよ」

 

 店員が皿を示した。

 葵は硬貨を置いた。一枚足りないことを教えてもらい、財布から出す。

 袋と釣り銭を受け取るまで、きなこは少し先で待っていた。

 

「できました?」

「はい」

「じゃあ、座りましょう。私、もう喉が渇いちゃった」

 

 葵も足が痛くなり始めていた。

 それを説明せずに座れるのが、ありがたかった。

 

 *

 

 窓際の席から、待ち合わせ場所の時計が見えた。

 透が迎えに来るのは、三十分後だ。

 きなこは冷たいお茶を飲み、鞄から小さな紙袋を出した。

 

「これ、工房へ寄ったら渡してもらえます? 春風安江(はるかぜやすえ)さんに借りてたものです」

 

 中には小さな工具のケースが入っていた。

 

「知り合いなんですか」

「仕事で。私のヘッドセットも直してもらったことがあるんです」

 

 葵は紙袋を自分の買い物袋の横へ置いた。

 見えていなかったところで、人がつながっている。透を通さなくても、声をかけられる相手がいる。

 

「水瀬さんは、ダンジョンの救助にはいつも一人で行くんですか」

 

 きなこはお茶を置いた。

 

「先に入ることは多いです。でも運ぶ人、道を確保する人、私みたいに連絡を受ける人もいます。全部一人ではできません」

 

 葵は地下の高い扉を思い出した。

 三つのライト。ゆっくり上がっていくロープ。足を引っ張らないと答えた男の声。

 

「ただ、頼むのが遅いときはありますね」

 

 きなこは少し眉を寄せた。

 

「他の人には早く呼べって言うのに、自分のことになると後回しで」

「家でも、そうです」

 

 口にしてから、葵は紙コップを見た。

 透のことを悪く言っただろうか。

 きなこは頬杖をつき、続きを待っている。

 

「私には座って食べるように言うのに、自分は立って食べます」

「ああ、やってそう」

「お皿があるのに」

 

 きなこが笑った。

 葵は少し安心して、飲み物を口にした。

 

「それ、水瀬さんにも言っていいと思いますよ。自分も同じことをしてるって、本人は気づいてないかもしれませんから」

 

 透のことを悪く言ったと、気にしなくてもよかったらしい。本人にも言っていいのなら、今度また立ったまま食べていたら、声をかけてみよう。葵は紙袋の持ち手を揃えた。

 

 時計が約束の時刻を過ぎた。

 一分。それから、もう一分。

 葵は店の入口を見る。黒い上着の大柄な男が入ってきて、思わず顔を上げた。透と同じくらい背が高く、肩幅も広い。けれど、顔を見ると別の人だった。

 

 端末が鳴った。

 

『ごめん。装備の受け取りが延びた。あと十分くらいかかる』

 

 葵は端末を両手で持った。

 

「わかりました」

『座って待ってて。田中さんにも伝えてくれる?』

 

 隣のきなこが手を伸ばしかけて、葵が話しているのを見ると戻した。

 

「今、一緒にいます」

『よかった。急いで行くよ』

「走らなくて、いいです」

 

 透が一瞬黙った。

 

『わかった。着いたら電話する』

 

 通話が切れた。

 葵は端末を机へ置く。来ないのではなかった。遅れているだけで、どのくらい待てばよいかもわかった。

 

 きなこが自分のお茶を持ち上げた。

 

「もう少しここにいられますね。足、休めましょう」

 

 葵はうなずいた。

 入口を見続けるのをやめ、袋から買ったタオルを少し出した。明るい窓のそばで見ると、店の照明の下とは違う色に見えた。

 

 やがて透がガラスの向こうを通った。

 こちらに気づかず、待ち合わせの時計へ歩いていく。葵は椅子から少し身体を起こした。

 

「水瀬さん」

 

 ガラス越しでは、声は届かなかった。

 きなこが手を振ると、透が振り返った。目が合い、急に足が速くなる。

 葵は買い物袋を足元へ戻した。

 

「ごめん。待ったよな」

 

 入ってきた透は、少し息を切らしていた。

 

「走らなくていいと、言いました」

「最後のところだけ」

 

 きなこが笑い、透が困ったように頭をかいた。

 葵は立つ前に、残ったお茶を飲み終えた。

 

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