一枚目は、救護棟の端末に出た帰還禁止の画面。
二枚目は、その管理番号について照会した文書。
三枚目には、所管外、とだけ短く返答があった。
「別の部署に聞け、ということですか」
「そうだ。だが、次に聞く部署の名前がない」
ダンジョン管理局長として、鷹宮が自分の名で出した照会だった。それでも、命令の根拠は示されていない。
「うちの救助業務に関わる命令だ。所管外で済ませず、責任を持って回答する部署を示してもらう」
今は病院の相談室で支援の手続きをしている。透も必要な説明を聞いたあと、本人と相談員だけで話す時間を取るため、同じ建物の別室へ来ていた。
会議室にはもう一人、背広の男がいた。
白い髪を短く刈り、眼鏡のつるを何度か調整している。鷹宮が紹介した。
「監察の
明智は名刺を置いた。
「救難の報告書は読みました。今日は、記録にないことで覚えている点を伺いたい」
「どのあたりですか」
「発信した女性の言葉です。聞こえなかったところを、推測で補わずに」
透は椅子へ座り直した。
古い受信機の雑音を思い出す。あの子をお願い、と言った声。その前後には途切れた音があった。
「頼むと言われたのは聞き取れました。名前は聞いていません」
「結城という姓も?」
「現場で本人に聞いたのが初めてです」
明智が書き留める。
透は続けた。
「それから、戻れないと。あの人が扉を閉めた、と言っていました。ただ、俺は閉めるところを見ていません」
「その区別で結構です」
明智は図面を一枚出した。
透が地上へ送った十九階層の記録だった。奥の区画に近づく道には、まだ未確認の印がついている。
「追加の捜索は?」
透が聞くと、鷹宮が答えた。
「入口側までは入った。君が示した仕切りは閉じたまま。別の経路でも地形の変化が起きている。人のいる区画へ水を流しかねないので、設備班をつけて調べている」
「俺なら、今の形を」
「頼む場合は正式に呼ぶ。今は向こうの班が現物を確認しているところだ」
透は机の端を握った。
形だけ見ても、開けた先へ何が流れるかはわからない。そのことは排水槽でも経験した。
「連絡はください」
「する」
鷹宮は曖昧に笑わなかった。
透は手を離した。
*
明智が別の書類を開いた。
透の救助資格の番号と、二年前の日付が見えた。
「これは、今回と同じ形式の管理番号が残っていた記録です」
透は紙を取らなかった。
その日付なら、何があったか知っている。
「封鎖されたときの」
「はい。現場の封鎖指示と、設備保全の文書がひもづいています。ところが、肝心の別紙が欠けている」
明智は綴じ穴の横にある文書番号を指した。
「消されたか、別のところに保管されているかは、まだ断定できません。受け取った側の記録も探します」
透は椅子から背を離した。
二年前、まだクランにいたころ、仲間がダンジョンに取り残された。透は救助に向かおうとしたが、通路を封鎖した職員に止められた。
その先へ続く道の形は、今でも覚えている。細部は記録を見なければ思い出せない。それでも、あそこを通って助けに行けたはずだという思いは消えなかった。
「設備のために、止めたんですか」
「そこを調べています」
明智の返事に、透は奥歯を噛んだ。
鷹宮がこちらを向く。
「結びつく可能性があるから伝えた。だが、今ある紙だけで当時の理由を決めつけるわけにはいかない」
「わかってます」
強い声になった。
透は一度口を閉じた。
「……すみません。続きを」
明智は声の強さには触れず、記録を引き寄せた。
「原本を保全するよう、関係部署へ通知しています。こちらへ出てこない文書も、廃棄してよい状態にはしません」
「それで、出してきますか」
「出てこなければ、誰が止めたかを記録します」
透は初めて、明智の顔をよく見た。
男は紙の角を揃え、次の書類へ進んだ。
「現在の患者さんについては、病院から警察へ相談が入っています。本人への聞き取りは体調を優先する。私たちが同じ質問を何度も重ねないよう、窓口も決めました」
明智は透へ一枚の紙を渡した。
誰から問い合わせが来たか、日時と所属を残すための用紙だった。
「あなたのところへ連絡が来たら、まずこれだけ控えてください。相手の言い分を、その場で認める必要はありません」
透は紙を折らずに、書類入れへ収めた。
「記録を残すなら、あっちにも居場所が伝わりませんか」
透が尋ねると、明智は机の紙を指した。
「捜査や診療に必要な記録は残します。ただ、誰にでも見せるものではありません。照会が来たときに、相手と目的を確認する。その窓口を一本にしています」
「救助の記録は、消せないんですね」
「消しません。あの方がどこから救出されたかを示す、大事な記録でもあります」
透はうなずいた。
誰にも見つからなければ安全だと、どこかで考えていた。だが、消してしまえば、葵が地下にいた事実まで曖昧になる。
「帰還の通知が届いていなくても、救助や搬送の記録は残っています。その記録をたどって、彼女がどの病院へ運ばれたか調べようとする人がいるかもしれません」
明智が続けた。
「今のうちに、所在がわかっても勝手に連れていけないようにしておく必要がある。病院と警察、支援の担当者が別々に記録を持つのも、そのためです」
鷹宮が病院の連絡先を透へ示した。
「私が会議中で電話に出られなくても、手続きが止まらないようにした。全部を私に通す必要はない」
透は番号を確認した。
困ったら鷹宮に連絡すればいいと、透は考えていた。だが鷹宮は、電話に出られないときにも葵を守れるよう、ほかの担当者にまで手を回していた。そこまで考えてくれていたのかと、透は少し肩の力を抜いた。
「わかりました。俺も、受けた連絡は残します」
明智は一度うなずき、机に出した資料を数え直した。
*
会議室を出ると、鷹宮が自動販売機の前で止まった。
缶コーヒーを二本買い、一本を透へ差し出す。
「眠れているか」
「家では。仕事も日中のものだけにしてます」
「ならいい」
鷹宮は壁際へ寄り、缶を開けた。
透は手の中の温かさを確かめた。昔もこの人は、何か飲むものを渡してくれた。
「俺、最初に助けてもらったときのこと、全部は覚えてないんです」
鷹宮が顔を向けた。
「でも、上着を掛けてもらったのは覚えてます。袖が長くて、手が出なくて」
「六歳だったからな」
「あれで、救助の仕事っていいなと思ったんですよ」
鷹宮は缶を持ったまま、視線を落とした。
「今のお前の仕事ぶりを見たら、昔の私は驚くだろうな」
「説教はするでしょうね」
「それはする」
透は短く笑った。
笑いが途切れると、書類の欠けた番号が頭へ戻ってきた。
「だから、知りたいんです。あの日、何で止められたのか」
鷹宮はうなずいた。
「私もだ。あのとき覆せなかった判断を、今度は文書までたどる」
透は缶を開けた。
甘いコーヒーを飲んでも、喉に残るものは消えなかった。それでも、誰に何を尋ねるかが決まっただけ、前より進んでいる。
相談室の扉が開き、葵が出てきた。
相談員が次回の予定を書いた紙を渡している。葵は透に気づくと歩いてきたが、鷹宮を見て、少し手前で止まった。
鷹宮は道を空けた。
「お疲れさまです。今日はこれで終わりです」
葵は紙を持ち直した。
「もう、聞かれませんか」
「今日はありません」
鷹宮が答えると、葵は透のほうへ来た。
透は歩き出し、曲がり角で振り返った。鷹宮はまだその場にいたが、追っては来なかった。
「迎えに来るのが遅くなったかな?」
「今、終わりました」
「そっか。帰ろう」
葵は紙を袋へ入れた。
透の持つ書類入れを一度見たが、中身は尋ねなかった。
玄関へ向かう途中、端末が震えた。
明智から、先ほど伝え忘れた連絡先が届いていた。透は保存し、端末をしまう。
あの日の通路をどれだけ思い返しても、誰が何のために救助を止めたのかはわからない。現場で見たものだけでなく、命令を出した側の記録を調べる必要があった。
今は鷹宮と明智が、その記録を探してくれている。透も、当時のことを思い出せたら二人に伝えようと思った。