二十一階層の旧採掘区画で、
目の前の班長は、その操作を黙って見ていた。
「奥の五人の名前を教えてくれ。呼びかけるときに使う」
班長は胸のポケットへ手を入れた。出てきたのは作業日誌だった。最後のページを開き、汚れた指で五つの姓を示す。
透はページを撮り、管制へ送った。
『受信しました。人数を訂正します』
「上に出たら、これも渡すんですか」
「事情を聞く人は来ると思う。今は、奥の五人を見つけたい」
「名前が出ると、寮も……」
言葉が途切れた。
「ここを出たあとの相談先は、地上へ頼んでおく。今日はまず治療を受けてくれ」
「相談したら仕事が戻るんですか」
誰もすぐには答えられなかった。
「ここへ入れと言ったのは、会社です。でも、見つかったら現場が勝手にやったことにするって。仕事を外されたら、寮にも置いておけないと言われてます」
班長は日誌を握り直した。
救助を呼べば、禁止区画で採掘していたことが管理局に知られる。会社が責任を現場へ押しつければ、彼らは仕事だけでなく、住む場所まで失うかもしれない。それが、人数と名前を言うことさえためらっていた理由らしかった。
閉じられた採掘区画は、ここだけではない。安全基準が見直され、採掘を止める場所が増えているという話は、透も待機所で聞いていた。
解雇されても別の現場へ移ればいい、と簡単には言えなかった。
「仕事を戻す約束はできない」
剛田が言った。
「ただ、会社の迎えにそのまま渡すことはしない。あんたがその日誌を自分で持って出たいなら、持っていけるようにする」
班長は日誌を閉じた。
前腕を押さえていた作業員が、壁に頭を預けたまま口を開く。
「奥にいるの、うちの弟なんです」
作業員は班長を見上げた。
「班長、仕事のことは出てから考えましょう。今は、弟たちを助けてもらわないと」
班長は日誌へ目を落とし、うなずいた。
透は崩れた正面通路へライトを向けた。
「休憩所までの道を教えてくれ。古い図面と違うところだけでいい」
班長は透の隣に立った。
「この先を右へ曲がって、突き当たりです。工具棚を置いてありますが、扉は開く。非常用の飲み水も、そこに」
話し始めると、男は細かい場所まで覚えていた。
透は地図へ書き込み、剛田に渡した。
出口側にいた五人の搬送が始まった。
西の細い通路では、長い担架を回せない。足を挟まれていた男は救護担当の確認を受け、短い搬送用の椅子に座った。足を支える位置を変えながら、二人の隊員が角を越えていく。
透はその前で、張り出した岩に巻いた保護材を押さえた。
足元に、細かな砂が落ちた。
透は地形へ意識を向けた。角の先で、床の下の隙間が広がっている。表面はつながっているが、廊下の中央を支えていた岩がずれ始めていた。
「止まれ。椅子は下ろすな」
前を持つ隊員の足が止まった。
透は椅子の横へ回り、片側の持ち手を受け取った。傷めた足を岩にぶつけないよう、空いた手で支える。
「中央の床が浮いてる。俺の足を置くところだけ踏んでくれ。壁際はつながってる」
剛田が後ろの作業員たちを止めた。
透はライトを床へ落とし、壁に沿って足を運んだ。椅子の重さが片腕にかかる。肩を岩に擦りながら、頭の中で床の変化を追い続けた。
「少し傾くぞ。左の持ち手を離すな」
足を挟まれていた作業員が、椅子の上で歯を食いしばった。角を通り抜けると、隊員たちはいったん椅子を下ろし、傷めた足を楽な位置に支え直した。
狭い角を抜けた先には、階段へ続く広い通路がある。ここなら担架へ移せる。
椅子を置いた途端、隊員が振り返った。避けて通った床の中央が沈み、ひびの間へ砂が吸い込まれていく。
「……下から動いてたんですか」
「ああ。ここから先は大丈夫。担架を頼む」
透は作業員の足を隊員へ預け、剛田へ無線を入れた。
「壁から一人分の幅は残ってる。俺が戻って誘導するから、そこで待ってくれ」
残る作業員たちも、一人ずつ壁際を通した。剛田が最後尾で人数を確認し、通路の中央へ近づかないよう後続へ伝えた。
班長は最後に通った。
胸へ押し込んだ日誌の角を、何度も確かめていた。
*
十一時前、透は旧採掘区画の保守室へ入った。
出口側の五人は後続の搬送班へ引き継いだ。奥に残る五人とは、まだ連絡が取れていない。
保守室は採掘坑道より入口寄りにあり、厚い壁の内側は幾分涼しかった。床に置かれた空の工具箱を脇へ寄せ、設備班が折り畳みの机を広げている。
階段からここまでは広い廊下が続いている。先ほどの西の細い通路へ入る前の分岐から来られるため、担架も台車も通せた。
透は入口の壁へ二台目の中継機を取り付けた。廊下の奥でも通信が途切れないことを確かめ、設置した場所を管制へ伝える。
設備班の男が図面を開いた。奥の休憩所へ続く正面通路に、掘削予定の印が並んでいた。
透は、その横の何も描かれていない部分へ指を置いた。
「こっちにも通路がある」
「そこは、埋め戻した範囲になっています」
「今は空いてる。途中に狭いところもない」
頭の中で捉えた通路を、図面へ描き足していく。廊下をたどった先は、班長に教わった休憩所の手前へつながった。ただ、一か所だけ厚い仕切りが残っている。
「ここから廊下を一本抜ければ、休憩所の手前へ出る。ただ、この仕切りが塞がってる」
「隔壁ですね。上へ引き上げる形式です」
設備班の男が、図面の番号を確かめた。
保守室の向こうの扉を開けると、床に岩屑が散らばっていた。埋め戻した土砂は壁際へ押し寄せ、その間に人が並んで歩ける空間ができている。
透は剛田と設備員を連れ、短い廊下を進んだ。突き当たりには、灰色の大きな隔壁扉があった。床との間に指を入れる隙間もない。
横の手動ハンドルは、斜めに傾いていた。
「ここが動けば、担架を通せる」
透は図面に丸をつけた。
剛田が扉を叩く。金属音の余韻が消えたあと、奥からかすかな返事があった。
透も壁に耳を寄せた。
「救助隊だ! 何人いる!」
返事の途中が聞き取れない。
設備員が廊下の脇へしゃがみ、腰の高さにある小さな点検蓋を外した。壁を貫く管が通っている。使われていない一本から栓を抜くと、向こうの咳が急にはっきりした。
「五人! 五人います!」
管の穴は握り拳より少し大きい程度だった。人を通せるものではないが、細いホースなら入る。
透は膝をつき、班長から聞いた五人の姓を挙げた。向こうの男は、その五人で合っていると答えた。
「一人、脚をやってて立てません。声は出せます」
「今、どこにいる?」
「休憩所です。俺だけ、声がしたから扉の前まで来ました」
剛田が無線で、奥へ空気を送るための送風機とホースを運ぶよう頼んだ。
設備員は細いケーブルの先についた計器を穴へ差し入れる。透は飲み水の入った袋を渡し、向こうの手がつかむまで待った。
指先がひどく熱かった。
「水を持って戻ってくれ。声をつなぐ機械も、続けて渡す」
穴の向こうから、「わかった」と返事が来た。
空気を送るホースは、反対側で受け取った男に休憩所まで引いてもらった。地上の管制とも話せる端末を届けると、班長から聞いた姓を一人ずつ呼び、五人全員の返事と様子を確かめられた。
水を飲める。名前を言える。脚の悪い一人を除けば、歩ける。
ただ、休憩所の壁が熱くなっていた。
剛田は、休憩所まで届いたホースの長さを確かめていた。
「正面から掘ってたら、まだ水も渡せてないな」
「帰りもここを使う。扉が開けば、寝かせたまま運べる」
透は自分が描き足した廊下をなぞった。
設備班が正面通路の掘削を続ける間も、こちらからは五人と話せる。剛田は一人を通信の担当に残し、追加の器材を保守室へ運ぶよう指示した。
「そこへ冷たい空気を送る。ホースの出口を塞がないでくれ」
剛田が説明している間に、設備員が手動ハンドルの覆いを外した。
内部の軸は途中で曲がっていた。男が工具を当て、すぐに手を止める。
「力をかけたら、ここで折れます。駆動部のほうを調べます」
正面通路では、別の班が崩落した岩を取り除き始めていた。
透はその位置を確かめるため、意識を地形へ広げた。掘り進んだ穴の上へ、さらに大きな岩が傾いている。
「正面の班、一度下がってくれ。右上が動いてる」
無線へ声を出した直後、鈍い音が続いた。
保守室の天井から、細かい砂が降ってくる。
剛田が休憩所の五人へ呼びかけた。返事はあった。
透は閉じた隔壁を見た。
水も空気も届けられた。だが、人を通す道はまだ開いていなかった。