受信機は、
通話終了。救助要請、一名。
それ以外は読めない。発信元の欄で数字が二つ入れ替わり、また横線に戻った。
『記録、取れました』
管制の
透は手帳を開いた。
『旧式の制御区画からです。回線番号に対応する場所は第十九階層。ただ、設備台帳の座標と発信位置が合いません』
「十九のどこ?」
『西寄りです。図面を送りますが、それが現在位置とは限りません。移設の履歴を確認中です』
腕の端末に図面が届いた。細い通路の先に四角い部屋があり、そこで線が途切れている。周囲は空白だった。
設備を管理するための図面だ。救助隊が使う地図ではない。
「最後の点検は」
『記載は三年前。入域記録を調べても、今夜そこに人がいることにはなっていません』
「いるんだよなあ、これが」
机上の受信機を見た。
あの声を思い返す。大声を出せなかったのか、出してはいけなかったのか。聞き取れた言葉は少ない。
『別の隊からの誤送信も確認しています。すでに救出された人が古い端末を使った可能性もありますから』
「頼む。十九へ向かえる隊は?」
『直轄の二隊は十六階層の落盤に対応中です。そちらの搬送班は負傷者を上げてからになります』
透は図面を拡大した。
第十八階層までは業務用の昇降機が使える。そこから下へ降りる西の連絡階段は、崩落で一部が埋まっていた。先週の報告では、通行不能とある。
「俺が西の連絡階段を見てくる。通れそうなら、先に十九階層へ入る」
『一人でですか』
「後続は欲しい。運ぶことになったら、俺だけじゃ足りない」
きなこの返答まで、少し間があった。
『今、指揮へ上げます。まず食べていてください』
透は足元へ落ちた栄養バーを拾った。包みの外へ出た端を折り、残ったほうを口に入れる。
噛むとひどく乾いていた。水で流し込み、もう一度食べる。味を確かめる前に一本なくなった。
退避所の時計は午前三時二十分を指していた。
*
『肩、見せてみろ』
端末に映った
「聞きました?」
『先に肩』
透は渋々、防護布の留め具を外した。
鷹宮が画面へ顔を近づける。白髪の交じる眉が寄った。
『腕は上がるか』
「上がります。疲れてはいますけど、動くのに支障はないです」
『疲れているのは知ってる。さっきの搬送、見ていた』
右腕を上げ、肘を曲げる。傷はない。動かすと、背中の筋肉が重く突っ張った。
鷹宮は少し考え、画面の外にいる誰かへ声をかけた。
『十八まで補給を下ろしてくれ。民間の先行一名、後続三名。救難装備を優先で』
こちらへ戻った目に、透は背筋を伸ばした。
『許可は救難の先行捜索だ。十九へ入ってから九十分。発見できなければ戻れ。見つけた場合も、状況を報告してから搬送の計画を立てる』
「わかりました」
『後続が追いつくまでに、二人を拾ったらどうする』
「一度で運べなければ、安全な場所を確保して待ちます」
『その安全な場所がなかったら』
透が口を開くより早く、鷹宮は続けた。
『俺たちにも考えさせろ。お前が現場にいるからって、全部お前の宿題になるわけじゃない』
言い返す言葉がなかった。
相手が机に座っているだけの人間なら、いくらでも言えた。鷹宮は、待っている間に何が起こるかも、先へ行きたくなる気持ちも知っている。
「……ちゃんと連絡します」
『頼む。こっちは地上の救護棟へ移る。戻ったら顔を見せろ』
「夜勤ですか」
『お前の報告を待っていたら、帰り損ねた』
「すみません」
『謝るくらいなら、温かいうちに飯を食え』
画面の外から渡された紙袋を、鷹宮が持ち上げた。
その店の包みには見覚えがあった。甘辛い肉を挟んだ、大きなパンを売る店だ。
「俺のもあります?」
『ある。置いて帰るから、受け取りに来い』
透は、今度は迷わず返事をした。
*
昇降機の籠が第十八階層に着くと、補給担当の男が台車を押して待っていた。
透はそこで肩の防護布を交換し、水と食料を詰めた。電池の残量を確かめ、ヘルメットのライトを予備に切り替えてみる。
小型の通信中継機を二つ。救助帯を二人分。保温具と、畳んだ簡易担架。
煙幕は残りの一本に三本を足した。
「酸素も持っていくか」
担当者が小さなボンベを示した。
「後続に頼みます。これ以上だと、拾った人を背負えなくなる」
必要なものを全部背負えれば楽なのに、と毎回思う。
台車に残す装備を指で分け、後続隊への伝言を頼んだ。自分用の替えの靴下は外し、要救助者用の保温靴下だけを救急用品の袋へ入れた。
休憩室で温めてもらったおにぎりを二つ食べる間に、きなこから連絡が入った。
『誤送信に該当するものはありません。発信元への応答もなしです』
「了解。西へ向かう」
『先ほど送った図面、持っていってください。現物と違う点があれば映像を』
拠点を出ると、途端に空気が冷えた。
出口の壁に、新しい採掘区画の募集広告が貼られていた。装備一式の貸与、成果に応じた追加報酬。笑顔の探索者の隣に、去年の搬出量が大きく載っている。
その下には、古い避難経路図が残っていた。
透は募集広告ではなく、そちらの東階段を確かめた。
白い照明が続くのは、採掘場へ向かう道だけだ。西へ折れた先では、誘導灯の半分が消えていた。
透は歩きながら十八階層の構造を確かめた。
自分の頭上を横切る別の通路がある。前方の階段は途中で埋まり、その脇に細い隙間が残っていた。下の階層までは見えない。今わかるのは、そこまでだ。
立入禁止の柵へ着くと、救難許可を端末で読み込ませた。緑の表示がつき、錠が外れる。
柵を戻し、誰でも通れる状態にはしない。
階段には折れた手すりと大きな石が積み重なっていた。
透は背嚢を下ろして隙間をのぞいた。人が横になれば通れる。だが、傷病者を背負ったまま戻れる幅はない。
「西階段、先行は可能。搬送には使えない。東の保守階段を、後続に確認してもらえるか」
『東ですね。図面上は閉鎖されています』
「上から見た形は残ってる。扉を開けられるなら、そっちのほうが運べる」
返答を待ち、崩落した階段と東への分岐を端末へ描いた。
十八階層の形は、下へ降りてもしばらく覚えていられる。だが、自分がいなくなったあとに崩れた場所はわからない。後続に見てもらうしかなかった。
首元の無線を押す。
「十九に入る。通信が切れたら、五分おきに定時連絡。二回飛んだら捜索へ切り替えてくれ」
『確認しました。映像も保存しています』
透は細い引き綱を背嚢へ結び、先に隙間へ押し込んだ。
肩幅がぎりぎりだった。体を斜めにし、頬を冷たい石へ寄せる。装備の金具が擦れるたび、上を見たくなる。
見たところで、頭上の石が軽くなるわけでもない。
片腕が向こう側へ抜けた。
肘で体を引き寄せ、膝を出す。ようやく立てる場所へ降りたとき、頬に砂がついていた。
腕の時計を確認する。午前三時五十五分。
背嚢を引き寄せ、肩へかけ直した。
ここからは第十九階層だ。意識を集中すると、それまでなかった通路がいくつも頭の中へ広がった。
透は足を止めた。
図面で空白になっていた場所に、部屋がある。
ひとつではない。狭い廊下を挟み、同じ大きさの部屋が並んでいた。その奥には、床から大きく掘り下げられた空間もある。
人がいるかどうかはわからない。
だが、使われなくなった配管だけが残る場所ではなかった。
「田中さん。これ、図面がだいぶ違う」
無線の向こうで、彼女が聞き返した。その声が途中から細くなる。
透は中継機を取り出し、階段脇の柱に固定した。
「部屋がある。発信元の先にも、ずっと続いてる」