「待ってくれ。また痛い思いをすることになるんじゃないか」
二十一階層の保守室で、
通話の向こうにいる
初めて病院で接続のことを聞かれたとき、葵は身体を縮めて、痛いと答えた。その様子を透は覚えていた。
『なります』
葵は言いよどまなかった。
「図面でわかることを教えてくれれば、こっちでやるから」
『わかるところは、伝えました』
強い言い方ではなかった。
透は保守室の机を見た。葵に教わった測定器の数値を、設備員が読み続けている。
『扉がどちらへ引かれているか、つなげば追えます。止まるたびに最初から合わせなくていいです』
透は口を開いたが、次の言葉が出る前に、
『いったん代わったよ。葵さんに決めてもらう前に、こっちも確かめたいことがある』
透は設備員を呼んだ。
どの接続口が生きているのか。動かしたいのは隔壁一枚なのか。途中で切った場合、現場の人間に何が起きるのか。
安江の質問は、一つずつだった。
*
この一か月、病院から届く説明には、わからないことが少しずつ減っていた。
葵の腕の機構は、皮膚の下だけに留まっていない。そこへ流れる魔力が心臓の動きにも関わっており、見えている金属だけを切り取れば済むものではなかった。
切除を急ぐほうが危険だという結論を、透も葵と一緒に聞いた。
地下資源省の資源政策局から資料が届いたのは、その調査の途中だった。
病院は写しを受け取り、医師たちは葵の検査結果と突き合わせた。安江も、資料に載っている外部器具の部分だけを確認した。
全部が嘘だと言えないことが、透には腹立たしかった。
同封されていた移送の案には、今の病院で調査と治療を続けるという返答が送られた。葵が移ることに同意したわけではない。資料を受け取るたびに、何かを認めたことにされないよう、病院の担当者が返事を残していた。
安江が作っていたのは、埋まった機構を取り外す道具ではない。
古い設備の保守に使う調整器を改造した、腕に装着できるリング状の機械だった。外周には形の違う接続端子が並んでいる。腕に埋まった機構とは、皮膚越しに魔力でつながる。設備へは端子からケーブルを延ばす。リングの側面には、負荷を調整するハンドルと接続を切るレバーがついていた。
葵は、自分から調べてほしいと頼んでいた。何も知らないまま、またつながれるのは嫌だと言った。
器具だけに模擬の負荷をかける試験は済んでいた。それでも、葵自身は一度もつないでいない。
『これがあるから大丈夫、とは言えない』
安江が言った。
『接続を切る機能はある。動いている設備に葵さんをつないだとき、どこまで負担がかかるかは、試験と同じとは限らない』
「先生には?」
『今、連絡してる』
透は返事をして通話を切った。
廊下の向こうで、設備員が手動軸を切り離す工具を片付けていた。歪んだ部分を取り除いても、奥の継ぎ手に工具を入れられなかったという。
「掘削はまだ時間がかかる。休憩所は、冷却器で冷やした空気を送っても温度が上がり始めた」
「あと何分だ」
「何分なら大丈夫とは言えない。脚を傷めた人の返事が遅くなってる」
透は閉じた隔壁のほうを見た。
もう一度、迂回できる空間を探した。頭の中で廊下の形をたどり、岩に埋まった場所を除いていく。保守室から向こうへ抜けられる道は、やはりあの扉しか残っていなかった。
もっと見れば、別の道が出てくる気がした。
階層全体へ、もう一度意識を広げる。さっき確かめた廊下まで拾い直したところで、こめかみが脈打った。朝から何度も地形の変化を追ってきた。頭の中の形を更新するたび、痛みが強くなる。
透は机に手をついた。それでも、まだ見ていない隙間がないか探した。
葵をここへ呼ばずに済むなら、頭痛くらいはどうでもよかった。
だが、吐き気を飲み込んで意識を広げ直しても、同じ場所で道が途切れる。さっき調べた枝道を、また初めからたどっていた。
「水瀬」
返事ができずにいると、肩をつかまれた。
「水瀬、いったんやめろ。顔色が悪い」
透は地形を追うのをやめた。保守室の壁が目に戻り、机に体重を預けていたことに気づく。
剛田が椅子を引いた。
「そこは設備班に見てもらってる。お前まで倒れるな」
透は腰を下ろした。目を閉じて何度か息を吐くと、吐き気が少し引いた。こめかみの痛みは残っていた。
「本人と話せ。行かせたくない理由も含めて」
透は端末を持った。
これ以上、同じ道を探し直しても答えは変わらない。画面に表示された葵の名前を見て、通話をかけ直した。
*
透がかけ直すと、安江は葵と医師も参加している通話へつないだ。
葵は医師の説明を聞いたあとも、行くと言った。
接続中の痛みがどれほどになるか、器具で抑えられるとは約束できない。心臓への影響も含め、異常があれば直ちに中止する。医師はそう説明した。現在の検査結果は、同行する救護担当にも共有するという。
体調が回復していることと、接続が安全なことは、同じではなかった。
『今ここでつないで、地下を動かせるわけではないんだね』
医師に尋ねられ、葵は現地へ行く必要があると答えた。同じ区画の接続口からでなければ、隔壁を扱えない。
「途中でやめても、帰ってこられるようにする。開かなかったら、それで終わりにする」
『わかりました』
「向こうに人が残っててもだよ」
返事が少し遅れた。
『……はい』
透はその間を聞いた。
「葵。帰る場所のことなら、何もしなくても変わらないから」
『それで行くんじゃないです』
はっきりした声だった。
『私なら、あの扉を動かせるかもしれません。そこにいる人たちも、地上に帰りたいと思います』
透は目を閉じた。
その言葉を、自分が今まで何度言ったかは覚えていない。
「俺は、また痛い思いをしてほしくない」
ほかの理由を探すのをやめた。
『私も、痛いのは嫌です』
葵が答えた。
『だから、止めてほしいときは止めてください』
透はすぐにうなずいてから、通話では見えないことに気づいた。
「わかった。俺がそばにいる」
話し終わると、安江が移動の手配を確認した。
十八階層までは昇降機。その先は救助隊が確認した経路を使い、救護担当も一緒に下りる。歩かせ続けずに済むよう、搬送用の椅子を用意することになった。
到着までは、およそ一時間。
透は剛田へ伝えた。
「来るまでに、扉を固定できるようにしたい。開いたら、駆動部を止めても落ちないように」
「支持具を運ばせる。扉の左右を支えられるように、二本用意しよう」
剛田は設備班を呼んだ。
透は保守室の椅子を壁際へ動かし、机にあった部品を片付けた。彼女を座らせる位置から、出口までの床を確かめる。
転がっていたボルトを拾うと、指の中が汗で滑った。