深層救助屋――帰還禁止の少女   作:病んでるくらいが一番

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第26話 先輩の昼飯

 翌日の午後、水瀬透(みなせとおる)は民間クラン、灯路(とうろ)の事務所を訪ねた。

 入口の靴拭きは新しくなっていたが、傘立てには相変わらず誰のものかわからない長傘が詰まっている。受付の奥で、見覚えのある男が手を上げた。

 

「こっちだ。資料は会議室へ出してある」

 

 堀江修司(ほりえしゅうじ)。透が所属していた救助班の班長だった。

 幅のある肩に、紺の作業着。上着の胸には、洗濯で薄くなったクランの印が残っている。

 

「お久しぶりです」

「先月会っただろ。お前から借りた中継機、もう返したよな」

「それは返ってます」

「なら座れ。今度は取り立てじゃないんだな」

 

 透は苦笑して椅子を引いた。

 長机には三冊のファイルがあった。勤務表、出動記録、救助時の通信記録。監察から照会が届き、事務担当が出したものだという。

 持ち帰る写しは後で担当者同士が確認する。今日は透の記憶と照らすところからだった。

 

「あの日の救助班は、お前を入れて四人だ。俺は十八階層で搬送を受けていた」

 

 堀江が出動記録を開いた。

 透は日付を見た。二年前の数字だ。

 十九階層、北採掘区画。崩落により複数名が取り残され、救助班が出動した。

 最後まで帰ってこなかった一人の欄に、桜井ミカ(さくらいみか)とあった。

 偵察役。二十一歳。

 

 名前を指でなぞりそうになって、やめた。

 紙を汚す。そんなことを考えた自分に、少し驚いた。

 

「少し待つか」

「大丈夫です」

 

 堀江は次のページをめくらなかった。

 代わりに、自分の椅子へ深く座り直した。

 

「あいつ、お前の昼飯をよく持ってきてたな」

 

 透は机の向こうにある小さな流しを見た。

 ここではない。前の事務所の、もっと狭い休憩室だった。

 

 *

 

 二年前、昼を少し過ぎたクランの休憩室で、透は栄養補助のゼリーを吸っていた。

 次の救助待機まで、二十分ある。椅子を引いて座ったところへ、紙袋が落ちてきた。

 

「先輩、またそれっすか」

 

 ミカが向かいに座った。

 偵察から戻ったばかりで、短い弓のケースを足元へ立てかけている。指の保護具を外し、手首を振った。

 

「飯だよ。カロリーはある」

「噛むもの食べてください。顎、使わなくなりますよ」

「地下で結構食いしばってる」

「そういう話じゃないっす」

 

 紙袋から肉の挟まったパンを一つ出し、透へ押しつける。

 もう一つは自分の前へ置いた。

 

「いくら?」

「今日はいいです。次、奢ってください」

「高い店じゃなければ」

「覚えときますからね、それ」

 

 笑うと、仕事中よりずっと幼く見えた。

 透は袋を開けた。温かいうちに食べろ、と促されて一口かじる。

 ミカは自分の端末を取り出し、画面を机の中央へ置いた。

 

「北三号の連絡路、今日見てきました。先週の図面と、ここが違います」

 

 黄色い線が、壁の手前で折れていた。

 

「資材が積んであって、担架を回す幅がない。歩くなら通れますけど、寝かせて出すなら先にどかしたほうがいいっす」

「申告は?」

「設備に送りました。返事待ちです。だから先輩にも」

 

 透はパンを置き、画面を拡大した。

 ミカの写真には、通路の幅がわかるよう測定用の棒が立てかけてあった。反対側からの写真もある。

 

「助かる。帰りに現物を見てくる」

「今日じゃなくていいです。先輩、昨日も遅かったでしょ」

「近いところだから」

「そう言って遠くまで行くじゃないですか」

 

 ミカは端末を引き戻した。

 透が顔を上げると、彼女は笑っていなかった。

 

「寝てからにしてください」

 

 返事を待つ目だった。

 先輩だからと、何でも聞いてくれる後輩ではない。そのことを透は気に入っていた。

 

「わかった。明日にする」

「じゃあ明日、私も行きます。写真の場所、案内するんで」

「偵察の仕事は?」

「午前で終わります」

「終わらなかったら置いてくぞ」

「そこは待つって言ってくださいよ」

 

 ミカはパンの袋を丸めた。

 机を挟んで身を乗り出し、透がまだ食べているのを見て座り直す。

 

「で、帰りに飯っすね」

「今食ってるだろ」

「明日の話です。奢るって約束しました」

 

 約束の範囲が、少しずつ広くなる。

 透はもう一口パンをかじり、うなずいた。

 仕事以外で誘われるのを、待っていたのかもしれない。

 休憩室の扉が開き、攻略班の男が顔を出した。

 

「ミカ、午後の道案内、代われるか」

「どこのですか」

「南の資材通路。図面は出てる」

「そこ、昨日から上の梁が下がってますよ。荷物の高さ、確認しました?」

 

 男は端末を見下ろし、首を振った。

 ミカは立ち上がると、自分の画面を持ってそちらへ行った。明るい声のまま、荷を積み直すなら通れること、別の道だと階段があることを順に話す。

 男は二度うなずき、車両の担当へ連絡し始めた。

 

「わかった。背の低い台車に替える。お前、先に見てくれるか」

「了解っす。十分後に下で」

 

 扉が閉まると、ミカは残ったパンを急いで口へ入れた。

 

「お前も結構、忙しいじゃないか」

「先輩と違って、午前にちゃんと休みました」

 

 透が口を閉じると、勝ったように笑った。

 弓のケースを拾う前に、食べかすの落ちた机を拭いていく。最後に透のパンを指し、全部食べるよう念を押した。

 

「明日、忘れないでくださいよ」

 

 返事をすると、ようやく出ていった。

 翌日は二人で北三号を歩いた。ミカの申告した資材は壁際へ寄せられ、担架を回せる幅ができていた。

 透が幅を測る間、彼女は来た道を見ていた。魔物に背後を取られないための見張りだった。

 帰りの食事では、肉料理を二人分頼んだ。ミカは皿が来るまで、今日撮った写真の話をしなかった。

 

「ここまで仕事の話をしたら、経費で落とせそうっすね」

「飯を経費にできたら、とっくにやってるよ」

 

 そう言うと笑われた。

 事故は、その翌日ではない。そんな食事を何度か重ねた先にあった。

 

 *

 

 現在の会議室で、堀江が紙コップへ水を注いだ。

 透は受け取り、少し飲んだ。

 

「結局、何度か奢らされました」

「楽しそうに行ってたじゃないか」

 

 否定はできなかった。

 ミカとは付き合っていなかった。仕事のあとに食事へ行き、次に何を食べるか話す。まだ、そういうところだった。

 

「俺、あいつが戻ったら聞こうと思ってたんです」

 

 堀江は何を、と聞かなかった。

 透も先を言わず、コップを机へ戻した。

 

「記録を見ます」

 

 堀江がファイルをこちらへ寄せた。

 最初に搬送した三人の名前がある。透は負傷した攻略担当を安全側まで運び、他の隊員へ引き渡している。

 そのあとで、奥に残ったミカから通信が入った。

 

「北三号から回れば行けると、お前は報告してる。場所は覚えてるな」

「はい」

 

 現在地からでは、二年前の地形を能力で呼び戻すことはできない。

 それでも、当時描いた図は残っていた。透は自分の線を見た。細い廊下が採掘区画の裏へ回り、ミカのいた退避場所へ続いている。

 その入口に、封鎖の印が重なっていた。

 

「ここで止められました。保安の人間が二人いて、通すなという指示が出てると」

 

 堀江が別の紙を開いた。

 当日、現場へ渡された封鎖通知の控えだった。裏面には、受け取った隊員の署名がある。

 停止の理由は、設備事故による二次災害の防止。

 詳細は別紙参照。

 

「この別紙が、うちにもない」

「最初から?」

「そこを確かめた。受け取った隊員は、一枚だけだったと言ってる。当日の引き継ぎにもそう残していた」

 

 机の上で、透の指が止まった。

 なくしたのではない。現場には、説明そのものが渡っていなかった可能性がある。

 

「受領した時刻を、監察へ伝えてください」

「もう照合してる。俺も次の説明に出る」

 

 堀江はファイルを閉じた。

 

「ミカは、その五日後に見つかった。お前も一緒に迎えに行った」

 

 透はうなずいた。

 あの日のように、今すぐ走れば追いつくわけではない。

 

「調べよう。何があったのか。ただ、今度はお前まで置いて帰る気はないぞ」

 

 堀江は私物の手帳から写真を一枚出し、机に置いた。以前の休憩室で撮ったものだった。

 透は返事をして、写真へ目を落とした。

 ミカはカメラへ笑い、自分は口いっぱいにパンを詰めていた。

 

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