旧クランを訪ねてから二日後、
机の上には、十九階層の古い地図が広げられている。透の隣には
記録担当が扉を閉め、出席者を確認した。
「当日の判断について、私が覚えていることと、記録で確認できることを分けて話す」
鷹宮が言った。
いつものように腕を組まず、両手を机へ置いていた。
「透からは、別の経路で救助に入れるという報告が来た。私は現地の保安担当へ、封鎖の根拠を問い合わせた」
時刻の書かれた通信記録が、一枚ずつ配られた。
危険設備の保全区域に該当。立ち入りを認めない。
最初の回答は、それだけだった。
「危険って、何がですか」
「熱いガスが流入するおそれがあり、扉を開けると退避している者まで巻き込む。二度目の問い合わせで、そう説明された」
透は北三号連絡路の線を見た。
あのとき、そこに空間があることはわかっていた。通り抜けられる幅もあった。
ガスは見えない。地形だけでは、安全と言い切れなかった。
「測った値は」
「受け取っていない」
鷹宮の返事は短かった。
「現地の設備担当も同じ説明をしていた。私は危険情報が正しいと判断して、進入を止めた。別の経路の捜索を続けるよう指示した」
透は指を組んだ。
知っている話だった。今初めて聞いたわけではない。
けれど、測った値はなかったという一言が、喉に引っかかっていた。
「俺の図面より、そっちを信じたんですね」
堀江の椅子が小さく鳴った。
鷹宮は視線をそらさなかった。
「君の図面を疑ったのではない。だが、結果として、君の示した経路へ誰も入れなかった。私の判断だ」
「それで、ミカは」
先が出なかった。
鷹宮が何か言いかける気配もなかった。
明智も、紙を揃える手を止めていた。
「すみません」
「謝らなくていい」
鷹宮は静かに返した。
「君に納得してもらうために、この席を設けたのではない。当時の私の判断も、調べる対象に入れるためだ」
透は組んだ指をほどいた。
その言い方を、すぐには受け入れられなかった。責めたい気持ちがあり、責めたくない気持ちもあった。
六歳の自分を運び出した腕を覚えている。
自分が救助を仕事にしている理由まで、ここで一緒に崩したくなかった。
「当時も、記録を取り寄せようとはしたんですか」
聞くと、鷹宮は机の端から、クリップで留めた書類の束を取り上げた。
「事故後に二度、問い合わせた。返ってきたのは設備事故の報告書だった。封鎖前の測定記録までは含まれていなかった」
透の前へ置かれた紙には、回答のあった日付と、再照会の文面が並んでいた。
誰も何もしていなかったわけではない。それがわかっても、気持ちは軽くならなかった。
「今回は、違うものが出てくるんですか」
「同じ回答で済ませられるかどうかを、私たちが確かめます」
明智が答えた。
「当時の照会は事故報告についてでした。今は、現場へ渡された紙と保存文書の内容に食い違いがあります。誰が何を受け取ったか、一つずつ回答を求めています」
「もし、記録がもうなかったら」
「ないことを記録に残します。いつ、誰の判断で処分したかも対象です。わからない部分を、わかったことにはできません」
透は書類の束を鷹宮へ返した。
今すぐ欲しい答えが出てこないのは、わかっていた。それでも、質問を重ねれば誰かが言ってくれるような気がしていた。
堀江が、水の入ったコップをこちらへ寄せた。
「一度休もう。俺も、受け取った書類を整理したい」
透はうなずいた。
席を立つと、膝の後ろが固くなっていた。窓際まで歩き、外の駐車場を見る。救急車両の出入口が開き、係員が車を誘導していた。
その光景をしばらく見てから、机へ戻った。
*
休憩を挟み、明智が三枚の文書を並べた。
旧採掘区画から回収された点検票。灯路に残っていた封鎖通知。資源政策局から取り寄せた、当時の文書を配った先の一覧だった。
「二十一階層の点検票から、文書を出していた課がわかりました。同じ課の保存記録を照会し、北三号の封鎖通知について回答を得ています」
透は日付を確かめた。
二十一階層の点検票は、別の設備についてのものだ。そこにミカの事故が書かれていたわけではない。
発行元をたどった結果、ようやく当日の紙へつながった。
「通知の作成時刻は午後一時四十二分。設備保全課から、現地の保安担当へ送られています」
明智が次の行を指した。
「詳細な危険情報を添えるよう指示が出たのは、一時五十一分です」
九分の差だった。
透は、自分の通信記録を引き寄せた。
「ミカから最後に声が入ったのが、一時四十七分です」
「はい。その時点では既に進入禁止が出ています。ただ、危険についての詳しい説明が後から付けられたからといって、封鎖した時点では危険がなかったとは言い切れません。書類にする前に、口頭で危険が伝えられていた可能性も調べます」
堀江が、封鎖通知の裏を見せた。
現場の隊員が受け取ったのは一時四十四分。一枚のみ、と当日の引き継ぎに残っている。
「現場では、別紙を待っていたわけでもありませんでした。危険だから入るな、それだけです」
明智はうなずき、記録担当へ確認した。
紙の上に書き加えられる文字を、透は見ていた。
あのとき聞いても返ってこなかった答えが、今は、答えのなかった事実として残されている。
「現地を見たいです」
透が言った。
「あの通路と、危険だと言われた設備が、どうつながっていたか。今の形だけなら俺にも見られます」
「そのための計画を、設備側と組んでいます」
明智が現在の地図を開いた。
調査対象は北三号連絡路と、その手前の監視室。ミカのいた退避場所まで、今回一度で入る計画ではなかった。
監視室の壁には、温度や圧力を記録する装置が残る可能性がある。通常回線が止まっても、手元の記録だけは保存する形式だという。
「同じ型の装置の資料を確かめています。壊れていれば読めないかもしれませんが、まず設置場所を確認したい」
「経路の調査なら、うちも人を出します」
堀江が言った。
鷹宮は二人を見て、手元の書類へ署名した。
「局が保管する当日の記録は、抜き取らず一式を監察へ渡す。現場への調査許可も、必要な条件を満たし次第、私が出す」
署名の下に、ダンジョン管理局長とあった。
「省の別の局が持つ記録まで、私の一存では開けられない。そこは明智さんたちに進めてもらう。私宛ての問い合わせも、同じように残してほしい」
明智が書類を受け取った。
透は、何も言わずにその手を見た。
*
会議室を出る前に、鷹宮が透を呼び止めた。
堀江は廊下で待つと言い、扉を開けたまま外へ出た。
「十九階層の、もう一人の捜索も続けている」
鷹宮が図面の別の場所を示した。
「入口側の配管を一本、撤去できた。だが、その奥の天井をまだ支えきれない。人を通す前に、支柱を入れる位置を作っている」
北三号の調査範囲とは、離れていた。
同じ階層でも、行ける場所が一つ増えたからといって、その奥へ全部通じるわけではない。
「葵にも伝えます」
「頼む」
透は図面を受け取った。
鷹宮が言葉を待っているのはわかった。それでも、何と言えばいいか決まらなかった。
「今は、まだ」
口を開いてから、一度息を吐いた。
「調べたものを見てから、考えたいです」
「そうしてくれ」
鷹宮は、それ以上を求めなかった。
廊下へ出ると、堀江が紙コップのコーヒーを二つ持っていた。
「熱いぞ」
渡されたものを両手で受け取る。
左の手のひらに残っていた傷は、もう薄い線になっていた。透はそこを親指で触り、やめた。
まずは書類に残された記録と、現場に残っている痕跡を、一つずつ確かめようと思った。