十九階層の監視室で、
「触るな」
「何が支えてるか、先に説明しろ」
透は手を引いた。今すぐ取り出せば、何かわかる気がしていた。
息を吐き、小さな形から周囲の岩へ意識を戻す。
「上は壁に食い込んでます。箱みたいなものがあるのは、その下。右の割れ目からなら、岩を動かさずに届くかもしれません」
設備担当が細いカメラを差し入れた。
砂の隙間に、黒い角が映った。透の見つけた位置だった。
周囲の岩を支えてから、挟む道具を通す。透はカメラの映像と頭の中の形を照らし、先端を少し下へ向けてもらった。
「そこ。手前に出っ張りがあるから、いったん左へ」
出てきたのは、割れた小型録音機だった。
堀江が受け皿へ置き、側面の砂を払う。灯路の印と、貸出番号が見えた。
「偵察用だ」
透はしゃがみ込んだ。
その番号が誰のものかまでは覚えていない。ミカも、同じ型を胸につけていたのは確かだ。
「収容したとき、あいつのはありませんでした」
「装備の回収表と照合する。まず写真だ」
堀江は録音機へ伸びかけた透の手を、今度は声だけで止めた。
ミカを迎えに来たとき、壊れた胸の留め具は見ていた。録音機は脱落したまま見つからず、遺体と持ち出せる装備を収容して退いた。
そのころは、岩の向こうにこんな小さな形があるとはわからなかった。
「動きますか」
「ここでは電源を入れません。中の記録を読めるか、上で調べます」
技術者の返事に、透はうなずいた。
岩が後から動いて、ここへ押したのかもしれない。置かれたのか、落ちたのかも、まだわからなかった。
監察担当が発見位置を記録し、録音機を別の保護容器へ収めた。
地上へ追加の回収物を報告する間、透はその容器を見ていた。
*
午前十一時前、北三号連絡路で、透は古い隔壁を見上げた。
地上への報告を終え、予定していた範囲の調査を続けることになった。監視室から取り外した記録器は、蓋を封じたケースに入れ、手前の台車へ固定してある。
今いるのは、その先にある連絡路の入口だった。
「この扉です」
透は当時の写真を端末へ出した。
二年前には下りきっていた隔壁が、今は膝ほどの高さで止まっている。下の隙間は、新しい柵で塞がれていた。
封鎖の札には、地形変動による枠の破損とあった。
「潜って見るつもりはないな」
「外から確かめます」
堀江へ答え、透はしゃがんだ。
頭の中で、扉の奥へ通路をたどる。最初の角までは幅が残っていた。その先は壁が崩れ、天井から落ちた岩と重なっている。
二年前の図面とは、もう違っていた。
設備担当が照明を立て、監察担当が扉の番号と周囲を撮影した。
透は脇へ退き、足元のケーブルを壁際へ寄せた。
「危険だと言われてた配管は、どこを通ってたんですか」
記録器を扱う技術者が、持参した図面を開いた。
「報告書では、この壁の向こうです。高温の流体を通す系統で、破損すれば蒸気が出る。そのこと自体は間違っていません」
ライトが右の壁へ向いた。
上のほうに、丸い管が二本走っている。途中から覆いの中へ入り、角の向こうへ消えていた。
「ただ、当時この扉の向こうへ漏れていたかは、別です。記録器の値と、測定していた場所を照らします」
「配管に穴が開いてたら、今も残ってませんか」
「修理されています。目の前の管が同じものかも確認が要ります」
透は立ち上がった。
自分の能力で新しい壁の位置はわかる。だが、壁がいつ作られたかはわからない。
今ここに穴がないから、当時もなかったとは言えなかった。
補強担当が、壁際の覆いを指した。
「点検蓋なら、ここから開けられます。中の札を撮りましょう」
蓋を留めているねじが、一つだけ岩に隠れていた。
透は膝をつき、岩の背後を探った。大きな塊に見えたが、上の壁とはつながっていない。床に落ちた一個だった。
「こいつを横へずらせば届く。上の壁は載ってない」
設備担当が周囲を目視で確認する。透はくさびを差し入れ、少し浮いた岩へ指をかけた。
片膝を引き、腰を落としたまま転がす。堀江が台木を噛ませ、戻らない位置で止めた。
開いた蓋の中には、細い管と弁が並んでいた。
「力仕事ばかり頼んで悪いな」
「これなら、すぐ済むんで」
透は手袋の砂を払い、ライトを差し入れた。
札は二枚重なっていた。上には去年の交換日、下には古い設備番号がある。
技術者が写真を撮り、持ってきた図面へ印をつけた。
「記録器につながっている温度計は、この枝です。もう一本のほうではありません」
透は二本の管を見比べた。
「こっちの値が低くても、隣から漏れてた可能性はあるんですね」
「はい。そこを混ぜると、あとで調査結果そのものを否定されます」
技術者は次の札を撮った。
透は急かさず、光が影にならない位置へ腕を伸ばした。
欲しい答えに近そうなものだけ拾えば、ここまで来た意味がなくなる。
*
点検蓋を戻す前に、技術者が図面の端へ書かれた修理番号を確かめた。
「この工事の完了報告も、取り寄せてもらえますか」
監察担当が番号を復唱した。
「何と比べるんですか」
「交換した管の範囲です。事故直後に全部交換したという報告なら、古い札がここに残っている理由を確認したい」
透は覆いの中へ、もう一度ライトを向けた。
古い札があるだけで、管まで古いとは限らない。弁だけを残して交換した可能性もあると、技術者は説明した。
わからないところを一つ見つけるたびに、次に聞く相手が増える。
「今日、ここへ来てよかったんですね」
思わず言うと、技術者が顔を上げた。
「写真がなければ、同じ説明を読み直すだけでしたから」
透は腕を上げ直した。袖の中を汗が流れたが、照明の影は動かさなかった。
記録のために紙を何枚も増やす仕事は、あまり得意ではない。それでも、岩をどけたあとに何を残すかで、上に戻ってからできることが変わるのはわかっている。
技術者が撮影を終え、今度こそ点検蓋を閉めた。
監察担当が隔壁脇の操作盤を撮影した。
割れた透明な覆いの下に、手動操作のレバーがある。鍵穴は空だった。
「当時、ここを開けてもらおうとしましたか」
「しました。保安の人は、操作する権限がないと」
透は盤の前へ立った。
ここで何度も説明した。奥に仲間がいること、自分なら通路を把握できること、別の入口から回るより早いこと。
保安員は怒鳴り返さなかった。回線をつなぎ、返事を待ち、同じ答えを繰り返した。
「あの人たちも、ここから指示を聞いていたんだと思います」
盤の横には、古い通話器の台座だけが残っていた。
透はその写真も撮ってもらった。
止めた相手の顔は覚えている。それでも、扉を閉めるよう決めたのがその二人とは限らなかった。
堀江が当日の図面を隣へ並べた。
「最初の封鎖指示は、ここで受けた。危険なガスの説明が届いたのは、後だ」
「その前に、何を守るために閉めたのかですね」
監察担当が確認した。
透はうなずいた。
記録器が動いていたなら、閉じた時刻や指示の種類が残っているかもしれない。だが、この場で箱を開けて確かめる機材は持っていない。
「持ち帰ってから、読めるんですよね」
「解析室で保存状態を確認します。読み出す作業も記録します」
ケースへ目をやった透を、堀江が見ていた。
「拾ったもんを、無事に上げるところまでだ」
「わかってます」
透は答えた。
扉の奥で、水が落ちる音がした。
この隔壁の先の通路を回り込めば、ミカが救助を待っていた退避場所へ行けた。監視室とは壁を隔てて隣り合っていても、人が入るにはこちらから回る必要があった。
今は途中の通路が崩れている。それでも頭の中で地形をたどると、崩れた壁の脇に細い隙間が残っていた。
今日は退避場所まで入る予定ではない。それでも、自分が通れる幅はないかと、透は隙間の先を確かめずにはいられなかった。
*
同じころ、地上の地下資源省、資源政策局長室では、
裏面まで、求める資料の項目が続いている。
「前に回答しただろう」
「今回は、当時の送信記録と、別紙の作成経緯についてです。事故報告書の写しでは回答にならないと」
設備保全課の課長が言った。
黒瀬はペンを置いた。
「誰が現場へ入れている」
「管理局です。北三号と監視室の調査許可が出ています」
「あそこに、まだ何か残っているのか」
「装置の現状は確認中です。保存年限内の記録については、廃棄や上書きを止める通知も届いています」
黒瀬の指が机を叩いた。
「それは読んだ。何が残っているかを聞いている」
課長が口を閉じた。
黒瀬は椅子へもたれ、息を吐いた。声を荒らげても、目の前の男が知らないものは出てこない。
「担当を集めろ。文書を作った者、送った者、現場へ説明した者だ。日程は今日中に出せ」
「退職した者もおります。全員の確認には」
「日程を出せと言っている。できないことを並べる前に、誰と連絡がつくのか確かめろ」
課長が頭を下げた。
扉へ向かう背中を、黒瀬は呼び止めた。
「三番の件は」
「移送への同意は得られていません。病院からの回答は前回と同じです」
黒瀬は唇を引き結んだ。
接続用生体ユニットの身柄が戻れば、設備の復旧も説明の仕方も変わる。ところが、相手は診療と本人の意思についてばかり回答してくる。
こちらが必要としているものを、一向に理解しようとしない。
「今日は記録のほうを先にまとめろ」
課長が出ていくと、黒瀬は照会文書をもう一度表へ返した。
求められているのは、最初に扉を閉めた理由だった。
事故報告書の表紙を、その上へ重ねる。九分の間に送られた短い指示まで探られるとは、思っていなかった。
報告書を出せば済むと考えていた、当時の詰めの甘さが腹立たしかった。黒瀬は重ねた紙の端を、指で強く押さえた。