深層救助屋――帰還禁止の少女   作:病んでるくらいが一番

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第31話 涙で濡れた机

 調査から戻った翌日の午後、水瀬透(みなせとおる)は管理局の小さな解析室で、回収した記録器を見ていた。

 箱は作業台の上で開かれている。取り外した蓋とねじが、別の皿に並んでいた。

 透明な仕切りの向こうで、技術者が読み出した記録の写しを確認していた。

 

「保存されている部分は読めました。ただ、事故のあとで電源が落ちています。全期間の記録ではありません」

 

 隣の机にいた明智信玄(あけちしんげん)が、説明を受け取った。

 透の隣には堀江修司(ほりえしゅうじ)。少し遅れて、鷹宮誠司(たかみやせいじ)も入ってきた。

 昨日の六人全員が集まったわけではない。現場の担当者は、設置場所や配線を確かめた写真と報告を先に提出している。

 

「時計は、合っているんですか」

 

 透が聞くと、技術者は二つの時刻を並べた。

 

「正常に通信していた最後の記録を、地上側と照合しました。その時点で差は数秒です。九分の前後関係が逆になるずれではありません」

 

 画面の行が、ゆっくり送られた。

 午後一時四十二分。外部指令を受信。

 北三号隔壁、閉鎖。

 透は椅子の縁を握った。

 

「その指令は、どこから」

「現場の操作盤ではありません。設備管理の回線からです。発信元の記録と照合する必要があります」

 

 続いて表示された欄には、設備保全、とあった。

 その時点の記録には、ガス流入の警報はない。

 

「温度計の位置は、昨日確かめたほうですね」

「はい。別系統の漏れまで否定するものではありません」

 

 透はうなずいた。

 技術者が、北三号の図面へ温度計の位置を重ねた。ここで何を測り、何を測れなかったか。昨日撮った札の写真が、その隣へ並ぶ。

 

「一時五十一分に、閉鎖理由の追記を受信しています。高温ガス流入のおそれ。この文面は、後の報告書と一致します」

 

 最初の閉鎖から、九分あとだった。

 透は自分の持ってきた通信記録へ目を落とした。

 一時四十七分には、まだミカと無線で話していた。扉が閉じられたあとも、彼女は生きて、救助を待っていた。

 

 *

 

 技術者が、別の容器から小さな録音機を出した。

 貸出番号は、ミカの装備記録と一致していた。事故後の回収表には未回収と残っている。筐体は壊れていたが、内部の記録媒体は読み出せたという。

 

「こちらは無線の録音とは別です。現場で本人が録音を続けていました」

 

 再生するか聞かれ、透はうなずいた。

 

『十三時五十四分。北の退避場所。通信、返事なし。照明はついてます』

 

 透は顔を上げた。

 自分が最後に聞いた声より、息が浅かった。それでも、ミカだった。

 

『携帯計器、温度はさっきと変わらず。ガスの警報なし。蒸気も見えません。足は動かせないです』

 

 何かを擦る音がした。

 

『脱出できる穴、なし。引き続き待機します』

 

 明智が一度止めた。

 

「本人が読み上げた時刻です。時計のずれも確認します。ここでは、彼女が観察して報告した範囲の記録として扱います」

 

 透はうなずいた。早く続きを聞きたかった。

 再び流れた録音には、呼吸と、遠くで水の落ちる音があった。

 

『……先輩。これ、帰れたら消すんで』

 

 堀江が透を見た。

 明智が再生を止め、端末へイヤホンをつないだ。

 

「ご本人に宛てた言葉のようです。先に、一人で聞きますか」

 

 透はうなずいた。

 担当者たちが席を外し、堀江も廊下で待つと言った。扉が閉まってから、透は続きを再生した。

 

『ゼリーばっかりで昼飯、済ませないでくださいよ。コンビニの飯も、同じのばっかり買わないで。野菜、避けてるの知ってるんすから』

 

 少し笑うような息が入った。

 

『あと、寝てください。私が言わないと、また無茶するでしょ』

 

 透は返事をしそうになった。

 画面の再生位置だけが進んでいく。

 

『もし駄目だったら、お供えは、いつものパンでいいです。高いの買わなくていいんで。浮いたお金で、先輩がちゃんと食べて』

 

 長い間があった。

 息を吸い直す音が、二度聞こえた。

 

『本当は、先輩と結婚したかったです』

 

 透は端末を握った。

 ミカは笑ってごまかさなかった。次の言葉が出るまで、透も息ができなかった。

 

『まだ付き合ってもないのに、何言ってんだって話っすよね。でも、したかった』

 

 声が震えた。

 

『先輩は、ちゃんと好きな人と結婚してください。私のところには、老衰で来てください。それ以外は、怒るんで』

 

 透は口元を手で覆った。

 わかったとは言えなかった。まだ、そんな先の話を聞きたくなかった。

 録音の向こうで、何かが落ちた。

 

『……北側、落石音。一回。入口は、変わりません』

 

 仕事の声へ戻ろうとしていた。

 

『計器、警報なし。照明、ついてます。救助待機、続けます』

 

 そこからは、間を置いて短い報告が入った。

 入口。明かり。返事のない通信機。

 途中から声が聞き取れなくなり、衣擦れのような雑音だけが続いた。透は音量を上げた。何か話しているのではないかと、イヤホンを耳へ押し当てた。

 雑音の合間に、かすかな声が聞こえた。

 

『……先輩。愛して……います』

 

 透は息を止めた。

 また雑音だけになった。もう一度声が聞こえないかと待ったが、やがて、それも途切れた。

 

 画面には再生終了とあった。

 透はイヤホンを外せなかった。

 録音が止まった理由も、そのあとどれだけ生きていたかも、これだけではわからない。最後まで待っていたことだけが、わかった。

 

 扉が静かに叩かれた。

 しばらくしてから返事をすると、堀江が入ってきた。透は画面を伏せ、同じ姿勢で座っていた。

 目の前の机には、何かを拭った跡があった。

 

「少し、待ってください」

「ああ」

 

 堀江は向かいへ座った。

 透が水を飲み、調査の話を続けられると言うまで、ほかの人を呼ばなかった。

 

 明智たちが戻り、透は二つの記録を見比べた。設備が残した閉鎖の時刻と、ミカ自身の報告だった。

 

「閉じた時点で、本当に危険があったか。それは、まだわからないんですね」

「はい。録音でわかるのは、ミカさんのいた場所で、本人が警報や蒸気を確認していなかったことです。別の場所の危険まで否定はできません」

 

 明智が答えた。

 

「ただ、救助中と知りながら、最初に設備保全を理由として閉鎖した記録は残っています。現場へは、その理由が届いていません。後から加えた説明だけでは、この判断の経緯を説明できません」

 

 透は顔を上げた。

 

「誰が、設備を優先したのか」

「そこを、送信した側の記録と担当者の証言で確かめます」

 

 鷹宮が机へ両手を置いた。

 

「私が危険情報を聞いたのは、この追記のあとだ。閉鎖から九分の間に何が起きていたか、当時は確かめきれなかった」

 

 透は鷹宮を見た。

 謝罪を受ければ終わる話ではなかった。助けてくれた人だからと、もういいですと言うこともできない。

 

「それも、記録に残してください」

「残す」

 

 鷹宮は答えた。

 明智が記録担当へ合図し、次に照会する項目を読み上げた。送信者、承認者、閉鎖前に受け取っていた危険情報。

 透はその一つずつを聞いた。

 自分が行けたはずだと繰り返すだけでは、ここまで来られなかった。

 

「この記録、今後なくなることはないですよね」

 

 透が聞くと、明智は回収した箱を見た。

 

「原物は封をして保管します。読み出した記録も、確認用の写しを別に置きます。扱った担当者と作業内容を残します」

「俺にも、見たものの写しをもらえますか」

「関係者の情報を整理したうえで渡せます。今お渡しできるのは、今日確認した時刻の一覧です」

 

 印刷された一枚を、透は受け取った。

 九分間に起きたことが、数行で収まっている。録音の声も、扉の前で待った長さも、そこには書かれていなかった。

 それでも、以前はこの数行さえ手元になかった。

 

 堀江が一覧を見て、一つの時刻を指した。

 

「救助側が問い合わせた時刻も並べられますか。閉鎖した側に、人がいると届いていたかを確かめたい」

「そうします。受けた相手の通信記録も照会しています」

 

 透は堀江を見た。

 あのとき自分一人が叫んでいたように覚えているが、十八階層でも同じ問い合わせを繰り返していた人がいた。

 堀江は一覧へ小さく印をつけ、紙を透へ戻した。

 

「持って帰ろう。続きも読むことになる」

 

 *

 

 解析室を出たあと、透は建物の裏のベンチへ座った。

 堀江が隣へ来て、缶のコーヒーを置いた。

 

「甘いやつですか」

「文句があるなら、自分で買え」

 

 透は缶を開けた。

 一口飲むと、思ったより甘かった。

 

「あの道に入れてたら、って、まだ思います」

 

 堀江は前を向いたまま聞いた。

 

「でも、入れたら必ず助けられたって言えるわけでもない。それが、嫌です」

「そうだな」

「あいつ、最後まで俺の飯の心配してた」

 

 缶を持つ手が止まった。

 堀江が何か言う前に、透は一度鼻をすすった。

 

「一緒に帰りたかったです」

 

 言葉にすると、急に目の前がぼやけた。

 堀江は肩へ手を置いた。強く叩かず、そのまま少し待っていた。

 透はうつむいた。

 ミカは戻らない。それでも、今は涙を止められなかった。

 

 しばらくして、堀江が立ち上がった。

 

「次の確認も一緒に出る。連絡は俺にも回すよう頼んだ」

「ありがとうございます」

「お前の今の仕事まで、全部これに使うなよ」

 

 透は顔を拭いて、うなずいた。

 

 *

 

 家へ帰ると、葵(あおい)が台所で湯を沸かしていた。

 透の顔を見て、一度火を弱めた。

 

「お茶、飲みますか」

「うん。頼む」

 

 自分の椅子へ座り、上着を脱いだ。

 葵は二つのコップを運び、向かいへ座った。何があったかとは、すぐに聞かなかった。

 透は両手でコップを包んだ。

 

「前に話した、助けに行けなかった仲間のこと。昨日、録音機が見つかったんだ。俺の知らなかった声が、残ってた」

 

 葵はうなずいた。

 

「桜井ミカっていう、攻略組の偵察をやってた後輩。よく飯に誘ってきて、俺が変な食い方すると怒るやつだった」

「変な食べ方ですか」

「飲むだけで済ませたり。お前も噛めって言われた」

 

 葵はコップを見た。

 透は少し笑い、すぐに笑えなくなった。

 録音そのものを聞かせることはしなかった。今夜は、ミカがどんな人だったか、自分の言葉で話したかった。

 

「好きだったんだと思う。ちゃんと言う前に、ああなった」

 

 言ってから、葵に何を答えさせようとしているのかと思った。

 

「ごめん。返事をしてほしいわけじゃないんだ。ただ、どういう人だったか、知っててほしくて」

 

 葵は首を振った。

 湯気の消えかけたコップへ視線を落とし、それから透を見た。

 

「聞いてます」

 

 透は一口飲んだ。

 助けられなかったときの話ばかりではなく、明日奢ってほしいと言われたことも話した。

 葵は時々うなずき、透が言葉を探す間も席を立たなかった。

 

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