深層救助屋――帰還禁止の少女   作:病んでるくらいが一番

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第4話 名乗る

 少女を座らせたまま運び出せる幅はなかった。

 

 水瀬透(みなせとおる)は、通路の入口から中を見直した。背負って抜ければ、上の管に少女の頭をぶつける。横抱きにするにも腕を広げられない。

 本人に少し動いてもらう必要があった。

 

「入口まで、俺につかまって歩けるか。そこを出れば休める」

 

 少女は容器のふたを閉め、立ち上がろうとした。

 膝が伸びきる前に体が傾く。透は脇を支え、壁にぶつかるのを防いだ。

 

「ゆっくりでいいよ。足をつけられそう?」

「はい」

 

 返事に合わせて体を起こす。少女の手が透の腕をつかんだ。力は弱いが、離さずにいてくれる。

 一歩進むたび、呼吸が近くで聞こえた。

 

 入口を抜け、透は壁際に敷いた断熱のマットへ少女を座らせた。

 余裕のある場所で見ると、ずいぶん小柄だった。保温具の下で、両脚が揃えられている。借りてきたものを汚さないようにしているようにも見えた。

 

「ここなら少し広いな。荷物を替えるから待ってて」

 

 透は背嚢を下ろした。

 肩を回すと、少女がこちらを見た。

 

「……重いですか」

「荷物のほうがな。詰めすぎた」

 

 笑ってみたが、少女は視線を膝へ戻した。

 冗談に付き合う余裕がないのはわかっている。それでも、黙っていると落ち着かず、つい話しかけてしまう。

 

 予備のヘルメットを取り出し、内側の調節具を緩めた。

 

「そうだ、まだ名前を聞いてなかったね。教えてもらえるかな」

 

 少女が口を開く。

 何か言いかけて、閉じた。

 

 透はヘルメットへ目を落とした。大きすぎないように、後ろのベルトを縮める。急いでいるように見せないため、留め具をもう一度確かめた。

 

「……あおい」

 

 手が止まった。

 

「あおい?」

 

 少女はうなずき、今度は顔を上げた。

 

結城葵(ゆうきあおい)です」

「結城さんだな。俺は水瀬透。さっき無線で言ったけど、ちゃんと自己紹介してなかった」

 

 葵は透の胸についた名札を見た。

 擦れてはいるが、名前はまだ読める。読んだあと、透の顔へ視線が戻った。

 

「年はいくつ?」

「十八」

「わかった。かぶせてもいいか」

 

 ヘルメットを示すと、葵が頭を下げた。

 白い髪を挟まないように持ち上げる。左耳の後ろに、細い黒い房があった。白い髪の中で、そこだけが濡れたように濃い。

 留め具に指を通し、きつさを尋ねた。

 

「痛くない? 横が当たってない?」

「大丈夫です」

「顎の下は」

「大丈夫です」

 

 透は手を離した。

 少し聞きすぎている。

 

 首元の無線を押し、状態を伝えた。田中きなこ(たなかきなこ)が地上の医療担当へ取り次ぎ、透は問われた項目だけを確かめる。

 葵は答えられることには答えたが、ここへ来た理由を尋ねると黙った。

 

「身元の話はあとにしよう。今は運ぶほうを先にする」

 

 そう伝えると、きなこもそれ以上は求めなかった。

 

 透は足元の履物を見た。

 薄い室内履きだった。踵の潰れた部分を直そうとして、底の布が剥がれていることに気づく。これで石の上を歩いてきたのか。

 

「履物も替えたいけど、今は大きいのしかないな」

 

 背嚢に入っているのは、泥水を避けるための靴の覆いだ。素足に合うものではない。

 透は無線で、地上へ着いたら小さい履物を用意してほしいと頼んだ。

 

「捨てるんですか」

 

 葵の声に、手を止める。

 

「これ? 血がついてるから、袋へ入れようと思ったんだけど」

 

 少女は手を伸ばし、片方の履物を取った。

 踵の内側に、小さな縫い目があった。破れたところを別の色の糸で繕っている。もう片方にも、同じ色の糸が使われていた。

 

「……持っていっても、いいですか」

「もちろん。落とさないよう、口を閉じられる袋に入れよう」

 

 透は透明の袋を開き、少女が両方を入れるのを待った。

 入口を閉じたあと、見えるように背嚢の横のポケットへ収める。葵はそれを確かめてから手を離した。

 

 救急用品からガーゼを取り出し、足の擦れた部分に当ててテープで留める。その上から保温用の靴下を履かせた。

 葵は途中で一度足を引いたが、透が手を止めると、自分からゆっくり差し出し直した。

 

「痛いときは、我慢しなくていいから」

 

 返事はなかった。それでも今度は、布が踵に触れたところで彼女の指が上がった。

 透は力を緩めた。

 

『十九の東側、上の扉には後続が到達しました。鍵の照会中です。西階段へは担架が入りません』

「こっちもそのつもり。東へ出られるか見る」

 

 透は葵を見た。彼女が歩いてきた狭い通路の先が、どうしても気になった。

 

「結城さん。無線をかけてくれた人の場所、わかる?」

 

 葵の手が保温具をつかんだ。

 

「戻れません」

「どうして戻れないんだ?」

「扉を閉めたから。あの人が」

 

 透は頭の中の地形を確かめた。

 狭い通路は、奥で分厚い仕切りに突き当たっている。その向こうにも空間はあるが、人を探せるわけではない。

 

「向こうへ行く別の道はある?」

 

 葵が首を振った。

 容器を持つ指が震え始めていた。透は質問を止める。

 

 生存者がいるかもしれない場所を、見なかったことにはできない。

 だが、目の前の少女を置いて一人で戻るわけにもいかなかった。

 

「田中さん。発信者は未確認。奥の区画が閉鎖されてる。場所を送るので、別の入口がないか調べてほしい」

『受けました。こちらで追います』

 

 葵の呼吸が落ち着くのを待ち、透は救助帯を広げた。

 

「ここからは俺が背負う。背負ったまま通れないところだけ、自分で歩いてくれるかな?」

「歩けます」

「さっきより先は長い。足も傷めてるし、途中で歩けなくなるより今乗ってほしい」

 

 葵は通路の先を見ていた。

 その視線につられ、透も見る。何も動いていない。返事を待つうちに、彼女が小さくうなずいた。

 

 背嚢を前へ回し、少女を背に乗せる。

 誰かに背負われる姿勢に慣れていないらしい。腕をどこへ置くか迷っていたので、肩を示した。

 

「ここにつかまって。首は、できれば締めないでくれると助かる」

 

 指が防護布の縁をつかんだ。

 透は帯の留め具を確かめ、立った。

 

 軽かった。

 さっき運んだ探索者と比べるまでもない。少女の体温が背中に触れ、透は無意味に視線を壁へ向けた。

 今、余計なことを考えるな。

 

「揺らすけど、痛かったら言って」

 

 肩のそばで返事があった。

 透はまず、自分が入ってきた廊下へ足を向けた。そこを戻れば、東へ渡る幅の広い通路に出る。

 

 葵が防護布を引いた。

 

「そっちは」

「どうした?」

「閉まります」

 

 透は立ち止まった。

 廊下はまだつながっている。壁の奥で、小さく金属が鳴った。

 

「何が閉まる?」

「向こうの、四角いところ。床に黄色い線があるところです」

 

 ライトを伸ばす。

 確かに、床にかすれた黄色の線が二本あった。壁の切れ目を挟んで、同じ幅で引かれている。

 

 透が二歩下がると、線の内側へ壁が張り出した。

 

 石の板が動いている。

 機械の扉ほど滑らかではない。砂がこぼれ、低い音とともに廊下の幅が狭まっていく。向こうに見えていた曲がり角が、やがて消えた。

 

 透は、閉じた壁を見つめた。

 通る直前だった。

 

「……よくわかったな」

 

 背中から返事はない。

 透は少し待ってから、聞き方を変えた。

 

「音でわかった?」

「音と、上の灯り」

 

 壁際の管に、小さな表示灯がついていた。赤と白が交互についていたものが、白だけになっている。

 透には、機械の点検灯にしか見えなかった。

 

「ありがとう。見落としてた」

 

 葵がつかんでいた防護布から、少しだけ力が抜けた。

 透は意識を集中し、頭の中の地図を更新した。閉じた場所を避けると、帰路は長くなる。さらに別の壁も動いている。

 

 端末の図面へ新しい線を引く。

 さっきまでの道を信じて進んだら、いずれ行き止まりになる。

 

「田中さん。予定変更。区画の壁が動いてる。帰り道を取り直す」

 

 無線の返事は、ひどく遠く聞こえた。

 

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