深層救助屋――帰還禁止の少女   作:病んでるくらいが一番

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第7話 地上の匂い

 第十八階層へ上がる階段で、水瀬透(みなせとおる)は担架の前側を持とうとして止められた。

 

「そっちはもう休んで。階段の上だけ見てくれ」

 

 後続隊長が、空いた手で先を示した。

 透は荷物を持ち直し、先へ上がった。頭の中にあった十九階層の形を退け、十八の構造を確かめる。

 業務用昇降機までの道はつながっていた。

 

「上、問題なし。次の踊り場で一度曲がる」

 

 振り返ると、三人の隊員が息を合わせて担架を上げていた。

 結城葵(ゆうきあおい)は毛布を顎の下まで引いている。目は開いているが、視線は天井へ向いたままだった。

 

 担架が踊り場へ着き、隊員の一人が持ち手を替える。

 透は壁へ寄って場所を空けた。自分の腕も空いているのに、と思ったところで、右手の甲がひりついた。

 破れた手袋を脱ぐと、皮が少しめくれていた。

 

「その手も、上で見てもらえよ」

「これくらい、洗えば済むだろ」

「どうせ救護棟まで行くんだ。ついでに診てもらえ」

 

 隊長はそう言い、担架を持ち上げた。

 透も歩き出す。

 

 十八階層の保守通路に出ると、照明がついていた。

 白い光が床へ均等に落ちている。葵が目を細めたので、隊員がヘルメットのライトを消した。透も自分のライトを落とす。

 

「ここからは明るい。眩しければ目を閉じてていいよ」

 

 葵は返事をしなかった。

 少しして、毛布が鼻まで上がった。

 

 無線が鳴った。

 

『位置、確認できました。お帰りなさい』

 

 田中きなこ(たなかきなこ)の声は、今までよりずっとはっきりしていた。

 

「まだ地下だけどな」

『ずっと点が動かなくなるより、ずっといいです』

 

 透は何も返せず、端末を見た。

 さっきまで通信中継機を経由していた表示が、十八階層の通常回線へ切り替わっている。後続隊長の端末にも、同じ帰還経路が出ていた。

 

「十九の中継機は二つとも残した。回収は今じゃなくていい」

『回収の人にも、安全を確かめてもらいます。先ほどの女性の件は、旧区画担当へ照会中です』

 

 透は担架を見た。

 葵は目を閉じていた。眠っているのか、聞かないようにしているのかはわからない。

 

「奥の扉、閉じていた場所も地図に入れてある。返答が来たら教えてくれ」

『はい』

 

 先を歩く隊長に聞こえる程度の声で、追加の捜索が必要かもしれないことを伝えた。隊長は端末へ記録し、後で引き継ぐと答えた。

 透は口を閉じた。

 置いてきた場所へ戻る道を、頭の中で探すのをやめる。

 

 昇降機の前には、採掘用の運搬車が列を作っていた。

 荷台の箱には、蓋と箱本体にまたがるように「検査済み」のシールが貼られていた。運転手たちが車を脇へ寄せ、担架の通る場所を空けた。

 

「怪我人だって。先に通して」

 

 誰かが後ろへ声をかけた。

 一台の車がゆっくり下がる。警告音が鳴った途端、葵の肩が跳ねた。

 

 透は担架の横へ戻った。

 

「車が下がってる音だ。大丈夫、こっちには来ない」

 

 葵は車と、運転席の男を交互に見た。

 男が気づいて手を上げた。彼女は目を伏せる。

 

 列の後ろから、二人の若い探索者が顔を出した。

 一人は端末を手にしていた。画面を横へ向け、担架に気づいたところでその動きが止まる。

 

「撮影はやめて。搬送中です」

 

 隊長が声をかけると、若者は慌てて端末を下ろした。

 

「あ、すみません。配信は、まだしてないです」

 

 隣の仲間に肘をつつかれ、二人とも運搬車の後ろへ下がった。

 透は担架と人の列の間を歩いた。葵の顔が見えないように体で隠すと、前へ進むたび、自分の影が毛布の上を動いた。

 

「……何を、してたんですか」

 

「カメラを向けてたんだ。もう下ろしてもらったよ」

 

 葵は自分の顔へ手をやった。

 透はそれ以上説明せず、昇降機の入口まで横にいた。

 

 昇降機の係員が、大きな扉を押さえて待っていた。

 車両も載せる籠の中へ入ると、急に天井が高くなった。床には泥の乾いた跡があり、壁際には簡易の椅子が折り畳まれている。

 担架を固定した隊員が、透のためにその一つを下ろした。

 

「座って」

 

 透は素直に座った。

 もう何度目かの腰を下ろす動作で、太腿がわずかに震えた。

 葵がそれを見ていたので、靴紐へ手を伸ばすふりをした。

 

「救護棟には連絡済み。あと、鷹宮(たかみや)局長が来てるって」

 

 隊長が言った。

 

「まだいたんですか」

「お前を待つって言ってるそうだよ」

 

 透は椅子の背へ頭を預けた。

 上がるまでに少し顔を洗いたい。頬の砂を払っても、汗で貼りついた分は落ちなかった。

 

 葵が、小さく身を起こした。

 

「誰が、待ってるんですか」

「俺の知り合いだよ。迎えの人たちを手配してくれたんだ」

 

 葵は毛布を握り直した。

 

「何を、聞かれますか」

 

 透は答える前に少し考えた。

 どこにいたのか。なぜそこにいたのか。あの回線は誰が使ったのか。自分にも聞きたいことはある。

 けれど、最初にそれを並べる人ではない。

 

「まず具合を聞かれると思う。話せないことは、あとでいいって俺から伝える」

 

 葵はうなずいたが、体を横に戻さなかった。

 隊員が声をかけ、背中のクッションを少し高くした。それでようやく肩の力が抜ける。

 

 籠が動き始めた。

 足元の振動に、透は見慣れた壁の注意書きを眺めた。

 最大積載量、緊急停止、移動中の扉への接近禁止。黄色い枠の中で、作業服を着た人の絵が転んでいる。

 

 隣から、毛布の擦れる音がした。

 葵も同じ絵を見ていた。

 

「気になる?」

 

 聞いてから、また余計な質問をしたと思った。

 葵は透を見ずに、扉のほうを指した。

 

「全部、閉まってても……上に行くんですね」

 

「そう。中に乗ったまま、この部屋ごと上がる」

「それは、わかります」

 

 透は口を閉じた。

 葵も何か言おうとして、目を伏せる。

 

「すみません」

「いや、俺のほうこそ。余計な説明だったね」

 

 隊長が手元の端末を見たまま、口元だけ少し動かした。

 透は気づかないふりをした。

 

 そのあとは、機械の音が続いた。

 葵の指は毛布を握っていたが、先ほどほど強くはない。扉が開くのを待っているようだった。

 

 しばらくして、籠がゆっくり揺れた。

 止まる直前の重さが足元から抜ける。

 

 地上、と表示が変わった。

 

 扉が開くと、外は明るかった。

 昇降機の出入口には屋根があり、その先の道路を救急車がゆっくり進んでいた。濡れたタイヤの音が聞こえる。夜の間に、雨が降ったらしい。

 

 空気の匂いが変わった。

 雨と、車と、遠くで何かを焼いている匂い。

 透にはいつもの地上だった。

 

 葵は、ヘルメットの顎紐をつかんだ。

 

「外していいよ。もう上から石は落ちてこない」

 

 隊員が手伝い、ヘルメットを外した。

 白い髪が頬へ落ちる。葵はそれを払わず、屋根の先を見ていた。

 

 透もそちらを見た。

 建物と建物の間に、薄い青空が覗いている。雲は低く、その端が朝の光を受けて白くなっていた。

 

 担架を押す隊員が、ほんの少し足を緩めた。

 葵はその間、ずっと顔を上げていた。

 

「寒くないか」

 

 透が聞くと、葵はゆっくり首を横に振った。

 目の下に、水の筋が一本あった。

 雨の雫ではなかったが、透は何も言わなかった。

 

 救護棟の前で、スーツ姿の男がこちらへ歩いてきた。

 鷹宮だった。手には紙袋を持っている。

 透を見つけると、その歩幅が大きくなった。

 

「遅かったな」

「すみません。西が塞がって」

「聞いてる。二人とも戻ったな」

 

 鷹宮は透の肩に手を置き、すぐに担架の横へ回った。

 腰を屈め、葵と目の高さを合わせる。

 

「はじめまして。鷹宮です。中で休めるようにしてある。まず、体を診てもらおう」

 

 葵の視線が、鷹宮の顔からスーツへ下がった。

 襟についた徽章で止まる。

 毛布を握る手に、また力が入った。

 

 鷹宮はそれに気づいたようだった。

 手を伸ばさず、扉の横へ退く。

 

「水瀬君も一緒に入る。大丈夫かな」

 

 葵は透を見た。

 透が担架の横へ並ぶと、ようやく小さくうなずいた。

 

 救護棟の自動扉が開いた。

 透は白い廊下を見て、初めて腹が鳴るのを聞いた。

 

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