深層救助屋――帰還禁止の少女   作:病んでるくらいが一番

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第8話 帰還禁止

 救護棟の入口で、水瀬透(みなせとおる)は背嚢を下ろした。

 床の汚れた部分へ置こうとして、係員に台車を指される。抱え直した途端、背中から汗が落ちた。

 

「武器もお預かりします」

 

 腰の剣を外し、鞘ごと渡す。

 係員が確認票を留め、鍵のある棚へ収めた。透は預かり札をポケットに押し込み、担架のほうへ戻った。

 

 結城葵(ゆうきあおい)は、白い天井を見ていた。

 深層で使った毛布が外され、新しいものに替わる。足元を覗いた看護師が何か尋ね、葵が小さく答えた。

 

「水瀬君。座れ」

 

 鷹宮(たかみや)が、壁際の椅子を引いた。

 透は首を振った。

 

「まだ、引き継ぎが」

「座って話しても伝わる」

 

 肩を押される前に、自分で座った。

 鷹宮は紙袋から包みを取り出し、透の膝へ置く。もう温かくはなかった。

 

「待っててもらわなくてもよかったのに」

「俺の朝飯もここにある。付き合え」

 

 鷹宮も隣に腰を下ろした。

 きちんとしたスーツの膝に、紙の包みが載っている。透は笑いかけて、担架のほうへ顔を戻した。

 

 看護師が葵の腕へ測定用の帯を巻いていた。

 葵の指が、毛布の端を強く握る。

 

「終わったら外しますね。少し締まります」

 

 説明を聞いても、指は緩まなかった。

 透は包みを置き、声の届くところへ椅子を寄せた。

 

「俺、ここにいるから」

 

 葵の目が透を向いた。

 それから、膝の上のパンへ下がる。

 

「食べないんですか」

「食べる。今、食べる」

 

 透は包みを開いた。

 肉の甘い匂いがした。食べ始めると、急に腹が減っていたことを思い出す。

 葵は一度だけ見て、測定器へ視線を戻した。

 

 鷹宮が、近くの係員から端末を受け取った。

 

「十九の現場図は、こちらにも届いた。旧図面と照らし合わせる。奥の女性の捜索も手配する」

 

 透は飲み込んでから答えた。

 

「発信場所と、見つけた場所は違います。彼女は細い保守通路を歩いてきた。通話した人は、その奥にいるはずです」

「うん」

「閉まった場所は、機材がないと開けられません。でも、生死は俺の能力じゃわからない」

 

 鷹宮は端末に印をつけた。

 

「そこはそう記録する。死亡確認が済んだことにはしない」

 

 透はうなずいた。

 葵は何も言わなかった。聞こえているはずだが、袖口を直している。

 

 診察を終えた医師が、救護棟内の処置室へ移すと告げた。

 葵には休息と継続した観察が必要だった。入院先については、ここで少し落ち着いてから決めるという。

 透の手の傷も見つかり、近くにいた看護師から椅子を動かさないよう言われた。

 

「こっちは擦っただけで」

「わかりました。手を出してください」

 

 透は黙って右手を差し出した。

 鷹宮が横で、自分のパンを食べながら笑っていた。

 

 *

 

 帰還の受付は、処置室へ向かう廊下の手前にあった。

 

 地下から上がった者は、ここで携行証と帰還者名簿を照合する。怪我人の場合は本人が立って並ぶ必要はなく、係員が端末を持ってくる。

 透はいつものように自分の証を渡した。短い音がして、帰還確認の表示が出る。

 

「十九階層から救出された方ですね。こちらの方は、携行証をお持ちですか」

 

 係員が担架へ向いた。

 葵は首を振った。

 

「身元はこれから確認する。いまは本人が名乗った名前で仮登録を」

 

 鷹宮が言った。

 係員は手元の用紙へ目を落とす。さっき透が伝えた名前と年齢が書かれていた。

 

「結城葵さんで、よろしいですか」

 

 葵は、呼ばれるまで少し時間がかかったように顔を上げた。

 それから、はっきりとうなずいた。

 

「はい」

 

 係員が入力する。

 仮登録の受付番号が表示され、用紙の端へ小さなラベルが貼られた。

 

 透は、ようやく肩の力を抜いた。

 名前がある。番号札だけではない。入院先へ渡す書類にも、その名前が載る。

 

「あと、持ち出し管理の反応を確認します。医療用の機器など、身につけたものはありますか」

 

 葵は自分の手首を見た。

 

 地下の資材には、誤って持ち出さないよう識別用のタグが入っている。身元不明の救助対象は、本人の持つ機材から所属がわかることもあった。

 係員が携帯型の読み取り器を取り出す。

 

「服の上からで大丈夫です。痛くはありません」

 

 葵が袖を引いた。

 その下から、手首の内側が少し見えた。薄い傷のような線が、皮膚に残っている。

 

 透は担架の横へ一歩寄った。

 

「何か、入ってるのか」

 

 葵が透を見た。

 返事を待つ前に、読み取り器が鳴った。

 

 長い音だった。

 

 係員が端末へ視線を移す。入力画面が閉じ、灰色の枠が出た。

 

 通信先に接続できません。

 

「回線が混んでいるんでしょうか。すみません、少し待ってください」

 

 係員は画面を押した。

 枠が消え、代わりに黄色い帯が現れる。保存済み情報で照合、と小さく表示されていた。

 

 葵が毛布を引いた。

 

「……いいです」

 

 透は顔を向けた。

 

「何が?」

 

 答えはなかった。

 葵はもう透を見ていない。係員の手元だけを見つめていた。

 

 画面が赤くなった。

 

帰 還 禁 止

 

 透は、その文字を読み直した。

 読み違えてはいなかった。

 

 対象区分、制御管理。

 地上への搬出不可。

 管理部署へ照会してください。

 

「……何ですか、これ」

 

 透が聞くと、係員も首を振った。

 

「資材の搬出停止なら見たことがありますが、この表示は」

 

 端末がもう一度鳴った。

 通知未送信、という小さな文字が増える。係員が再送の表示へ指を伸ばしたとき、鷹宮が声をかけた。

 

「待ってくれ。まず、その画面を見せてほしい」

 

 端末を受け取った鷹宮は、何も言わなかった。

 画面の下まで読み、ひとつ前の情報を開く。眉間に深い皺が寄った。

 

「この照合は、名前から引いたものか」

「いいえ。読み取り器の反応です。仮登録とは別の情報になります」

「管理番号は」

 

 係員が指さした。

 透には馴染みのない桁数だった。探索者の免許番号でも、所属クランの番号でもない。

 

 葵が担架の縁へ手をついた。

 

「戻ります」

 

 透は思わず、その手のそばへ腕を出した。

 

「立つな。まだ足が」

「だから、いいです。もう」

 

 自分に言っているのか、係員に言っているのかわからなかった。

 葵は毛布を膝からどかそうとした。指がうまく動かず、布の端を何度もつかみ直す。

 

「結城さん」

 

 透は屈んだ。

 目を合わせようとしたが、葵は扉のほうを見ていた。さっき通ってきた、地下の昇降機へ続く扉だ。

 

「今、戻る必要はない。まだ何の表示かもわかってないんだ」

 

 言いながら、透自身にもわかっていなかった。

 危険な区域へ入るな、という命令なら知っている。許可のない物を持ち出すな、という規則も知っている。

 生きて戻ってきた人間に、帰ってくるなと表示される理由が思いつかない。

 

 鷹宮が看護師へ向いた。

 

「診療を優先してください。この表示を理由に搬送先を地下へ変えることは認めません。私が照会します」

 

 声は低かったが、廊下によく通った。

 係員が画面を保存し、受付の責任者を呼びに行く。看護師は担架のブレーキを外した。

 

 葵の指が透の袖をつかんだ。

 透を頼るというより、担架が動くのを止めたがっているようだった。

 

「どこへ」

「あっちの処置室へ行こう」

 

 透は、昇降機とは反対の廊下を指した。

 葵がそちらを見る。

 指はまだ離れない。

 

 透はそのまま担架の横を歩いた。

 数歩進んで振り返ると、鷹宮が端末を持って立っていた。画面の赤が、手元を照らしている。

 

「鷹宮さん」

 

 鷹宮が顔を上げた。

 

「誰が、この子を帰すなって決めたんですか」

 

 すぐには返事がなかった。

 鷹宮はもう一度画面を見て、首を横に振った。

 

「わからない。私も、こんな命令は初めて見た」

 




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
初回公開は第8話までとなります。

透と葵の物語は、ここからも続きます。
引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。

毎回の作品で完結までできてませんが、今回は話数含めて最後まで組んでるので行けるはず...。
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