救護棟の入口で、
床の汚れた部分へ置こうとして、係員に台車を指される。抱え直した途端、背中から汗が落ちた。
「武器もお預かりします」
腰の剣を外し、鞘ごと渡す。
係員が確認票を留め、鍵のある棚へ収めた。透は預かり札をポケットに押し込み、担架のほうへ戻った。
深層で使った毛布が外され、新しいものに替わる。足元を覗いた看護師が何か尋ね、葵が小さく答えた。
「水瀬君。座れ」
透は首を振った。
「まだ、引き継ぎが」
「座って話しても伝わる」
肩を押される前に、自分で座った。
鷹宮は紙袋から包みを取り出し、透の膝へ置く。もう温かくはなかった。
「待っててもらわなくてもよかったのに」
「俺の朝飯もここにある。付き合え」
鷹宮も隣に腰を下ろした。
きちんとしたスーツの膝に、紙の包みが載っている。透は笑いかけて、担架のほうへ顔を戻した。
看護師が葵の腕へ測定用の帯を巻いていた。
葵の指が、毛布の端を強く握る。
「終わったら外しますね。少し締まります」
説明を聞いても、指は緩まなかった。
透は包みを置き、声の届くところへ椅子を寄せた。
「俺、ここにいるから」
葵の目が透を向いた。
それから、膝の上のパンへ下がる。
「食べないんですか」
「食べる。今、食べる」
透は包みを開いた。
肉の甘い匂いがした。食べ始めると、急に腹が減っていたことを思い出す。
葵は一度だけ見て、測定器へ視線を戻した。
鷹宮が、近くの係員から端末を受け取った。
「十九の現場図は、こちらにも届いた。旧図面と照らし合わせる。奥の女性の捜索も手配する」
透は飲み込んでから答えた。
「発信場所と、見つけた場所は違います。彼女は細い保守通路を歩いてきた。通話した人は、その奥にいるはずです」
「うん」
「閉まった場所は、機材がないと開けられません。でも、生死は俺の能力じゃわからない」
鷹宮は端末に印をつけた。
「そこはそう記録する。死亡確認が済んだことにはしない」
透はうなずいた。
葵は何も言わなかった。聞こえているはずだが、袖口を直している。
診察を終えた医師が、救護棟内の処置室へ移すと告げた。
葵には休息と継続した観察が必要だった。入院先については、ここで少し落ち着いてから決めるという。
透の手の傷も見つかり、近くにいた看護師から椅子を動かさないよう言われた。
「こっちは擦っただけで」
「わかりました。手を出してください」
透は黙って右手を差し出した。
鷹宮が横で、自分のパンを食べながら笑っていた。
*
帰還の受付は、処置室へ向かう廊下の手前にあった。
地下から上がった者は、ここで携行証と帰還者名簿を照合する。怪我人の場合は本人が立って並ぶ必要はなく、係員が端末を持ってくる。
透はいつものように自分の証を渡した。短い音がして、帰還確認の表示が出る。
「十九階層から救出された方ですね。こちらの方は、携行証をお持ちですか」
係員が担架へ向いた。
葵は首を振った。
「身元はこれから確認する。いまは本人が名乗った名前で仮登録を」
鷹宮が言った。
係員は手元の用紙へ目を落とす。さっき透が伝えた名前と年齢が書かれていた。
「結城葵さんで、よろしいですか」
葵は、呼ばれるまで少し時間がかかったように顔を上げた。
それから、はっきりとうなずいた。
「はい」
係員が入力する。
仮登録の受付番号が表示され、用紙の端へ小さなラベルが貼られた。
透は、ようやく肩の力を抜いた。
名前がある。番号札だけではない。入院先へ渡す書類にも、その名前が載る。
「あと、持ち出し管理の反応を確認します。医療用の機器など、身につけたものはありますか」
葵は自分の手首を見た。
地下の資材には、誤って持ち出さないよう識別用のタグが入っている。身元不明の救助対象は、本人の持つ機材から所属がわかることもあった。
係員が携帯型の読み取り器を取り出す。
「服の上からで大丈夫です。痛くはありません」
葵が袖を引いた。
その下から、手首の内側が少し見えた。薄い傷のような線が、皮膚に残っている。
透は担架の横へ一歩寄った。
「何か、入ってるのか」
葵が透を見た。
返事を待つ前に、読み取り器が鳴った。
長い音だった。
係員が端末へ視線を移す。入力画面が閉じ、灰色の枠が出た。
通信先に接続できません。
「回線が混んでいるんでしょうか。すみません、少し待ってください」
係員は画面を押した。
枠が消え、代わりに黄色い帯が現れる。保存済み情報で照合、と小さく表示されていた。
葵が毛布を引いた。
「……いいです」
透は顔を向けた。
「何が?」
答えはなかった。
葵はもう透を見ていない。係員の手元だけを見つめていた。
画面が赤くなった。
帰 還 禁 止
透は、その文字を読み直した。
読み違えてはいなかった。
対象区分、制御管理。
地上への搬出不可。
管理部署へ照会してください。
「……何ですか、これ」
透が聞くと、係員も首を振った。
「資材の搬出停止なら見たことがありますが、この表示は」
端末がもう一度鳴った。
通知未送信、という小さな文字が増える。係員が再送の表示へ指を伸ばしたとき、鷹宮が声をかけた。
「待ってくれ。まず、その画面を見せてほしい」
端末を受け取った鷹宮は、何も言わなかった。
画面の下まで読み、ひとつ前の情報を開く。眉間に深い皺が寄った。
「この照合は、名前から引いたものか」
「いいえ。読み取り器の反応です。仮登録とは別の情報になります」
「管理番号は」
係員が指さした。
透には馴染みのない桁数だった。探索者の免許番号でも、所属クランの番号でもない。
葵が担架の縁へ手をついた。
「戻ります」
透は思わず、その手のそばへ腕を出した。
「立つな。まだ足が」
「だから、いいです。もう」
自分に言っているのか、係員に言っているのかわからなかった。
葵は毛布を膝からどかそうとした。指がうまく動かず、布の端を何度もつかみ直す。
「結城さん」
透は屈んだ。
目を合わせようとしたが、葵は扉のほうを見ていた。さっき通ってきた、地下の昇降機へ続く扉だ。
「今、戻る必要はない。まだ何の表示かもわかってないんだ」
言いながら、透自身にもわかっていなかった。
危険な区域へ入るな、という命令なら知っている。許可のない物を持ち出すな、という規則も知っている。
生きて戻ってきた人間に、帰ってくるなと表示される理由が思いつかない。
鷹宮が看護師へ向いた。
「診療を優先してください。この表示を理由に搬送先を地下へ変えることは認めません。私が照会します」
声は低かったが、廊下によく通った。
係員が画面を保存し、受付の責任者を呼びに行く。看護師は担架のブレーキを外した。
葵の指が透の袖をつかんだ。
透を頼るというより、担架が動くのを止めたがっているようだった。
「どこへ」
「あっちの処置室へ行こう」
透は、昇降機とは反対の廊下を指した。
葵がそちらを見る。
指はまだ離れない。
透はそのまま担架の横を歩いた。
数歩進んで振り返ると、鷹宮が端末を持って立っていた。画面の赤が、手元を照らしている。
「鷹宮さん」
鷹宮が顔を上げた。
「誰が、この子を帰すなって決めたんですか」
すぐには返事がなかった。
鷹宮はもう一度画面を見て、首を横に振った。
「わからない。私も、こんな命令は初めて見た」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
初回公開は第8話までとなります。
透と葵の物語は、ここからも続きます。
引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。
毎回の作品で完結までできてませんが、今回は話数含めて最後まで組んでるので行けるはず...。