デスゲーム運営組織のゲームマスターに就任されていた件 作:最高司祭アドミニストレータ
昨夜の喧騒が嘘のように、部屋の中は静まり返っていた。
カーテンの隙間から差し込む金曜日の朝光が、静寂に包まれたリビングを照らしている。
黒宮創は目覚まし時計が鳴る前に目を覚まし、ベッドから静かに起き上がった。リビングへ向かう廊下を歩く。不法侵入者たちの気配はない。
昨夜、血まみれで転がり込んできたメイドの天海夜霧も、後から押しかけてきた六人の異常者集団も、綺麗さっぱり消え失せていた。足元を見れば、フローリングはチリ一つなく磨き上げられている。
創は深く息を吐き、静かに口角を上げた。
「今日はいい日だ」
家には、自分一人しかいない。
誰にも邪魔されない、完璧で平穏なプライベート空間が戻ってきたのだ。
『私ならここにいるぞ! 最初からずっとアンタの真横にいるからね!? 勝手に一人になった気で爽やかになってんじゃないわよ!』
彼は鼻歌交じりにキッチンへ向かい、冷蔵庫から食パンと卵を取り出した。
朝食の準備に取りかかる。フライパンで目玉焼きを焼き、トーストを香ばしく焼き上げる。
皿の上に丁寧に盛り付け、ダイニングテーブルの中央へと運んだ。
箸とスプーンを並べ、冷たい水をグラスに注ぐ。
創は手を洗い、一口分のトーストを口に運ぼうとテーブルへ振り返った。
テーブルの上にあったはずの目玉焼きとトーストが、跡形もなく消え去っていた。
皿の上には、パンくずすら残っていない。水もグラスの半分以上が減っていた。
「不審だな」
創は箸を止めた。
部屋のドアは閉まっている。窓も施錠されている。
わずか数十秒、背を向けて水を注いでいた隙の出来事だ。
物理法則を無視した食べ物の消失。
「不可解な物理現象だ。疲労による幻覚か、あるいは…」
『ごちそうさまでした! 美味しかったよ創! ベーコンの焼き加減が最高だった!』
創は無表情のまま、誰もいないテーブルを見つめ直した。
空腹感はあるが、存在しない朝食を追いかけても時間の無駄だ。
彼は諦めて皿をシンクへと下げた。
「仕方ない。着替えて登校するか」
創は自室へと戻り、制服に着替えるため着ていたパジャマのボタンを外し始めた。上半身の服を脱ぎ捨て、平然とスラックスに手をかける。
『きゃああっ!? ちょっと着替え!? 一言言ってから脱ぎなさいってバカ! 私だって元男子とはいえ、今の身体は乙女なんだから目のやり場に困るでしょ! 裏返りそうになるじゃない…って無視!? 完全に無視なの!?』
脱ぎ散らかしたパジャマを拾い上げながら、創は首をかしげた。
「朝から妙に湿気を感じるな。事故物件特有の怪奇現象か」
『事故物件扱いすんな! 人の乙女心を湿気呼ばわりすんな! 乙女の恥じらいを湿気で片付ける男があるか!』
創は湿気(?)を無視し、壁際のクローゼットの扉を開けた。自分の制服を取り出そうとした、まさにその時だ。
クローゼットの奥ハンガーに、見覚えのない衣類が吊るされていた。仕立ての良い、高校の女子用制服だ。白とネイビーを基調とした、清潔感のあるデザイン。
創の思考プログラムが稼働する。
「不審物だな。可燃ごみの日に出すか」
創は迷うことなく手を伸ばし、女子制服をハンガーごと掴んでゴミ袋に叩き込もうとした。
が、腕が動かない。それどころか両腕と胸の周りに、目に見えない強烈な圧力がのしかかってきた。
まるで、空気の壁に全身を力いっぱい抱きすくめられているかのような、重厚な拘束感。どれだけ腕に力を込めても、指一本すら前へ進まない。
「ッ、身体が動かん」
創は顔をしかめた。筋肉の麻痺ではない。外側から物理的な力で抑え込まれている感覚だ。
「これは…金縛り!?」
『金縛りじゃない! 私が全身全霊でアンタの腕を抱きしめて止めてんの! 私の制服を可燃ごみに出そうとすんな! それ買い直すのにいくらかかったと思ってんのよ!』
創は呼吸を整え、束縛の圧力を観察した。科学的な説明がつかない現象だ。先ほどのアニメのような朝食の消失といい、この異常な束縛といい、原因は一つしか考えられない。
「悪霊の可能性が高いな」
『生きている人間だよ! 悪霊扱いすんな!』
「放課後、実績のある除霊師を探すとしよう。相場はいくらくらいか…」
創がそう呟くと、ふっと腕を締め付けていた圧力が消え去った。自由を取り戻した腕を軽く振り、創は自分の制服へと手を伸ばした。女子制服の処分は一旦保留だ。悪霊を刺激するのは得策ではない。学校の制服に袖を通し、通学鞄を肩に担ぐ。
創は玄関へと向かった。靴箱の前で膝を折り、自身の濃茶色のローファーを取り出す。靴を履き、紐を結び直す。
ふと、視線を靴箱の脇へと落とした。
自分のローファーのすぐ隣に、見知らぬ履物が一足、綺麗に揃えて並べられていた。小さめの、艶やかに磨かれた女子用のローファーだった。
創はその靴を凝視した。
不法侵入者たちの靴ではない。彼女たちはブーツや物騒な装備を身につけていた。ならば、この靴の持ち主は誰か。
「やはり、この部屋は激ヤバ悪霊に取り憑かれている」
『生きている人間だって言ってるでしょ!! なんで靴まで揃えて置いといてんのに幽霊扱いなの!? 私の存在感、空気以下かよ! ううっ…もうイヤだ、存在が透明すぎて泣きそう…!』
創は無表情のまま立ち上がり、玄関のドアノブに手をかけた。
これ以上の滞在は危険だ。一刻も早く学校へ行き、除霊のプロについて調べる必要がある。
カチャリと音を立ててドアを開け、朝の廊下へと足を踏み出した時だった。
朝の強い光が、廊下の天井から斜めに差し込んできた。明暗のコントラストが際立つ廊下の真ん中で、創の網膜が、ある異変を捉えた。
一人の少女のシルエットが、くっきりと浮かび上がっていたのだ。
距離は1メートル。
目の前だ。
肩口まで伸びた柔らかい髪。
華奢な身体に包まれた女子制服。
そして、涙で瞳をボロボロに濡らし、悔しそうに唇を噛み締めながら、ぷるぷると小刻みに震えている美少女の姿。
創は足を止め、ピタリと動きを固めた。
目の前の少女を見る。彼女の濡れた瞳を見る。
今朝の一連の異常現象。消えた朝食、金縛り、見知らぬ靴。それらすべてのドットが、創の頭の中で一本の線へと繋がった。
思考時間はわずか0.5秒。
創は静かに深く頷いた。
「なるほど。八人目の不法侵入者か」
創はポケットへ手を突っ込むと、流れるような動作でスマートフォンを取り出した。画面をタップし、迷いなく三桁の数字を入力する。
『1』『1』『0』。
通話ボタンへ親指が向かう。
「はい、警察ですか。不審者を発見──」
『いい加減にしろおおおおおっ!!』
創が通話ボタンを押し込むより疾く。極限の屈辱と怒りによって限界を突破した少女の、目にも留まらぬスピードのストレートパンチが、創のアゴへと綺麗に炸裂した。
「ぷっべら!?」
衝撃が脳を揺らす。
創の視界が一瞬で真っ暗に染まり、スマートフォンの手応えと共に、彼の意識は深い闇の底へと滑り落ちて行った。
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