平民、佇まいが優雅すぎて「身分を隠してる皇子では……」と勘違いされてしまう 作:訳者ヒロト
僕にはほんのかすかに、別の世界で生きた前世の記憶が残っている。
長くもなく、満ち足りてもいなかった一生。二十か三十そこらで、失意のなかで死んだのだ。でもあんまり覚えていないので、幸せに大往生したことにしておこうと思う。
前世の世界に魔法はなくて、だから今世の僕は魔術というものに惹かれたのかもしれない。
幼いころ、旅人が魔術を見せてくれたのだ。
宙に描かれた魔法陣と燃えさかる弾丸を目にした瞬間、僕は魔術に魅入られてしまった。
それから僕はひまな時間すべてを魔術の練習に注ぎこんだ。
家業である安宿屋の仕事を手伝っているときでさえ、頭の中は魔術でいっぱいだった。
だが独りで手探りに続けるには、魔術の道はあまりにも険しかった。数年もの間、魔術を発動さえできなかった。
『ユリウス。魔術はお金持ちがあつかうものだよ』
『そろそろ大人にならなきゃね』
両親はそう僕を諭したが、僕は諦めなかった。というより諦められなかったのだ。僕もアレを使いたい。その欲求が僕のすべてだった。
僕は成長するにつれ、むしろ魔術の練習にあてる時間を増やしていった。
両親は僕に呆れかえっていたし、近所では変な子として有名だった。だがまったく気にならなかった。
数年もの間発動できなかった。言い換えれば数年後には発動できたということだ。
そこから先はとんとん拍子だった。その魔術を使い倒して上達し、魔物を狩り、稼いだお金で魔術の指南書を買った。その後文字が読めないことに気付いて言語を勉強した。
そして――十五歳。
運よく世界最高の魔術学園が平民の受け入れを始めた。
もっと運がいいことに、僕はそれに選んでもらえたのだ。
僕含めた数人の平民特待生以外はみな貴族だ。平民丸出しでは蹴り出されるかもと思い、帝都流の礼儀作法を教えてくれる先生を探した。見つかったのはボケ老人だった。
若いころは帝国の大貴族の子弟に行儀を教えておったんじゃ本当なんじゃ、と叫ぶ老人である。
そのゴルカード爺さん――略してゴル爺に一ヶ月だけ教えてもらった。
家族とゴル爺は僕の所作をとても褒めてくれたが、本物の貴族相手に通用するはずもない。ゼロよりはマシという程度だろう……。
冬の寒い日、僕は家族とほんのわずかな友人に見送られ故郷を
*
「ここがアルンハイム魔術学園……」
校門の前で圧倒されている少年がいた。何を隠そう、僕である。
敷地の中に華やかな石造りの建物がいくつも立ち並んでいる。まっしろな大理石でできた宮殿のごとき建造物まで。
明日から三年間、ここが僕の学び舎になると思うと感慨深い。一生の自慢になる。
「えーと……」
立ち尽くし、周囲の様子を伺う。
今朝、帝都に到着したばかりだ。初めての長旅で想像以上の時間がかかり、ぎりぎりになってしまった。
始業は明日から。僕はその前日に各種説明やら入寮手続きやらで呼び出されているのだ。
待ち合わせはこの時間なんだけど――
「あなたが……ユリウス・ユーガ君?」
声をかけてきたのは、思わず息を呑むほどの美人さんだった。
つり目がちの大きな瞳。光沢のある紺色のスーツを着込んでいる。シュッとした感じの、いかにも仕事ができそうな雰囲気だ。
服にはシワひとつなく、肌も髪もよく手入れされてつややか。威圧するオーラを振りまいているわけではないが、一目でお貴族さまだと分かるタイプの女性だった。
僕を見る視線にはどこか探るような色合いがある。
「はい。ユリウス・ユーガです」
「……そう。そうよね」
「どうかしましたか?」
「いえ。あなたの立ち姿が一瞬、とても平民には見えなかったから。ごめんなさい、気にしないで」
……どういう意味だろう。
僕は自分の体を見下ろす。薄茶のローブと旅行カバン。長旅で薄汚れた格好だ。正直この装いでお貴族さまの領域に立ち入るだけで不安になるのだが。
「私はシンシア・エマーソンよ。今年一年間、あなたのクラスの副担任を務めることになってるわ」
シンシア先生は気を取り直すように言った。
こんな美人が副担任とは……。
スーツとタイトストッキングに包まれたお体はとても女性的なメリハリがあり、十五歳の少年としてはつい視線が吸われそうになる。
だが僕は鋼の意志で目を彼女の眉間のあたりに固定した。
平民が貴族女性をエロい目で見た?
処刑!処刑!処刑!である。
僕にとってこの学び舎は処刑台だ。一挙手一投足どころか視線の一振りにさえ気を遣わなくてはいけない。
貴族の群れに混ざるなんて自殺行為よと母はさめざめ泣いたが、僕は世界最高の環境で学ぶという魅力に屈したのである。
「ユリウス君はアルファルド属州から来たのだったわね?」
「おっしゃる通りです」
「驚くわ。帝国語が上手ね。ネイティブとしか思えないくらいよ」
「そう言っていただけると嬉しいです。内心では間違えていないか気が気ではありませんが」
僕の故郷はガイウス帝国のはしっこで、主に使われるのは帝都とは別の言語だ。
だから僕にとって帝国語は第二言語になる。読み書きまで覚えているが、完璧とはいえない。
「寮に行って荷物を置いたら学園をかるく案内してあげる。平民だと色々分からないこともあるでしょうから、なんでも聞いてちょうだい」
シンシア先生はにっこりした。
平民に対しても親切なお貴族さまのようだ。ありがたいことこの上ない。あなたが副担任のクラスならなんとかやっていけそうです……。
さて、感謝を伝えねばならない。
郷に入っては郷に従え。宿屋で育った人間としてこの格言が真理だと知っている。その土地にあった作法を取ること、取ろうとすることが誠意の証明になる。
平民が背伸びしてるなと思ってくれて構わない。付け焼き刃なのは自分でも分かっている。
「お心遣い、ありがとうございます」
僕は貴族流で一礼した。
**
(なんて完璧なお辞儀なの!?)
シンシア・エマーソンは驚愕した。
腰の角度から指先のハリまで何一つとして非の打ちようがない。完全完璧に完成された、芸術的なまでの美しさである。
色褪せた旅装の内側から高貴さがあふれだし、
(平民? これで平民?? 平民にこんな礼ができるわけないでしょうっ! 絶対にただの平民じゃないわ……! 取りつぶされた貴族の子? あるいは亡国の貴公子?)
ひと目みたときから何かがおかしかったのだ。立ち姿からして妙に気高いし、声にも美しいハリがある。
地味さを極めた黒色の髪と瞳は遠くから見れば印象に欠けるが、よく観察すれば気品を漂わせる顔立ちをしている。
(平民の生徒が来てくれて、しっかり先生ぶっちゃお♪なんて考えていた昨日の私をネズミに変えてしまいたい……)
シンシアは呆然と少年を凝視する。
(まさか、まさか!)
脳裏に閃光がまたたいた。
ここしばらく妙な噂が教職員の間で囁かれていたのだ。次の新入生には皇族が身分を偽って入学してくるという噂だ。
皇族のお顔は知れ渡っているのにどう身分を偽るのよとシンシアは馬鹿にしていたが、真実なのかもしれない。
佇まいが優雅すぎるし、辺境出身にしては帝国語がうますぎる。すべての違和感は、実は皇族であるならば説明がつく。宿屋の末息子が学園長にスカウトされてきたなんて話よりもずっと。
「あなたはまさか……」
「? どうしました?」
「い、いえ。お気になさらないでください」
「? どうして急に敬語に?」
「……私は誰にでも敬語ではなすタイプの人間なのです」
「いや、さっきはどう聞いてもタメ語でしたが……僕の帝国語リスニングがおかしいのでしょうか」
「いえ、そんなわけもありません。失礼いたしました。一時の気の迷いと思って、どうかお忘れいただきたい」
シンシアは深々と頭を下げた。彼女は身分の高い人間に対する敬意が強いタイプの人間である。そして思い込みが激しい女性でもあった。
ユリウス少年の佇まいは、そうとうに尊い一族の出であるとシンシアに確信させるだけの圧倒的な気品を放っていたのだった。
「そんなに深い礼をしないでください……。畏れ多いですから。お顔をお上げください」
言葉通りシンシアは面を上げ、ユリウスと視線を合わせる。少年は困ったような顔をしていた。
シンシアはすぐさま彼の言わんとするところを悟った(悟っていない)。
(身分を隠しているのだから、平民に接するように接しなくてはいけない……。それがユリウスさまのお望みということ……! そうですね……! 私は分かっております……!)
「困らせてしまって申し訳ありません。ユリウス・ユーガはただの平民で宿屋の息子――。そういうことですね?」
「?? そういうことというか、そのとおりです。僕は宿屋の息子のユリウス・ユーガです」
「はい。しかと理解しました――いえ、理解したわ」
この高貴な少年に対してタメ語など、何たる不忠。シンシアは背徳感で背筋をブルリと震わせた。
そしてユリウス少年は、タメ語に戻ったシンシアを前に(誰にでも敬語で話すってのはなんだったんだ……?)と困惑していた。
「――校門前で長々と留め置いたことを謝らせて。まず寮に案内するから」
「はい。わざわざありがとうございます。よろしくお願いします」
「ユリウス君……。私なんかにも丁寧なのね。あなたの副担任になれて光栄よ」
「………………」
斜め三歩前を歩き始めたシンシア。
その後ろを追うユリウスは貴族ってマジわけわからんなと首をかしげつつも、ゴル爺に教わった優雅な歩き方を実践するのであった。
二人はすぐ寮にたどり着いた。
「ユリウス君は一人部屋よ。他の貴族たちと一緒では何かと問題が起こりうるし」
「混ぜるな危険ということですね。僕としてもありがたい」
「ここがユリウス君の部屋――」
シンシアは扉を開き、内側に視線をやった次の瞬間、叩きつけるようにして閉めた。白く美しい額に手をあて、首を左右に振る。
「ごめんなさい。ユリウス君をこんな部屋に住ませるわけにはいかない。今すぐ最上級の部屋を手配させるわ」
「ええ!? 僕には充分すぎるくらい広くて立派な部屋ですよ!?」
「しかし……。いえ、分かったわ。ユリウス君がそう言うなら。でも問題があればすぐに言ってちょうだい」
「はい、それはありがたく……」
ユリウスが部屋に荷物を置き、ローブを脱いでほっとひと息すると、シンシアが申し訳なさそうに口を開く。
「私、少し確認したいことがあって、少しだけお側をはなれていいかしら?」
「ええもちろん。僕は身支度を整えておきますね。あと『お側』とか言うのはやめてください」
「……失礼、では改めて。――
「ますます丁寧になっちゃってますよ……」
シンシアは一礼して部屋を辞し、足早に校舎へと向かう。
今日まで春休みで敷地内に人は少ない。教員や職員がほとんどだ。普段は彼らとにこやかに挨拶を交わすシンシアだが、今ばかりは鬼気迫る様子でかかとを打ち鳴らす彼女に誰も話しかけることができなかった。
やってきたのは学園長室。
ノックしようと拳を作ったところで、
「シンシア先生。待っておったよ」
扉がひとりでに開き、ヤギ髭をたくわえた老人が出迎えた。
彼は現代魔術の祖である初代皇帝ガイウスの弟子の一人であり、最後の生き残りだ。
五十年前の継承戦争を終結させる上でも大きな役割を果たし、現代最高の魔術師と断言しても誰も異論を唱えないだろう。
「どうだったねユリウス君は。分類学のホープであるシンシア・エマーソン先生の率直な評価が聞きたいところじゃなあ」
「私の評価なんて何にもなりません」
シンシアはキリリと鋭い目線で問う。
「あんな変装で私を騙せると思っていたのですか。彼はいったい何者ですか? まさか皇族?」
「……何を言っておる?」
「はぐらかすおつもりなのですね。副担任になる私にくらい説明してくださってもよろしいのでは」
「いや、何のことじゃ? 彼は平民じゃよ?」
「……分かりました、結構です。彼はあくまで平民として扱います」
「としてというか、平民なんじゃが……」
学園長は白いヒゲをしごいた。
「わしは君の感想を聞きたいのじゃ。ユリウス君の魔術を見てどう思った?」
「魔術……? 魔術は見てません」
「見ていない!? なんということじゃ。世界一の魔術学園に初めて入学してくる平民の一人がどんなふうに魔術を使うのか、気にならなかったのかな?」
「最初は気になってましたよ。でもちょっと魔術を見せてみろなんて、あの少年に言えるわけがないじゃないですか」
「……どうしてじゃ?」
「もう! 学園長!」
「君の言ってることはよく分からん。だが一つ分かるのは、シンシア先生は相手の
「……そんな風に言えるのは学園長だけです。ほとんどの人間は社会のしがらみから逃れられません」
穏やかな眼差しの学園長に手で促され、シンシアは対面にある革張りのソファにぼむっとお尻を落とした。
「彼についてシンシア先生にどこまで話したかの?」
「簡単なプロフィールだけです。学園長が放浪中に見つけたタマゴと仰ってました」
「その部分はまったく正しい」
「…………」
シンシアの沈黙は猜疑に満ちていた。ユリウスが皇族かそれに類する生まれであるということは、彼女の中でもはや覆しようのない真実になってしまったのだ。
「だが誤解を一つ解いておこう。わしは以前、『ユリウス君は平民特待生という制度に選ばれた一人だ』と説明したと思う」
「はい」
「ユリウス君を含めた関係者全員にそう説明している。それはユリウス君に過度な注目を集めたくなかったし、彼本人に重圧をかけるのもイヤだったからじゃ」
「……といいますと」
「つまり、ユリウス君は平民特待生に選ばれたのではない。わしはユリウス君のために平民特待生という仕組みを作ったのじゃよ」
学園長の目は少年のように輝いていた。