平民、佇まいが優雅すぎて「身分を隠してる皇子では……」と勘違いされてしまう 作:訳者ヒロト
スモーカーの思考は停止していた。
美しい赤色の光が天を覆っている。とても数えることができない大量の魔術陣。
凄まじいのは数だけではない。その描画速度だ。誰より速く、誰より多くの魔術陣を描く。それは最強の現代魔術師の在り方のひとつだ。
生まれ出でた赤熱する弾丸が前後左右へ発射される。
火弾というより炎の濁流だ。
一つひとつが着弾すると同時に五百の火花を咲かせ、受け止めがたい閃光と轟音が連続する。
ユリウスはただ五百を放ったのではない。それぞれで軌道をかえ弾速をかえ、防御しづらいように細かなアレンジを加えている。
上から落ちるような軌道、下から抉り上げるような軌道、左右から回り込むような軌道。
『闇蛇』の構成員たちは反射的にかわそうとする、あるいは防御呪文を唱えるが、弾丸の群れはすべてを呑み込んでいく。
着弾とともに衝撃波が解放される。空気が瞬間的に膨張し、男たちの身体は十数センチも持ち上がった。人の身体が風にもてあそばれる木の葉のように舞い、弾き飛ばされていく。
一人に対して二十弱の火弾だ。頭割りすればそれぞれが対処すべき数は決して多くない。だが常軌を逸した描画速度の前では何も意味をなさなかった。
彼らも決して弱いわけではない。訓練を受けた正規の戦士だ。だが一流とはいえない。このような魔術に対して抗う術は持たない。
まばゆい閃光がおさまったあと、ふらふらと一人の男が立ち上がる。
スモーカーだ。ぎりぎりで《堅牢なる魔法の盾》の詠唱に成功したのだ。しかし防ぎきれなかった衝撃波が手足の骨を軋ませている。
舞い上がった粉塵の向こうにユリウスの悠然とした立ち姿が見える。
もはやスモーカーには、怒りや悔しさという感情は湧いてこなかった。
魔術でも知略でも完全に上をいかれた。ただ畏敬の念があるだけだ。
《火弾》という初級の魔術をここまで極める――それは非効率である。中級、上級の魔術を習得していくほうがずっと手っ取り早く強くなれる。
しかし非効率な道をすすんだ先にしか存在しえない美しさがあった。
五百の魔術陣の裏側に膨大な工夫と努力の痕跡が見て取れた。まだ若い人生のすべてを注ぎ込まなければ成しえることではない。
「魔術に人生が現れています……。魔術先進国の皇族に生まれた者として、一片の妥協もなく鍛え続けてきたのでしょう……。敵国の人間ではありますが尊敬いたします」
「だから皇族じゃないですって」
ユリウスはげんなりした顔で言う。
「もう充分でしょう。僕は帰ります。止めないでくださいよ」
「申し訳ありませんが、私は魔国に奉仕する軍人です。そのご命令には従えません」
「……もう一度、次は全弾をスモーカーさんに打ち込むこともできるんですよ」
「光栄なことです」
「………………」
スモーカーは魔術陣の描画を始める。もっとも得意とする魔術だ。
描画速度は遅いわけでない。しかしユリウスと比べればあまりに緩慢だ。スモーカーが魔術を構築する間にユリウスは数百の火弾を放てただろう。
しかし漆黒の翡翠のような彼の瞳はスモーカーの魔術陣を興味深そうに見つめていた。
「面白そうな魔術ですね」
「では存分にお楽しみあれ……!」
魔術陣が完成する。
「
すべての光を吸い込むような純黒の魔術陣からぬっと現れたのは、さらに深い黒色の鱗に包まれた巨大な影だった。
首が二つあり、頭部が二つある。
血のように紅く眩く光る四つの眼が怪しく揺らめいていた。その背からは巨大な蝙蝠の如き翼が広がる。
双頭の地獄龍。
二つの顎が同時に開かれ、重低音の咆哮が空間そのものを激しく震わせる。鋭い歯の隙間からは青白い地獄の業火が溢れ出していた。
溢れ出る圧倒的な威圧感は一瞬で周囲の空気を凍りつかせ、夜空の星々すら霞ませるほどだった。
スモーカーの生家に伝わる秘伝の魔術だ。切り札であり、まさに伝家の宝刀である。
双頭が広場外縁の建物の屋上より高く持ち上がる。どこかの窓で悲鳴があがり、連鎖するように街中へ広がっていく。
その眼光は召喚主の求めに従い、ただユリウスだけを見下ろしていた。スモーカーにユリウスを殺すつもりはないはずだが、しかし生け捕りにする気などまったく感じられない濃厚な殺意が四つの眼からまき散らされている。
しかし――
「へえ……」
ユリウスは瞳を輝かせていた。脅威に対する恐怖よりも先に好奇心が来るのが彼の特性だ。
「珍しい魔術をお持ちですね。魔国の魔術ですか。帝国とはルーン文字の書体がかなり違っているようですが……」
感嘆を漏らすユリウスに向けて――双頭龍が大口を開いた。
喉の暗闇の奥底で火花がまたたき、灼熱の息がほとばしる。
二方向からの獄炎がユリウスを襲う。
鋼鉄を容易に溶かす熱と威力を誇る、召喚主であるスモーカーでも防御が難しいブレスだ。
スモーカーは自身でも説明できない奇妙な高揚を胸に、ユリウスを包む炎を凝視する。
熱波がおさまったとき――やはりというべきか、ユリウスは平然として立っていた。
《堅牢なる魔法の盾》が炎を受け止めていた。広く展開された障壁はユリウスだけでなく、その背後の家屋をも灼熱から隔てている。
スモーカーは清々しい諦観を感じていた。凡俗として生まれ凡俗として生き、落ちぶれた自分の魔術がこの少年に通じるはずもないと。
「しばらく見物したいところですが……そういうわけにもいかないですね」
ユリウス少年は言った。街に被害を出すのはよろしくない。
それに、ユリウスの胸中には静かな苛立ちも渦巻いていた。皇子じゃないと何度言っても分かってくれない。ただ魔術を勉強したいだけなのに、どうして戦いに巻き込まれているのか。
「……僕は平民です。平民の怒りをお見せしましょう」
ユリウスは右手を持ち上げた。
魔術陣が描かれていく。
圧倒的な速度。スモーカーからすれば、彼だけ時間の進みが異なる世界で生きているのではと思いたくなるほどだ。
闇夜を背景に目が眩むほどの白光を放つ、巨大な魔術陣。
スモーカーが描こうとすれば一分以上もかかるであろうそれが数秒で完成していく。
美しい魔術陣だった。緻密に練り上げられた円環とルーン文字。これほどの芸術があるだろうかと、スモーカーは全身にゾクゾクとした震えを感じる。
それはユリウスが今日の夕刻に完成させたばかりの
「
ユリウスが静かに呟いた瞬間、世界から音が消えた。
直後、天と地を繋ぐ圧倒的な密度の白銀の光柱が夜空を貫いて垂直に立つ。
まばゆい光が夜闇を根こそぎ塗りつぶし、一瞬にして昼間以上の白の世界へと変え果てた。
どぉぉん、と地鳴りのような重低音がワンテンポ遅れて帝都郊外の街並みを揺らす。
双頭龍エルビスが放とうとしていた二度目の獄炎も、その威容も、圧倒的な光の質量に呑み込まれていく。
狂おしい高熱により双頭龍の巨体と堅固な鱗は灰へと焼却されていく。
やがて光の柱が天へ引き絞られるようにすうっと細くなり、静寂が戻ってきた。
双頭龍は跡形もなく消え去り、その立っていた場所には石畳を円形にえぐった大穴だけが残されているだけだった。
「これは、天界への柱……!!」
スモーカーは
ユリウスの行使した魔術は、帝国皇族秘伝「天界への柱」とよく似ていた。
そう、これはユリウスが自ら生み出したオリジナル魔術ではあるが、本当の意味での"新魔術"ではない。
「天界への柱」は百年前に初代皇帝が生み出し皇室秘伝とした魔術。
ユリウスは知らずのうちに、「天界への柱」と非常に酷似した――ほとんど同じものを作ってしまったのだ。
無論、皇室秘伝の魔術陣のほうが遥かに洗練されている。しかし設計思想は同じで、見た目もとても似通っている。
光の魔術で効率的に攻撃するにはどうすればいいか?
生まれた時代の異なる二人の天才が同じ問いに向き合い同じ答えを出したのだ。
世界初の魔術ではないとユリウスが知れば残念がるかもしれないが、彼も認識しているとおり、研究成果が秘匿されがちな魔術界ではままあることだ。
「ああ……っ!」
スモーカーの体は余波に震える。
初代皇帝は現代魔術の祖であり、その血を引く帝国皇族は世界でもっとも高貴な一族だといっていい。
決闘文化の残るこの大陸において、帝国皇族から秘伝の魔術を用いられるのは敵国軍人にとってさえ一種の名誉なのだった。
「これ以上の名誉はありません……っ!」
光柱の熱波を至近距離で浴びたスモーカーの髪や衣服は焼き焦げて細い煙を上げている。
ユリウスは唇の端で笑みを作った。
「今日からはスモークドさんと名乗ってはいかがですか」
「っ…………かしこまり、ましたっ」
彼の意識はそこで途絶えた。仰向けに倒れていき、背中が石畳にぶつかり鈍い音が響く。
ユリウスはふうと息を吐き、自らの魔術がもたらした破壊の痕跡を静かに観察する。
「改善の余地しかない、だな」
ユリウス少年の思考は早くも「どうすればより良い魔術にできるか?」という方向へ転がり始めていた。
彼は自分がどんな魔術を作り使ったか、認識していない。
ゆえに「天界への柱」を目撃した帝都の住人たちがそれをどのように受け止めたかなど、想像することはできないのだった。