平民、佇まいが優雅すぎて「身分を隠してる皇子では……」と勘違いされてしまう 作:訳者ヒロト
僕は図書室で朝を迎えた。
この図書室は夜中も開いているのだ。なんて素晴らしい。天国だ。
夕食を腹に入れてシャワーを浴びる以外、ずっと読書と実践練習を繰り返していた。
さて今日から始業だ。僕は寮へ戻り贅沢な朝シャワーを浴びて、校舎へと入った。
ついに今日から貴族に全方位を包囲されてしまう……。指先の動きにまで気を払おう。ひとつ不作法をすれば追放されておかしくないのだ。
僕は「学園生活を生き抜くための絶対三原則」を定めてある。
第一、会釈を欠かさない。
第二、余計なことは話さない。
第三、とりあえず褒めておく。
これを守れば絶対に大丈夫!
と信じたい!
僕のクラスは一年C組。
教室に行ってみると生徒はまだ数人だけだ。
教室に踏み入った途端、その数人が体をビクつかせて背筋を伸ばした。僕は絶対三原則に従い、軽く会釈しておく。
黒板に「自由に座ってください」と書いてあった。
自由に――といいつつ、席選びには力関係が影響してくるというやつだな? 僕には分かる。人間ってそういうものだ。
僕は学校というものに通ったことはないが、同年代の子どもが集まる場に参加したことはある。そこでの経験からして、人気なのは後ろの席だ。みんな先生から遠くにいきたがる。
では僕は平民らしく、もっとも不人気な席――最前列のど真ん中に座っておくとしよう。
うん、僕にとっては最高の席だ。教卓の正面。黒板との間に遮るものは何もない。集中して授業に取り組むことができそうだ。
机の上に本を開く。図書室から借りてきたものだ。借り物の本を持ち運ぶというのは僕にとってかなり恐ろしいことなのだが、少し汚したくらいなら司書さんが魔術で簡単に直してくれるのだそうだ。
僕は始業のベルが鳴るまで読んでいることにした。
すこし後。
僕は左右を、めちゃ身分の高い少女二人に挟まれてしまっていた。
席選びを致命的に間違えた。
どうやら最前列のど真ん中はいちばん偉い人間が座る席だったようだ……。貴族の学校では僕の常識が通用しない。
右は侯爵家の娘カトリーヌさま。親が陸軍大臣らしい。いかにも気が強そうな、燃えるような赤毛の美少女だ。
左も侯爵家の娘シャーロットさま。親が財務大臣らしい。クールな印象の、冷たい銀髪の美少女だ。
二人とも最上級のご令嬢だ。
僕は……こんな席……いやだ……。
「ユリウス様、何の本をお読みになっているのですか? …………魔弾系魔術の効率化に関して、属性ごとの差異が何に由来するかについての考察? ステキ! 難しそうでかっこいい!」
カトリーヌさまが僕を褒めそやすと、すぐさまシャーロットさまが口を挟む。
「ユリウス様。そんな女の、中身のない薄っぺらな賛辞に耳を貸してはいけませんよ。魔術的議論をしたいならぜひ私を。はるかに知的で楽しい会話ができます」
「なによ白犬! 一度だって魔術戦でわたしに勝てたことないくせに!」
赤毛をむきーっと逆立てるカトリーヌさま、銀髪をぷるぷる震わせるシャーロットさま。
「く――っ、実技なんて淑女には重要ではありませんっ。赤猿は魔術をおもちゃにして遊んでればいいですが、私とユリウス様が学問として魔術を楽しむのを邪魔しないでくださいっ」
「はああ? 赤猿ですって!?」
「あなたが先に白犬って言ったんでしょうっ」
「先週あなたが赤猿って言ったからよ!」
「先週? 私おぼえてません。根に持つタイプなんですね」
「んなああああああーーーっ!! ユリウス様! その嫌味な女に何か言ってやってください!」
「ユリウス様は私の味方ですよ。ね、ユリウス様?」
僕に答えることはできない。どちらを選んでも待ち受けるのはデッドエンド。
なんでこんなことに。
なんで、なんで……。
***
さかのぼること少し。
陸軍大臣の娘、カトリーヌ・カトローネは校門前で馬車を降りた。一緒に乗っていた派閥の少女たちと共に昇降口へ向かう。
貴族にとって
席次とは、一番偉い人がどこに座って、次に偉い人がどこに座って……一番下のやつはどこに座るかというルールのこと。
学園側は生徒の座席を指定しない。
つまり学園としては、貴族間でのメンツ争いなんて関知しないから勝手にやってくれ、ということ。
陸軍大臣の娘であるカトリーヌの狙いはもちろん最前列中央。家格にふさわしいのはそこしかありえない。
特に、
「あら。カトリーヌさま」
「でたわね」
「こっちの台詞ですわ」
カトリーヌは昇降口にて、宿命のライバルと鉢合わせた。財務大臣の娘、シャーロット・チャールトンである。
二人の家は歴史的に仲が悪く、少女たちも素直にそれを受け継いでいた。
シャーロット嬢としても狙いは同じ。手に入れるべきは最前列中央だ。カトリーヌに譲るなどありえないのである。
二人はそれぞれ取り巻きを引き連れ、椅子取りゲームよろしく廊下を駆けた。淑女に許されるぎりぎりの早足で。
「コーナーはわたしのものよ!」
「カトリーヌさまパンツ見えてますよ」
「ええ――って見えてないじゃない! この!」
「ちょっとっ。押さないでくださいっ」
二人はまったく同時に教室へ入り、そして――この世でもっとも優雅な存在を発見した。
雷に打たれたかのような衝撃。
気品にあふれる横顔。かすかにカールした黒髪が絶妙な角度で目元にかかり、知性を宿す視線は手元の本へ静かに注がれている。
優雅!
優雅を極めし読書姿である。
しかもその少年は最前列中央に座っているのだった。
並みの相手であればカトリーヌは「おどきになって!」とつっかかりに行くが、これほどの気品を漂わせる人間に対しては口が裂けても言えない。
カトリーヌはすぐさま脳内メモをひっぱりだした。同い年の主要な貴族の子たちの名前と特徴はすべて暗記してある。
身分の高いものから順に照らし合わせてみるも、一致するものはない。
(な、なにものなにょよ!)
頭の中でさえ噛んじゃうカトリーヌ。
カトリーヌとシャーロット、そして二人に率いられた少女たちは身を翻して廊下に戻り、おでこを突き合せた。
「あの方はいったい誰?」
「分かりません……」
「パーティーでも見かけたことがありませんわ」
「噂にならないわけがありませんのに」
「でも高貴な方なのは間違いないわね」
「ゆ、ゆうがぁ……ゆうがすぎますぅ……」
「気をしっかり持って!」
カトリーヌは均衡を破る。一番槍をつとめるのはいつだって誉なのだ。
「――わたしがご挨拶してきます」
「なっ、あなた……!?」
驚愕した様子のシャーロットを置いて、カトリーヌは黒髪の少年へと歩み寄った。
迷いが生じる。自分から名乗るべきか、名乗るのを待つべきか。
身分が下の人間が先に名乗るのが習わしだ。カトローネ家の娘としては容易く下手に出るわけにもいかない。
その視線を受けて――ユリウス少年はなんとなく察した。
(なんか見られてる……。お前誰だよ、アァン? ってところかな)
ユリウスは静かに立ち上がると、手元の本を丁寧に閉じ、これ以上ないほど完璧な仕草で腰を折る。
「初めまして、お嬢様。ユリウス・ユーガと申します。今年から始まった平民特待生という制度で入学してきました。身分違いの身でありながら皆様と同じ教室にいさせていただくこと、身に過ぎた光栄だと思っております」
「っ――!?」
カトリーヌは息をのんだ。
(なんて完璧な自己紹介――! こんなお辞儀、わたしにもできない……。この少年が平民? そんなわけがないわ! 天地がひっくり返ってもありえないんだから!)
「あなたは……いったい何者……?」
つい漏れた問いかけは初告白をする少女のように震えていたが、ユリウスの左右対称な微笑みが崩れることはなかった。
「ただの宿屋の息子でございますが……。何かおかしなことをしてしまいましたでしょうか?」
カトリーヌははぐらかされたと受け取った。
しかしあまりの優雅さにそれ以上の追及ははばかられる。
(何者なのよ、ユリウス・ユーガ。家に帰ったらお父様に報告して素性を調べてもらわなきゃ。ただの平民でないことだけは確かね)
ユリウス・ユーガは骨の髄まで平民である。父方は三代前まで宿屋だし、母は農家の生まれだ。ユリウスは両親どちらにもよく似ている。
しかしそんなことをカトリーヌは知らず、目の前の少年にただならぬものを感じていた。
(現在の身分はおいておくとしても、振る舞いひとつひとつに長年つちかった貴さがあふれてしまっている……。この礼儀作法だけは付け焼き刃ではないわ)
付け焼き刃である。
礼儀作法は円滑な学園生活に必須とはいえ、魔術以外の物事に時間を割くことをユリウスはおっくうに感じ、だからこそ短時間で学ぶべくゴル爺の教練には非常に集中して取り組んだ。とはいえたったの三十日、一ヶ月だ。
「あっ――っと」
カトリーヌの意識はようやく現実に戻り、ユリウスに対して一礼と自己紹介を返した。
「ご挨拶が遅れてしまってごめんなさい。カトローネ侯爵家の娘、カトリーヌと申します。どうぞ、お見知りおきくださいませ」
(もっとしっかりレッスンを受けておくんだった……。こんな下手くそなお辞儀しかできなくて恥ずかしいわ)
「僕のような平民にもわざわざ丁寧に礼を返して下さってありがとうございます。カトリーヌさまのお辞儀はとてもきれいで、勉強になります」
(皮肉っ!? 皮肉を言われているのね!?)
カトリーヌは涙目になりかけながら上目遣いでそっとユリウスを伺ったが、やはり彼は微笑んだままだった。
ユリウス少年はこのとき思い至った。もしや自分の席選びがまずかったのではないかと。
「もしかしてお席ですか……? この場所がお望みなのであれば、もちろんお譲りしますが」
「いえ――いえ! そんな、ユリウスさまから取り上げるなんてことできるわけもありません! そのままお座りください!」
自分以上の高貴な生まれであるのは間違いない。カトリーヌは確信してしまった。席を変わってもらうなんてできっこない。
「わたしは――ユリウスさまのお隣に座らせていただいてもよろしいでしょうか?」
「……光栄でございます」
ユリウスは断りたかったが、断れるわけもない。
かくしてカトリーヌはユリウスの右隣を自らの席と定めることとなった。
続いてシャーロットも緊張した様子でユリウス少年と挨拶を交わし、左隣に腰をおろしている。
それを横目に見ながらカトリーヌはほっと息を吐いていた。
(思わぬ貴人に出会ってしまったけれど――シャーロットとの戦いが丸く収まってよかったわ。チャールトン家派閥との大戦争になるのは、わたしも望むところではなかったし)
帝国では左右に優劣はない。最前列中央にユリウスが座ることで、カトリーヌとシャーロットは序列を決定せずにすんだのである。
仮に最前列中央を巡る争いがあのままエスカレートすれば、決闘なんて話になってもおかしくなかった。
シャーロット個人とやり合うのは望むところだが、どちらが勝つにしろ、大きな遺恨を残すことになる。一年間を席の奪い合いという不毛な争いに費やしてしまうのは喜ばしくない。
カトリーヌはハッとし、ユリウスの横顔を盗み見た。
(まさか、これを意図して? わたしたちを争わせないために……?)
ふと目が合う。すべてを見透かしたかのようなユリウスの微笑みがカトリーヌに向けられた。
(やはりそういうこと……っ!)
カトリーヌは、今年はもう少しシャーロットと仲良くしようと思うのだった。