平民、佇まいが優雅すぎて「身分を隠してる皇子では……」と勘違いされてしまう 作:訳者ヒロト
人のいなくなった寮の談話室で、ニナは大きな姿見に向かっていた。
片足だけで深く沈みこみ、お辞儀する。
「……ふふふふふ! どうかしら。なかなか良いんじゃなくって?」
鏡の中の少女は優雅とはいえなくても、少なくとも今のところ転んでいない。これは大きな進歩だ。
ユリウスにも見せてやらなければ。今度こそ「う、うつくしい……。さすがニナさま! さすが皇女殿下! 美しいです!」と褒めさせてやるのだ。
あの少年ときたら、最近はニナへの扱いが雑になってきている。ここらで一度、ガツンと皇族気品パンチを食らわせねばならない。
「っ、立ち上がれない……っ!」
下がるところまではよかったが、上がるための力が残っていなかった。膝がゆらゆら左右に振れ始める。
そのとき、談話室の扉が勢いよく開いた。
「カモフレーナさん。ここにいたのね」
「は、はびっ!」
ニナは諦め、両手をついて立ち上がった。
膝をさすりながら振り返ると、そこにいたのは副担任のシンシア・エマーソン先生だ。
すらりと背筋が伸びている。こんな時間でも服に乱れはなく、立っているだけで大人の女性という感じがする。ニナとしては、悔しいけれど見習いたいところだ。
しかし今は息が少し上がっていて、表情にも険しさがある。
「夜分にごめんなさい。少しお話を聞かせてもらえる?」
「なあに――ええと、なんでしょう?」
敬語は練習中である。
「――夕方、ユリウスくんと話した?」
「ユリウスと? うん、話しましたけど」
「どんな内容を?」
「えっと、学園外に出ると言うから、私も一緒に行こうと……。でも結局私は行かないことになって」
「ええ。あなたは寮に戻ったと聞いているわ。彼は行き先を言っていなかった?」
「魔術書を買いに行くとかなんとか」
「ほかにどこかへ寄るとか、誰かに会うとかは?」
「いいえ……。買って帰るだけだと言ってたけど。ユリウスがどうかしたんですか?」
シンシアの眉間に浅くしわが寄った。
「……カモフレーナさんはユリウスくんと仲が良かったわね? よくお昼を一緒に食べているでしょう」
「ええ……よく知ってますね」
「副担任として、彼の交友関係はきっちり把握しているのよ」
「………………」
ちょっとキモいな……。
とは思うだけで留めておく。
「これから話すことは、ほかの生徒にはまだ伏せておいてちょうだい」
「……はい」
「ユリウスくんが帰ってきていないの。門限はとっくに過ぎているのに。外出届けには、魔術書を買いに行くとしか書いていない――」
「帰って……ない?」
ニナは壁の時計を見上げた。
外はもう暗い。とっくに帰ってきて、約束した魔術書をニナに渡しにくることもせず、また図書室にこもっているのだと思っていた。
不真面目な生徒なら遊びが盛り上がって帰りが遅れるなど珍しくもない。だがユリウスが遊び呆けている姿など、ニナには想像がつかなかった。
興味の湧く書物が見つかってその場で読みふけっているというなら理解はできるが……それでも違和感は残る。ユリウスは校則をよく守る生徒である。
「何かあったかもしれない。いま情報を集めてみているところよ。カモフレーナさん――ユリウスくんが行きそうな場所、今どうしているか、心当たりはない? 小さなことでもいいの」
「………………ごめんなさい。何も思い当たりません」
「いいの。何か思い出したら伝えて」
「あのっ。帰ってきたら私にも教えて! 夜中でも起こしてくれていいから!」
「そうするわ」
シンシアは足早に出ていく。閉じた扉の前でニナはしばらく立っていた。
その心は漠然とした不安に覆われ始めている。ただユリウスが心配なだけではない。他人事だと思えない、妙な胸騒ぎがあるのだった。
ニナはぼんやりとした焦りに突き動かされて動き出そうとした。自分はここで
扉を押し開けると、
「ニナさま。どちらへ?」
護衛のサヤカが立ちふさがっていた。いつにもまして厳しい顔つきだ。
「ユリウスを探しに行くの」
「……お部屋へお戻りください」
「イヤ。今度こそ外出するわ」
「…………ニナさま。何かを成そうとするなら、まずは現状を正しく知らねばいけません」
「現状?」
サヤカは小さくうなずいた。
「まず確認させてください。ニナさまは、ユリウスさまについての噂をご存知ですか?」
「……なによ、急に」
「お答えください」
「うわさとか知らない。私、友だちとかそんないないし、そういうの得意じゃないの」
サヤカは静かにニナを見つめる。
「よくお聞きください。まず、学園には『今年の新入生には身分を隠した皇族がいる』という噂があります」
「それは……私のことでしょ?」
「左様です。しかし、ユリウスさまこそお忍びの皇族ではと考える者が増えております」
「うん……。まあユリウスはただの平民ではないだろうし、気品があるから仕方ないかも」
そこが問題なのです、とサヤカは言った。
「我々は彼について調査しましたが、彼の故郷であるアルファルド属州は遠いのでまだ結論は出ておりません。素性は不明です。大貴族の隠し子や他国の貴人かも、あるいは平民かもしれません。しかし断言できることが一つあります。彼は――帝国皇族ではありません」
「…………本当?」
「はい。皇室に直接仕える者としてそう申せます。遠縁の可能性までは否定しませんが、しかし皇族という身分を持つ方ではありません」
少なくともこのときのサヤカはそう確信している――確信していたのだ。
「………………」
「ここからが本題です。近頃、我らの情報網に報せが入っておりました。魔国の密偵が皇族秘伝の魔術を狙い、学園にお忍びで通う皇族を狙って動いているようだと」
「……っ!」
ニナは理解した。つまり――魔国の密偵がユリウスとニナを勘違いしてさらったということ。
(本当は私が狙われるはずなのに、ユリウスが代わりに……)
彼が自分の身代わりでさらわれ、酷い目にあっているかもしれない。
顔から血の気が引いていく。言葉にできない胸騒ぎの正体はこれだったのだ。
「さ、さがさないと……っ!」
「止めさせていただきます」
「どきなさいっ!」
「いいえ。ニナさまを学園の外にお出しするわけにはまいりません」
「なんでよっ! どいてってば!」
「戦う術も街の道も知らないニナさまが、夜の街に出て何ができるとお思いなのですか」
サヤカを突き飛ばしてでも駆け出そうとしていたニナは冷や水を浴びせられ、身を縮める。
「じゃあどうしろって言うの! 皇女だからって外にも出られなくて……こんなときも何もできないの!?」
「それが皇族というものです」
「そんなの……っ」
「ご不満であれば――」
サヤカは恭しく跪いた。瞳だけが凛々しく上を向いている。
「私どもにお命じください。ユリウスさまを捜索して連れ戻してこいと」
ニナは息を詰めた。
命令なら大得意だ。だがこれは今までのとは違う。ユリウスをさらった人間を見つけ、取り返してこいということ。敵国の軍人と戦い、必要であれば命の奪い合いをしてこいという命令だ。
「躊躇われることはありません。皇族の手となり足となることが私どもの職務であり、誉れなのです」
音もなく、職員や使用人に変装した護衛たちがサヤカの後ろに並んでいく。
ニナは目を閉じしばらく考えたあと、まぶたを持ち上げた。
「わか――わかったわ」
息を深く吸い、背筋をぴんと張る。
「私の大切な学友であり、帝国臣民であり、貴重な人材であるユリウス・ユーガが敵国の手に拉致された可能性が高いです。とても看過できる事態ではありません」
朗々と声が響く。
「第四皇女ニナ・ガイウス・アウルベルナが命じます! 彼の身柄と安全を確保してきなさい!」
「はっ!!」
揃った返事が部屋を満たした。
***
「まだまだ構想段階ではありますが、アルンハイム魔術学園を襲撃しようという計画が持ち上がっているのです。ぜひ内情に詳しいユリウスさまの意見を伺いたく……!」
僕はまばたきを忘れてしまった。
学園を襲撃って……この人は急になんてことを言いだすんだ。
スモーカーさんは座席から腰を浮かすほど興奮している。
冗談のつもりなのだろうか? まあこの人はジョークセンスに欠けるので、なきにしもあらずだが……。
僕の両隣に座るハニーさんとシュガーさんは視線を落とし体を縮め、自らの存在感を消すようにしている。
とりあえずツッコんでおこう。
「冗談はやめてくださいよスモーカーさん。学園を襲撃なんて、テロリストじゃないんですから」
「冗談ではありません。困難なことは分かっています。しかし現代魔術の聖地から書物を収奪することは、魔国にとってかねてよりの宿願でした」
「………………」
僕は首を傾げた。
「魔国……?」
「………はい、魔国の宿願です」
「なぜ魔国なんて単語が出てくるんですか?」
「え?」
「え?」
スモーカーさんも首を傾げる。空間中にはてなマークが浮かんで飽和しそうだ。
「なぜ出てくるかと言われれば、私どもは魔国の密偵ですので」
「んん? 出身が魔国、なだけですよね?」
「いいえ……? 現在、魔国所属の密偵部隊の隊長として活動しております。ご存じのはずでしょう」
ご存じじゃありません。
「ニナさまの護衛ではなく?」
「……ニナさま、とは?」
僕の高性能な脳細胞は高速で回転し、わずかな違和感を拾いあげた。どうやら何かが――食い違っている。
「スモーカーさんたちは魔国の密偵さんだ、と」
「はい、その通りでございます」
「そして今は僕と共に何をしているので?」
「亡命のお手伝いをしております」
「亡命? 何の話ですか?」
「お戯れはやめていただきたい。ユリウスさまが魔国に亡命なさる、というお話です」
「僕が魔国に亡命? するわけないじゃないですか」
魔国に行ってみたいのは確かだが、でも帝都にいたいという欲求のほうが遥かに強い。ここで勉強せねばならないのだ。せっかく来たばかりなのに亡命なんて。
スモーカーさんが慌てて身を乗り出してくる。
「何を今さら……! 亡命すると、そうおっしゃったではありませんか!」
「言いましたか?」
「はい! 『私たちと共に行く』と……!」
「あーと。それはお説教を大人しく受けるよって意味だったんですけど」
「おせっきょう……?」
話がまったくかみ合わない。最初からさかのぼろう。
「そもそもスモーカーさんは、僕になぜ声をかけてきたんですか?」
「それはもちろん、ユリウスさまを誘拐するためです……!」
スモーカーさんは当然だと言わんばかりの表情で言い切った。だが僕にはさっぱり心当たりがない。
誘拐?
どういうことだ?
「みなさんは僕を誘拐しているのですか……? この僕を……?」
僕は低くつぶやいた。
その瞬間スモーカーさんは肩を跳ねさせ額から汗を垂らし始めた。言葉を発するのも苦しそうだ。
「っ、……っ」
「もう一度だけ聞かせてください。あなた方は、この僕、ユリウス・ユーガを誘拐しているというのですか? 僕をさらうなんて――無駄なことですよ?」
「ッ、誘拐――ええ、誘拐するつもりでしたが、しかしユリウスさまはご同意なさりました!」
「同意していませんが」
なんか勝手に妄想してて怖いです。亡命とかするわけないし、同意もするわけない。
スモーカーさんは恐ろしい眼差しで僕を見ている。どうやら真実は単純なようだ。僕はやばい人に誘拐されている。
「なるほどなるほど……なるほど?」
え、僕って誘拐されてるの?
……ようやく合点がいった。そういうことだったのか。だからぜんぜん説教される場所につかないのだ。
被害者に誘拐だと気付かせない誘拐なんて、高度な技術を使ってくるじゃないか……!
ぴくぴく眉毛を震わせるスモーカーさん、横で硬直している女性二人を視界に収めつつ、僕は考える。
誘拐された。それは分かった。
だが――
「どうして僕を誘拐しようと?」
「もちろん、皇族秘伝の魔術を教えていただくためです!」
「皇族秘伝……?」
「皇族は十五歳で継承するはずです。ユリウスさまも継承なさっているでしょう」
「継承してるわけないじゃないですか」
「っ!? な、なぜですか……」
「だって僕は皇族じゃないですし」
スモーカーさんの表情がいっそう険しくなる。
「ユリウスさま。今さらそのようなことを言って、私どもがあなたを解放するとお思いですか」
「……スモーカーさんは僕を本当に皇族だと思っているのですか?」
「ッ、冗談はそこまでにしていただきたいッ!」
うーん……。僕を本当に皇族だと思い込んでいるのか。平民を皇族だと間違うなんて、どれだけ適当な諜報なんだ。誰かに騙されているんじゃない?
僕はため息をついた。
スモーカーさんは変わった人だし、僕を誘拐している真っ最中だ。しかし――不思議と嫌いではないのだ。
食事も魔術書も用意してくれるし、なにかと丁寧だし、会話は楽しかった。
さらわれていると知っても、問答無用でぶっ倒したいという気持ちにはならない。
「スモーカーさん。お願いです」
「……いかがなさいましたか」
「僕を解放してください」
「っ、畏れながら、それはできません……」
「あなた方は僕に良くしてくださった。解放してくださればお礼をします。といっても僕にできることなど――言葉を尽くしての感謝と、ささやかな贈り物くらいですが」
僕の言葉にハニーさんとシュガーさんの目の色が変わった。
「言葉を尽くした感謝……!!」
「ささやかな贈り物……!!」
「ええそうです。しかし解放してくださらないなら、あなた方を敵とみなします!」
「……っ!」
今度は二人ともびびっている。押せば行けそうな雰囲気もあったが、スモーカーさんが二人に強く語りかけた。
「惑わされるな! 寝返って無罪放免ですむわけがないだろう……! すべて覚悟のうえでこの任務に臨んだろ、それを思い出せ!」
「隊長……!」
ハッとなる女性二人。
スモーカーさんは僕を睨みつけた。
「私どもを……騙したのですね」
僕は微笑んだ。微笑むつもりはなかったが、最近微笑みすぎているせいでクセになっているのだ。
「騙したなんて人聞きが悪い。僕が『自分は亡命を希望している皇子だ』なんていつ言いました? そちらが勝手に勘違いしただけでしょう?」
「ッッ!!!」
と、そのときである。馬車はちょうど一時停車して、扉がノックされた。返事を待たずに開かれる。
スモーカーさんの部下の一人が十冊の書物を抱え、息を切らして立っていた。
「お持ちっ、しましたっ! 魔術書です! どうぞお納めください!」
突然の乱入に馬車内は静まりかえる。部下さんの荒い呼吸だけが響いた。
僕は口を開く。
「我々の間には不幸なすれ違いゆえに発生したさまざまな問題があります。それはそれとして、この魔術書は貰っておきますね。ありがとうございます」
「ふざ、ふざけないでくださいッ」
手を伸ばして受け取る。ああ素晴らしい重み、手触り。この魔術書が全部僕のものなんて。早く帰って寮の部屋に飾ってあげないと……。
食事も終わったところだ。僕は白い布巾で口元を拭い、銀皿を脇に置いた。
「みなさん。アルンハイム魔術学園に通う生徒の一人として、襲撃計画を看過することはできません。然るべき人に通報させていただきます」
「っ!!」
「しかし、です。お三方が捕まって処刑されるなんてことは、仲良くなった僕としては少し悲しいわけです。だから、今すぐ帝都を出て魔国へ向かわれるのがよいでしょう。そうするなら、僕はわざわざみなさんを縛り上げようなんて思いません」
「よくも、ぬけぬけと……!」
スモーカーさんは憤怒の表情だ。なかなか怖い顔をするじゃないか。スベって腹を切るとか言ってたくせに。
「では僕は帰ります」
僕が立ち上がろうとした瞬間――
「お覚悟――ッ」
スモーカーさんの手元に魔術陣が描画され始める。
雷撃系統の、攻撃性の高い魔術だ。当たれば一撃で意識を刈り取られる。
スモーカーさんだけでない。ハニーさんとシュガーさんも魔術陣を描き始めていた。
応えるように僕も魔術陣を描く。もちろん《火弾》の魔術だ。
魔術戦においてもっとも重要な能力が描画速度である。敵よりも早く魔術を完成させ、先手を取って攻撃する。結局これが一番強い。
僕は三人からわずかに遅れて描画を開始したが、完成したのは僕の方が早かった。
それも圧倒的に。
彼らが一人一つの魔術を準備する前に、僕は三つの魔術陣を描いた。馬車内を満たす赤い輝きにみなの息が止まる。
「
狭い車内で衝撃が爆ぜ狂う。
至近距離でもろにくらった三人の背中が壁に叩きつけられ、体が座面にぐたりと垂れた。威力を調整したので死んではいない。
さてと。早いとこ逃げてしまおう。
「では失礼。三人をよろしくお願いしますね」
魔術書を持ってきてくれた部下さんにそう挨拶する。彼は状況についてこれていないようだった。
馬車を降りると、そこは大きな広場だった。
人影はほとんどない。周囲の窓もほとんど明かりが消えていて、月明かりが石畳を照らしている。
周囲を見回す。学園はどっちだろう?
「ユリウスさま……」
呪うような声。
振り返ると、スモーカーさんが少しふらつきながら馬車から出てくるところだった。
動きに支障はなさそうだ。なかなか丈夫らしい。ひょっとするとギリギリで防御の魔術を間に合わせたのかもしれない。
「まだ学生だと思っていましたが――さすがでいらっしゃる。しかしこうなった以上、こちらも容赦はしません。そもそも護衛を打ち倒し皇族を拉致するつもりの任務でした。それを成せるだけの戦力を集めています」
建物の陰から武装した男たちが姿を現し、広場から延びる道を塞いでいく。
上で物音がして見上げると、広場を囲む建物の屋上にもこちらを見下ろす人影が並んでいた。
数は三十くらいだろうか。
広場には人はほとんどいないとはいえ、一人もいないわけではない。ただ事ではない雰囲気を感じ取り、通行人たちは表情を引きつらせて逃げ出していた。
「どうか無用な抵抗はお控えください。これだけの人数です。全員がうまく手加減できるとは限りません」
どうしても帰してくれる気はないらしい。
僕は手のひらを天にかざした。
魔術陣を描画していく。一秒とたたず、紅い煌めきが夜空を埋め尽くしていく。全部で五百。
「お気遣いありがとうございます。僕は手加減できますのでご安心を」
返事はない。スモーカーさんたちは唖然として見上げていた。
詠唱する。
「