夕食会を終えて一泊した後、アナリーゼたちは帰国することになった。
最悪の場合、強引な引き留めにあることも覚悟していたのだが、そんな様子はなかった。成り上がり男爵の三成や、単なる平民のノアだけではなく公爵令嬢のアナリーゼがいるというのが大きいのかもしれない。
国王の許可もなく、勝手な判断で大国の公爵令嬢に不用意なことをすれば、幾ら一人娘の王太女であろうと廃嫡である。
「昨夜は美味しいご飯をご馳走になって、あの、ごちそうさまでした!」
美味しいご飯を食べさせてくれる=良い人という日本人らしい素朴な考え方で、アナリーゼは精一杯のお礼をジゼル・アスモデウスに伝えた。
今回の出来事の全ての切っ掛けとなった王女はにこやかに微笑むと、
「なにを仰る! 元々こちら側の過失でご迷惑をかけてしまったのですから当然のことです!」
「…………」
ノアが油断なくジゼル・アスモデウスを睨む。彼女が過失などではなく、わざとノアを捕まえたのは明白であった。
「そうだ、ベルナデッタ! あれを!」
「はい。こちらアスモデウス産最高級の柿です。お土産としてお持ちください」
ベルナデッタというらしいメイドが、箱に入った大量の柿を渡してきた。
力自慢のアスールが受け取る。三成がちらりと箱の中を見ると本当に中身は柿だった。
「………………………」
「良かったじゃない三成さん! 柿よ柿! パーシモン! ヘンリーに柿プリン作ってもらいましょうよ!」
呑気なアナリーゼと対照的に三成は気持ち悪さを覚えていた。
三成の好物が柿であることを知っているのは歴史的事実として知っているアナリーゼと、三成がよく柿を好んで食べる姿を目撃しているヘンリーやアスールくらいだ。
偶然にもジゼルの用意したお土産と三成の好物が一致した、なんて偶然があるはずがない。
つまりジゼル・アスモデウスはどうやってかは知らないが、三成の好物を調べ上げた上でこのお土産を用意したのだ。
「(諜報力に関してはアスモデウス王国のそれはバエル王国を遥かに凌駕しているのかもしれませんね)」
「(ああ)」
囁くノアに三成は同意した。
なお良かれと思ったプレゼントにドン引きされていることに、当のジゼルはまるで気付いておらず、全てを察しているフェアファクスは一人で頭を抱えていた。
「三成殿。貴方と語りあえた時間はジゼルにとって永遠のようにも一瞬のようにも感じられるものでした。まだ会って二日と経っていないのに、こうして貴方を見送るジゼルの心は、十年来の親友との別れを迎えてしまったかのようです」
「柿、ありがとうございます」
超重力を発生して別れを惜しむジゼルに、三成は形だけの礼を言う。
「寂しく、心細く思います。こんなジゼルを、笑われますか?」
期待を込めてチラリと三成の様子を伺うジゼル。だがそんなジゼルの心中をまるで察さずに、答えたのはアナリーゼであった。
「笑ったりしないわ! 私だって出会って十秒くらいで生まれた友情があったし!」
沈黙。ジゼル・アスモデウスは固まる。
ジゼルの表情が戻らない。今にも噴火しそうなマグマを氷漬けにして押しとどめようとしているかのように無言で停止している。
「…………………」
「……? ジゼル殿下?」
そして漸く元のにへらっとした表情に戻るとジゼルは口を開く。
「アガレス殿の言う通り! 友情が生まれるのに必ずしも時間の長さは関係ない! この機会に是非ともアガレス殿とも友人になりたいとジゼルは思うのです! 如何ですかっ?」
「もちろん大歓迎です! 私のことはアナって呼んでください!」
ジゼルの内心の複雑骨折っぷりに気付かないアナリーゼは無邪気に言った。
逆に察している周囲の者たちは陣営関係なく頭を抱えた。
「では私のこともジゼルと! 今日はめでたい日です! 国同士は不仲であっても、個人では友情を育める証明がなりました!」
そうしてジゼルはアナリーゼと右手で握手すると大袈裟にぶんぶんと振った。
「あはは、肩が痛いわジゼル。ジゼルがこんなに優しくて気のいい人だと知ってたら、アスモデウス王国にへんな警戒しなくて済んだわ。ほんとに杞憂!」
杞憂じゃねえよ、と三成とノアは同時に心の中で叫んだ。
そうして大袈裟な握手を終えたジゼルは、今度は三成におずおずと左手を伸ばす。
「三成殿も、いいですか?」
「…………………」
三成が基本的にポーカーフェイスで余り表情を変化させることがない人間だったのは、この時ばかりは非常に幸運だったことだろう。
もしも三成が表情豊かであれば、今頃三成は変質者に握手を求められた女子高生のような顔をしていたはずだ。
「(三成殿、気持ちは分かりますが相手は王女です)」
そっとノアが耳打ちする。仕方なく三成は手を伸ばした。
おずおずと、だがしっかりとした手つきでジゼルは三成の手を握る。
アナリーゼとしたものに比べると体温をじっくり感じるような、しっとりとした握手だった。
「また会える日を、楽しみにしております」
「そうですか」
俺は会いたくない、と喉元まで出かかったそれを、三成は渾身の理性で呑み込んだ。
後年、三成はこの時のことを思い出して、バエル王国とアスモデウス王国の戦端が開くか否かは俺の喉元にかかっていたと述懐したという。
帰りの馬車の中。
呑気にお土産の柿を頬張りながらアナリーゼは言う。
「いい人だったわね、ジゼルってば! ヴェロニカやディアは友達にはなれたけど、諸事情(乙女ゲーのメインキャラなこと)あって警戒が抜けきれないけど、ジゼルとは気兼ねなく付き合えるかも」
「気兼ねなく付き合うな。気負いながら付き合え。あれは……恐いぞ」
三成が諫言すると、ノアとアスールの二人が凄い勢いで首を縦に振って同意する。
「三成殿に同意見ですな。冷血な合理主義者のようでいて、情愛深いというか病んでるというか」
「重い人でした」
「何言ってるのよアスール。ジゼルで重いなら、この世の女性の半分以上はおデブさんよ!」
「その重いじゃないです……」
アスールが主君の余りの無邪気さに呆れる。だがノアは納得したようにポンと手を叩く。
「成程。アナリーゼ様がジゼル王女に好意を抱く理由に察しがつきましたよ」
「なんですか?」
「ええ。あの人との距離感の掴めなさ。私の知る人物とそっくりだ」
そう言ってノアが三成を見ると、アスールも納得した。
ジゼルのように病んでいるわけではないが、人と仲良くなることが不得手なところは三成とよく似ていた。
なお当の三成はといえば、
「あれと同じような人間を他にも知ってるのか。ノア、お前も難儀な巡り合わせのもとに生まれたのだな。同情するぞ」
ノアはなにも言えなかった。
アナリーゼと三成たちと乗る馬車が見えなくなるまで、ジゼル・アスモデウスはじっと見送っていた。
ただ同じ馬車に乗る相手でも、見送る感情は正反対である。アナリーゼ・アガレスにはありったけの嫌悪と、石田三成にはありったけの親愛を其々抱いていた。
やがて完全に馬車が見えなくなるとジゼルはメイドのベルナデッタを呼んだ。
「ベルナデッタ」
「はっ」
「右手を洗って。念入りに、汚れ一つなく、綺麗に、して」
「畏まりました」
アナリーゼ・アガレスと握手した手を、念入りに洗わせながら、三成と触れあった左の掌を愛おし気に見つめる。
ジゼル・アスモデウスは確信した。きっと自分はアナリーゼ・アガレスを生涯かけて殺そうとするだろうと。
果たしてその予感は的中することになる。
これよりアナリーゼ・アガレスとジゼル・アスモデウスは、決して同じテーブルにつくことはなかったのだから。