囮の実力者になりたくて!Return15 作:ボルメテウスさん
朝の教室はまだ誰もいなかった。
いや、誰もいないはずだった。
扉を開けた瞬間、窓際の後ろから三番目の席に俺は座っていた。誰よりも早く。森から直行したからだ。
「…なんで俺が一番乗りなんだよ」
独り言が誰もいない教室に響く。返事はない。当然だ。まだ朝の七時だ。授業は八時半から。一時間半も前に来る生徒などいない。
俺は自分の姿を確認した。制服の袖が破れている。デルタに襟首を掴まれて引きずられた時に枝に引っかかったのだ。髪には枯れ葉が三枚ほど残っている。土と獣の匂いがする。包帯は腕に巻いたままだ。昨夜デルタが「治療した」と言って適当に巻いたもの。既に治っているが外す暇がなかった。
(これで教室に入ったら何と言われるか)
考えたくない。だが考えないと対策が立てられない。俺は頭を働かせた。
「夜遊び? 違う。狩りだ」
「喧嘩? 違う。猪から逃げただけだ」
「美少女と? 違う。デルタだ」
全部正しい。だが全部信じてもらえない類の正しさだ。
扉が開いた。
「おはようエロゲ。随分早いじゃないか」
ヒョロだった。背が高い。朝から髪を整えている。隣にはジャガ。小柄な体で丁寧に頭を下げた。
「おはようございます。昨日は随分と…」
ジャガの言葉が止まった。俺の袖を見ている。包帯を見ている。髪の枯れ葉を見ている。
「お前その格好どうしたんだ」
ヒョロが目を丸くした。
「昨日の美少女と夜遊びでもしたのか」
「違う」
「じゃあ喧嘩か」
「違う」
「じゃあ何だよ」
ヒョロが詰め寄る。ジャガも近づいてくる。二人の顔には好奇心が満ちている。昨日壁に吹き飛ばされた記憶はあるはずだが、その原因を追及する気はないらしい。それより俺の夜の過ごし方が気になるようだ。
「知り合いに狩りへ連れていかれただけだ」
俺は正直に答えた。
「狩り?」
ヒョロが首を傾げた。
「狩りって何の狩りだ」
「猪とか」
「猪?」
ジャガが手帳を取り出した。何のメモを取る気だ。
「猪を狩るために森へ?」
「そう」
「夜に?」
「そう」
「美少女と?」
「デルタは美少女かどうかは置いといて」
「置いとけないですよ。昨日の彼女は明らかに美少女でした」
ジャガが真顔で言った。丁寧な口調で美少女認定した。
「で、その狩りは何時から何時まで」
ヒョロが腕を組んだ。
「夕方から朝まで」
「朝まで!?」
二人の声が重なった。
「朝まで美少女と森で何をしていたんですか」
ジャガの声が少し上ずった。手帳を持つ手が震えている。
「猪を追いかけてた」
「猪を追いかけながら?」
「そう」
「それだけですか」
「それだけだ」
「嘘ですね」
ジャガが手帳を閉じた。閉じる動作が丁寧すぎて逆に疑いを表現している。
「嘘じゃない」
「でもあなたは今、獣の匂いをさせています。髪には枯れ葉。制服は破れている。これは普通の狩りではありません」
ジャガの指摘は正しい。普通じゃない。だが説明したところで信じてもらえない。俺は説明を諦めた。
「おはよう。二人とも早いね」
扉が開いてシドが入ってきた。爽やかな笑みを浮かべている。昨日俺を見捨ててサムズアップした男の顔とは思えない。
俺は立ち上がった。指でサムズアップの形を作って見せた。
「よく俺の前に座れるな」
シドは涼しい顔で席へ向かう。
「おはようエロゲ。昨日は楽しかった?」
「楽しかったかどうか聞いてるんじゃない」
「じゃあ何を聞いてるの」
「お前の良心」
「持ってないよ」
即答だった。席に座り鞄を机へ置く。一連の動作が滑らかすぎる。
「駅で俺をクレアに押しつけた仕返しだろ」
俺は声を潛めた。ヒョロとジャガには聞かせられない。
「何のことかな」
シドも声を潛めた。
「とぼけるな」
「お互い様だよ。君も僕をクレアへ押しつけた」
「俺は正当な防衛だった」
「僕も正当な報復だよ」
「報復が正当なわけないだろ」
「君の防衛も正当じゃなかったよ」
平行線だ。この男との会話はいつも平行線だ。
「エロゲ。昨日の美少女は今どこにいるんですか」
ジャガが割って入った。手帳を構えている。
「知らない。森で別れた」
「別れたって。彼女はあなたを探していたんじゃないですか」
「探してない。満足したら帰った」
「満足?」
ジャガの手帳が止まった。
「狩りに満足したんだよ」
「狩りに満足した美少女が、朝まであなたを離さなかったと」
「そう」
「それはつまり…」
「つまり何もない」
ジャガが何かを書きかけて止めた。書きかけて止める動作を繰り返している。書くべきか書かないべきか迷っているらしい。
ヒョロが俺の肩を叩いた。
「お前、意外とやるな」
「何がだ」
「夜の狩り。俺たちも混ぜろよ」
「絶対に混ぜない」
「けち臭いな」
「けちじゃない。命に関わる」
ヒョロは笑った。命に関わるという言葉を冗談だと思っている。実際は冗談ではないのだが。
* * *
午後の実技。
訓練場に新入生たちが集まっている。俺は9部の列に並んだ。シドは少し離れた中位の列にいる。ヒョロとジャガは7部の列だ。
教官が前に立った。
「今日は実技の総合確認を行う。各自、攻撃と防御の基本動作を確認しろ」
攻撃と防御。俺にとって攻撃は存在しない概念だ。
最初の組が始まる。木剣の打ち合う音が響く。俺の順番が近づく。
(眠い)
昨夜は森で一睡もしていない。デルタが猪を追いかけている間、俺は木の上で震えていた。猪より怖いものを見た。デルタの本気だ。
「エロゲ・シュタイナー。前に」
呼ばれた。前に出る。対戦相手は同じ9部の男子生徒だ。お互いに最下位同士。
「始め」
相手が剣を振り下ろす。
俺は半歩横へずれた。剣が空を切る。
相手が横薙ぎに振る。俺は後ろへ下がる。
突きが来る。斜めに受け流す。
攻撃はしない。できないからだ。
相手の剣が来るたびに避ける。眠気で視界が揺れている。だが相手の動きだけは手に取るように分かる。デルタの猪より遅い。デルタの突進より遅い。教団員の縄より遅い。
(避けるだけなら眠くてもできる)
俺は思った。だがそれは攻撃ではない。
「そこまで」
教官の声が響いた。互いに礼をして下がる。
教官が俺の名前を呼んだ。
「エロゲ・シュタイナー。貴様、攻撃は一度もしなかったな」
「はい」
「なぜだ」
「攻撃した瞬間負けると思ったので」
「またその言い訳か」
教官が眉をひそめた。
「だが身のかわし方は見事だった。まるで相手の動きが読めているかのようだ」
読めているんじゃない。慣れているだけだ。避け続けることで生き延びてきた経験値だ。
「昨夜、秘密の特訓でもしたのか」
教官が言った。
「いいえ」
「正直に言え。お前の動きには独特の癖がある。実戦経験でもなければああはならない」
実戦経験。正確には誘枴経験と狩り経験だ。
「特訓です」
俺は答えた。嘘ではない。ある意味で特訓だった。
「やはりな」
教官が頷いた。
後ろでヒョロがジャガに囁いている。
「聞いたか。秘密の特訓だってよ」
「やはり昨夜の狩りは特訓だったんですね」
違う。お前らが思っている特訓じゃない。だが訂正すると余計な説明が必要になる。
俺は黙って列へ戻った。
* * *
放課後。
俺は一人で寮へ向かった。噂をこれ以上増やさないためだ。ヒョロとジャガに別れを告げ、シドにも背を向けた。
人通りの少ない道へ入る。寮まであと五分というところで、声をかけられた。
「エロゲ様」
振り返る。銀髪を短く整えた少女が立っていた。ベータだ。
「ベータ。どうした」
「昨日の怪我を心配しておりました」
ベータが近づいてくる。目元の泣きぼくろが夕日を受けて影を作っている。
「怪我?」
「昨夜、森へ行かれたと聞きました」
「ああ、それか」
俺は腕の包帯を見せた。
「これならもう治ってる」
包帯を少し緩めて中の肌を見せる。傷跡はない。デルタの治療魔法は適当だが効き目だけは確かだった。
ベータがほっと息を吐いた。
「よかった。ですが、無理はなさらないでください」
「無理というか強制というか」
「デルタ様ですか」
ベータの声が少し低くなった。
「まあ、そういうことだ」
ベータは手帳を取り出さなかった。いつもならここで記録を始めるはずだ。
「今日は私の方から相談があります」
ベータが言った。声が少し硬い。
「相談?」
「はい」
ベータは周囲を見回した。人通りの少ない道だが、それでも誰かが通る可能性はある。
俺も周囲を見回した。
「ここで話すのか?」
ベータが首を振った。
「いいえ。人目のない場所へ」
彼女はナツメとして知られる人物だ。学園内や人前で俺と親しく接触することはできない。
「分かった」
俺は頷いた。
(また寮への帰宅が遅れそうだ)
昨夜に続いて二日連続。これでまた噂が増えるかもしれない。
「先に寮へ帰ったことにしてくれ」
俺は頼んだ。
ベータが不思議そうに首を傾げた。
「どうしてですか?」
「・・・昨日、デルタのせいで寮は帰れなくて、不良として目立ちそうになるから」
「あぁ、その、分かりました。では、その、エロゲ様の部屋に行っても良いでしょうか?」
「んっ?まぁ、そうなるが」
「よっよろしく御願いします!!」