囮の実力者になりたくて!Return15 作:ボルメテウスさん
訓練場の空気は張り詰めていた。石畳に木剣の打ち合う音が響き、ナンバーズ候補生たちが隊列を組んで基本動作を繰り返している。俺はというと、訓練場の端にある木箱に腰掛けぼんやりとその光景を眺めていた。
「エロゲ様。本日は訓練の参考として、狩りの様子を見学させていただけますか」
ラムダが俺の前に立った。褐色の肌に白銀の髪を束ねたダークエルフ。背筋を伸ばし、視線だけで訓練生たちを黙らせる。彼女は俺に対してだけは丁寧な敬語を使う。組織内での立場というやつだ。だがその丁寧さが逆に怖い。
「見学? 何の」
「デルタ様の狩りです」
俺の背筋が凍った。
「断る」
即答だった。ラムダの眉が微かに動く。
「エロゲ様が暴君デルタ様の狩りから繰り返し生還されていることは、新人教育の教材として非常に価値があります」
「教材?」
「はい。危険察知、進路判断、生存戦術。戦闘能力だけでは測れない実力の証です」
訓練生の一人が小さく呟いた。
「でもあの人、戦えませんよね」
声は届いた。ラムダが振り返る。視線だけで、訓練生が姿勢を正した。
「お前たちはエロゲ様の戦闘能力だけを見ている。だがエロゲ様は、デルタ様の狩りという地獄を何度もくぐり抜けている。それは実戦経験の塊だ」
地獄。今、地獄って言った。この人地獄って言った。
「ラムダ。今の説明は褒めてるのか貶してるのか」
「褒めております」
「地獄って単語が出たんだが」
「比喩です」
「比喩でも地獄は地獄だ」
その時、訓練場の空気が変わった。足音が響く。地を蹴る音。速い。振り返る暇もなく、視界の端に黒い影が飛び込んできた。
「エロゲ! 狩りに行くのです!」
デルタだった。長い黒髪を振り乱し、狼の耳を逆立て尻尾を千切れんばかりに振っている。
「行かない」
「行く!」
「行かない!」
「デルタは行く! エロゲも行く!」
「俺は行かない!」
ラムダが一歩前に出た。
「デルタ様。本日は訓練生の見学があります。エロゲ様の許可を」
「許可? デルタは狩りたい。エロゲも一緒に狩りたい。それでいい」
「よくない」
俺は叫んだが、デルタは既に俺の腕を掴んでいた。引きずられる。ラムダが訓練生たちを手招きする。
「全員、高台へ移動。これよりエロゲ様の狩りを見学する」
「見学じゃない! 拉致だ!」
俺の抗議は風に消えた。
* * *
林の中を走っていた。デルタの後ろを必死に。いや、デルタが俺を追いかけているのか。正確にはデルタが獲物を追い、俺がデルタから逃げている。
「エロゲ! そっちに猪がいるのです!」
「だから何だ!」
「獲物なのです!」
「俺が獲物になるんだろ!」
デルタの狩りは危険だ。彼女は障害物を気にしない。木をへし折り、岩を蹴り飛ばしまっすぐ突進する。その巻き添えを食らうのが俺の役目だった。だが俺には経験がある。何度も付き合わされてきた。だから分かる。
獣の足跡。折れた枝。風の匂い。デルタの視線の先。
「あっちは崖だ。行くな」
俺は進路を変えた。デルタは真っ直ぐ突進するが、俺は曲がる。曲がった先に落石があれば避ける。木の根が張り出していれば跳ぶ。地面がぬかるんでいれば迂回する。
高台から見ている訓練生たちには、俺が逃げ回っているだけに見えるだろう。だがラムダには分かるはずだ。俺が危険を先に見つけていることが。
「エロゲ様の進路判断は正確です。危険を先に読み、最短で回避している」
ラムダの声が遠くから聞こえた気がした。
だが、林の奥に入ると視界が途切れた。木が密集し、岩が重なり俺の姿が見えなくなる。
「見えません」
訓練生の声。その直後、俺はデルタの突進に巻き込まれた。
「ぐわっ!」
地面に転がる。岩が落ちてくる。間一髪で避ける。木が倒れる。跳んで逃れる。デルタが猪を追って俺の真横を通過する。風圧で体が持っていかれそうになる。
「見学してるなら助けに来い!」
叫んだ。声は届かない。ラムダは高台にいる。俺の姿は見えない。デルタの狩りの激しさだけが伝わる。
「エロゲ様の叫び声が」
「聞こえているが、姿が見えない。介入は危険だ。エロゲ様の判断を信じろ」
ラムダの声が遠い。信じろって、俺は死にかけてるんだが。
だが、経験は裏切らない。俺は落石の隙間を縫い倒木の下をくぐり、どうにか林を抜けた。
* * *
ふらふらになりながら訓練場へ戻る。服は破れ、全身に土と葉がついている。ラムダが歩み寄ってきた。訓練生たちが俺を見る目を変えている。
「エロゲ様。ご無事で」
「無事に見えるか」
「はい。土壇場でも判断を誤らない。それがエロゲ様の強みです」
「さっきの落石は見たか」
ラムダが訓練生たちを見た。全員が首を横に振る。
「見ていません」
「見てないのかよ!」
「見えなかったのです。木と岩に遮られて」
「俺はあれを一人で避けたんだぞ!」
「それが実力です」
ラムダは頷いた。訓練生たちも、先ほどまでとは違う目で俺を見ている。だが。
「一番参考になるところを見逃してるだろ!」
俺は破れた服を押さえて叫んだ。あの落石の瞬間こそ、俺の生存能力の真髄だった。だが誰も見ていない。
その時、林の方から再び足音が響いた。
「エロゲ! 次の獲物を見つけたのです!」
デルタだった。尻尾を振り、目を輝かせている。
「帰る!」
俺は叫んで走り出した。今度はデルタから逃げるために。訓練生たちの驚愕の視線を背に、俺は全速力で訓練場を後にした。