囮の実力者になりたくて!Return15 作:ボルメテウスさん
授業を終えて寮の部屋へ戻ると、椅子に誰か座っていた。
金髪。青い瞳。背筋が伸びている。机の上には淹れたての茶が二杯置かれている。
「お帰りなさい、エロゲ」
アルファがカップへ手を伸ばしながら言った。まるで自分の部屋だと言うような自然さだ。
「鍵は」
「かけておきました。あなたが戻るまでは私が管理します」
管理。管理と言った。俺の部屋の鍵を他人が管理する。この組織ではそれが正常らしい。
「……お茶ありがたいけど、自分の部屋で自分が客扱いなのはどういうことだ」
「客人ではありません。居候です」
居候。自分で言った。堂々と言った。
俺はため息を吐いて向かいの席に座った。カップを取る。温かい。ちょうどいい温度だ。淹れた直後じゃない。俺が戻る時間に合わせて淹れている。計算されている。
「授業はどうでした」
「9部の授業だぞ。攻撃の基礎の基礎だ。素振りをひたすらやる」
「素振りは大事よ。あなたには特に」
「そこは否定しないけどさ」
「成績は」
「上がるわけないだろ。素振りで成績が上がったら世の中の剣士全員が天才だ」
「口で答える前に体で答えなさい」
アルファが茶を啜った。その一動作で説教が終わった。この短さが逆に効く。
「寮の生活は」
「静かだ。夜は誰もいない」
「誰も?」
「……たまにいる」
「いるのね」
「ゼータが」
「分かっていたことでしょう」
分かっていた。分かっていた上で聞いてきた。 alfaの質問は確認だ。知っていて確認する。そういう類型だ。
「あとベータも来た」
「ベータも」
「原稿の相談だよ。悪いことじゃない」
「悪いことではないけれど、男子寮に女子が出入りしている事実は変わらないわね」
「お前も入ってるだろ」
「私は例外よ」
例外。例外という言葉を自分に使う人間の図太さが欲しい。
「イプシロンにも服を選んでもらった」
「イプシロンが選んだ服を着て、ベータの原稿を読んで、ゼータに見張られて。あなたの部屋は忙しいわね」
「俺の部屋のはずなんだが」
「ええ、あなたの部屋よ。私がそう認めているもの」
認めている。認めているから座っている。論理が完璧すぎて反論の隙がない。
「食事はちゃんと食べてるの」
「学園の食堂がある」
「栄養バランスは」
「……肉とパンと野菜だ」
「順番が逆よ。野菜から」
テーブルの下で指が動いた。俺の手元の皿を指差している。皿の上には何もない。だがその指は「次は野菜から」と命令していた。
「分かったよ」
「分かったではなく、やりなさい」
やれ。命令だ。静かな命令だ。声は低い。だが逆らえない。なぜ逆らえないのかは長い付き合いの中で学んだ。逆らうと、静かになる。アルファが静かになると俺が怖い。
「……野菜から食べるよ」
「お願いします」
お願いします。敬語だ。だが敬語の中に鉄が入っている。鉄の入った敬語。これがアルファだ。
「それで、学園での人間関係は」
「ヒョロとジャガがいる。あとシドだな」
「シドとは仲が良いのね」
「悪友だよ。昨日も俺をデルタに差し出した」
「差し出した?」
「見捨てた。俺がデルタに連れ去られてる時にサムズアップしてた」
「……サムズアップ」
「笑顔で」
「仲が良いのね」
「仲が良いとは言ってない」
「あなたが言わなくても分かるわ」
アルファが茶を置いた。カップが皿に触れる音が小さく響く。
「シドはあなたを信頼しているからこそ、そういうことができるのよ」
「信頼の方向が間違ってるだろ」
「もし私も学園に通っていたら」
アルファが窓の外を見た。午後の日差しが彼女の金髪を白く染めている。
「どうしていたと思いますか」
【指示2:もし同じ学園にいたら】
「どうしていたか、って」
「仮定の話よ。もし私があなたと同じ学園に通っていたら」
俺は茶を啜った。温かい。考える時間が要る。
「成績はいいだろ」
「それは助かりますか」
「助かるというか、頼れる」
「頼れる」
「お前なら何でもできるだろ。勉強も剣術も。周囲から頼られるタイプだ」
「周囲から、ね。あなたからは」
俺はカップを置いた。アルファの目が俺を見ている。青い瞳が静かだ。質問の形をしているが、中身は静かだ。
「俺からも頼る。今だって頼ってるだろ」
「今は?」
「こうして部屋に来て茶を淹れてくれるのも頼ってるからだろ」
「頼っているというより、私が勝手に来ているのよ」
「結果は同じだ」
アルファが少しだけ目を細めた。笑みに近い。だが完全には笑っていない。半分だ。
「あなたは私と話してくれましたか。学園で」
「話すだろ。困った時に頼りになるし」
「困った時だけ?」
「……普段も」
「普段も」
アルファが茶を啜った。その間が長い。長すぎる。俺は何か間違ったことを言ったのか。いや間違ってはいない。ただ足りない。
「ただ、隣の席だと授業中も姿勢を正されそうだ」
「あなたがきちんと授業を受けるなら、注意する必要もありません」
無言で返された。無言じゃない。言葉は返っている。だがその言葉の下に「あなたがきちんと受けていないなら注意する」という行が見える。見えすぎる。
「食事の順番も直されそうだ」
「野菜から食べるなら直さないわ」
「さっきのまだ覚えてるのか」
「忘れる理由がないわ」
忘れない。忘れない人間だ。アルファは。小さなことを忘れない。そして小さなことを積み重ねて大きな信頼を作る人間だ。たぶん。
「同じクラスだったら、お前が班長みたいになってたな」
「班長という立場に興味はないけれど、放っておけない人間がいるなら動くわ」
「放っておけない人間って」
「あなたのことよ」
俺は視線を外した。カップの底を見る。茶が残っている。残っている茶を見つめる時間が必要だった。
「……俺はそこまで放っておけないか」
「自覚がないのが一番問題よ」
「あるよ」
「ないわね」
「ある」
「ない」
即否定された。即否定する瞳に力がある。俺の主張がアルファの事実に勝つことはない。これも長い付き合いの中で学んだ。
「同じクラスでも結局は今と変わらなそうだな」
「そうかしら」
「変わらない。お前が俺の部屋に来て茶を淹れて、俺の食事順を直して、授業の姿勢を正して。今と同じだ」
「今と同じ」
「ああ。今と同じだ」
俺は笑った。笑ったら自然に出た。不思議だ。誘枴も狩りも天井崩落もない平穏な会話なのに、笑える。いや笑えるのは平穏だからか。
アルファも微笑んだ。微かだ。だが確かに笑っている。
「そうね。今と同じだわ」
午後の日差しが窓から傾き始めていた。茶が少しだけ冷めた。だが二人が飲む速度は変わらなかった。