囮の実力者になりたくて!Return15 作:ボルメテウスさん
騒がしい食堂から離れて渡り廊下へ入った。
シドはアレクシアに連れられて剣術の授業へ行った。俺は空き時間だ。9部の授業は午後からある。今は暇だ。
静かだ。いい。静かな廊下は好きだ。誰もいない。壁も壊れない。天井も落ちてこない。完璧だ。
「エロゲ」
完璧じゃなかった。
声は後ろから。いや横から。いや上からか。分からない。気配がない。
「ゼータ」
白銀の髪。猫科の耳。淡々とした目。
「護衛ならせめて足音くらい立てろ」
「立てたら護衛じゃない」
正論だった。正論すぎて返す言葉がない。
俺は歩き続けた。ゼータが隣を歩く。足音がしない。俺の足音だけが廊下に響く。不公平だ。
「報告」
「まず茶くらい淹れてからにしろよ」
「今」
「・・・聞くよ」
ゼータが懐から小さな紙片を取り出した。見取り図だ。学園の見取り図。どこで手に入れた。
「通用口。南側。警備の交代時刻を尋ねていた人間がいた」
「警備の交代? 誰に聞いてた」
「通用口の番兵に。質問の内容は正当だった。だが目が合っていなかった」
「目が合ってない」
「質問しながら周囲を見ていた。通用口の構造と廊下のつながりを確認していた」
俺は歩く速度を落とした。ゼータが合わせる。
「生徒か」
「違う。教職員でもない」
「服装は」
「目立たない。地味な外套。顔は見えなかった」
「どっちへ行った」
「東棟の方角へ消えた。アレクシア様が通る廊下だ」
俺の足が止まった。
アレクシア。王女だ。シドが今授業に連れて行かれた相手だ。
「教団か」
「可能性はある」
「その設定はさておき」俺は声を潛めた。「誘枴犯の下見なら放置できない」
ゼータが俺を見た。短い視線。
「設定?」
「シドがでっち上げたやつだろ。ディアボロス教団」
「・・・実在する」
「実在するってお前、シドが即興で作った設定を」
「実在する」
繰り返された。ゼータは繰り返す時は譲らない。俺は詳しく問うのをやめた。この話題は前にもした。この先も平行線だ。
「・・・分かった。教団が実在するとして。その人間はアレクシアを狙ってるのか」
「断定できない。下見の対象がアレクシア様か、それとも別の誰かか」
「でもアレクシアの移動経路を確認してたんだろ」
「確認していた。複数回」
「複数回って何回だ」
「三回。昨日の夕方、今朝、そして昼前」
三回。三回も下見されている。俺の誘枴体質にも引けを取らない。
「時間割まで調べられてる可能性は」
「高い」
「じゃあ警備側に知らせた方がいい」
「別経路で報告済み」
「・・・もう報告してるのか」
「私がいる」
いる。いると言われたら確かにいる。いるが。
「お前一人か」
「今は」
「今はって何だよ。今後増えるのか」
「状況による」
状況による。短い。短すぎる。だがゼータの報告はいつも短い。短い中に事実だけが詰まっている。無駄がない。無駄がないのが逆に怖い。
俺は渡り廊下の窓から外を見た。遠くに実技場が見える。声が聞こえる。剣術の授業だ。シドがあの中にいる。アレクシアも。
「ゼータ。その人間、教団の構成員だとしたら何を狙ってる」
「魔力か身柄か」
「身柄ってアレクシアのか」
「王女の身柄は取引材料になる」
「・・・重いな」
「重い」
ゼータが頷いた。頷いてから懐の報告書をしまった。しまう動作が丁寧だ。紙を折り畳む指先が正確だ。
しまう時に端が見えた。
数字だ。報告書の端に番号が書かれている。
「559」
「・・・何だその番号は」
ゼータの手が止まった。一瞬。一瞬だが止まった。
「別件」
「別件?」
「今の件とは関係ない」
「関係ないけど気になる数字だな」
「気にしなくていい」
「気にするなと言われると気になるんだよ」
ゼータが報告書を懐の深くへ押し込んだ。もう見えない。だが押し込む動作が普段より力強かった。
「エロゲ。今の件に集中して」
「集中してるよ。だが559って」
「調査中」
「調査中ってお前がか」
「私が」
「詳しく教えろよ」
「教えない」
即答だった。ゼータの即答には拒絶と警告が混じっている。これ以上踏み込むなという意味だ。
授業の鐘が鳴った。重い音が廊下に響く。ゼータの耳が動いた。
「行く」
「待て。まだ」
「人目がある」
ゼータが既に視線を走らせている。廊下の両端。天井。影。一秒で全てを確認した。
「・・・次はいつ報告する」
「分かった時」
「分かった時って明日か今夜か」
「その時」
「その時って何だよ」
ゼータは答えなかった。代わりに一歩下がった。二歩目で影に溶けた。
いない。
静寂が戻る。俺の足音だけが廊下に残された。
窓の外を見た。実技場の方から歓声が上がっている。授業は続いている。シドはあの中にいる。アレクシアも。
視線をずらした。通用口が見える。南側の通用口。
影が動いた。
一瞬だけ。一瞬だけ通用口の柱の陰に誰かがいた。外套を着た人影。すぐに消えた。だが確かにいた。
俺は目を凝らした。もういない。柱の陰には何もない。
見間違いか。いや見間違いじゃない。ゼータが見た人間だ。
教団。
シドの設定のはずの教団。
だがゼータは実在すると言った。そして通用口には影があった。
俺は息を吐いた。
誘枴の下見。アレクシアの移動経路。警備の交代時刻。全部が俺の誘枴体験と重なる。下見、時間の確認、出口の確保。プロの手順だ。
知らせてもいいがゼータが既に報告してるなら俺の出る幕ではない。いや出る幕がない方がいい。俺が関わると綱引きになる。
「また面倒なことに巻き込まれる前に、授業へ戻ろう」
独り言が誰もいない廊下に響いた。
遠くで鐘の残響が消えていく。通用口の影はもう見えなかった。
だが気配だけは残っていた。