囮の実力者になりたくて!Return15 作:ボルメテウスさん
人は、忘れた頃に厄災はやってくる。
ゼータの報告を受けた後に、誘拐が来るのが、こんなに早く来るなんて、予想なんて。
「いや、普通にあり得るか」
監禁部屋の空気は湿っていた。石壁が冷たく、天井の隙間から風が漏れている。俺の両手は椅子の背に縛られ、アレクシアは隣の椅子に座らされていた。手首には金属の拘束具。俺より厳重だ。王女扱いというやつだろう。
「・・・ねえ」
沈黙を破ったのはアレクシアだった。
「何だ」
「あなた、誘枴に慣れてるの?」
直球だった。疲れた声の中に棘が一本立っている。
「慣れてないよ」
「嘘ね。さっき縛られる時に腕の角度を調整してた。経験者がやる動きだわ」
鋭い。観察力が王女級だ。
「・・・少しな」
「少し。今月何回目?」
「・・・三回目」
「三回」
アレクシアが息を吐いた。呆れと共感が混ざった吐息だ。
「あなたって本当に変な人ね。誘枴されて平気そうにして」
「平気じゃない」
「じゃあなんで笑ってるのよ」
笑ってたか。自覚がない。誘枴されると笑う癖がついているのか。不健康だ。
「怖くないわけじゃない。ただ慌てても状況が好転しないだけだ」
カップが壁の棚に置かれている。水が入っているが手が届かない。アレクシアの前にもカップがある。彼女の手首の拘束具は固定されているが、指先だけ動く。
「王女様は誘枴慣れてるのか」
「慣れるわけないでしょ」
「じゃあ同じだ」
「同じじゃないわ。あなたは慣れてる。私は慣れてない」
「慣れてない方が正常だろ」
「それを言われると腹が立つわね」
アレクシアが視線を落とした。金髪が頬にかかっている。疲れている。目の下に薄い影がある。王女の化粧でも隠せない程度の疲れだ。
「・・・ずっと見られてるのよ」
「見られてる?」
「王女だから。誘枴犯に。それ以外の人にも。常に誰かの目がある」
扉の向こうで足音が往復している。見張りだ。規則的な間隔。五歩往復、五歩復帰。飽きないのか。
「今は誰も見てないだろ」
「見張りがいる」
「見張りは見てない。監視してるだけだ」
「同じでしょ」
「違う。お前の言ってる『見られる』はもっと heavy なやつだろ」
アレクシアが俺を見た。青い瞳が少し細くなる。
「・・・分かるの」
「分かるくらいはな。俺もよく見られてる。誘枴されるたびに」
「誘枴されるのを見られるのと、王女を見られるのと同じ?」
「同じじゃない。でも似てる。肩書きで判断されるって点は」
アレクシアの指先がカップの縁を撫でた。爪が陶器を叩く音が小さく響く。
「あなた、名前何だっけ」
「エロゲ」
「・・・エロゲ」
「言いにくいか」
「いいえ。覚えやすいわ」
「嬉しくないな。覚えやすい名前って」
「珍しいだけよ。変な意味じゃないわ」
「変な意味がない名前なんてないだろ」
「・・・そうね」
アレクシアが少しだけ口元を緩めた。緩んだだけだ。笑いではない。緩みだ。
「あなた、意外と普通なのね」
「普通じゃないと困るだろ。変な奴ばかりの世界で普通じゃないと目立つ」
「あなた十分目立ってるわよ。月三回誘枴されてる時点で」
「それは目立ってるんじゃない。目をつけられてるんだ」
「同じでしょ」
「同じじゃない」
「同じよ」
「・・・まあいい。同じでいい」
同じじゃないが論点を譲ると会話が進む。進める価値はある。沈黙が長いと壁の冷たさが肌に沁みる。
「アレクシア。お前、剣術の授業取ってるんだってな」
「・・・聞いたの?」
「食堂でシドが言ってた」
「シド。あの黒髪の?」
「ああ」
「彼、剣術の授業に出るらしいわね。私が誘ったんだけど」
「知ってる」
「あなた、彼と仲が良いの?」
「悪友だ」
「悪友」
「利用し合う関係だと思ってくれればいい」
「利用し合う」アレクシアが少し眉を寄せた。「それを仲が良いと言うの?」
「言わない。事実を言っただけだ」
「・・・変な関係ね」
「お前にも言えるよ。王女と学生の関係も十分変だ」
アレクシアが黙った。黙ったが目は怒っていない。考え込んでいる。考える時は視線が下を向く。金髪が顔を覆う。
「確かにね。王女が学園に通うのも変かもしれない」
「変じゃない。変じゃないけど見られてるだろ」
「見られてる」
「お前が言ったろ。ずっと見られてるって」
「・・・そうだったわね」
足音が止まった。
二人の会話が止まった。扉の向こうの気配が変わる。足音のリズムが崩れた。走っている。見張りが走っている。
「何かあったな」
「分かるの?」
「足音が速くなった。あれは異常を知らせる走り方だ」
エロゲの誘枴経験が告げている。見張りが走る時は二通りだ。交代か襲撃か。この足音は交代じゃない。
ドォォン!
建物が揺れた。天井から砂埃が落ちる。壁が軋む。
「来た」
「何が来たのよ」
「救出か襲撃か。どっちでもいいが揺れた」
「どっちでもいい!?」
「揺れた時点で俺の出番じゃない。耐えるだけだ」
「耐えるって何を」
「天井が落ちてこないことを祈る」
二度目の衝撃。もっと大きい。壁に亀裂が入る音がした。アレクシアの椅子が揺れて拘束具が鳴る。
「エロゲ!」
「大丈夫だ。まだ天井は持ってる」
三度目。今度は近い。扉の向こうで何かが砕けた。悲鳴が聞こえる。教団員の悲鳴だ。
「誰かが攻めてきてるの?」
「そうだな」
「誰が」
「知らない。でも俺なら教団員を助けには来ない」
「あなたを助けに?」
「誘枴されてるのは俺だけじゃない。お前もだろ」
「私は王女よ。犯人が名乗り出れば助けに来るわ」
「名乗り出ないタイプだな」
「なぜ分かるのよ」
「分かる。こういう時に名乗り出る奴は派手な登場をする。音からして相当派手だ」
扉が吹き飛んだ。
いや扉ごと何かが通り抜けた。影だ。黒い影。速い。残像が残るほど速い。
「誰――」
アレクシアの声が止まった。影が彼女の拘束具を断ち切ったからだ。金属が落ちる音。アレクシアの手首が自由になった。
「大丈夫か」
低い声。聞き覚えがある。いや聞き覚えはない。だが声の主を知っている気がする。
「あなたは」
「急ぐ。ここはもう長く持たない」
黒い影がアレクシアを抱き上げた。速い。一瞬だ。
「エロゲ!」
アレクシアが俺の方を見た。俺を見たが影は止まらなかった。アレクシアを抱えたまま廊下へ出る。
「おい! 俺は!」
声が届いたかどうか。届く前に影は消えた。速い。音もなく。
俺は残された。
「・・・あいつ俺を忘れてないか?」
誰もいない監禁部屋に声が響いた。答えるのは天井の軋みだけだ。
四度目の衝撃。今度は壁に穴が開いた。石が崩れ、風が流れ込む。俺は椅子ごと後ろへ倒れた。縛られた手が椅子の背に食い込む。痛い。だが痛いだけで済んでいる。頑丈さだけが取り柄の身体だ。
「くそ。またか」
天井の石が一つ落ちてきた。避けられない。椅子に縛られている。石が肩に当たった。痛い。だが割れない。頑丈だ。
二つ目が落ちてきた。腕で受けた。痛い。だが折れない。やっぱり頑丈だ。
「誰か! いないのか!」
叫んだ。誰もいない。教団員は逃げた。救出者はアレクシアを連れて行った。俺だけが残されている。
三つ目が落ちてきた。今度は頭に。
「・・・死ぬ」
死なない。頑丈だから。だが痛い。
廊下から別の足音が聞こえた。速い。だが先ほどの影とは違う。もっと軽い。猫の足音だ。
「エロゲ」
ゼータだった。
「遅い」
「アレクシア様を先に」
「知ってるよ。知ってるけど遅い」
「私が来た」
「来た。遅いけど来た」
ゼータがナイフで縄を切った。手首が自由になる。痛い。痺れている。だが動く。
「立てる」
「立てるけど文句は言わせてもらうぞ」
「後で」
「後でじゃない。さっきの影、俺を無視しただろ」
「シャドウ様の判断です」
「シャドウ様って誰だよ」
「知らなくていい」
「知らずに無視されたままかよ」
「立てる?」
「立てる」
俺は立ち上がった。肩が痛い。頭も痛い。だが歩ける。頑丈さには感謝する。
ゼータが俺の手を引いた。廊下へ出る。壁に穴が開いている。天井が半分落ちている。教団員はいない。逃げたか倒れたか。
「おい。あの影、アレクシアを助けに来たんだろ」
「そう」
「俺は」
「私が回収した」
「回収って言うな。物みたいだ」
「物じゃない。人間」
「人間なら最初から助けに来い」
「アレクシア様が優先」
「王女だからか」
「王女だから」
「俺は」
「エロゲは二番目」
二番目。二番目と言われた。誘枴されてから救出されるまでの間、俺はずっと二番目だった。
「・・・慣れたよ」
「慣れないで」
「なんでだよ」
「慣れると油断する」
「油断するほど余裕がないんだよ」
ゼータが廊下の角を曲がった。俺も続く。建物の外へ出た。夜空が広がっている。星が見える。
「ゼータ」
「なに」
「あの部屋でアレクシアと話してたんだ」
「話した?」
「少しだけ。あいつ、疲れてた」
「王女だから」
「王女だからって理由で疲れてるなら、王女って大変だな」
「大変」
ゼータが短く答えた。その短さの中に少しだけ別の温度が混じった気がした。だが確かめない。確かめる必要がない。
「次は一番目に助けに来いよ」
「次はない」
「ないと良いな」
「ない。私が防ぐ」
「頼むよ」
「うん」
夜風が頬を撫でた。建物の中ではまだ何かが崩れる音がしている。だが外は静かだ。
アレクシアは助けられた。俺も助けられた。順番は二番目だったが結果は同じだ。
「なあゼータ」
「なに」
「あいつ、俺の名前覚えてたかな」
「誰」
「アレクシア」
「・・・聞けばいい」
「聞く機会があるか」
「作る」
ゼータが短く言った。短いが作ると言った。作るというのは機会を作るという意味だ。
「・・・頼むよ」
「うん」
俺たちは夜道を歩いた。建物の崩れる音が遠ざかっていく。星だけが頭上で静かに光っていた。