囮の実力者になりたくて!Return15 作:ボルメテウスさん
療養室の扉がノックされた。
「どうぞ」
返事をすると、静かな足音が入ってきた。金髪。青い瞳。背筋が伸びている。アルファだ。
「具合はどう?」
「もう動ける。肩が少し痛むけど折れてない」
「見せて」
アルファがベッドの傍らに座り、俺の肩の包帯を確かめた。指先が丁寧だ。強く押さない。弱くもない。加減を知っている。
「折れてはいないわね。でも痣が広い」
「痣くらいなら三日で消える」
「そういう問題ではないでしょう」
アルファの声が少し硬くなった。
「痣は消える。だが痣ができるということは、それだけの衝撃を受けたということよ」
「天井が落ちてきたんだ。避けられなかった」
「避けられなかったのは、あなたが椅子に縛られていたからね」
「そうだ」
「なぜ縛られていたの」
「誘枴されたから」
「なぜ誘枴されたの」
「誘枴体質だから」
アルファが俺を見た。青い瞳が少しだけ細くなる。この目は「答えになっていない」と言っている。
「エロゲ」
「なんだ」
「無事に戻ったことと、危険がなかったことは別よ」
「分かってる」
「分かっていない」
アルファがベッドの傍らに置かれた報告書を手に取った。俺が読んでいたやつだ。
「被害欄を読み上げなさい」
「なぜ」
「読みなさい」
逆らえない。アルファの前では大体の会話がこうなる。逆らうと静かになる。静かになると怖い。
俺は報告書を受け取り、被害欄を開いた。
「建物の損壊。北棟の壁面崩落。南棟の天井崩落。東棟の一部倒壊。救出時の二次被害。負傷者。教団員三名。軽傷。エロゲ。軽傷。アレクシア。軽傷」
「読み終わった?」
「読み終わった」
「感想は」
「誘枴犯より救出側の被害が大きい」
「冗談で済ませないで」
アルファの声が低くなった。低いが怒鳴っていない。怒鳴らないのが一番怖い。
「エロゲ。あなたは自分の怪我を軽く扱いすぎる」
「軽くはない。本当に軽傷だ」
「軽傷という言葉で片づけるのが問題よ」
「じゃあ何て言えばいい」
「痛いと言いなさい」
俺は口を閉じた。痛いと言うタイミングを逃した。誘枴された直後は言えた。だが今はもう治りかけている。治りかけている時に痛いと言うのは気が引ける。
「痛い」
「遅い」
「遅くても言った」
「心がこもっていない」
アルファが包帯をそっと撫でた。指先が包帯の端を整える。直す必要のない端だ。整えているのは指の行き場を作っているだけかもしれない。
「エロゲ。次に同じ状況になったら、一人で抱え込まないこと」
「抱え込んでない。抱え込む暇がなかった」
「抱え込む暇がなくても、助けを求めることはできるわ」
「求めた。ゼータに」
「ゼータに求めたのは、監禁されてからでしょう」
「監禁される前に求めるのは難しい」
「難しいけれど、不可能ではないわ」
アルファの指が止まった。包帯の上で静止している。
「あなたはいつも、誘枴されてから助けを求める。誘枴される前に誰かに話していれば、防げたかもしれない」
「誰に話せばいいんだ」
「私に」
アルファが顔を上げた。青い瞳がまっすぐだ。
「アルファが来てくれるなら、最初から相談するよ」
軽口のつもりだった。だがアルファの表情が一瞬だけ緩んだ。緩んで、すぐに戻った。
「相談する相手を選ぶこと」
「選んでる」
「選んでいるようで選んでいないから言っているの」
アルファが立ち上がった。報告書をベッドの傍らに戻す。
「エロゲ。次の誘枴では報告書の様式も改善したい」
「様式?」
「被害欄が雑すぎる。もっと細かく書くべきよ」
「書くのは俺じゃない。書くのは」
「あなたよ。被害者欄はあなたが書くの」
「被害者が報告書を書くのか」
「書くのよ。自分の身に何が起きたか、正確に記録するのが一番確実だから」
アルファの言い分は正しい。正しいが面倒だ。誘枴された上に報告書を書く。二重に疲れる。
「分かった。次は様式を改善する」
「まず誘枴されない努力をしなさい」
「それができたら苦労しない」
アルファが扉へ向かった。その背中に俺は声をかけた。
「アルファ」
「何」
「心配してくれてるのは分かる」
アルファが振り返らない。背中が止まった。
「でも、次に誘枴される時の相談先が増えただけでは?」
アルファの手が扉の取っ手にかかった。そして。
「聞こえていますよ」
扉の向こうから声がした。
俺は姿勢を正した。正したが遅かった。扉は閉まった。
静かな療養室に俺一人が残された。
「・・・次は誘枴される前に相談するか」
独り言が天井に吸い込まれていく。
報告書を手に取って被害欄を眺めた。確かに雑だ。次はもっと細かく書こう。書くのは俺だが。