囮の実力者になりたくて!Return15 作:ボルメテウスさん
ノックが二回。間を置いて三回目。
合図だ。ベータだ。
俺は扉を開けた。ベータが廊下の両端を見てから滑り込んでくる。銀髪が揺れる。手には見慣れた手帳と原稿の束。
「・・・入っていいけど、廊下の確認はもう少し自然にやってくれないか」
「自然でした」
「自然じゃない。窃盗犯の立ち回りみたいだぞ」
「失礼ですね。窃盗犯は廊下を確認しません。逃げ道を確認するだけです」
「同じだろ」
ベータが椅子に座った。手帳を膝の上に置き原稿を机へ並べる。動作が丁寧だ。だが速い。慣れている。
「お茶を淹れるか」
「いいえ。すぐ終わります」
「終わるって何が」
「相談です」
ベータが手帳を開いた。ペンを構える。構えが早い。いつの間にペンを出した。
「エロゲ様。前回は陰の叡智なしで書けるかという話をしました」
「覚えてる」
「今回は実体験を物語へ落とし込む方法を相談したくて」
「実体験」
俺は眉をひそめた。嫌な予感がする。ベータの「実体験」という言葉は九割方俺の災難を指す。
「・・・また俺の周辺を題材にするのか」
「題材とは言っていません。参考です」
「参考も題材も大差ないだろ」
「大差があります。題材はそのまま使います。参考は変えて使います」
「変えて使うなら俺の周辺である必要がない」
「必要があります。あなたの周辺で起きる出来事には独特の温度があるからです」
温度。俺の災難に温度があると言う作家。褒められているのか貶されているのか分からない。
「で、何を参考にする気だ」
「アレクシア様との監禁中のお話です」
来た。
「あれを使うのか」
「使うのではありません。参考にするのです」
「同じだ」
「同じではありません」
「同じだ。お前がそう言う時は結局使ってる」
ベータのペンが止まった。止まったが目は手帳を見ている。俺を見ていない。反論を探している顔だ。
「・・・使うかどうかは出来次第です」
「出来が良ければ使うってことだろ」
「使うのではなく、活かすのです」
「活かすも使うも同じだ」
「同じではありません」
「同じだ」
「・・・同じかもしれません」
折れた。珍しい。だが折れた上でペンは動いている。折れても進んでいる。この執念が作家なのだろう。
「エロゲ様。監禁中にアレクシア様と何を話しましたか」
「何も話してない」
「嘘ですね」
「嘘じゃない」
「報告書に『会話あり』と書いてありました」
「・・・報告書を読んだのか」
「読みました。被害欄以外にも会話欄がありました」
会話欄。そんな欄があったのか。俺が書いたんじゃない。誰が書いた。
「アレクシア様が話しかけてきたとあります。何を話しましたか」
「世間話だ」
「世間話の内容を」
「内容はない」
「ない」
「ない。ただの世間話だ」
「世間話に内容がないわけがないでしょう」
ベータのペンが待機している。待機しているということはいつでも書けるということだ。俺の言葉が口から出た瞬間に書き取る構えだ。
「ベータ。会話をそのまま作品に使うのはやめてほしい」
「なぜですか」
「実際の出来事には本人たちの感情がある。記録のように写すだけでは物語にならない」
ベータの手が止まった。ペン先が紙の上で静止する。俺の言葉を吟味している。
「・・・記録のように写すだけでは、と言いましたね」
「言った」
「では、どこまで変えればよいのでしょう」
「どこまでって」
「事実を保持すべき部分と、変えてよい部分の境界です」
難しい質問だ。俺は作家じゃない。だが前回の相談で一つ分かったことがある。
「元ネタがあるならどう書き換えるかが作家の腕だろ」
「・・・続けて」
「事実をそのまま置いても物語にならない。何を変えるかじゃなくて、何を描きたいかで決めるんだと思う」
「描きたいもの」
「お前が書きたいのは出来事の手順か。それとも登場人物の心の動きか」
ベータのペンが動いた。俺の言葉を書き取っている。だが書きながら顔を上げた。
「両方です」
「両方は無理だ。手順を正確に書けば心は見えない。心を描けば手順は歪む」
「・・・どちらかを選べということですか」
「選べとは言ってない。どちらを先にするかだ」
ベータがペンを置いた。置いて考えた。考える時に目が手帳を見ない。遠くを見る。窓の外を見ている。
「心の動きを先に」
「じゃあ手順は後回しでいい」
「いいのですか」
「いい。手順は読者が気にしていない。読者が気にするのは次に何を感じるかだ」
ベータがペンを取った。取って何かを書いた。速い。俺の言葉じゃない。自分の言葉だ。
「エロゲ様」
「何だ」
「アレクシア様の言葉をあなたはどう受け止めましたか」
「受け止めって」
「彼女が話しかけてきた時、あなたはどう思いましたか」
俺は少し考えた。監禁中のアレクシア。疲れた目。金髪が頬にかかっていた。声に棘があったが棘の奥に何か別のものがあった。
「・・・疲れてた。話し相手を求めてたように見えた」
「話し相手」
「ああ。誰もいない部屋で沈黙が続くと人は話したくなる。王女でも」
ベータのペンが動いた。書き取っている。俺の言葉を。
「今のもそのまま引用するなよ」
ペンが止まった。ベータが顔を上げた。
「参考にするだけです」
「参考と引用は違うのか」
「違います。参考は変えて使います。引用は変えずに使います」
「じゃあ引用するな」
「しません」
「参考は?」
「・・・します」
正直だ。正直すぎて怒る気が失せる。
ベータが手帳を閉じた。原稿を束ねて鞄へしまう。動作が丁寧だ。さっきよりも丁寧かもしれない。
「ありがとうございました。とても参考になりました」
「参考になったけど使わないよな」
「・・・善処します」
「善処するって言ったな今」
「善処の定義は状況によって変わります」
「変わるな」
「変わりません。善処は善処です」
「善処する奴は絶対に善処しないんだよ」
ベータが立ち上がった。椅子を元の位置へ直す。直すのが丁寧だ。だが直した後に机の上を見た。原稿の角が擦れた跡が残っている。彼女の指先がその跡を触れた。
「また読んでもらえますか」
「いいよ。ただし」
「ただし?」
「次は俺の周辺を使わない作品を読ませてくれ」
「・・・挑戦してみます」
挑戦するとは言った。挑戦すると約束はしていない。
ベータが窓の方へ向かった。扉から出ない。窓から出る。
「次は扉から出ていけよ」
「・・・善処します」
二度目だ。二度目の善処。信用度ゼロ。
ベータが窓から消えた。静かな音もなく。残ったのは机の上の跡と俺の空の茶杯だけだ。
「・・・次に誘枠されたら、取材謝礼も請求する」
独り言が部屋に響いた。
廊下の向こうから声が返ってきた。
「検討しておきます」
聞こえてる。聞こえてるのに出ていかない。聞こえてるから返事ができる。
俺は扉を閉めた。
閉めたが、窓は開いている。窓から入ってきて窓から出ていく。扉の意味がない。
次は窓の鍵も掛けよう。
いや掛けても開けられる。ゼータに開けられたしベータにも開けられる。
俺の部屋は俺の部屋じゃない。
茶杯を洗おうと立ち上がった。洗う前に茶を淹れ直そう。今度は自分の分だけ。自分の分だけ淹れる静かな午後。