囮の実力者になりたくて!Return15 作:ボルメテウスさん
現れた人物のその手には剣がある。
だが、何よりも感じてしまったのは、その狂気的な目であった。デルタのような純粋さはありながら、何か違う。
しかし、俺は知っている。
「えっと、ヴィクトーリアだよね」
「いえ!今の私は559です!どうか!そちらの名で!御願いします!!」
「おっおぅ」
その圧に俺は苦笑いをする。
「まぁ彼女もエロゲと会えて、嬉しいからね」
ゼータは少し呆れたように呟く。
「すっすみません、ゼータ様、その、ようやくエロゲ様のお役に立つ事が出来て、つい」
「あははぁ」
健気なのは分かる。だが、その手に持っている血で濡れている剣でモジモジするのは止めて欲しい。普通に怖い。
「そ、その剣、血で濡れてるけど」
「はい! これは敵の血です!」
「敵って」
「エロゲ様を狙った不届き者たちです! 全員無力化しました!」
「全員って何人」
「四人です!」
「四人」
「四人です!」
二回言った。二回言うと確信犯に聞こえる。実際確信犯だろう。ヴィクトーリアは剣を握り直し、血を払うでもなく胸の前で抱えた。抱えた剣先が俺の鼻先を掠める。距離が近い。近すぎる。
「あの、剣先が」
「あっ! 失礼しました!」
剣を下げた。下げた拍子に血が飛んだ。俺の頬に一滴。冷たい。冷たいが温かい。どっちだ。両方だ。
「エロゲ様! 今、血が!」
「拭けばいい」
「私の袖で!」
「やめろ。お前の袖も血だらけだろ」
「では私の手で!」
「手も血だらけだろ!」
ヴィクトーリアが自分の両手を見た。見て、固まった。血まみれだ。固まったまま動かない。固まるな。固まるなら先に手を洗え。
「ヴィクトーリア」
「559です!」
「559」
「はい!」
「まず手を洗ってくれ」
「はい!」
返事はいい。だが動かない。動かない理由はたぶん俺の顔を見ているからだ。見るな。洗え。
「ヴィクトーリア」
「559です!」
「559。手を洗う場所を探せ」
「ゼータ様に聞きます!」
ヴィクトーリアがゼータを見た。ゼータが無表情で路地の先を指した。指した先は井戸だ。井戸がある。路地裏に井戸がある。なぜ今まで気づかなかった。
「ありがとうございます! ゼータ様!」
「うん」
ゼータの返事が短い。短いがヴィクトーリアには十分らしい。走っていった。走る背中も血まみれだ。この路地裏に血の跡が残る。後で誰かが騒ぐ。血痕の七不思議がまた一つ増える。
「ゼータ」
「何」
「あいつ、なんでここに」
「呼んだ」
「呼んだ?」
「必要だったから」
「必要って何の」
「護衛」
「護衛はお前だろ」
「私は隠密。彼女は戦闘。役割が違う」
「役割で人を呼ぶな」
「呼ばないと死んでた」
「死んでない」
「死にかけてた」
「死にかけてない。壁を背に荷車を盾にしてただけだ」
「それ死にかけの動きだよ」
「違う。生存戦略だ」
「同じ」
「違う」
「同じ」
ゼータが井戸の方を見た。ヴィクトーリアが手を洗っている。洗いながらこちらを見ている。目が合った。笑った。満面の笑みだ。血のついた顔で笑うな。怖い。
「ゼータ。あいつ、笑いながら手を洗ってる」
「嬉しいんだよ」
「何が」
「エロゲに会えたから」
「会えただけで笑うか」
「笑う。彼女はそういう子だよ」
「そういう子って」
「そういう子」
説明になっていない。ゼータは説明を省く。省く癖がついている。この組織の人間は全員説明を省く。省かれた分を俺が補う。補うのが俺の役割になっている。役割が多い。多いが給料は出ない。
ヴィクトーリアが戻ってきた。手が綺麗になった。剣も拭いたらしい。だが服の血はそのままだ。そのままで笑っている。笑いながら俺の前に立つ。
「エロゲ様。お役に立てて嬉しいです」
「うん。ありがとう」
「その言葉だけで私は生きていけます」
「生きていけ」
「はい!」
生きていけと言ったら生きていくと即答された。返しにくい。返しにくいことを平気で言う。この組織の女子は全員そうだ。アルファもデルタもゼータもイプシロンもベータも。返しにくいことを平気で言う。そして返しにくいまま日常に戻る。戻るのが俺の仕事だ。
「で、これからどうするんだ」
「エロゲ様を寮までお送りします!」
「護衛はゼータの仕事だろ」
「ではゼータ様と一緒に!」
「二人で来るな。目立つ」
「ではゼータ様の後ろを歩きます!」
「それも目立つ」
「では屋根の上を」
「それ一番目立つ」
ヴィクトーリアが困った顔をした。困った顔も血まみれだ。先に顔を洗え。顔を。
「ヴィクトーリア」
「559です!」
「559。顔を洗え」
「はい!」
また走っていった。井戸へ。今度は顔を洗っている。洗いながらこちらを見ている。まだ見るのか。見るな。洗え。
「ゼータ」
「何」
「あいつ、本当に大丈夫なのか」
「大丈夫じゃない」
「だろうな」
「でも強い」
「強いのは分かった。四人倒したんだろ」
「四人じゃない」
「何人だ」
「七人」
「七人!?」
「見張りを含めて」
「見張りって俺が見たのは四人だぞ」
「三人は路地の外にいた」
「外に」
「囲んでた」
「囲まれてたのか俺」
「囲まれてた」
「気づかなかった」
「気づかないのが普通。彼女が気づいた」
「ヴィクトーリアが」
「うん。先に外の三人を倒してから中に入ってきた」
「先に外を」
「そう。逃げ道を塞ぐのが先」
「・・・よくできてるな」
「彼女はできる子」
「できる子って言い方がもう」
「何」
「何でもない」
ヴィクトーリアが戻ってきた。顔が綺麗になった。服は血まみれだ。服も洗え。いや洗えないか。洗えないなら着替えろ。着替えはどこにある。この路地裏にはない。だからこのまま寮まで歩く。血まみれの少女を連れて。目立つ。確実に目立つ。
「エロゲ様。綺麗になりました」
「服がなってない」
「服は後で洗います」
「今洗え」
「今ですか」
「今。井戸があるだろ」
「エロゲ様の前で服を洗うのは」
「何が問題だ」
「その、下着が」
「見ない。背を向ける」
「でも」
「背を向けるって言ってるだろ」
ヴィクトーリアがゼータを見た。ゼータが頷いた。頷いてから俺を見た。
「エロゲ。背を向けて」
「分かってる」
俺は壁の方へ向き直った。背中で水音がした。洗っているらしい。洗っている間、ゼータが隣に立った。俺の隣。目は前。前を見ながら話す。
「彼女、嬉しそうだね」
「そうか」
「そうだよ。エロゲに会えたから」
「会えただけで」
「会えただけで嬉しいんだよ。彼女は」
「・・・お前もそういうこと言うんだな」
「言うよ。事実だから」
事実。事実を淡々と言う。淡々と言われると返せない。返せないまま背を向けて立っている。水音が続く。続く水音の向こうで、時々ヴィクトーリアが鼻歌を歌っている。鼻歌。血まみれの少女が鼻歌を歌いながら服を洗っている。この状況をどう説明すればいい。説明できない。説明できないから、俺は黙って立っている。
「エロゲ様。終わりました」
振り返った。服が綺麗になっている。だが濡れている。濡れた服を着た少女が立っている。これはこれで目立つ。別の意味で目立つ。俺は視線を天井へ向けた。路地裏に天井はない。空だ。空を見る。空を見ながら言う。
「帰るぞ」
「はい!」
「ゼータ」
「何」
「先導しろ。俺は後ろを歩く」
「前も後ろも同じだよ」
「同じじゃない。濡れた少女を先に歩かせるのは罪悪感がある」
「分かった」
ゼータが先に歩き出した。ヴィクトーリアがその後に続く。俺が最後。三人の列。血まみれの少女と、足音のない護衛と後ろを歩く俺。この列を誰かに見られたら何と言われるか。分からない。分からないが、たぶん「またエロゲか」で済まされる。済まされるのが一番怖い。
「エロゲ様!」
前から声がした。ヴィクトーリアが振り返って歩いている。前を見ろ。前を。
「何だ」
「今日、ご一緒できて光栄でした!」
「ああ、うん」
「またお供させてください!」
「ゼータに聞け」
「ゼータ様!」
「だめ」
即答だった。ヴィクトーリアが肩を落とした。落ちた肩を戻して前を向いた。今度は前を向いて歩いている。前を向くのが遅い。遅いが前を向いた。前を向いた少女の背中を追いながら、俺は思った。
(この組織、女子の扱いに慣れすぎている)
慣れているのは俺の方か。誘枴されて、救出されて、護衛されて取材されて、服を直されて。慣れている。慣れているが、ヴィクトーリアのようなタイプは初めてだ。デルタの純粋さに、何かが足されたような。足された何かが分からない。分からないまま寮へ向かう。寮まであと十分。十分の間に何も起きなければいい。起きないことを祈る。祈りながら歩く。歩きながら、濡れた制服の背中を見つめている。