囮の実力者になりたくて!Return15 作:ボルメテウスさん
前日の誘枠事件から全身が痛い。包帯は取れたが筋肉痛が残っている。なぜ筋肉痛なのか。縛られた状態で身をよじったからだ。誘枠の後遺症に筋肉痛が加わるのは初めてだ。新しい苦しみが増えた。
「行こうぜ!」
ヒョロが叫んだ。叫ぶ元気があるなら俺にその元気を分けてほしい。
「お前ら、本当に元気だな」
「疲れてるの? エロゲ君」
ジャガが小首を傾げた。手帳を取り出している。何をメモる気だ。俺の疲労度を記録するつもりか。
「昨日ちょっとあってな」
「あ、夜の件ですか」
夜の件。夜の件とは何だ。ジャガの中で俺の夜の行動がどう分類されているのか。聞かない方がいい。
「まあな」
「やっぱり。顔色が悪いですね。睡眠時間は何時間取りましたか」
「三時間」
「少ない。成人男性に必要な睡眠時間は六時間が目安です。三時間は半分以下です」
「知ってる。知ってるから疲れてるんだよ」
「では今日は早めに寝るべきですね」
「そうする」
「寝る前に温かい飲み物を。ミルクがいいです」
「ミルクな。分かった」
ジャガが手帳に何か書き込んだ。書き込む手が丁寧だ。丁寧すぎる。俺の睡眠指導が記録されている。
「おい、何メモってんだ」
「健康管理リストです。エロゲ君の生活記録を」
「止めてくれ」
「止めません。友達の健康は大切にします」
友達。友達が俺の睡眠時間を記録している。この関係性は何だろう。
「エロゲ。行くよ」
シドが俺の肩を叩いた。叩く手が軽い。軽いが意味がある。「行くぞ」という合図だ。ヒョロとジャガを連れてミツゴシ商会へ向かう流れだ。俺はため息を飲み込んで歩き出した。
* * *
王都の大通りを歩く。人通りが多い。多い方が目立たない。目立たないのはいい。誘枠犯も混紛れにくいが、誘枠犯も人混みに紛れる。メリットとデメリットが半々だ。
「ミツゴシ商会ってどこにあるんだ」
「大通りの奥だ。確かこの先の角を曲がった辺り」
ヒョロが顎をしゃくった。顎の動きが大きい。顎で方向を示す奴は大体自信がある。自信があるが方向は合っているのか。
「お前、行ったことあるのか」
「ない」
「ないのかよ」
「噂で聞いただけだ。でも噂は大体当たるだろ」
「当たらない。噂は七割嘘だ」
「エロゲ君は否定から入るタイプですね」
「否定じゃない。事実確認だ」
「事実確認の結果が否定なら否定です」
ジャガの論理が追い詰めてくる。丁寧な口調で追い詰める。この男は後で記録を取るだけじゃない。論理でも追い詰める。
「あった! ミツゴシ商会!」
ヒョロが叫んだ。叫ぶ元気はまだ残っている。看板が見えた。赤い看板に白い文字で「ミツゴシ商会」と書いてある。清潔な店構えだ。ガラス張りのショーウィンドウに商品が並んでいる。
「すげえ。綺麗だな」
「綺麗ですね。高そうですね」
「高いのか」
「高くても女にプレゼントするなら安くないだろ」
ヒョロの論理だ。女にプレゼントするなら高い方がいい。高い方が喜ぶ。喜ぶともっと喜ぶ。もっと喜ぶともっと高いのを欲しがる。無限のループだ。
「俺、金ないんだけど」
「エロゲ。金がないなら見るだけでいいよ」
シドがさらりと言った。さらりと言ったが、その目は店内を見ている。何か探している目だ。モブの目じゃない。
「お前、何か買う気か」
「いや、見るだけ。僕は目立たない学生だからね」
「目立たない学生がショーウィンドウを舐めるように見てるのは目立つぞ」
「舐めてないよ。観察してるだけだ」
「同じだろ」
「同じじゃない。舐めるのは舌を使う。観察は目を使う」
「どっちでもいいよ」
店の扉を開けた。ベルが鳴る。軽い音だ。店内は明るい。木の棚に商品が整然と並んでいる。菓子、雑貨、文房具。種類が多い。多いが統一感がある。品揃えにセンスを感じる。
「うわぁ、すごい品揃えですね」
ジャガが手帳を取り出した。またか。
「お前、店の中でもメモ取るのか」
「取ります。商品の価格帯を記録しておきます。参考用です」
「参考にして何をするんだ」
「将来の買い物リストに」
「将来」
「はい。結婚したら妻にプレゼントを買う必要があります。その下調べです」
「十五歳で結婚の下調べするのか」
「早い方がいいです。競争は激しいですから」
競争。十五歳の競争。ジャガの中で既に競争が始まっている。
「俺は見るだけにする」
ヒョロが棚の商品を眺めている。眺めながら「いくらだこれ」と繰り返している。値段を見ては唸っている。唸る回数が多い。高いらしい。
「おっと、こちらのお客様。いらっしゃいませ」
店員が出てきた。若い女性だ。制服を着ている。赤いエプロン。清潔だ。
「何かお探しでしょうか」
「あ、いや、ちょっと見てるだけです。友達がチョコレートだか何かが美味しいって言ってて」
ヒョロが俺を指差した。俺を指差すな。俺は「友達が」としか言ってない。お前が言い出したんだろ。
「チョコレートですね。ございますよ。こちらの棚に」
店員が奥の棚を指差した。小さな箱が並んでいる。茶色い箱に金色の文字。高そうだ。見るからに高い。
「これいくらですか」
ヒョロが箱を手に取った。手が震えている。震えは感動か恐怖か。たぶん値段を見た後の恐怖だ。
「一箱五百ザニーです」
「五百!」
ヒョロの声が裏返った。五百ザニー。学生の一週間の食費に相当する。
「高いな」
「高いですね」
ジャガが手帳に書き込んだ。「チョコレート一箱五百ザニー。学生の食費一週間分。費用対効果に疑問あり」
「費用対効果まで書いてるのか」
「書きます。私の財政状況では五百ザニーの菓子は投資とみなされます。投資なら効果を測るべきです」
「投資効果って何だよ」
「プレゼントした相手の反応と価格の比率です」
「比率まで計算するのか」
「します。数字は嘘をつきません」
ジャガの手帳に数字が並んでいく。俺の睡眠時間に続いてチョコレートの投資効果まで記録される。この手帳の中身を見たら俺の人生が丸裸になる。
「お客様、こちらに試供品がございますが」
店員が小皿を出した。小さな茶色い塊が三つ並んでいる。
「試食できますか」
「どうぞ」
ヒョロが一つ手に取った。口に入れた。咀嚼した。咀嚼が遅い。遅いのは味わっているからだ。味わった後、目が見開かれた。
「うめぇ・・・」
「本当に」
ジャガも一つ取った。口に入れた。咀嚼した。咀嚼が丁寧だ。丁寧な咀嚼の後、頷いた。
「甘いですが、甘すぎません。深みがあります。五百ザニーの価値はあるかもしれません」
「あるのかよ」
「あります。ただし投資として成立するかは別です。プレゼント相手の反応次第です」
「反応が悪かったらどうする」
「チョコレートのせいではなく、私の選択ミスです。チョコレートは被害者ではありません」
「チョコレートに被害者も加害者もないだろ」
「あります。選ぶ人間が加害者で、選ばれたチョコレートが被害者です」
「チョコレートを擁人化するな」
店員が困った顔をしている。困った顔のまま最後の一つを俺の方へ差し出した。
「こちらもどうぞ」
「ああ、ありがとう」
俺は最後の一つを口に入れた。甘い。甘いがジャガの言う通り甘すぎない。深みがある。美味い。五百ザニーの価値はあるかもしれない。だが俺の財布には五百ザニーはない。
「美味いな」
「美味いですよね。こちらの商品、実はお客様からのアンケートにご協力いただいた方に試供品を差し上げておりまして」
アンケート。来た。この単位だ。
「アンケート」
「はい。商品の感想をいくつかお聞きできれば。奥の部屋で少しだけ」
奥の部屋。奥の部屋に案内する流れだ。アンケートという名目で奥の部屋に連れて行く。この手口を俺は知っている。だが一般客は知らない。知らないから付いていく。
「アンケートですか。何分くらいですか」
ジャガが時間を確認している。手帳を見ながら。スケジュール管理だ。
「十分程度です」
「十分なら大丈夫ですね」
「俺もいいよ。チョコレート美味かったし」
ヒョロが即答した。チョコレートに釣られた。釣られ方が簡単すぎる。五百ザニーのチョコレートに十分の時間を差し出す。費用対効果はどうなった。
「じゃあ、こちらへ」
店員が奥の扉を開けた。扉の向こうに廊下が続いている。廊下の先に部屋がある。アンケート用の部屋だ。
「お二人様でお願いします」
店員が俺とシドを見た。俺とシド。ヒョロとジャガではない。
「あれ、俺たちは」
ヒョロが自分を指差した。指差した手が空中で止まった。
「申し訳ありません。今回はお二人様限定なんです。人数が多いとデータが混ざってしまいますので」
「データが」
「はい。少人数の方が詳しくお聞きできますので」
論理だ。少人数の方が詳しく聞ける。論理は通っている。通っているが、通っている理屈の裏に何があるか。俺は知っている。だが今はアンケートだ。アンケートなら付いていくしかない。
「ヒョロ、ジャガ。悪いな。二人で待っててくれ」
「え、俺たちも行きたいんですけど」
ジャガが手帳を閉じた。閉じたが顔が不満だ。不満な顔を隠さない。
「また今度な。今は俺たちだけで」
「・・・分かりました。外で待ってます」
「悪いな」
「良いです。ただし」
「ただし」
「アンケートの内容を後で教えてください。記録します」
「教えるから手帳しまってくれ」
ヒョロが肩を落として店の外へ出た。ジャガがそれに続く。続く前に一度振り返った。振り返った目が俺とシドを交互に見ている。疑っている。疑いは残したまま外へ出た。
「では、こちらへ」
店員が歩き出した。俺とシドが続く。廊下を歩く。廊下が長い。長い廊下の先に扉がある。扉を開けると小さな部屋があった。机が二つ。椅子が二つ。紙とペンが置いてある。
「ここで少々お待ちください。担当の者が参ります」
店員が頭を下げて出ていった。扉が閉まった。俺とシドだけだ。
「シド」
「何」
「アンケートって」
「アンケートだよ」
「アンケートの担当者って」
「来るよ。たぶん」
「たぶんって何だよ」
「来る。確実に来る」
シドが椅子に座った。座り方がリラックスしている。リラックスしすぎている。アンケートの部屋でリラックスする人間はアンケートを知っている人間だ。
「お前、ここ来たことあるだろ」
「ないよ。初めて」
「嘘だな」
「本当だよ。僕はモブだからね。ミツゴシ商会の奥の部屋に入るモブはいないよ」
「じゃあなんでお前がここにいるんだ」
「エロゲが連れてきたんだよ」
「お前が誘ったんだろ。ヒョロの話を振ったのは」
「振ってない。ヒョロ君が自分で言い出したんだよ」
「振ったろ。チョコレートの話をした時、お前が一番興味ある顔してたぞ」
「興味はないよ。観察してただけ」
「観察の結果がアンケートの部屋か」
「結果じゃない。過程だよ」
「過程で奥の部屋に連れて来られてるんだよ」
シドが笑った。笑って足を組んだ。組んだ足が揺れている。揺れが待っている人の動きだ。
「エロゲ。担当者が来たら何て答える」
「感想を答えるだろ。チョコレートの感想を」
「感想だけかな」
「感想以外に何がある」
「あるよ。たぶん」
「たぶんって何だよ」
扉が開いた。
入ってきたのは一人の女性だ。青い髪。整った身だしなみ。笑顔だ。だが笑顔の奥に何かある。何かがあるが俺はそれを確定できない。確定できないが、この笑顔は店員の笑顔とは違う。一段上の笑顔だ。
「お待たせいたしました。アンケートのご協力ありがとうございます」
声が落ち着いている。落ち着いた声だ。だが声の主が誰か、俺は見たことがある。いや、見たことがない。見たことがないが、雰囲気を知っている。
「シド」
「何」
「あの女」
「担当者だよ」
「担当者か。担当者だな」
「担当者だよ。アンケートの担当者だよ」
シドの声が平らだ。平らすぎる。平らな声で「担当者」と言う時のシドは何かを知っている。知っているが言わない。言わないのがシドだ。
「では、こちらの奥の部屋へご案内します」
担当者の女性が立ち上がった。立ち上がって奥の扉を開けた。扉の向こうにさらに奥の部屋がある。奥の奥だ。アンケートの部屋の奥にアンケートの部屋がある。二重だ。
「さらに奥かよ」
「詳しくお聞きしますので。こちらの部屋は共用ですから」
共用。共用の部屋から個室へ。個室で詳しく聞く。詳しく聞く内容がチョコレートの感想なのか。俺には分からない。分からないが、シドが座っている。座って笑っている。
「行くよ、エロゲ」
「行くのか」
「アンケートだろ」
「アンケートだな」
「アンケートなら答えるべきだよ」
「答えるか」
「答えよう」
俺は立ち上がった。立ち上がって奥の部屋へ向かった。向かったが、背中に冷たいものが走った。冷たいものの正体は分からない。分からないが、この奥の部屋には何かがある。何かがあるが、アンケートなら答える。答えないと帰れない。帰れないとヒョロとジャガが外で待つことになる。待つ時間が長くなる。長くなるとジャガの手帳に記録される。記録されるのは嫌だ。
「お願いします」
俺は奥の部屋へ足を踏み入れた。