囮の実力者になりたくて!Return15   作:ボルメテウスさん

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ピタゴラ誘拐

チョコレートを誰に渡すか。その問題が俺の午後を支配していた。

 

机の上に箱がある。ミツゴシ商会の試供品。一粒入りの高級チョコレート。ガンマから押しつけられた代物だ。渡す相手を決めかねて三日が経つ。三日だ。チョコレート一粒で三日も悩む人間が他にいるか。

 

「エロゲ。まだ悩んでるの」

 

シドが窓際の席から声をかけてきた。頬杖をついてこちらを見ている。その顔に同情はない。完全な野次馬だ。

 

「悩んでない。考えてるだけだ」

 

「同じだよ」

 

「違う。悩みは感情で考えは論理だ」

 

「論理で三日かかる問題じゃないでしょ。一粒のチョコレートだよ」

 

「一粒だからこそだ。一粒に込める意味を考えろ」

 

「重いよ」

 

「重くない」

 

「重い。もらう側も重いよ。一粒に三日分の意味を込められたら」

 

シドの言い分にも一理ある。一理あるが認めたくない。

 

「じゃあお前はどうするんだ。もしお前にチョコを渡すとしたら」

 

「僕に? 僕はモブだからね。チョコは要らないよ」

 

「要らないのか」

 

「要らない。モブはチョコをもらう立場じゃない」

 

「もらう立場って何だ」

 

「目立つ立場だよ。チョコをもらうと周りから見られる」

 

「お前はもう十分見られてる」

 

「見られてないよ。モブだから」

 

シドがさらりと言った。この男は自分がモブだと言い張るが、実際は教室で一番目立つ位置にいる。窓際の後ろから二番目。目立たない位置のようで、実は一番目立つ位置だ。気づいている人間は少ない。

 

「シド。お前本当にモブになりたいのか」

 

「なりたいよ。目立たない静かな学生生活を送りたい」

 

「それでチョコは要らないと」

 

「要らない。もらったら目立つからね」

 

「モブの理論は分かった。だが俺は渡す相手を決めないといけない」

 

「誰でもいいんじゃない」

 

「誰でもよくない。一粒だからこそ選ぶ必要がある」

 

「選ばなくてもいいよ。自分で食べれば」

 

「自分で食べるためなら三日も悩まない」

 

「じゃあ誰に渡すの」

 

「それが分からないから悩んでるんだろ」

 

シドが笑った。笑いながら窓の外を見た。外は晴れている。晴れた日の午後は誘枴に適している。なぜか知らないが、俺が誘枴されるのは晴れた日が多い。

 

「エロゲ。君が悩むと面白いことが起きるよね」

 

「面白いことって何だ」

 

「分からないけど、面白いこと」

 

シドの予言は当たる。当たるが、当たる理由は予知能力じゃない。俺の周りで面白いことが起きる確率が高いだけだ。

 

ふいに教室の扉が開いた。誰かが入ってくる気配。だが入ってきたのは人じゃない。

 

「え?」

 

小さな球が転がってきた。赤い球だ。床を転がり、机の脚に当たって跳ねた。跳ねた先に別の球。青い球。青い球が転がって黄色い球に当たる。黄色い球が跳ねて黒い球を押す。黒い球が天井へ飛んで照明に当たる。

 

照明が揺れた。

 

揺れた照明が天井の板を押し上げる。板が外れて落ちてくる。落ちてきた板が黒板を叩く。黒板が揺れてチョークが飛ぶ。飛んだチョークが窓を叩く。窓が開く。開いた窓から風が入る。風がプリントを舞わせる。舞ったプリントが俺の顔に当たる。

 

「何だこれ」

 

プリントを剥がす。剥がした先に縄があった。

 

縄だ。

 

いつの間に用意されたのか分からないが、縄が俺の腕に巻きつく。巻きついた縄が机の脚に結ばれる。結ばれた縄が別の机を引っ張る。引っ張られた机が倒れる。倒れた机が別の縄を引き出す。

 

連鎖だ。

 

ピタゴラスイッチのような連鎖が教室中に広がっていく。椅子が倒れ、カーテンが揺れ黒板消しが飛び、上履きが宙を舞う。

 

「エロゲ!」

 

シドの声が聞こえた。だが声の方向が分からない。プリントが顔に貼りついている。剥がす暇がない。剥がしている間に縄が増える。

 

「待て。待ってくれ」

 

誰に言っているのか分からない。縄は待ってくれない。縄は俺を縛り上げる。腕、胴、脚。ぐるぐる巻きだ。

 

やがて連鎖が止まった。

 

教室は荒れ果てている。机が倒れ、椅子が転がりプリントが舞っている。俺は縄でぐるぐる巻きにされ、床に転がっている。

 

「・・・何が起きたんだ」

 

シドが遠くから声をかけてきた。窓際の席にまだ座っている。座ったままこちらを見ている。

 

「お前、動くなよ」

 

「動いてないよ。見てただけだよ」

 

「見てただけって。助けろよ」

 

「助けるって何を」

 

「この縄を解け」

 

「解いてあげたいけど、僕はモブだからね。モブは目立たないんだよ」

 

「目立たないって。この状況で目立たないわけないだろ」

 

「目立たないよ。僕は座ってるだけだから」

 

シドが座っている。座ってこちらを見ている。その顔に焦りはない。完全な野次馬だ。

 

「お前な」

 

「でもエロゲ。これ、誰の仕業だろうね」

 

「知るか」

 

「君の周りでこういうことが起きるとしたら、誰が怪しい」

 

「全員怪しい」

 

「全員って」

 

「アルファ、デルタ、ゼータガンマ、イプシロンベータ、イータカイ、オメガ、ヴィクトーリア」

 

「多いね」

 

「多いよ。全員が俺を誘枴する動機を持ってる」

 

「動機って」

 

「分からない。だが全員怪しい」

 

シドが立ち上がった。立ち上がってこちらへ歩いてくる。歩きながら周囲を見ている。何かを探している目だ。

 

「エロゲ。この縄、普通の縄じゃないよ」

 

「どういうことだ」

 

「見て。色が違う」

 

シドが縄を指差した。指先の先、縄の色は紫色だ。普通の縄じゃない。魔力を帯びている。

 

「魔力の縄か」

 

「そうみたいだね。普通の方法じゃ解けないよ」

 

「じゃあどうするんだ」

 

「考えるしかないね」

 

シドがしゃがみ込んだ。しゃがんで縄を観察している。観察する目が真剣だ。真剣だが口元が笑っている。

 

「お前、楽しんでるだろ」

 

「楽しんでないよ。観察してるだけだよ」

 

「口元が笑ってる」

 

「笑ってないよ。モブは笑わない」

 

「モブは笑うだろ。普通の人間だろ」

 

「普通の人間は笑うよ。でもモブは控えめに笑うんだよ」

 

「控えめじゃないだろ」

 

シドの口元が完全に笑っている。控えめじゃない。完全な笑みだ。

 

「エロゲ。この縄、解くのに時間がかかりそうだよ」

 

「どのくらいだ」

 

「一時間はかかるかな」

 

「一時間もこのままか」

 

「その間に誰か来るかもしれないね」

 

「誰かって誰だ」

 

「分からないよ。でも君の周りには誰かが来るでしょ」

 

シドの言う通りだ。俺の周りには誰かが来る。必ず来る。来るのが問題だ。来た人間が縄を解くのか、それとも縛り直すのか。

 

「シド。お前はどうするんだ」

 

「僕は帰るよ」

 

「帰るのか」

 

「帰る。モブは帰る時間が決まってるからね」

 

「時間が決まってるのか」

 

「決まってるよ。夕方になったら帰るんだよ」

 

シドが立ち上がった。立ち上がって鞄を持った。持って扉へ向かう。

 

「待てよ」

 

「何」

 

「俺を置いていくのか」

 

「置いていくよ。モブは他人を助けないんだよ」

 

「助けないのか」

 

「助けないよ。助けたら目立つからね」

 

シドが扉を開けた。開けて、振り返った。

 

「エロゲ。一つだけ言っておくよ」

 

「何だ」

 

「チョコレートは自分で食べなよ。それが一番目立たないよ」

 

扉が閉まった。

 

俺は一人残された。縄でぐるぐる巻きにされて床に転がっている。教室は荒れている。プリントが舞っている。

 

(さて、どうするか)

 

考える。

 

まず縄を解く方法を考える。魔力の縄だ。普通の方法じゃ解けない。だが俺には魔力がある。あるが使えない。蛇口の壊れた貯水槽だ。

 

(使えない魔力で魔力の縄を解く方法はない)

 

次に助けを呼ぶ方法を考える。叫ぶか。叫べば誰か来るか。来るかもしれない。来た人間が助けるかは分からない。

 

(助けを呼ぶのは最後の手段だ)

 

次に自力で動く方法を考える。縄で縛られているが転がれる。転がって扉まで行けるか。行けたとして扉を開けられるか。開けられたとして廊下に出られるか。

 

(転がるのは恥ずかしい)

 

最後にこの状況を受け入れる方法を考える。受け入れて待つ。誰かが来るまで待つ。来た人間に任せる。

 

(待つのが一番安全だ)

 

だが待つのは退屈だ。退屈だが仕方ない。俺は床に転がったまま天井を見た。天井には照明がある。照明は揺れている。まだ揺れているのか。

 

ふいに廊下から足音が聞こえた。複数の足音だ。誰か来る。来た。

 

バレンタインで会うヒロインは

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