囮の実力者になりたくて!Return15 作:ボルメテウスさん
廊下を歩くこと、すでに十分程度。
正確には、歩いているのではなく、逃げているのだが。追っ手の足音が遠のいたところで、俺とニューは速度を落とした。
「…とりあえず、一旦どこか安全なところで状況を整理したいんですが」
「同意です。ですが、この区画は東棟の三階。テロリストの配置を考えると、西側非常階段が最短経路です」
「お前、この学園の見取り図、頭に入ってるのか」
「当然です。配属前に全棟の図面を暗記いたしました」
…こいつ、凄いな。配属初日で図面暗備済みとは。
俺なんか入学して三ヶ月経っても、未だに東棟と西棟を間違えるのに。
「…あぁ、うん。じゃあ西側非常階段に向かおう。ついでに、そこから出るまでの間、一応教室を回って避難遅れた生徒がいないか確認する」
「了解しました」
ニューが小さく頷く。俺たちは廊下を西へ向かって歩き出した。
静まり返った廊下。非常灯の薄緑色の光が、床に長く伸びている。俺たちの足音だけが、コツコツと響いた。
「…しかしまぁ、学園襲撃ってなぁ」
「はい」
「入学して三ヶ月でこれかよ。魔剣士学園って、こんなに危険なところだったのか」
「魔剣士を養成する機関ですので、相応の危険はつきものかと」
「いや、それにしてもだな。避難訓練一回もしてないだろ、この学園」
「しておりませんね」
「即答かよ」
即答だった。しかも少しも疑問に思っていない顔をしている。
(この子、本当に何も感じないのか)
俺たちは最初の教室の前に立った。扉は半開きになっている。
「…俺が見る。お前は廊下の警戒を」
「はい」
俺は扉に手をかけ、中を覗き込んだ。
教室は空だった。机と椅子が整然と並んでいる。特に異常はない。
「クリアだ。次」
「はい」
二教室目。空っぽ。三教室目も空っぽ。
(避難指示は機能してたってことか。まぁ、当たり前か。あれだけ騒いでりゃ誰だって逃げる)
四教室目。扉は閉まっている。
俺は扉に手をかけた。
押す。
重い。何かが、扉の向こう側で引っかかっている。
「…開かないな。鍵がかかってるか?」
「いいえ。物理的に何かが邪魔をしています」
ニューが、俺の横から手を伸ばして扉を少し押した。僅かに隙間が開く。
「…覗ける隙間はあります。エロゲ様、お気をつけて」
「あぁ」
俺は、その隙間から中を覗き込んだ。
……そして。
目が、教室の天井に行き止まった。
一瞬、何が見えているのか分からなかった。
ぶら下がっている。
天井から。
何かが、ぶら下がっている。
いや、何かじゃない。
男たちが、天井からつり上がっている。
血塗れで。
「!!??」
俺の喉から、言葉にならない音が飛び出した。
叫ぼうとした瞬間、ニューの手が俺の口を塞いだ。
「むぐっ!!」
「声を出さないでください。敵に位置がバレます」
「んぐ、んぐぐ!!」
俺は必死に顔を振った。ニューの手が離れる。
「あ、あ、あ、あ……」
「エロゲ様。呼吸を。落ち着いて」
「無理だろ!! あれ! 天井! 男たちが! ぶら下がってる!!」
「はい。確認しております」
「確認してんのかよ!! あれ普通にホラーだろ!! 心臓止まるかと思ったわ!!」
俺は扉から飛び退いた。背中が冷たい壁に当たる。心臓がバクバク言っている。
(何だあれ! 何だよあれ!! 天井から吊るされてるって何!! 人間ドーナツかよ!!)
「いや、待て。あれ、死んでるのか」
「おそらく気絶していますが、死んでいないかと」
「気絶してるだけかよ! じゃあなんで天井に吊るされてんだよ!」
「誰かが制圧したのでしょう」
ニューは、涼しい顔で言った。
「誰かって、誰が」
「分かりません。ですが、制圧の手法が洗練されています。素人ではない」
「洗練って、あの状況で洗練とか言うなよ。血だらけだぞあれ」
「血は多くありません。見た目より軽傷です」
「お前、あれを見て『見た目より軽傷』とか言えるのか」
「はい。実戦経験があれば判断できます」
俺は、改めてニューを見た。
眼鏡の奥の瞳が、静かに光っている。
(…こいつ、平気なんだ)
俺が腰を抜かしかけているのを、こいつは冷静に観察している。
「…お前、強いよな」
「護衛ですので」
「いや、護衛以前にお前、普通に怖くないのか」
「怖いです。ですが、今は状況把握が優先です」
ニューは、そう言ってから、ほんの少しだけ視線を落とした。
「…それに、エロゲ様が叫ばなかったら、私も叫んでいたかもしれません」
「…は」
俺は乾いた笑いを出した。
(なんだよそれ。お前だって怖いんかい)
でも、不思議と少しだけ、心臓の音が落ち着いた。
俺が叫びそうになった瞬間。
天井から、影が降ってきた。
「わぁっ!?」
ビクッと身体が跳ねる。ニューの手が反射的に俺の前に出る。
黒い影。スライムボディスーツに、長いコート。顔はフードで隠れている。
(…あぁ、この組み合わせ。見覚えがありすぎる)
「シャドウ様!」
ニューが驚愕に目を見開いた。
「もしかして、これはシャドウ様が!」
「おや、お気づきになりましたか」
低く、芝居がかった声。シドだ。いや、シャドウだ。ややこしい。
「やはり、貴方のお手並みだったのですね。完璧な制圧でした」
「ふふ、陰に潛み、陰を狩る者。敵の気配を感じ取り、このような場を用意するのも我の務め」
(用意するのも務めって何だよ。務めじゃねぇだろ。ていうか天井に男をぶら下げるのが務めなのか?)
シドが、天井を指差した。男たちが、ぐらぐらと揺れている。
「我が影の手により、敵は制圧済み。ご安心を」
「流石でございます。天井に吊るすとは、敵に恐怖を刻みつけるための演出でしょうか」
「その通り。恐怖こそが、敵を縛る最強の鎖なのだ」
ニューが、感心したように頷く。
(やめろ。信じるな。あいつの言うことを真に受けるな。あいつの言動に深い意味なんてない。あるわけがない)
俺は、こめかみを押さえた。
「…おい、シド」
「何かな?」
フードの奥から、笑いを含んだ声が返ってくる。
「なんでこんなことしてるんだよ」
俺はできるだけ小さな声で言った。ニューに聞こえないように。
「…ホラー映画を再現したくて、つい」
「…は?」
「天井に吊るされた死体。定番だろう? 前に君が話していた、あの作品の」
「あの作品ってお前、俺が暇つぶしに話しただけだろ! それを実践するなよ!」
「でも、なかなか迫力があったよ。天井に吊るすだけでも、結構映えるんだね」
「映えるとか言ってる場合か! 人が気絶してるんだぞ!」
「気絶してるだけだし。死んでないし」
「死んでないからいいって問題じゃねぇ!」
俺は床に額を擦りつけた。
「お前なぁ…」
(なんでだよ。何で俺の話を真に受けて実践するんだよ。お前のそういうところが一番怖いんだよ)
「エロゲ様?」
背中から、ニューの声が降ってくる。
「どうなさいました? 床に伏して」
「…いや、ちょっと色々とあってな」
「何か問題でも?」
「問題の塊が、目の前に立ってるよ」
俺は顔を上げた。シドが、心底楽しそうにこちらを見下ろしている。
「君もやりたかったら、次は君の番だよ」
「やらねぇよ! 絶対やらねぇ!」
「残念。君の演技力なら、もっと迫力のあるシーンが作れたのに」
「演技力じゃねぇ! 人間扱いしてやれ!」
ニューが、きょとんとした顔で首を傾げた。
「…お二人とも、仲がよろしいのですね」
「よくない」
「よくないね」
俺とシドが同時に否定した。
「えっ、そうでしたか? てっきり、深い信頼関係で結ばれておられると」
「誤解だ。こいつはただの変人だ」
「僕も、エロゲとは趣味が合わないんだ」
「趣味が合わなくてよかったわ…」
俺は立ち上がった。膝についた埃を払う。
天井の男たちは、まだ揺れている。
(ホラー映画を再現したくて、つい。つい、じゃねぇよ。ついで天井に人を吊るすな)
「…で、この後どうするんだ」
「とりあえず、ここを離れよう。敵の増援が来るかもしれない」
「じゃあ、さっさと移動するぞ」
俺は教室を出た。
背後で、シドの声がする。
「あ、エロゲ」
「何だよ」
「次は、床に埋めるシーンもやってみたいんだけど」
「やめろ!」
俺は全力で廊下を走り出した。
(こいつ、本当にいつか本気で怖いことしそうだ)
背後で、ニューの声が聞こえる。
「シャドウ様、床に埋めるというのは、具体的にどのような手法で…」
「あぁ、それはね」
「やめろぉぉぉ!!」
俺の絶叫が、廊下に響き渡った。
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