囮の実力者になりたくて!Return15 作:ボルメテウスさん
「…で、始まるんだよな」
「始まりますよエロゲ様。もうすぐ」
ベータの声が少し弾んでいる。俺の隣で、彼女は観覧席の柵に身を乗り出していた。銀髪が風に揺れる。
コロシアイの観覧席。石段に切り出された段差状の座席が、アリーナを三方から囲んでいる。俺たちはその中段あたりに座っていた。下の方よりは視野がいいし、上の方よりは風が通る。ベータが選んだ席だ。
「で、何が始まるんだって?」
「女神の試練です。さっき説明しました」
「したか?」
「しました。三回」
「三回も?」
「はい。一回目はホテルで二回目は道中三回目は今席に着いた直後に」
「…記憶にない」
「でしょうね」
ベータが呆れたようにため息をついた。隣でシドがけらけらと笑っている。
「エロゲ、相変わらずだねぇ」
「うるさい。お前だって半分くらいしか聞いてないだろ」
「半分は聞いてるよ。僕は礼儀正しいから」
「礼儀正しいやつが入学手続きを勝手に代筆したりしないだろ」
「あれは親切だよ」
「親切じゃない」
俺とシドが言い合っている間に、アリーナの中央で何かが動き始めた。光だ。魔法陣が地面に広がって、空気の温度が変わる。
「あっ、始まります」
ベータが身を乗り出す。俺はあくびを噛み殺した。
「…で、あれが何なんだ?」
「試練の始まりです。召喚陣が展開しています」
「召喚陣。ふーん」
ふーん、と言いつつ、俺の視線はアリーナではなく観覧席の方に向いていた。向こう側の席に、パンを売る屋台が出ている。いい匂いだ。朝から何も食べてない。
「エロゲ様、こちらです。あちらではありません」
「分かってる」
「分かっていません。パン屋を見ています」
「見てない」
「見ています。目線で分かります」
「…この子、目線追跡してくるな」
「当たり前です。護衛ですから」
ベータが、すっと背筋を伸ばしてアリーナに向き直った。その肩が、わずかに緊張している。
(…真面目だな)
俺はため息をついて、同じ方向を向いた。
アリーナの中央で、光が膨れ上がっている。戦士の霊を召喚する、とベータが言っていた。過去の偉大な戦士の霊が、参加者の実力に見合った形で現れる。
「…で、誰が出てくるんだ?」
「分かりません。実力に見合った霊が召喚されますから」
「実力に見合った、か」
俺は膝に肘をついて、頬杖をついた。
「俺には関係ない話だな」
「関係はあります。観戦していますから」
「観戦って言っても、俺には何が起きてるか半分も分かんないぞ」
「分からなくても見てください」
「なんで」
「雰囲気がいいからです」
「雰囲気…」
ベータが、にっこりと笑った。納得できないが、反論する気力もない。
アリーナで光が弾けた。人影が浮かび上がる。白い霧の中から、何かが形を成していく。
「…おぉ」
シドが、隣で感嘆の声を上げた。珍しく目が覚めている。
「すごいねぇ。あれが戦士の霊か」
「はい。あの霧の中から現れるのです」
ベータが身を乗り出す。俺はあくびを噛み殺した。
「…へぇ」
へぇ、と言いつつ、俺の意識は半分くらいパン屋の方に飛んでいた。
「エロゲ様」
「ん?」
「寝ないでください」
「寝てない」
「目が寝ています」
「寝てない。起きてる」
「では目を開けてください」
「開けてる」
「半分です」
「半分で十分だろ」
「不十分です。全部開けてください」
「…はいはい」
俺は無理やり目を開けた。アリーナで何かが動いている。霧の中から、人影が出てきた。鎧を着た何か。剣を持った何か。
「…で、あれが何だって?」
「戦士の霊です。五回説明しました」
「五回に増えてる」
「さっきので四回です。これで五回」
「多くない?」
「多くありません。必要な回数です」
ベータが、きりっとした表情で俺を見た。青い瞳が、真剣だ。
(この子、本当に試練を見に来たんだな)
俺は、こっそりため息をついた。
アリーナで戦闘が始まった。鎧の霊が剣を振る。参加者と思われる人物がそれを受け流す。金属音が響く。
「…すごいな」
シドが呟いた。素直な感想だ。珍しい。
「はい。あの参加者、実力者です。霊の格も高い」
「へぇ」
俺も相槌を打った。打ったけど、正直よく分からない。剣を振って、剣を防いで、また振って。それの繰り返しだ。
(何が何だか)
「エロゲ様」
「何だ」
「あの霊の剣技、見えますか?」
「見えてる。剣振ってる」
「振っています。ですが、あの切り上げから袈裟斬りへの流れ——」
「知らない」
「見ていませんね」
「見てる」
「見ていません。目が泳いでいます」
「泳いでない」
「泳いでいます。パン屋の方に」
「…なんで分かるんだよ」
「エロゲ様の目は正直です。お腹が空いている時は必ず食べ物の方を見ます」
「…凄いなお前」
「観察です。護衛の基本です」
ベータが、すっと視線をアリーナに戻した。俺もつられてそちらを見た。
戦闘が続いている。参加者が、霊の剣を弾き返した。光が弾ける。
「…すごいな」
「はい。ですが、あの一合で勝負は決まりましたね」
「分かるのか?」
「剣の角度で分かります」
「角度…」
俺には角度なんて分からない。ただの剣に見える。
「エロゲ」
「あ?」
シドが隣から突っついてきた。
「寝てるよねぇ、君」
「寝てない」
「寝てる。目が完全に閉じてる」
「開けてる」
「開けてない。さっきから」
「…嘘だ」
言われてから気づいた。いつの間にか、目が閉じていた。
「エロゲ様」
「はい」
「寝てください」
「いや寝てな——」
「寝ていいです。ですが、いびきは最小限に」
「いびきかいてない」
「かきます。絶対に」
「かかない」
「かきます。過去十回のデータがあります」
「データまであるのかよ」
「あります。観戦中のいびき発生率、百分之八十二」
「高い!」
「高いです。なので寝てもいびきは抑えてください」
「抑えるんだよ」
俺は観覧席の石段に背を預けた。石がひんやりとしている。気持ちいい。
「…五分だけ」
「五分ですか」
「ああ。五分だけ寝る」
「では五分後に起こします」
「頼む…」
俺の意識が、ゆっくりと沈んでいく。
アリーナの歓声が、遠くなっていく。
(平和だな…)
そう思いながら、俺は目を閉じた。
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