囮の実力者になりたくて!Return15 作:ボルメテウスさん
目を開けると、白かった。
天井が白い。壁が白い。床が白い。いや、そもそも天井と壁と床の区別がつかない。どこもかしこも真っ白だ。蛍光灯の明かりみたいに均一な光が、空間全体を満たしている。
「…どこだここ」
声が反響しない。普通、部屋で声を出せば少しは跳ね返るもんだろ。どこまで続いてるんだ、この空間。
「エロゲ」
「あ?」
デルタが隣にいた。狼の耳がぴくぴく動いている。尻尾が、なんとなくダウンしていた。
「ここ、変」
「変だな。白すぎる」
「違う。匂いない」
「匂い?」
「うん。匂い、ない。全然ない」
デルタが鼻をひくつかせた。何度も。犬が散歩中で新しい匂いを拾おうとする時みたいに。いや、犬じゃなくて狼か。獣人だもんな。
「匂いがないって、全くか?」
「全然。エロゲの匂いもない」
「俺の匂い」
「うん。いつもならする。汗と、魔力と、変な匂い」
「変な匂いって何だよ」
「知らない。変な匂い」
「変な匂いの中に俺の魔力が含まれてるのかよ」
「含まれてる。エロゲは変な匂い」
「お前な、褒め言葉に聞こえないから言い直せ」
「褒めてない」
即答かよ。
俺は周りを見渡した。白い。やっぱり白い。目印になるものが何もない。家具も、柱も、窓もない。ただ白い空間がどこまでも続いている。
「デルタ」
「何」
「お前、ここがどこか分かるか?」
「分からない」
「匂いで分かんないのか?」
「分からない。匂いがないから」
「匂いがない場所ってあるのかよ」
「ない。初めて」
デルタが、不安そうに耳を伏せた。あの無敵のデルタが不安な顔をしてる。それがちょっと怖い。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫。でも、匂いがない。嫌い」
「嫌いって言われてもな。俺も嫌だよこんな場所」
「エロゲは平気?」
「平気じゃない。めちゃくちゃ嫌だ」
「嘘。顔、平気」
「平気な顔してるだけだ。内心パニックだ」
「パニック?」
「パニック。心の中で叫んでる」
「聞こえない」
「聞こえるわけないだろ。心の中だから」
「デルタも叫ぶ」
「叫ぶな。余計怖くなる」
デルタが小さく唸った。喉の奥から漏れる低い音。狼が警戒している時の出音だ。
「とりあえず歩いてみるか」
「歩く。どこ?」
「分からない。とりあえず前」
「前が分からない」
「俺も分からない。でも立ってても始まらないだろ」
「そう」
俺は足を踏み出した。靴の音が、しない。石畳の感触もない。床があるのかどうかすら分からない。でも足は沈まない。見えない床の上を歩いているだけだ。
「ついて来いよ」
「ついてく」
デルタが俺の後ろにぴったりと付いてきた。尻尾が俺の腿を掠めた。
「おい、くっつきすぎだ」
「くっつく。匂いがないと迷子」
「お前は狼だろ。方向感覚くらい」
「匂いがないと迷子」
「匂い関係あるかよ方向は」
「ある。デルタは匂いで歩く」
「犬並みだな」
「狼」
「同じだろ」
「違う。狼の方が強い」
「はいはい」
歩いても歩いても、景色が変わらない。白い。ただ白い。前方に影が出るわけでもない。後ろに何かがあるわけでもない。
「なぁデルタ」
「何」
「あの魔方陣、何だったと思う?」
「知らない」
「俺も知らない。でも、俺の背中に出たんだよな」
「うん。光ってた。背中」
「あれって俺の魔力が何か反応したってことか?」
「かもしれない。エロゲの魔力、変だから」
「変って何だよ」
「変。いっぱい。多すぎ。おかしい」
「おかしいと言われる筋合いは」
「おかしい。事実」
「事実でも傷つくもんは傷つくんだよ」
デルタが小さく鼻を鳴らした。笑ってるのか。たぶん笑ってる。
「で、どうする」
「どうするって」
「脱出。ここから出る方法、考えるだろ」
「デルタは狩る」
「狩るって何を。何もいないだろ」
「何かいる。いるはず」
「いないだろ。白いだけだ」
「いる。必ず」
デルタの目が据わっていた。野生の目だ。獲物を探す時の目。でも、ここには何もいない。何もない。
「お前のそういう勘は当たるのか?」
「当たる。いつも」
「じゃあ何かいるのか」
「いる。でも匂いがない」
「匂いがないのにいるのか?」
「いる。でも変。ここ、全部変」
デルタが立ち止まった。耳が立ち、尻尾が強張る。
「エロゲ。止まって」
「止まった。何だ」
「足音」
「足音?」
俺は耳を澄ました。何も聞こえない。いや、聞こえないように聞こえるだけで、実際は何かが──
「聞こえるか?」
「聞こえない。でも変」
「変って何が」
「空気が。動いてる。向こう」
デル塔が指差した。白い空間の、果てのない果ての方を。
「俺には何も見えないぞ」
「徳爾塔も見えない。でも分かる。あそこ、何かいる」
「あるのか、見えない何かが」
「ある。エロゲの魔力、呼んでる」
「俺の魔力が?」
「うん。あの光、エロゲの魔力と同じ。匂いは違うけど」
「匂いがないのに同じって何だよ」
「分からない。でも同じ」
俺はため息をついた。ため息さえ反響しない空間。
「…とりあえず、あっちに行ってみるか」
「行く。でも用心」
「お前が用心とか珍しいな」
「匂いがないから。用心する」
「用心する側に回られると逆に不安なんだが」
「不安なら後ろにいろ。デルタが前」
「お前が前に出ると余計危ないだろ」
「デルタは頑丈」
「頑丈でも死ぬ時は死ぬんだよ」
「死なない。エロゲも死なない」
「お前が決めるな。俺の生死は」
「徳爾塔が決める。ボスの次にエロゲは死なせない」
「…なんかそれ、妙に嬉しいな」
「嬉しいなら生きて」
「生きてるよ」
俺は白い空間の奥へ目を凝らした。何も見えない。ただ白い。でも徳爾塔がそう言うなら、何かがあるんだろう。
歩くこと数十歩。いや、数百歩かもしれない。距離の感覚がない。白い空間では歩いている実感すら湧かない。
「エロゲ。あれ」
デルタが止まった。耳が前に向いている。尻尾が強張った。
俺も止まった。目を凝らす。
白い空間のどこかに、影があった。
「……あ」
影だ。初めて色がついたものを見た。
近づくにつれて形が見えてくる。椅子だ。それも、やけに立派な肘掛け付きの椅子。そしてその椅子に——
人が座っていた。
しかも、鎖で完全に拘束されている状態だ。
「人だ」
「人。でも変」
「変って」
「匂いがない」
「お前の匂い基準はもういいとして」
俺は近づいた。十歩、五歩、三歩。
座っていたのは女性だった。長い黒髪が椅子の背もたれから流れ落ちている。紫色のドレスの上に薄い黒いローブ。透けるような白い肌。整った——いや、整いすぎた顔。彫刻みたいな顔だ。
そして、両手が鎖で椅子に繋がれていた。
「…………」
俺は立ち止まった。
デルタが横で鼻をひくつかせている。
「エロゲ。これ何」
「知らん」
「知らん。でも何」
「だから知らんって。俺が知ってるわけないだろ」
「エロゲの知り合い?」
「違う。誰だこれ」
「誰」
デルタが小首を傾げた。狼耳がぷるぷる揺れる。
俺は改めて女性を見た。鎖で拘束されている。椅子に座らされている。白い空間に一人で。
「…………」
「…………」
「…………」
「……エロゲ。何黙ってる」
「黙ってない。考えてる」
「何考えてる」
「諸々」
諸々だ。色々ある。色々ありすぎる。
まず、ここは白い空間だ。目印がない。家具もない。その中に、椅子が一つだけある。しかも肘掛け付きの立派なやつだ。その椅子に、見たこともない女性が座っている。両手を鎖で繋がれて。
「……なぁデルタ」
「何」
「こういうの、何て言うんだ」
「何て」
「いや、だから。椅子に座ってて。鎖で繋がれてて。白い空間に一人で」
「捕まってる」
「捕まってるのか?」
「鎖。繋がれてる。捕まってる」
「論理的だな」
「デルタは論理的」
「論理的だったのかお前」
俺は腕を組んだ。女性は動かない。目を閉じている。寝ているのか、気絶しているのか。
「で、何で捕まってるんだよ」
「知らない。エロゲが知ってるはず」
「何で俺が知ってる前提なんだよ」
「エロゲの魔力で呼ばれた。エロゲの知り合い」
「俺の知り合いにこんな人いないよ」
「いるかも」
「いない。絶対いない。俺の知り合いで鎖に繋がれてる奴なんか——」
「……いない?」
「いない。当然だろ」
「じゃあ何」
「だから俺が聞いてんだよ」
俺はため息をついた。
目の前の女性は、文句のつけようがないくらい綺麗だった。黒髪が濡れたように光っている。白い肌は作り物みたいに滑らかだ。鎖の手錠が、手首に食い込んでいる。その手首が、痛々しいほど細い。
「……なぁ」
「何」
「俺ってさ、こういうの好きなタイプだったか?」
「は?」
デルタが素っ頓狂な声を上げた。耳がぴくりと動く。
「いや、だから。さっきの魔方陣、俺の背中に出たんだろ。俺の魔力で呼ばれたんだろ。だったら、俺が呼んだってことだろ」
「呼んだ」
「呼んだんだよ。で、何を呼んだかって言うと」
「女」
「女だ。しかも鎖で繋いで」
「繋いで」
「……繋いでる」
俺は頭を抱えた。
「俺の無意識、何考えてんだよ」
「エロゲの無意識。変」
「変だろ。いや、変なんだよ。絶対」
「エロゲは変なやつ」
「お前に言われたくない」
「デルタは正常」
「どこがだよ。狼耳生えてる時点で正常じゃないだろ」
「狼耳は正常。種族的に」
「そういう問題じゃない」
俺はもう一度女性を見た。やっぱり綺麗だ。鎖で拘束されている。白い空間に一人で。
(……あぁ、ダメだ。これ、完全にそういうシチュエーションだ)
俺の勘違いが深まっていく。いや、勘違いじゃないかもしれない。俺の魔力が呼んだんだ。俺の無意識が望んだんだ。それが、鎖で拘束された美人ってことだ。
(……俺ってそんなやつだったか)
前世の記憶を探る。いや、前世にそんな趣味はなかったはずだ。多分。たぶん。記憶が曖昧だ。
「エロゲ。顔赤い」
「赤くない」
「赤い。匂いも変」
「匂いまで監視すんな」
「汗の匂い。増えた。汗かいてる」
「かいてない」
「かいてる。嘘」
デル塔が鼻を近づけて嗅いだ。近い。顔が近い。狼の鼻息が頬にかかる。
「離れろ!」
「離れない。匂い変。何考えてる」
「何も考えてない」
「嘘。顔で分かる」
「何が分かるんだよ」
「エロゲが何か企んでる」
「企んでない。純粋に困惑してるだけだ」
「困惑と企みは似てる」
「似てない」
「デルタには似てる」
「お前の基準だぞそれ」
俺は視線を女性に戻した。目を閉じている。呼吸は浅い。生きてはいる。
「……起きないな」
「起きない。寝てる」
「寝てるのか、気絶してるのか」
「同じ」
「同じじゃない」
「デルタには同じ」
「お前の基準はゆるすぎるんだよ」
俺は女性の前にしゃがみ込んだ。近くで見ると、さらに彫刻みたいな顔だ。長い睫毛。閉じた目のラインが、綺麗だ。鎖が手首でカチャリと鳴った。
「……なぁ」
「何」
「これ、外せるかな」
「外す?」
「いや、外すっていうか。鎖、外せるかなって」
「外してどうする」
「どうするって。自由にしてやるだろ。可哀想だろ」
「可哀想」
「お前、分からないか。鎖で繋がれてるんだぞ。ずっと」
「……可哀想」
だろ。と俺が頷いた瞬間、デルタの目が据わった。
「でもエロゲ。匂い。興奮してる」
「してない!」
「してる。汗と、心拍、速い」
「速くない」
「速い。嘘。デルタには分かる」
「お前の嘘 detector だか lie detector だか、いい加減壊れてないか」
「壊れてない。エロゲが壊れてる」
「俺は壊れてない」
「壊れてる。女を見て顔赤くしてる。変な匂い出てる」
「変な匂いって何だよ」
「変な匂い。男の匂い。発情期みたいな」
「発情期って言うな!」
俺は声を上げた。白い空間に声が吸い込まれる。
「……とりあえず」
「とりあえず」
「ここから出る方法を探す」
「出る。どうやって」
「どうやってって言われてもな。鎖を外すか、出口を探すか」
「鎖、デルタが切る」
「切るな! 切ったら怒られるだろ」
「誰に」
「この人に。起きたら怒られる」
「怒られない。助けたから」
「助けたってお前が勝手に鎖切ったら、それは助けじゃなくて暴行だろ」
「……暴行」
「暴行だ。鎖切るのは暴行」
「じゃあ、外さない」
「外さない。とりあえずこの人を起こして、ここがどこか聞く」
「聞く。でも起きないかも」
「起きないなら、その時考える」
俺は女性の肩に手を伸ばした。華奢だ。細い肩。
(触るの、ためらわれるな)
(いや、ためらう理由がないだろ。困ってる人を助けるのは当たり前だ)
俺は肩を軽く揺すった。
「……おい。起きてるか」
反応がない。
「おい。起きてるかって」
反応がない。
「おいって」
「……」
あ。今、かすかに。呼吸が変わった気がした。
「エロゲ。起きた」
「分かってる。起きてる。見てる」
女性の唇が動いた。
「……面倒な子たちね」
「は?」
俺とデルタが同時に声を上げた。
バレンタインで会うヒロインは
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アルファ
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ベータ
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ガンマ
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デルタ
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イプシロン
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ゼータ
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イータ
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ニュー
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