囮の実力者になりたくて!Return15 作:ボルメテウスさん
城の研究室に金属器具が触れ合う涼やかな音が響いていた。
机の上には記録用紙が積み上げられ、空いた測定台が中央に置かれている。イータはゴーグルを額に上げたまま、俺の衣服に小さな装置を取り付けていた。
「連れ去られた時、周りに知らせたいんだ。俺が魔力を使わなくても動くやつ」
ガンマとの脱出事件から数日が経っている。あの後も誘枴対策は十分重要的な課題だ。俺は真面目に相談しに来た。
「……まず、反応を見る」
イータの手が止まらない。装置を俺の襟に固定し、次に腰のベルトへもう一つ取り付けた。返事が短い。いつものことだが、相談しに来たはずなのに実験台にされている予感がする。
「イータ。聞いてるか?」
「……聞いてる。動くと鳴る。……これ」
彼女が半開きの瞳で装置を指差した。携帯警報器の試作品らしい。
「持ち上げられた時に鳴る?」
「多分」
「多分じゃなくて確証をくれ」
「確かめる」
言うが早いかイータが俺の腕を掴んで測定台へ引き寄せた。
「説明より先に持ち上げるな!」
ピピピピピピッ!
鋭い電子音が部屋中に響き渡った。俺の身体が宙へ浮いた瞬間、警報が作動した。
「……反応あり」
イータが手元の記録用紙に何か書き込んでいる。俺を下ろしたまま。
「おい!」
「……次。方法を変える」
イータが俺の腰を抱えるようにして持ち上げた。
ピピピピピピッ!
「俺は荷物じゃねえ!」
「……記録。抱え上げでも反応。……良い」
良いじゃない。俺の抗議は記録用紙の裏にでも書かれたのだろうか。イータは俺を測定台の上に載せた。足が宙に浮いている。椅子が欲しい。
「椅子を借りるぞ」
近くにあった椅子を引いて測定台の横へ置いた。座った。ほっとする。
「……まだ。腕を引いて」
「なぜ」
「記録が必要」
イータが俺の右腕を掴んで測定台の方へ引っ張った。
ピピピピピピッ!
「お前な、俺の意思を確認せんか」
「……意思は後。反応が先」
俺は測定台に引き寄せられたまま椅子ごと滑っていった。座っていたはずの椅子がいつの間にか測定台の真横にある。戻りたい。
「イータ。俺が欲しいのは、誘枴された時に周囲に知らせる道具だ。俺が運ばれる実験台じゃない」
「……同じ。……動いたら鳴る。誘枴でも実験でも」
論理が完璧すぎて反論しづらい。だが問題はそこじゃない。
「お前が俺を運んで鳴らしてるのは、装置の試験じゃなくて俺の搬送試験だろ」
「……同じ」
「同じじゃない! 俺が動きたくない時に動かしてる点が違う!」
イータが小首を傾げた。長い茶色の髪が揺れる。理解していない顔だ。いや、理解した上で後回しにしている顔だ。
「……もう一つ。足を浮かせて」
「嫌だ」
「記録に必要」
「俺の怒りの記録も必要だぞ。あと三秒で帰る」
俺は椅子ごと出口へ向かって足で床を蹴った。ガタガタと音がして椅子が動く。研究室の出口が見える。あと五メートル。
「……まだ」
イータの手が俺の椅子の背を掴んだ。ぐいと引き戻される。 Jetcoasterだ。
「離せ!」
「……最後」
「毎回最後だろ!」
イータが俺の両脇に手を入れて測定台へ戻そうとした。
ピピピピピピッ!
「……反応あり」
「あたり前だ! お前が動かしてるんだから!」
イータが手元の記録用紙に書き込む。俺は測定台の上で座らされた。また足が宙に浮いている。
「……精度、高い」
「精度じゃない! お前が俺を運んでるだけだ!」
「……移動検知、正常。……警報、正常。……起動判定、正常」
イータが記録用紙を見つめて頷いている。全ての項目に丸がついているらしい。確かに装置は正常だ。俺が動くたびにちゃんと鳴る。だが。
「装置の判定、今のところ全部正しいぞ!」
俺は声を張り上げた。イータが顔を上げた。半開きの瞳が少しだけ開いた気がする。
「……正しい?」
「正しいとも。お前が俺を勝手に持ち上げるたびに鳴ってる。装置の欠陥じゃなくて、お前の実験計画に欠陥がある!」
イータがゴーグルを直した。長い沈黙の後、彼女は小さく頷いた。
「……データは揃った。改良する」
「改良じゃなくて、俺の同意を取れ」
「……それも」
それも、じゃない。イータは既に次の設計図を頭の中で描いているらしい。俺の抗議は記録用紙の余白に「同意:検討中」とでも書かれたのだろう。
帰ろうとして椅子を出口へ向けた。イータの手がまた伸びる。測定台へ引き戻される。
ピピピピピピッ!
「……もう一回」
「もう一回じゃねえ! もう帰る!」
イータが記録用紙に書き込んでいる。俺は警報音を背に椅子を蹴った。
イータが机の端を押して警報を止めた。電子音が切れ、研究室に静寂が戻る。
俺は椅子を引き寄せて座り直した。測定台の上じゃなく、床の上に。ここが俺の席だ。イータの手が届かない距離ではないが、少なくとも彼女が腕を伸ばせば届くという距離でもない。この数センチが交渉の地盤だ。
「イータ」
「…なに」
「装置は動いてる。それは分かった」
俺は腰のベルトに取り付けられたままの試作品を指差した。
「だな?」
「…うん」
「運べたかどうかだけで安全だったことにするな」
イータの手が記録用紙の上で止まった。半開きの瞳がこちらを向く。
「…ほかに何を見る?」
「俺の返事と、痛いって言った時に止まるか」
イータが小首を傾げた。茶色の髪が揺れる。
「…返事」
「そう。次に何をするか言ってから手を出せ。俺がいいと言ったらやれ。嫌だと言ったら止めろ。痛いと言ったら離せ」
俺は指を三本立てて順に折った。
「三つだけだ。簡単だろ」
「…簡単」
イータが机の上を見た。記録用紙と、工具と、小さなスイッチの部品が並んでいる。彼女の手が部品の中から一つを拾い上げた。
「これ。ここ」
イータが俺のベルトの装置へ小さなスイッチを仮接続した。指先で押せる位置だ。俺の手が届く。
「なんだこれ」
「…一時解除。押してる間は鳴らない」
「俺が止められるってことか」
「うん。もう一つ。これ」
イータがもう一つのスイッチを取り付けた。今度は襟の方だ。
「手動警報。押すと鳴る」
「俺が自分で鳴らせる」
「うん」
二つのスイッチ。止める方と鳴らす方。俺は指で押してみた。カチッという小さな感触。警報は鳴らない。離すとまた検知が有効に戻るはずだ。
「試すぞ」
「…うん」
俺はスイッチを押したまま立ち上がった。静かだ。装置が黙っている。
「反応は?」
「ない。解除中」
「よし」
スイッチを離す。装置が再び動き出した気配はないが、検知は有効に戻っているはずだ。
「今度は俺の許可を取ってから動かせ」
「…許可」
「そう。次の試験の内容を言って、俺が頷いたらやる」
イータが俺の顔を見た。長い沈黙。ゴーグルの奥で瞳が動いている。計算しているのだろう。拒否され続けるより、条件付きで協力させた方が記録が揃う。そう判断したはずだ。
「…分かった」
短い。だが初めて俺の条件を呑んだ。
「次。持ち上げる。良い?」
「いいよ」
イータの手が俺の脇に伸びた。今度は腕を掴むのではなく、ゆっくりと支えるように。持ち上げられる。足が床から離れる。
静かだ。スイッチを押しているわけではない。だが警報は鳴らない。
「…反応なし」
「なんでだ」
「一時解除じゃない。…本人が了承してるから」
イータが小さく首を傾げた。
「…判断基準、未解決」
俺にも分かっていた。装置は意思を読めない。俺が了承したから鳴らないのではなく、イータが手加減してくれているだけかもしれない。だが記録上はこうなる。
「俺が嫌がってない時に鳴らされても困るだろ。誘枴された時だけ鳴ればいい」
「…そう」
イータが俺を下ろした。足が床に着く。椅子に座り直す。
「次。俺が止めてから持ち上げる。良い?」
「いいよ」
俺がスイッチを押す。イータが持ち上げる。警報は鳴らない。これも同じだ。
「じゃあ今度は俺が止めずに、勝手に持ち上げてみろ」
「…嫌がる」
「それでいい。やれ」
イータの手が俺の腕を掴んだ。引かれる。俺はスイッチを押していない。
ピピピピピピッ!
「止まれ」
イータが手を離した。即座に音が止まる。
「…反応あり。手動解除で停止」
「これでいい」
俺は椅子に座った。警報が鳴る時と鳴らない時の違いが確認できた。本人が了承して一時解除した運搬では静か。本人が止めていない状態で動かされれば鳴る。手動で鳴らすことも止めることもできる。
完璧じゃない。装置は俺の意思を読めないから、誘枴と救助の区別もつかない。だが少なくとも俺が自分で判断してスイッチを押せる。それだけでも前よりずっとましだ。
「もう一――」
イータが口を開きかけて、俺の視線に気づいた。
「…確認してもいい?」
「いいよ」
言い方が変わった。それだけのことだが、椅子の背を蹴って出口へ逃げる回数は減りそうだ。
イータが記録用紙に書き込んでいる。俺は立ち上がって襟の装置を確認した。二つのスイッチ。止める方と鳴らす方。どちらも俺の手が届く。
「イータ。これで終わりか?」
「…今日は」
「じゃあ帰るぞ」
俺は椅子を元の位置へ戻した。研究室の出口へ向かう。廊下が見える。今日は一度も天井が落ちてこなかった。壁も壊されていない。平和だ。
「エロゲ」
振り返るとイータが記録用紙を抱えて立っていた。
「改良する。次は…もっと小さく」
「頼む」
俺は廊下へ出た。装置の感触が腰と襟に残っている。これで誘枴された時に周囲へ知らせることができる。助けを呼べる。
だが。
足が止まった。
助けを呼べる。それはいい。だが誰が来るかは選べない。
前回の救助を思い出す。瓦礫の下から這い出した時、胸を張って立っていたのはデルタだ。埋めたのもデルタだ。
俺は腰の装置を指で触った。
「次は助けに来る奴を選べるやつが欲しい」
誰もいない廊下に声が漏れた。返事はない。当然だ。こんな機能、どこにもない。