囮の実力者になりたくて!Return15 作:ボルメテウスさん
汽車の車輪が規則的な音を立てている。窓の外には田畑が流れていく。カゲノー男爵領を離れ、王都へ向かう汽車の中だった。網棚には小さな荷物が一つ。揺れは穏やかで、周囲の乗客はそれぞれの時間を過ごしている。静かで平和な移動だ。
「王都ではね、平凡な学生として過ごすつもりなんだ」
向かいの席で、シドが未来の自分像を語り始めた。頬杖をついたその顔には、なぜか確信に満ちた笑みが浮かんでいる。
「完璧なモブ生徒になるよ。目立たず、騒がず、波風を立てず。誰の記憶にも残らない境界線上の存在」
「夜中に剣を振り回して盗賊を狩ってた奴が平凡を名乗るな」
俺は即座に切り捨てた。
「あれはあくまで修行だよ。普通の少年さ」
「夜も普通の少年でいてくれ。俺の睡眠時間が削れる」
シドは「ふふん」と鼻を鳴らした。
「エロゲ君こそ、自己紹介が必要なんじゃないかな? 実験台にされ、狩りに連れ回され、誘枴される頻度が月三回の君が?」
「好きで誘枴されてるんじゃねえよ!」
声が少し大きくなった。前の席の乗客が新聞の端をめくる音がした。俺は声を落とす。
「俺はずっと大人しくしてただけだ。大人しくしてたら枴われるし、大人しくしてたら壁を壊されるし、大人しくしてたら綱引きされるんだ」
「波風立てすぎだよ」
「俺が立てたんじゃない! お前の周りが立てるんだ!」
シドは笑っている。まるで俺の災難が面白い小話だと思っている顔だ。
「で、僕が修行してた間、エロゲは何をしてたの?」
「何って……誘枴されて、監禁されて、脱出して、埋められて、這い出して、説教されて」
「充実してたね」
「充実じゃねえよ!」
俺は網棚の荷物を見上げた。揺れで少し左へずれている。俺の人生もこんな風に誰かの手で勝手にずらされている気がした。
「王都に行けば、アルファたちと会う機会も増えるだろうな」
シドが軽い口調で言った。いつものように。
「あいつらも王都周辺で活動してるし、学園都市なら何かと接触があるかも」
「そうだな。手紙じゃ分からない近況も分かるだろうし」
俺は頷いた。アルファたちの顔を思い浮かべる。アルファの説教、デルタの突進、ガンマの書類。考えるだけで頭が重くなる。
「ところで、アルファたちの組織の話なんだけど」
シドが体を起こした。目が少し真面目な色を帯びている。
「彼女たちが追ってる敵のことだよ。ディアボロス教団なんて、そもそも俺が適当に――」
俺は反射的に足を伸ばし、テーブルの下でシドの脛を踏みつけた。
「痛っ」
シドが声を上げ、近くの乗客が新聞から顔を出してこちらを見た。俺は窓の外を眺めるフリをした。田畑が流れている。とても平和な田畑だ。
乗客が視線を外し、新聞へ戻るのを待ってから、俺は声を潛めた。
「その先を言うな」
シドが脛をさすりながら、むっとした顔で俺を見ていた。
俺は手を離した。シドが咳をする。周囲の乗客はそれぞれ新聞を読んだり窓の外を眺めたりしている。誰もこちらを見ていない。今度こそ本当に誰も見ていない。そのことを確認してから俺は腰を落ち着けた。
「お前には作り話だと教えたよな」
シドが脛を擦りながら確認してくる。その顔には、理解できないという色がありありと浮かんでいる。
「知ってる。本人から聞いたからな」
「じゃあ何で止めるんだよ。誰も騙されてないのに」
「アルファたちは騙されてるんだよ」
俺は声を潛めた。シドも少しだけ声を落とす。
「彼女たちは悪魔憑きで一度全部失ってる。人としての形も記憶も居場所も。その時に『敵がいる』って設定を信じた。信じることで立っていられた部分がある」
汽笛が鳴り、汽車がトンネルへ入った。車内が急に暗くなる。窓の外の田畑が消え、ガラスに自分たちの顔が映り込んだ。俺はその中の一人分の顔を見ながら続ける。
「設定でも支えになっているなら、横から嘘だと叫ぶ必要はないだろ」
トンネルを抜けた。光が戻る。田畑も戻る。シドはしばらく俺の顔を見ていた。
「面倒なことを考えるんだな」
「お前が何も考えずに喋るから、俺が考えてるんだよ」
俺は即座に返した。シドは反論しなかった。珍しい。だが次の瞬間にはいつもの調子で言う。
「アルファたちの前では言わないよ。約束する」
「俺がいない時もだぞ」
「善処する」
「善処するって言ったな。今」
「うん」
「善処するって言う奴は絶対に守らないんだよ」
シドが笑った。その笑みを見て俺は確信した。この男は本当に善処するつもりがない。
「俺は悪くないよ。エロゲが勝手に心配してるだけ」
「心配してるんじゃない。後始末をしてるんだ」
「そのうち慣れるよ」
「慣れたくないから言ってるんだ!」
声が大きくなった。前の席の乗客が振り返る。俺は窓の外へ視線を逃がした。田畑が減り、代わりに家屋が増えている。王都が近い。
「もうすぐ着くね」
シドが伸びをする。
「王都では平凡な学生。これで決定だからね」
「夜中に人をぶん殴ってた奴の宣言としては信頼度が低い」
「それは修行」
「盗賊はただの市民だったかもしれないだろ」
「向かってきたから」
「だからって」
汽車が減速し始めた。車輪の音がゆっくりになり、窓の外に城壁が見えてくる。塔の尖った影が空に伸びている。屋根が密集し、煙突が並んでいる。王都の中心へ向かっている。
「学園では静かに暮らしたいな」
俺は本音を漏らした。誘枴も監禁も綱引きも天井崩落もなし。ただ座って本を読んで茶を飲む日々。
「大丈夫だよ。王都なら誘枴される頻度も減るって」
「減るんじゃなくて、俺の魔力を狙う連中が王都にもいるんだろ」
「そうだね」
シドがけろりと言う。慰めにもなっていない。
駅のホームが窓の外に現れた。汽車が速度を落とし、車止めへ向かって滑っていく。乗客たちが立ち上がり荷物を網棚から下ろし始める。俺も荷物に手を伸ばした。
その時だ。
ホームの端に立つ人影が見えた。腕を組み、足先で地面を叩いている。黒髪。赤い瞳。表情は穏やかだが目の光が獲物を探す猛禽類のそれに近い。
「クレアだ」
俺の背筋が凍った。シドの顔色も変わる。
「何でここに」
「知るか。お前の姉だろ」
「お前を迎えに来たんじゃないかな」
「なんでだよ。俺はお前の知り合いだから巻き込まれてるだけだ」
汽車が完全に止まる。扉が開く。他の乗客たちが次々とホームへ降りていく。俺とシドは動かなかった。
「お前、先に降りろよ」
「いや、君が先でいいよ」
「客人を先に通すのが主人の礼儀だろ」
「今日からカゲノー家の人間になれよ」
「クレアから逃げる時だけ家族を増やすな!」
俺は叫んだ。ホームに立つクレアの足先が止まり、こちらへ視線が突き刺さる。シドが俺の背中を押し、俺はシドの袖を掴んだ。
汽車の出口で、二人分の押し問答が始まった。