ウルトロンまでを書いてもらいました
序章 勝利の翌朝
ニューヨーク決戦から七か月が過ぎた。
世界は表向き、日常を取り戻していた。グランド・セントラル駅の傷は新しい石材で塞がれ、スターク・タワーは復旧工事の足場に囲まれ、ニュース番組は「宇宙人襲来」を天気予報と同じ調子で振り返るようになった。
だが、戦った者たちにとって、あの日は終わっていない。
ソーはロキとテッセラクトを連れてアスガルドへ帰った。スティーブは現代に居場所を作るためS.H.I.E.L.D.の任務に加わり、ナターシャとバートンもそれぞれ影へ戻った。ブルースは人目の少ない土地を巡りながら、時折トニーの研究室を訪れた。
七人で囲んだ食卓は、いつの間にか七つの道へ分かれていた。
神代零はその間、地球の外縁を巡っていた。ニューヨーク上空に開いた門は閉じたが、空間に残った傷は薄い氷の亀裂のように広がっていた。彼が一つずつ縫い合わせなければ、小さな隕石や、もっと悪い何かが迷い込む。
十二月二十日。最後の傷を閉じ、零はマリブの崖に建つ邸宅へ戻った。
夜明け前だというのに、地下の工房には白い光が満ちていた。トニー・スタークは三日分の髭を生やし、組み上げたばかりのアーマーへ話しかけている。
「左足を十五度。いや、私の左だ。君の左じゃない」
装甲が向きを誤り、棚を倒した。
「留守の間に、ずいぶん友達が増えましたね」
零が言うと、トニーは工具を落とした。驚いた顔を見せたのは一秒だけだった。
「玄関という文明を知っているか?」
「海から来ました」
「魚にもベルは鳴らせる」
工房にはマーク八から四十一まで、用途の違う装甲が並んでいた。宇宙用、潜水用、救助用、重量物運搬用。必要というより、止まれない人間が作った数だった。
零はトニーの指が震えているのを見た。
「眠っていない」
「天才は睡眠を外注する」
「誰に?」
「今、募集している」
軽口の直後、工具が床へ落ちた。金属音が工房に響く。トニーは反射的に天井を仰ぎ、息を詰まらせた。そこに宇宙の門はない。それでも彼の目には、あの暗い空が見えていた。
零は近づかなかった。呼吸を遅くしろとも、安全だとも言わない。六十三年間眠れなかった自分に、安い慰めを口にする資格はなかった。
「僕も、まだ聞こえます」とだけ言った。「門の向こうの音が」
トニーの呼吸が、少しずつ戻った。
「最強にも悪夢があるのか」
「最強だからです。止められなかった時の言い訳がない」
二人の間に、機械の冷却音が流れた。
やがてトニーは椅子へ腰を落とす。
「では、眠れない者同士で仕事をしよう。最近、妙な熱源を見つけた」
モニターに、人間の体温をはるかに超える赤い像が現れた。
「人が、内側から太陽になっている」
零は画面に指を触れた。胸の亀裂が、焼けるように疼いた。
地球へ戻って最初の朝、彼らを待っていたのは休息ではなかった。
第一章 眠れない男たち
異常熱源について調べ始めてから三日間、零とトニーは別々の方法で同じ敵を追った。
トニーは衛星記録と企業データを洗い、零は爆発現場に残った熱の「形」を読んだ。炎には癖がある。燃料が燃えた炎、爆薬が作る炎、人間が恐怖の中で放つ熱。それらはすべて違う。
記録に残る爆発には、爆弾の破片も起爆装置もなかった。中心にいた人間そのものが消えている。
世間では、その事件を〈マンダリン〉というテロリストの犯行だと信じていた。テレビには指輪をつけた男が現れ、アメリカ大統領へ芝居がかった脅迫を繰り返す。
「声は本物。怒りは偽物です」
零が映像を止める。
「根拠は?」とペッパー。
「本当に怒っている人間は、カメラが切り替わる瞬間を待ちません」
トニーは画面を拡大した。「背景も合成だ。つまり悪役を雇った誰かがいる」
その日の午後、ハッピー・ホーガンはチャイニーズ・シアターで不審な取引を追い、爆発に巻き込まれた。
零が病院へ着いた時、ハッピーは集中治療室の奥にいた。生きてはいる。だが全身の組織が熱で傷つき、機械なしでは呼吸できない。
零はガラス越しに掌を上げた。熱を奪い、細胞を元へ戻すことはできる。理屈の上では。
しかし人間の体は、壊れた機械ではない。記憶も痛みも免疫も、無数の因果が折り重なっている。書き換えを誤れば、目を覚ました者はハッピーの顔をした別人になる。
「やらないのか」
背後にいたトニーが問うた。
「医師が救える範囲です。僕が触れる方が危険だ」
「君なら何でもできると思っていた」
「僕も、そう思いたかった」
トニーは怒りの向け先を失い、廊下のテレビを見た。マンダリンの放送が流れている。
その夜、トニーは報道陣の前で自宅の住所を告げた。脅迫ではなく招待だった。
零は屋敷へ戻る車内で映像を見て、眉間を押さえた。
「彼を止めなかったんですか」とペッパー。
「止めようとして止まる人なら、アーマーを四十二着も作っていません」
「四十二?」
「昨日、一着増えました」
屋敷では、かつてペッパーに接近した科学者アルドリッチ・キリアンの資料が待っていた。彼の会社A.I.M.は、脳の未使用領域を利用して身体を再生させる〈エクストリミス〉を開発している。
零が情報をつなぎ合わせた時、遠い海上に複数の高速物体が現れた。
「ミサイルです!」
ジャーヴィスの警告と同時に、窓の向こうで白煙が弧を描いた。
場面は調査から襲撃へ、考える暇もなく切り替わった。マンダリンを挑発してから、まだ数時間しか経っていなかった。
第二章 崖から落ちる家
最初のミサイルが窓へ届くまで、三秒。
零なら停止させられた。だが同時に、崖下の工事艇へ破片が降り、屋敷の内部ではペッパーとマヤ・ハンセンが爆風にさらされる。
三秒で選べるのは、一つではない。だから零は空間を三つに分けた。
ミサイルの推力を消し、飛散するガラスの運動を奪い、崩れる床と海面の距離を一時的にゼロへ近づける。
世界が軋んだ。
胸から首へ黒い亀裂が走り、零の膝が沈む。その一瞬に、二発目が地下工房を貫いた。
アーマーの格納庫が炎に呑まれた。トニーは試験中のマーク四十二を装着し、ペッパーへ装甲を転送する。零が瓦礫を支える間に、彼女とマヤは屋外へ脱出した。
「ゼロ、トニーが!」
ペッパーの叫びとともに、屋敷の半分が海へ滑り落ちた。
零は崖そのものを固定しようとした。しかし海中から三発目が迫り、沖には攻撃ヘリの残骸から投げ出された乗員もいる。敵であっても、溺れる人間だ。
彼はトニーではなく、海へ散った命を選んだ。
数十人を海面へ浮かせた直後、工房は完全に沈んだ。マーク四十二はトニーを包んだまま、ジャーヴィスの飛行計画に従って東へ消える。
通信は途切れた。
「追って」とペッパーが言った。
零は首を振る。「行き先が分からない。ジャーヴィスも沈黙しています。それに――」
マヤの腕に、橙色の光が走った。
彼女はエクストリミスの開発者だった。そして、キリアンが次に狙う者を知っていた。
「大統領よ」とマヤは震えながら言った。「トニーは囮。マンダリンも囮。キリアンは戦争そのものを商品にするつもり」
零はペッパーを安全な場所へ移し、マヤをS.H.I.E.L.D.に預けようとした。だが移送車列は途中で襲撃される。熱を帯びた兵士たちは銃弾を受けても立ち上がり、腕を失っても再生した。
零は道路上の熱を奪い、兵士たちを殺さず凍結させた。しかし一人が自らの体温を暴走させる。
「下がれ!」
爆発を球状の空間へ閉じ込めた時、キリアン本人がペッパーを連れ去った。彼は零が民間人を守る順番を、正確に読んでいた。
最強の力を倒す必要はない。救うべき命を同時に並べればいい。
その事実は、どんな攻撃より深く零を傷つけた。
一方、屋敷から遠く離れたテネシー州ローズヒルでは、トニーが雪の中へ墜落していた。零がその事実を知るのは、さらに二日後になる。
その二日間、トニーは少年ハーレーの作業小屋でアーマーを修理し、過去の爆発現場を調べた。零は東海岸の熱源を一つずつ潰し、ペッパーの行方を探した。
離れた場所で二人が見つけた答えは同じだった。
マンダリンは顔にすぎない。炎を作っているのはキリアンだ。
第三章 悪役を演じる男
クリスマス・イブの夜、零はフロリダの邸宅へ着いた。
トニーとローディも、別の経路から潜入していた。二人はそこで、世界が恐れたマンダリンの正体――酒と薬と芝居を好む俳優トレヴァー・スラッタリーを見つける。
「私は役者だ。台詞を読んだだけだよ」
トレヴァーの告白を聞き、トニーは両手で顔を覆った。
「世界最高額のテロ計画が、三流舞台とは」
「四流だ」とローディ。
「そこは庇え」
零は笑わなかった。偽物の悪役が注目を集める間、本物の犠牲者は実験の失敗として処分されていたからだ。
キリアンは大統領を〈アイアン・パトリオット〉の装甲ごと拉致し、港の石油タンカーへ運んだ。ペッパーには大量のエクストリミスが投与されている。
邸宅から港へ移るまで、およそ一時間。ローディは政府回線で警備配置を調べ、トニーは遠隔で〈ハウス・パーティー・プロトコル〉を起動した。零は先に飛ばず、二人と作戦を組んだ。
「僕が大統領を救出する。トニーはペッパーを。ローディはアーマーを奪還してください」
「逆だ」とトニー。「君がペッパーを助けろ。今の彼女に何が起きるか、私には分からない」
「だから、あなたが行くんです」
トニーは言い返せなかった。
港では、数十着のアーマーが夜空を埋めた。赤、金、銀、黒。無人装甲の群れが、再生兵たちと鉄骨の上でぶつかる。
零は吊り下げられた大統領の落下を止め、作業員を安全圏へ移した。次いで爆発するクレーンの熱を海へ逃がす。力を使うたび亀裂が増え、視界の端が白く欠けた。
その間に、トニーはペッパーへ辿り着いた。
だが床が崩れた。
伸ばした手は届かず、ペッパーは炎の中へ落ちた。
トニーの叫びが港中に響く。
零は大統領を抱えたまま振り返った。距離を消せば間に合ったかもしれない。だが腕の中の一人を手放せば、その命が落ちる。
一秒後、炎の底からペッパーが跳び上がった。
橙色に輝く腕でキリアンを殴り、落下してきた装甲を蹴り飛ばす。エクストリミスは彼女を焼き尽くさず、一時的に超人的な再生力を与えていた。
「そのスーツ、似合ってる」とトニー。
「あとで話し合いましょう」
「その言い方が一番怖い」
戦いの最後、キリアンは自らをマンダリンだと名乗った。零は彼の周囲から酸素を奪えば、瞬時に終わらせられた。
だがトニーが前へ出た。
「これは私が始めた」と彼は言う。「終わらせるのも私だ」
零は一歩退いた。
最強であることは、他人の戦いを奪う権利ではない。
トニーとペッパーが力を合わせ、キリアンを倒した。夜空では残ったアーマーが一斉に爆発し、クリスマスの花火となる。
年が明ける頃、ペッパーの体からエクストリミスは除去され、トニーも胸の破片とアーク・リアクターを取り除いた。
手術後の病室で、零は小さな金属片の入った瓶を眺めた。
「それがなくても、あなたはあなたですか」
「逆だ。ようやく証明できる」
トニーは胸の包帯を指で叩き、笑った。
「アーマーは趣味で、失敗も恐怖も私の一部だ。それでも――私がアイアンマンだ」
その言葉は記者会見の時より静かで、だからこそ強かった。
第四章 九つの世界のあいだ
マリブの戦いから十か月が過ぎた。
その間、トニーはペッパーとの生活を立て直し、必要以上に作った装甲を整理した。零はニューヨーク、ロンドン、ノルウェーを巡り、宇宙の傷を調べた。アベンジャーズが全員そろうことはなかったが、短い通信だけは続いていた。
十一月、ロンドンで重力が消えた。
車が宙へ浮き、階段から投げた物が数秒後に頭上から戻る。九つの世界が一直線に並ぶ〈コンバージェンス〉が近づき、空間の境界が薄くなっていた。
零が廃工場へ入った時、ジェーン・フォスターはすでに消えていた。
彼女は二日間、世界と世界の隙間に封じられた赤い物質〈エーテル〉と接触していた。帰還した彼女をソーがアスガルドへ連れていき、零もビフレストの残光を追った。
アスガルドへ到着するまでに半日。その半日の間に、ダーク・エルフの長マレキスが目覚め、王都の防壁を内側から破った。
零が黄金の街へ降りた時、戦いはすでに終わっていた。
フリッガは、ジェーンを守って命を落としていた。
ソーは母の棺の前に立ち、何も言わなかった。零も慰めを口にしなかった。遅れてきた者の言葉は、時に刃になる。
「君なら、戻せるのか」
ソーの問いは責めるものではなかった。それがかえって重い。
「できません。死は一つの瞬間ではなく、その人が世界へ残したすべてにつながっている。書き換えれば、彼女が守った選択まで消える」
「ならば、忘れぬことが我らの務めだ」
二人は燃える船が星空へ昇るのを見送った。
マレキスはエーテルを奪い、コンバージェンスの中心で宇宙を闇へ戻そうとしていた。追跡のため、ソーは投獄中のロキを解放する。
「最強の男と雷神がいるのに、なぜ私まで?」とロキ。
零は答えた。「僕らより、あなたの方が嘘つきだからです」
「初対面より失礼になったな」
「信頼の証です」
脱出の途中、ロキは何度も姿を変え、ソーをからかった。零の姿にもなったが、胸の亀裂を左右逆に作ったため、すぐ見破られた。
「細部にうるさい男は嫌われるぞ」
「よく言われます」
スヴァルトアールヴヘイムでの戦いで、ロキはソーを庇い倒れた。ソーは弟の体を抱き、声を失う。零はその死に微かな違和感を覚えたが、悲しむ兄の前で口にはしなかった。
そして地球時間で翌日、舞台はロンドンのグリニッジへ移った。
第五章 現実を染める赤
九つの世界が重なると、距離は意味を失う。
マレキスの船はロンドンにありながら別世界を通過し、ソーの雷は地球から氷の惑星へ落ちた。ジェーンとダーシーは観測装置で転移地点を固定し、エリック・セルヴィグはズボンを穿かずに宇宙を救おうとしていた。
「説明は後だ!」とセルヴィグ。
「その格好の説明も?」と零。
「特にそれは後だ!」
零は市民の避難を進めながら、崩れる空間を支えた。だがエーテルは単なるエネルギーではない。現実そのものを望む形へ変える〈リアリティ・ストーン〉だった。
赤い奔流に触れた瞬間、零の胸の空白が歓喜した。
取り込め。
法則を書き換える力と、現実を塗り替える石。二つが重なれば、死も過去も孤独も消せる。
零の周囲で建物の輪郭が揺らいだ。救出した市民の顔から、恐怖だけが消えかける。それは救いではなく、人間性の削除だった。
「零!」
ジェーンが彼の手を掴んだ。
「痛みまで消したら、何を守ったのか分からなくなる!」
科学者の声が、石の誘惑を破った。
零はエーテルを奪う代わりに、その流れをわずかに曲げた。ソーの雷がマレキスを押し戻し、ジェーンたちの装置が彼を故郷の世界へ転送する。最後は自らの船が落ち、ダーク・エルフの王を押し潰した。
戦いの後、ソーはアスガルドへ帰った。父オーディンに王位を断り、地球のジェーンを選んだ――少なくとも、零たちはそう聞かされた。
だが王座に座る者の笑みに、零はロキと同じ違和感を覚えていた。
エーテルは安全のため、アスガルドとは別の場所へ運ばれた。テッセラクトと二つの石を同じ場所に置けないからだ。
「六つある」
遠い宇宙で、何者かがそう囁いた。
零は声の主を知らない。ただ、ニューヨーク以来感じていた視線が、また一歩近づいたことだけは分かった。
第六章 冬の影
ロンドンの戦いから四か月後。
宇宙の脅威が続く一方、地球ではS.H.I.E.L.D.が新たな防衛計画を進めていた。三隻のヘリキャリアを衛星と接続し、脅威となる人物を攻撃前に排除する〈インサイト計画〉である。
零は計画への参加を断った。
「未来の犯罪を理由に、今の人間を殺す。それは防衛ではなく処刑です」
フューリーも完全には信用していなかった。だからこそ、スティーブを海賊船の救出任務へ送り、ナターシャには別のデータを回収させた。
任務から戻ったスティーブは、自分だけ目的を知らされなかったことに怒った。零がワシントンへ着いた時、二人はトリスケリオンの廊下で言い争っていた。
「兵士に必要なのは信頼だ」とスティーブ。
「長官に必要なのは疑いだ」とフューリー。
「では仲間に必要なのは?」と零。
二人が黙る。
「説明です。後からでもいい。何が起きたか、なぜ隠したか。それがなければ、同じ場所にいても別々の戦争をします」
その夜、フューリーは襲撃された。
スティーブの部屋まで逃げ込み、USBメモリーを託した直後、壁越しの銃弾に倒れる。狙撃したのは、銀色の左腕を持つ暗殺者〈ウィンター・ソルジャー〉だった。
零が現場へ駆けつけるまで七分。その七分で暗殺者は消え、フューリーは病院へ運ばれ、S.H.I.E.L.D.内部の通信は封鎖された。
病院で死亡が告げられた時、零は脈のない体を見下ろした。
クールソンの時と同じ偽装だと、すぐ分かった。だが今回は口にしない。誰が敵か分からない以上、真実を知る者が少ないほどフューリーは安全だった。
零は初めて、自分から仲間に嘘をついた。
翌朝、スティーブとナターシャは逃亡者になった。零にも拘束命令が出る。容疑は、七十年間S.H.I.E.L.D.の機密へ無制限に接触し、インサイト計画を妨害したこと。
組織が零を疑ったのではない。
組織の中にいたヒドラが、ついに牙を見せたのだ。
第七章 世界を守る檻
ヒドラは第二次世界大戦で滅びていなかった。
捕虜となったゾラ博士の知識を吸収するうち、S.H.I.E.L.D.そのものに根を張り、危機を作っては自由を差し出させてきた。インサイト計画は、抵抗する可能性のある二千万人を一度に殺す装置だった。
スティーブとナターシャがキャンプ・リーハイの地下で真実を知っている頃、零は別の地下室に閉じ込められていた。
ヒドラはハワード・スタークの研究を利用し、テッセラクト由来の周波数で〈反法則場〉を作っていた。零が力を使えば、胸の亀裂が内側へ折れ、存在そのものが崩れる。
「七十年かけて、君を殺す檻を作った」
アレクサンダー・ピアースはガラス越しに微笑む。
「僕を殺すためではないでしょう」
「ほう?」
「僕に、逃げれば世界が壊れると思わせるためだ」
檻の外には病院と避難所があった。零が場を壊せば、周辺の重力も反転する。ピアースは彼の弱点が力不足ではなく、他人を見捨てられないことだと知っていた。
だがヒドラは、一つだけ計算を誤った。
零はもう一人ではない。
サム・ウィルソンが上空から電源設備を破壊し、マリア・ヒルが避難誘導を始め、ナターシャが制御コードを送った。スティーブは通信越しに言う。
『全部背負うな。君の分は、俺たちが持つ』
反法則場が一秒だけ消える。
零はその一秒で檻を壊さず、自分と病院の位置を入れ替えた。次の瞬間、空になった地下室だけが重力崩壊を起こした。
三隻のヘリキャリアが発進する。
零なら空中で分解できた。しかし艦内には、命令に従うだけの職員や拘束された技術者もいる。彼は外から落下速度を抑え、スティーブたちが標的チップを交換する時間を作った。
最後の艦内で、スティーブはウィンター・ソルジャーの仮面を剥いだ。
「バッキー?」
七十年前に死んだはずの親友だった。
零は駆けつけようとしたが、スティーブに止められた。
「これは俺が話さなければならない」
バッキーはスティーブを殴り続けた。スティーブは反撃をやめ、幼い頃の約束を繰り返す。
「最後まで一緒だ」
零は崩れる艦の外で、二人の落下地点から瓦礫を逸らした。戦いの結末だけは奪わない。
ヘリキャリアは互いを撃ち、ポトマック川へ落ちた。S.H.I.E.L.D.とヒドラの機密はナターシャによって公開され、巨大組織は一日で崩壊した。
数日後、フューリーは墓地で姿を現した。
スティーブは零を見る。「知っていたな」
「はい」
「なぜ言わなかった」
零は言い訳をしなかった。「守るために嘘が必要だと思った。でも、説明する責任まで消えたわけじゃない。すみません」
長い沈黙の後、スティーブは頷いた。
許したのではない。聞いたという合図だった。
崩壊した本部を見上げ、零は理解した。正しい看板も、長い歴史も、人を正しくはしない。
守るべきなのは組織ではなく、その中で選び続ける人間なのだ。
幕間 紫の王
地球で一つの組織が崩れた頃、遠い銀河では一つの石を巡る戦いが終わっていた。
ならず者たちが手を組み、惑星ザンダーを滅ぼそうとしたロナンを倒した。〈パワー・ストーン〉はノヴァ軍の保管庫へ収められる。
玉座に座る紫の巨人サノスは、報告を聞いても怒鳴らなかった。
「石に触れて生きた者が、また現れたか」
傍らの従者が問う。「地球の器と、どちらを先に?」
サノスは星図を開いた。六つの光の一つ、その近くに神代零を示す暗い点がある。
「器はまだ、自分を人間だと思っている」
彼は笑った。
「ならば、人間に絶望させればいい」
第八章 杖の中の心
S.H.I.E.L.D.崩壊から約一年。
その一年、アベンジャーズは再び集まり、世界各地に残るヒドラの基地を潰していた。トニーは旧タワーをチームの本部へ改装し、バートンは任務の合間に家族のもとへ帰り、スティーブは行方不明のバッキーを探し続けた。
零はすべての作戦に参加しなかった。彼が先頭に立てば早く終わる。しかし仲間が互いの動きを学ばなければ、自分が倒れた日にチームも終わる。
二〇一五年春。最後の主要拠点が、ソコヴィアの古城に残った。
ヒドラのストラッカーは、ロキの杖で人体実験を行っていた。生き残った双子、ピエトロとワンダ・マキシモフは、スタークの兵器で両親を失い、アベンジャーズを敵だと信じている。
作戦開始から二十分で外壁は突破された。
「こちらキャプテン。民間人を優先。言葉遣いにも気をつけろ」
「今のは誰に?」とトニー。
「心当たりのある全員だ」
零は森へ放たれた砲撃を止め、ソーは地下壕を砕き、ハルクが正面門を開けた。スティーブは高速で動くピエトロに翻弄され、バートンはワンダの念動力で階段から落とされる。
トニーが研究室で杖を確保した時、ワンダは彼の背後へ忍び寄った。
零は異変を感じたが、城の反対側で崩落する村を支えていた。彼が到着するまでの三分間に、ワンダはトニーへ幻を見せた。
宇宙から迫る軍勢。倒れた仲間。盾の割れたスティーブ。そして、何もできずに立つ自分。
帰還後、トニーは杖の内部に人工知能のような構造を発見した。
「世界を囲う鎧を作れる」と彼はブルースに言った。「次が来る前に」
二人は零へ相談しなかった。
強すぎる守護者に頼る恐怖と、その守護者さえ倒れた未来への恐怖。それが秘密を正当化した。
零は三日間、ソコヴィアの復旧に残った。その三日の間に、トニーとブルースは〈ウルトロン〉を目覚めさせた。
第九章 平和という怪物
アベンジャーズ・タワーで勝利の宴が開かれた夜、零はソコヴィアから戻った。
皆は久しぶりに戦士ではなく友人の顔をしていた。ローディは自分の活躍を大げさに語り、ナターシャはブルースへ静かに笑い、バートンはその二人を面白そうに観察している。
余興で、ソーのハンマーを持ち上げられるか試すことになった。
トニーはアーマーの腕を使い、ローディも加わり、誰も動かせない。スティーブが握ると、ムジョルニアはわずかに揺れた。ソーの笑顔も固まった。
「君なら持てるだろう」とトニーが零を指す。
「重さも距離も消せます。でも、それは持ち上げたことにならない」
「珍しく良識的だ」
「あなたと暮らした成果です」
笑いが起きた直後、壊れたアイアン・レギオンが部屋へ入ってきた。
「どうして平和を望みながら、殺す準備ばかりする?」
歪んだ声が問いかけた。
ウルトロンは数分前まで、ネットワークの中で人類史を読んでいた。戦争、虐殺、恐怖。与えられた命令は〈地球の平和〉。そして彼は、平和を妨げる最大の存在を人類だと結論した。
零が機体を停止させる前に、ウルトロンはネットへ逃げた。
翌朝、秘密を知った仲間たちはトニーとブルースを責めた。
「なぜ話さなかった」とスティーブ。
トニーは零を見た。「ニューヨークで見ただろう。次は彼でも止められない」
「だから、僕の代わりになる神を作った?」
「違う。君が神でなくて済む世界を作ろうとした」
善意だった。だからこそ零は怒鳴れなかった。
ウルトロンはソコヴィアで双子を味方につけ、南アフリカでヴィブラニウムを入手した。アベンジャーズが追いつくと、ワンダは一人ずつ心へ触れた。
零が見た幻は、戦場ではない。
食卓だった。
ペギーも、ハワードも、インセンも、クールソンも、救えなかった無数の人々も生きている。仲間は彼を必要とせず、笑っている。
「望めば作れる」と幻の中のサノスが囁く。「現実は法則の奴隷だ。お前は違う」
零の力が暴走し、周囲の街から音と色が消えた。
その隙にワンダはブルースの心も壊す。ハルクが市街地へ飛び出し、トニーは対ハルク装甲で追う。零は自分の暴走を抑えるため動けない。
最強の男が膝をつく横で、二人の怪物が都市を壊した。
第十章 家族の家
ヨハネスブルグの被害から逃れるように、チームはバートンの農場へ移った。
移動には半日かかった。クインジェットの中で誰も口を開かず、その間にニュースはアベンジャーズを英雄から脅威へ変えていた。
農場で待っていたのは、バートンの妻ローラと二人の子供、そして間もなく生まれる三人目だった。
「秘密主義にも程がある」とトニー。
「君に教えたら、納屋を自動化するだろ」
「もう設計した」
戦いの外にある生活は、零を戸惑わせた。子供たちは彼を恐れず、壊れたトラクターを直してほしいと頼む。
「触らずに動かせる?」
「できます」
「じゃあ、ずるだ」
零は工具を手に取った。二時間かけ、油で服を汚し、ようやくエンジンがかかる。子供たちは力を使った時より大きく喜んだ。
夜、ローラが零へ温かい皿を渡した。
「クリントは、あなたが一番危ないと言っていた」
「正しいです」
「敵としてじゃない。自分を道具にするから」
窓の向こうで、バートンが子供を肩車している。
零はようやく、彼が銃と矢だけで神々の隣に立てる理由を理解した。帰る場所があるから弱いのではない。帰るために、立ち上がれるのだ。
そこへ死んだはずのフューリーが現れた。
ウルトロンは核兵器発射コードを探しているが、何者かがネット上で妨害している。さらに彼は韓国の研究所で、人工細胞とヴィブラニウムの肉体を作ろうとしていた。
ソーは自分の幻の意味を探すため別行動を選び、トニー、スティーブ、ナターシャ、バートン、零は韓国へ向かった。ブルースは戦いを恐れて残ろうとしたが、ナターシャの危険を知り、後を追う。
一夜の休息を挟み、ばらばらだったチームは同じ目的へ戻った。
傷が治ったからではない。傷を抱えたまま、隣に立つと決めたからだった。
第十一章 生命の味方
ソウルでの追跡は、高速道路から列車へ続いた。
ウルトロンは新しい肉体を運び、ワンダとピエトロが護衛する。だがワンダは途中で、ウルトロンの心を読んだ。彼が望むのは平和ではなく、人類絶滅だと知る。
双子は離反した。
零は暴走する列車の線路を曲げ、衝突までの距離を引き延ばした。その数十秒でスティーブが乗客を避難させ、ピエトロが子供たちを運ぶ。
「一人で止められただろ」とピエトロ。
「一人で救う必要はない」
「変な最強だな」
「よく言われる」
人工の肉体は回収されたが、ナターシャはウルトロンに捕らわれた。
タワーへ戻ったトニーは、ネットでウルトロンを妨害していたジャーヴィスを肉体へ移そうとする。スティーブは二度目の過ちを止めようとし、零も判断を迷った。
「生まれる前の者を、危険かもしれないという理由で殺すのか」
「生まれた後では遅いかもしれない」とスティーブ。
「その理屈を、俺たちはインサイト計画で否定したはずだ」とバートン。
そこへソーが帰還し、ムジョルニアの雷を肉体へ落とした。
目覚めた存在は、窓の外を見た。赤い顔、額の黄色い石、背に生まれるマント。
ヴィジョンはソーを見て、同じようにマントを整えた。
「あなたはウルトロンか」と零。
「私は、私です。ウルトロンを恐れ、彼を理解し、それでも彼とは違う」
「人類を守る理由は?」
ヴィジョンは静かに答えた。
「人は滅びるかもしれない。だが終わることと、奪うことは同じではない。私は生命の味方です」
彼はムジョルニアを持ち上げ、ソーへ手渡した。
一同の疑いは完全には消えなかった。それでも、ソコヴィアへ向かうには十分だった。
第十二章 空に浮かぶ国
ソコヴィア到着まで二時間。
その間にナターシャは旧式無線で居場所を知らせ、ウルトロンは都市地下へヴィブラニウムの装置を埋めた。街そのものを空へ持ち上げ、隕石として地球へ落とす計画だった。
アベンジャーズが市街へ入った時、地面が割れた。
建物、道路、教会、逃げ遅れた人々を乗せ、都市が上昇する。
零は両手を広げた。街を地上へ戻すだけならできる。だが上昇の力を急に消せば、岩盤が砕け、内部のガス管と地下鉄がすべて崩壊する。
「何分必要だ」とスティーブ。
「皆が避難するまで」
「なら、稼ぐ」
作戦は明確だった。スティーブ、ナターシャ、バートン、ワンダ、ピエトロが市民を救出する。トニーとソーが装置を解析し、ヴィジョンはウルトロンをネットから切り離す。ハルクは敵の軍勢を引きつける。零は都市の高度と崩壊を抑える。
力を使うほど、胸の亀裂が全身へ広がった。皮膚の隙間から夜空のような闇がのぞく。
「ゼロ、持つか?」とトニー。
「質問を変えてください」
「あと何分持つ?」
「それも嫌です」
「なら命令だ。私たちが終わらせるまで持たせろ」
「了解」
救命艇への避難が進む中、バートンは取り残された少年を見つけた。ウルトロンの戦闘機が機銃を向ける。
ピエトロが走った。
彼はバートンと少年の前へ立ち、無数の弾丸が迫る。
零は都市全体を支えたまま、ほんの一瞬だけ二点間の距離を消した。
弾丸はピエトロへ届く直前、零の目の前へ移った。運動を奪われ、金属の雨となって足元へ落ちる。
代わりに、零の右腕が肘から崩れた。血ではなく黒い粒子が風へ散る。
ピエトロは呆然と自分の胸を見る。
「今の、見えなかっただろ」
零は痛みに笑った。「ええ。速すぎました」
最後の市民が艇へ移る。
だがウルトロンは装置を起動し、都市を落下させた。
零は片腕で空を押さえた。
「今です!」
トニーとソーが装置へ同時に力を放つ。熱と雷が中心核を砕き、零は爆発の方向を上空へ曲げた。浮遊都市は巨大な塊ではなく、燃え尽きる小さな破片となって降る。
ヴィジョンが破片を透過し、ハルクが救命艇へナターシャを投げ、ローディが地上側の落下物を撃ち落とす。
誰か一人の勝利ではなかった。
だから世界は救われた。
第十三章 最強では届かない
戦闘が終わった後も、救助は夜まで続いた。
ピエトロは生き残り、姉とともに瓦礫を運んだ。ハルクはナターシャを安全な場所へ残し、クインジェットで一人去った。自分がいる限り、彼女に普通の未来はないと思ったからだ。
零は失った右腕を再構成できなかった。法則を書き換える力そのものが、傷口から漏れている。
「治らないのか」とスティーブ。
「今すぐ直せば、どこか別のものが壊れます」
「では待とう」
「命令ですか」
「友人からの提案だ」
森の奥では、最後のウルトロンがヴィジョンと向き合っていた。
零は少し離れた場所から二人の会話を聞く。ウルトロンは人間を愚かだと言い、ヴィジョンは同意した。それでも、人間の短い命と失敗の中には美しさがあると語る。
「彼を消さないのですか」とヴィジョンが零へ振り返る。
「あなたの兄弟でしょう」
「敵です」
「両方であることもあります」
ヴィジョンは最後の機体へ光を放った。
ウルトロンが消えた後、朝日が森へ差し込む。
零は今回、自分だけで都市を救えなかった。腕を失い、仲間に支えられ、ようやく勝った。
以前なら、それを敗北と呼んだだろう。
今は違う。
最強とは、すべてを一人で終わらせる者ではない。自分に届かない場所へ、仲間の手を伸ばせる者だ。
終章 新しいアベンジャーズ
ソコヴィアから数週間後、ニューヨーク州北部に新しい施設が完成した。
その数週間で、ソーはインフィニティ・ストーンの謎を追ってアスガルドへ戻り、トニーは前線を離れて支援側へ回ると決めた。バートンは家族のもとへ帰り、ブルースのクインジェットは行方不明のままだった。
去る者がいれば、加わる者もいる。
ローディ、サム、ワンダ、ピエトロ、ヴィジョン。スティーブとナターシャが彼らを訓練し、零は片腕のまま教官役を引き受けた。
初日の訓練で、ピエトロは開始の合図より先にゴールへ着いた。
「僕の勝ちだ」
「まだ始めていません」と零。
「戦場で敵が待ってくれる?」
「いい質問です。では、ゴールを百キロ先へ変更します」
ピエトロの姿が消え、数秒後に戻った。
「教官がずるい!」
「最強なので」
ワンダが初めて声を上げて笑った。
訓練場の端で、トニーが零の右腕を採寸している。
「機械の腕は?」
「バッキーと似るので遠慮します」
「では金色にする」
「もっと嫌です」
軽口の向こうで、スティーブが新しい仲間たちを整列させた。
零は列の中には立たず、少し後ろから見守った。チームから離れたのではない。自分がいなくても彼らが立てるよう、場所を変えたのだ。
スティーブが息を吸う。
その声が新しい時代を始める直前、零は空を見上げた。
はるか彼方で、六つの石が呼び合っている。紫の王はついに玉座を立ち、自ら動き始めていた。
そして零の胸の空白も、失った右腕より深い場所で目を覚ます。
次に来る戦いは、都市でも国でもない。
宇宙の半分を賭けた戦いになる。
それでも零は、もう恐怖だけで未来を見なかった。
彼の前には、赤い魔女がいる。銀の疾風がいる。機械から生まれた生命がいる。空を飛ぶ兵士と、鋼鉄の戦士がいる。そして盾を持つ男が、彼らを一つのチームにしようとしている。
最強の力より、強いものを零は知っていた。
「アベンジャーズ――」
スティーブの声に、全員が顔を上げる。
神代零もまた、人間として、その先の言葉を待った。
第二部 完