上位存在のクソデカ師匠に生まれ直しを迫られてる 作:上位存在って総じてエッチだよね
閉じた瞼の向こうから歌が聞こえる。
全てが始まったあの日、聞こえた懐かしい歌だ。とても心地が良い。
「~~~」
歌詞は無く、鼻歌だった。時折旋律が乱れているのを聞くに、きっと適当なのだろう。
あの時も同じだった。
しかしそれでも、永遠に心を奪われてしまうくらいには美しかった。彼女と同じくらいに。
確か、遭難しながらもなんとか金色のカブトムシを捕獲した後、帰り道を探そうとして……それで。
「……なにやってんだ、師匠」
「あ、おはようございます我が弟子。今日もカッコよくて可愛らしいですよ」
「はいはい、おはよう。で、繰り返すが何をやってんだ」
起床。師匠の家にて目を開けた俺の前には、師匠がいた。デカい。
ちょうど、真っ先に胸が見える位置に師匠は座っていた。起き抜けには辛いから止めて欲しい。
師匠は慈しむ笑みを浮かべて、俺の顔をじぃ、と覗いている。瞬きすらしない見事なガン見だ。
俺が眼球を動かすと、彼女の瞳は追従して逃さない。
「何を……というと?我が弟子の愛らしい寝顔を観察していただけですが?」
俺は知っている。
この顔が俺に嘘をついたり、隠し事をしたりしている時の顔であることを。
つまり何かやましい事がある時の顔だ。
まあ、師匠が何をしたのか分かっているのだが。
「本当か?」
「……ええ、ええ。本当ですよ」
最終通告。
しかし、師匠はあくまでも嘘を突き通した。
彼女だって、俺が知っている事を知っているだろうに。
俺は溜息を吐きながら、呆れた目で師匠に言おうとして、止まる。
「とりあえず、朝食を取りながら言わせてほしい」
「……わかりました」
めっちゃお腹が減った。
まずは食べる事が先である。
じっくりことこと。
「……それで、師匠」
朝食はコーンスープにバターを塗ったパン。
少し簡易的ではあるものの、腹の音を鎮めるにはこれで十分だった。
俺はいつもと比べて動作がぎこちない師匠にスプーンを向けて言う。
「やったな?」
「何を、ですか?」
「催眠しようとしたろ。俺の記憶を弄るなよ」
「えー、そんなことしてないですよー、ワタシシラナイナー」
「何が歌だよ。今作っただろ」
俺と師匠が出会ったのはカブトムシを捕まえる最中であって、後じゃないし鼻歌も口ずさんでいなかった。
第一師匠は、普通に音痴のヘタクソである。
この前はカラオケで60点台を連発し、たまに五十点台を取ったことで俺に煽られ苛つき、『ブチギレですよこれはぁ!』と採点機に電磁干渉して百点にしようとしていた。
言うまでもなく完全にズルであり、彼女が音痴である事実は変えられないのだが。
「はっ」
思わず失笑が零れる。師匠だけに。
歌で俺を魅了しようだなんて、百年どころか万年早い。
近所に棲む愉快な化け物—ズの歌を聞いた方が、もしかしたら確率はあるかもしれない。
「ねえ、我が弟子、今笑いましたね?何について笑ったのですか?」
「音痴なのに歌で攻めようとしてきた頭」
「素直に言わないで!あと音痴じゃないです!何度も言いますが私は音痴じゃない!アレは機械が悪いんですよう!」
俺の肩を揺すって膨れ顔で抗議してくる師匠に、俺は揺れる山脈を見ぬようにあらぬ方向を見ながら言った。
「音痴の人って、自分が音痴だと認めないよな」
「ちょっと!?」
まあそんな変えようのない事実は置いておいて、だ。
飯を食べ終わった俺スプーンを皿に置き、姿勢を正して彼女を問いただす。
「んで、なんで記憶なんて弄ろうとしたんだよ」
「生まれ直してほしかったから」
俺はやっぱりか、と予想が当たったことに対して目を覆う。
近頃の師匠は、生まれ直しとやらに固執している。
……あんなことがあったのなら無理もないかもしれないが。
いや、やっぱ止めて欲しい。
「もっと私の事を好きになってくれたら、生まれ直してくれるかなって。そう思ったんです」
「よしんば記憶が変わって生まれ直したとして、それは俺じゃないんじゃないか?」
記憶が変わって、それに気づかないままの俺は、果たして俺と言えるのだろうか。
俺に似ているだけの、ただの別人なのではないだろうか。
「え?多少記憶が変わったとしても、貴方は貴方ですよ?」
「こんなにも嬉しくない他者からの肯定は初めて聞いたよ」
やはりというべきか、師匠は人ではない。
人と語らい、遊ぶ。軽く見ればその営みは人そのものに見えるが、その根本は人とは離れている。
彼女が見ているのは、記憶ではなく魂なのだ。
「まあ、とにかく。俺は記憶を大事にしてる。師匠との出会いも、何もかもな。だから、そのアプローチだけは止めて欲しい」
もっとも、俺が嫌うことは分かっていたからこその隠し事だったのだろうが。
それほど俺を生まれ直させたいのだろうか。
「う、分かりました……でも、私は諦めませんからね!」
「はいはい」
「あれ、でも記憶を弄るアプローチだけは駄目ってことは、他は良いってことですか!?つまり、生まれ直しを了承したも同然!我が弟子が我が子になるのもそう遠くないですねえ!」
トラブルは解決。
俺は厄介な同居人に溜息を吐きながら、席を立つ。
「一人で盛り上がるのも良いけど、そろそろ俺は出るからな。時間的にも、誰かさんのせいでギリギリだし」
「あ、ちょ!?」
巨体の割に素早すぎる動作。
他の事に気を取られていた俺は、抵抗すらできず師匠に抱き着かれた。
抱き着く、というよりも縋り付く方が正しいだろうか。
どこかへ行こうとする人にしがみついて引き留めるような感じ。
師匠は俺の腰にしがみついていると思っているのだろうが、如何せん身長差のせいで抱き着かれているといっても過言ではない。
「っ」
甘ったるくなるほど柔らかな感触が、俺の身体に纏わりついて離れない。
俺は反射的に、身体を跳ねさせた。
「待ってください、まだお話しましょうよ!ゲームもしましょうよ!あとせめて百年くらい!」
「それ俺死ぬって」
「生まれ直せば、大丈夫ですよ!生まれ直しましょう!」
最終的にそこに着地するのは法外だと思う。
しかし、でけえ。人を駄目にするクッションのようでいて、それ以上に心地が良い。
慣れていない人間だと一秒と持たず堕ちてしまうだろう。
俺は特殊な訓練を受けているので、十秒は持つが。
俺は持てる技術を全て動員して、するりと師匠の拘束から抜け出す。
そのまま、ベッドの傍に置いてあった鞄を取り家の玄関へと向かった。
「じゃあ、行ってきます」
「あぁ……いかにゃいでぇ」
今にも泣き出しそうな師匠。
しかし、生憎と泣き落としは俺には通じない。
「師匠、知ってるだろ?ここから学校は遠いんだ。この家が雲よりも高い山頂っていうカス立地なせいで」
流石に千回以上やられれば、断る勇気も出る。
こう言ったことで師匠のお願いを聞けば、後で泣きを見るのは俺なのだ。
「いつでも帰って来て良いですからね!我が弟子が寂しくならないように一分おきにメールしますね!あ、電話の方が良いでしょうか!?」
「メンヘラ彼女かよ」
俺は縋り付こうとする師匠から足早に離れ、師匠の家の玄関を開けて外に出た。
◆
俺は人間である。
年齢にして十六歳であり、現役ピチピチの高校生として登校日は毎日欠かさず登校し、勉強に励んでいる。
両親や友達だっていて、たまには実家で過ごしたりしている。師匠が暴走するので、月に数回程度だが。
師匠のことを考慮しないのなら、ごく普通の高校生と言えるだろう。
さほど目立つわけでもなく、クラスで孤立しているわけでもない。
そんなちょうど良い立ち位置に俺はいた。
「おはよう、葵くん」
俺の名前を呼ぶ声。
教室でぼけーっと座っていた俺は、いきなり名前を呼ばれた事に少し驚きながらも声の主を辿る。
視線を横に滑らせた先には、艶やかに手入れされた長い黒髪をたなびかせる女子生徒がいた。
洗練された所作で椅子を引き座る姿はまさに大和撫子。ザ・正統派美少女である。
「おはよう、月城さん」
月城三波。
先週俺の隣の席になった、めっちゃ目立つ子だ。
「大丈夫?びっくりしてたけど」
「大丈夫大丈夫。ただ、名前を呼ばれるのが慣れてなくて」
「……えと、え?」
まずい。
『我が弟子~!』と呼んでくる師匠のせいで、変な子みたいな目で見られている。
許さん。
許さんぞ師匠!
――――
※主人公である葵くんも、師匠の名前を言っておりません。