日曜日の午前十時。
インターホンが鳴った。
「はーい」
眠い目を擦りながら玄関を開ける。
「お姉ちゃーん!」
「……ウララ?」
「遊びに来たよ!」
ハルウララがいた。
両手にはコンビニ袋。
背中には小さなリュック。
ものすごく遊びに来る気満々だった。
「今日来るって言ってたっけ?」
「昨日言ったよ?」
「……言ってた?」
スマートフォンを見る。
『明日お姉ちゃんのおうち行っていい?』
『いいよー』
深夜零時十三分の私が、何も考えず許可を出していた。
「あ、言ってた」
「でしょ?」
「ごめん。昨日バイト遅かったから」
「お姉ちゃん寝てた?」
「今起きた」
「もう十時だよ!」
「大学生の日曜日なんてこんなものだよ」
「朝ごはんは?」
「まだ」
「もう!」
怒られた。
「お姉ちゃん、ちゃんと食べなきゃダメだよ!」
「はいはい」
「はいは一回!」
「それ私が昔言ってたやつじゃない?」
「今日は私が言うの!」
するりと横を抜けて部屋へ入っていく。
「お邪魔しまーす!」
そして止まった。
「…………」
「なに?」
「お姉ちゃん」
「うん」
「汚い」
「そこまでじゃないでしょ」
「服あるよ」
「昨日着たやつ」
「本あるよ」
「読んでる途中」
「机の上にカップある」
「昨日の」
「全部昨日じゃん!」
「昨日忙しかったんだって」
ウララが腰に手を当てる。
「大学とバイト大変なの?」
「まあね」
「ちゃんと寝てる?」
「それなりに」
「ご飯は?」
「それなりに」
「その答えよくないよ!」
昔なら逆だった。
寮の部屋を散らかしているウララに、私が同じことを言っていた。
なんだか少し可笑しい。
「なに笑ってるの?」
「いや。ウララに怒られる日が来るとは思わなくて」
「私だって怒るよー」
「成長したねえ」
「またその言い方!」
頭を撫でようとする。
途中で止めた。
「……」
「お姉ちゃん?」
「いや」
先日告白されて以来、これが難しい。
昔なら何も考えず撫でていた。
今は手を伸ばすたびに、この子は私のことが好きなんだよなと思ってしまう。
「撫でないの?」
「……いいの?」
「いいよ?」
「じゃあ」
頭へ手を置く。
軽く撫でる。
「えへへ」
嬉しそうだった。
「……かわいい」
「お姉ちゃんもかわいいよ!」
「それ返さなくていいから」
まだ慣れない。
ウララは買ってきた袋をテーブルへ置いた。
「お昼作ろ!」
「何買ってきたの?」
「卵と、ハムと、野菜とー」
「結構ちゃんとしてるね」
「オムライス作る!」
「ウララが?」
「作れるよ!」
「ほんとに?」
「お姉ちゃん!」
また怒られた。
結局、二人で作ることになった。
私は玉ねぎを切り、ウララは卵を割る。
「殻入ってない?」
「入ってないよ!」
「昔よく入れてたから」
「昔の私で判断するのやめてー!」
言いながら、ちゃんと卵を溶いている。
その横で私はケチャップライスを作る。
「お姉ちゃん」
「なに?」
「ちょっと味見して」
「うん」
差し出されたスプーンをそのまま口に入れる。
「……ちょっと薄いかな」
「じゃあ塩?」
「少しだけ」
そこまでしてから気づいた。
「……これ」
「なに?」
「間接キスとか言わない?」
「言おうと思ってた!」
「返して」
スプーンを奪った。
「あははっ!」
「ほんとそういうとこだけ悪くなったね」
「お姉ちゃんが意識しすぎなんだよー」
「誰のせいだと思ってるの」
出来上がったオムライスは、ちゃんと食べられるものだった。
ウララがケチャップで私の皿に何かを書く。
「なにこれ」
「ハート!」
「見えない」
「ハートだよ!」
「歪んでる」
「気持ちが大事なの!」
私もウララの皿に書いた。
「わあ! お姉ちゃん上手!」
「ウララって書いた」
「ハートじゃないの?」
「なんで?」
「デートの続きじゃないの?」
「今日はただ遊びに来ただけでしょ」
「じゃあ今からおうちデート!」
「勝手に昇格した」
食べて、片付ける。
ウララが洗い、私が拭いた。
昔もこういうことはあった。
寮で簡単なものを作って、二人で片付けた。
でも昔は、私がほとんどやっていた気がする。
「お姉ちゃん、それここ?」
「うん」
「これは?」
「下」
「はーい」
ウララが私の台所で普通に動いている。
変な感じだった。
でも、嫌ではない。
むしろ
「……楽だなあ」
「なにが?」
「ウララがいると」
「ほんと?」
「うん。一人だと皿洗い明日でいいかなってなるし」
「ダメだよ!」
「だから助かってる」
「じゃあ毎日来ようか?」
「それは困る」
「えー」
「大学生にも一人の時間は必要なの」
「じゃあ週6回」
「減ってないよ」
午後は何をするでもなく、テレビをつけた。
ウララは床へ座り、私はベッドを背もたれにしてその隣へ座る。
適当な番組を見ながら、お菓子を食べる。
「お姉ちゃん、これ食べる?」
「食べる」
「はい」
「ありがと」
口へ放り込まれた。
「……自分で食べられるよ」
「知ってるよ?」
「それ私が言われたやつ」
「えへへ」
そのうち、テレビもほとんど見なくなった。
大学の話をする。
講義が眠いとか
バイト先に変なお客さんが来たとか
教授が提出期限を急に変えたとか
ウララは最近の学園の話をする。
「この前ね、後輩がレース前に緊張してたから、一緒に走ったんだよ」
「ウララが?」
「うん」
「なんて言ったの?」
「楽しく走ればいいよって!」
「ウララらしいね」
「その子、三着だった!」
「おお」
「すっごく喜んでたよ!」
ウララが嬉しそうに話す。
その顔を見ていると、不思議な気持ちになった。
私はこの子を知っている。
ずっと知っている。
朝が弱い日もある。
甘いものが好き。
褒めると分かりやすく喜ぶ。
嫌なことがあっても寝ると大体元気になる。
でも、知らないことも増えた。
後輩の面倒を見るウララ。
ちゃんとした店を予約するウララ。
私より綺麗にテーブルマナーをこなすウララ。
好きな相手に、自分から告白できるウララ。
「お姉ちゃん」
「ん?」
「また見てる」
「……見てた?」
「うん」
にこっと笑う。
「ちょっとは女の子に見えるようになった?」
「そういう聞き方する?」
「気になるもん」
「……なったよ」
「ほんと!?」
近い。
「近い近い」
「どれくらい?」
「何が?」
「どれくらい女の子?」
「単位あるの?」
「百点満点で!」
「採点したくない」
「えー!」
ぐいぐい来る。
私は逃げる。
ベッドへ背中が当たった。
これ以上下がれない。
「ウララ」
「なに?」
「近い」
「知ってるよ」
「離れて」
「嫌?」
「嫌じゃないけど」
言ってから黙った。
ウララも黙る。
「……嫌じゃないんだ?」
「そこ拾わなくていいから」
「えへへ」
離れてくれた。
ほっとしたような、少し残念なような。
自分でもよく分からない。
それからまたどうでもいい話をした。
夕方が近づく。
窓の外が少し暗くなってきた。
「そろそろ帰る?」
「うーん」
ウララが床へ伸びる。
「帰りたくない?」
「お姉ちゃんのおうち楽しい」
「何もしてないよ」
「うん」
「美術館みたいなところも行ってないし」
「うん」
「ホテルのケーキもない」
「コンビニのお菓子あったよ」
「安いねえ」
「おいしかったよ!」
笑う。
そのままウララは天井を見る。
「こういうのも好き」
「こういうの?」
「お姉ちゃんとご飯作ったり、お話したりするの」
「……そっか」
「デートもしたいけどね!」
「欲張り」
「欲張りだよー」
なんとなく、分かった気がした。
私はたぶん、デートの時点でウララを女の子として意識した。
かわいいと思った。
名前で呼ばれてドキドキした。
手を繋いで落ち着かなかった。
でも、それだけではまだ答えが出せなかった。
何でもない部屋で
適当な昼ご飯を食べて
テレビを見て
くだらない話をして
それがすごく楽しかった。
このままずっといられればいいのに。
そんなことを思った。
「ウララ」
「なに?」
起き上がる。
桃色の目がこちらを見る。
「私さ」
「うん」
「考えたんだけど」
「うん!」
返事がちょっと早い。
「そんな期待した顔しないで」
「してないよ!」
「してるよ」
笑ってしまう。
「私、ウララと付き合ったらどうなるんだろって考えてたの」
「うん」
「ちゃんと恋人っぽくできるのかなとか。ウララを女の子として好きになれるのかなとか」
「うん」
「でも今日、ちょっと違うかなって思った」
ウララが首を傾げる。
「私ね」
少し考える。
難しい言葉はいらない気がした。
「こうやってウララとご飯食べたり、くだらない話したりするの、ずっと続いたらいいなって思った」
「……」
「だから」
今度は私から、ウララの手を取った。
「私と付き合ってくれる?」
ウララが固まった。
「……あれ?」
「……」
「ウララ?」
「ほんと?」
「うん」
「ほんとに?」
「うん」
次の瞬間。
「お姉ちゃーん!」
「うわっ!」
飛び込んできた。
抱き止める。
そのまま勢いで後ろへ倒れそうになった。
「危ない危ない!」
「やったー!」
「分かったから!」
「お姉ちゃん大好き!」
「うんうん」
「そこは?」
「え?」
「私もって言うところ!」
じっと見られる。
「……私も好きだよ」
「わあ!」
さらに抱きつかれた。
近い。
でも今度は逃げなかった。
背中へ腕を回す。
昔、こうやって抱き締めたことは何度もある。
レースで疲れて帰ってきたとき。
卒業するとき。
泣いたとき。
でも今は少し違う。
「ねえ、ウララ」
「なに?」
「重くなったね」
「お姉ちゃん!」
怒られた。
「あはは、ごめん」
「付き合って最初に言うことじゃないよ!」
「昔抱っこしてた頃と比べて」
「もう子供じゃないって言ったでしょ!」
「知ってる知ってる」
頭を撫でる。
今度はウララも避けなかった。
「……でも撫でるんだ」
「好きだから」
「子供扱い?」
「恋人扱い」
「えへへ」
満足そうだった。
少しして、ウララが顔を上げる。
「アカネ」
「……やっぱり名前で呼ぶの?」
「恋人だから!」
「その理屈便利だね」
「アカネ」
「はいはい」
「好き!」
「私も」
今度はちゃんと言えた。
大学とバイトで疲れていた毎日に、ずいぶん元気な恋人ができた。
たぶんこれから、今までより騒がしくなる。
世話を焼くことも増えるだろうし、逆に世話を焼かれることもあるのだろう。
それでも
「お姉ちゃん、来週も来ていい?」
「もう来る前提なんだ」
「ダメ?」
「いいよ」
「やったー!」
こんな日曜日がこれから何度もあるなら、それはたぶん悪くない。
ずっと続けばいいと思った。