アルタイルが目を覚ましたのは、あの騒ぎから二日後だった。
あれだけ傷だらけで倒れた相手を、命に別状はありませんでしたと聞いただけで放っておくのも後味が悪くて、私は授業が終わったあと様子を見に行った。
『お姉ちゃん、今日も行くの?』
「昨日はまだ眠っていたでしょう」
『うん』
「今日は起きているかもしれないから」
『気になるんだ』
「助けられた相手よ。普通でしょう」
『ふうん』
「何よ」
『別にー』
妹が妙に楽しそうなのが気に入らない。
医務室の扉を開けると、アルタイルはベッドの上で身体を起こしていた。
頭と右腕には包帯、頬にも絆創膏が貼られている。それでも私を見つけるなり、ぱっと表情を明るくした。
「あ、ベガちゃん!」
「起きたのね」
「お見舞い?」
「様子を見に来ただけよ」
「それを世間ではお見舞いって言うんだよ」
「元気そうだから帰るわ」
「待って。まだ病人」
「病人はそんな大声を出さないでしょう」
少し安心したのは事実だったので、それ以上は言わなかった。
すると、アルタイルの視線が私の横へ動いた。
「……あれ?」
『?』
「誰?」
今度はこちらが少し驚いた。
「見えるの?」
「見えるよ。ベガちゃんの隣にいる」
『この人、私も見えるんだ』
妹がアルタイルの前まで移動する。
アルタイルもまじまじと妹を見た。
「ベガちゃんに似てる」
「妹だもの」
「妹?」
「そうよ」
「本物の?」
「ええ」
アルタイルが少し考えた。
「……あれ?」
「何よ」
「私、ベガちゃんの双子の姉だと思ってたんだけど」
「まずそこから間違っているわ」
「でも妹ちゃんもいるなら、三つ子だったのかな」
『違うと思う』
「じゃあ私が長女で、ベガちゃんが次女、妹ちゃんが三女」
「どうしてそうなるの」
「順番的に」
「何の順番よ」
「なんとなく」
『適当だね、この人』
「あなた、本当に何の根拠もないのね」
「でも私が姉だった気はする」
「気がするだけでしょう」
「姉の勘」
「姉ではないわ」
『私も知らない人だよ』
「妹ちゃんにはまだ記憶がないのかも」
『死んでからずっとお姉ちゃんのそばにいるけど、あなた見たことないよ』
「手厳しい」
悪霊を見抜いたときの妙な鋭さは何だったのか。
どうやら、霊を見る能力と自分を私の姉だと思い込んでいることには、何の関連もないらしい。
「それはそれとして」
アルタイルが妹を見る。
「本物がちゃんといたんだね。よかった」
『うん』
「昨日のあれはやっぱり偽物だったんだ」
『助けてくれたのはありがとう』
妹が素直に頭を下げた。
アルタイルが一瞬固まる。
「……妹ちゃんいい子」
『普通だよ』
「ベガちゃんより素直」
「帰るわよ」
「冗談!」
私はため息をついてから、仕方なく口を開いた。
「……私からも礼を言うわ」
「え」
「あなたがいなければ、私は今もあれを妹だと思っていたかもしれない。だから、ありがとう」
アルタイルの耳が勢いよく立った。
「もう一回」
「嫌よ」
「今の録音したかった」
「調子に乗るなら撤回するわ」
「ベガちゃんが私にありがとうって……」
『嬉しそう』
「妹ちゃん、分かってくれる?」
『でも姉ではないよ』
「そこは二人とも厳しいなあ」
その数日後、アルタイルは退院した。
そして、本格的につきまとい始めた。
「ベガちゃん、おはよう」
「どうして私の教室の前にいるの」
「挨拶」
「あなたの教室は別でしょう」
「登校時間を合わせた」
「合わせないで」
昼になれば現れる。
「ベガちゃん、お昼食べよ」
「嫌」
「妹ちゃんも」
『私は食べられないよ』
「見てるだけでも」
「勝手に妹まで誘わないで」
トレーニングへ行けば、どこかにいる。
「アルタイル」
「なに?」
「どうして木の陰にいるの」
「邪魔しちゃ悪いかなって」
「では帰りなさい」
「分かった。向こうの木に移動する」
「そういう意味ではないわ」
寮へ戻る道で後ろから気配を感じて振り返れば、やはりいる。
「偶然だね、ベガちゃん」
「さっきから後ろにいたでしょう」
「気づいてた?」
『ずっといたよ』
「妹ちゃん、告げ口はよくない」
『お姉ちゃんの味方だから』
「私も姉なんだけど」
『それは違うと思う』
「まだ認めてもらえない」
「永遠に無理よ」
完全にストーカーだった。
ところが、私さえ絡まなければ、アルタイルは意外なくらい周囲から好かれていた。
「アルタイル、この前ありがとう! 旧校舎の階段、もう声しなくなったよ」
「よかった。悪い子じゃなかったから、ちゃんと話したら納得してくれた」
「アルタイルさん、これ……昨日からお守りが真っ黒で……」
「貸して。たぶん変なもの拾っただけだから」
「ひええ……」
「大丈夫。怖いものじゃないよ」
困っている相手には親切で、頼まれれば嫌な顔もせず手を貸す。
妙な音がする、誰もいない場所で声を聞いた、夜になると何かが走り回る。
そんな噂が立てば、いつの間にか顔を出している。
普段は明るくて、話していて楽しい子らしい。
そして私を見つける。
「あっ、ベガちゃーん!」
全部台無しだった。
『本当にお姉ちゃんが絡むと変になるね』
「あなたもそう思う?」
『うん』
「安心したわ」
「妹ちゃん、私の味方じゃないの?」
『まだそんなに仲良くないもん』
「いつか仲良くなろう」
『どうだろ』
その頃の妹は、まだそんな反応だった。
ただ、アルタイルは妹の姿も声も認識できる。
それが妹には珍しかったらしい。
私が授業を受けている間、廊下でアルタイルと話していたり。
アルタイルが怪異を調べるとき、少しだけ様子を見に行ったり。
気づけば、私の知らないところで会話することが増えていった。
『アルタイル、あっち』
「どっち?」
『右。変なのいる』
「ほんとだ。ありがと」
放課後、たまたま通りかかった私の目の前でそんなやり取りをしていたこともある。
「……あなたたち、何をしているの」
「あ、ベガちゃん」
『お姉ちゃん』
「妹ちゃんに手伝ってもらってる」
「勝手に連れ回さないで」
『私が来たの』
「あなたまで」
『だって暇だったから』
「私についていればいいでしょう」
『お姉ちゃん授業だったし』
「……そう」
反論しにくい。
アルタイルの方も、妹がついてくることを特に嫌がってはいなかった。
「妹ちゃん、今日も来る?」
『今日はお姉ちゃんの自主トレ見る』
「そっか。じゃあまた今度」
妙に普通だった。
そしてある日の夕方、今度は私たちがアルタイルの追っていた怪異へ巻き込まれた。
『お姉ちゃん、まだ走るの?』
「あと一本だけ」
『今日は結構走ったよ』
「分かっているわ」
『無理しないでね』
「しない」
本物の妹は、私にもっと走れとは言わなかった。むしろ止めることの方が多い。
その優しさには、まだ少し慣れていない。
夕暮れのコースへ出る。
一周目は何もなかった。
二周目へ入ったところで、妹の声が低くなる。
『お姉ちゃん』
「なに?」
『後ろ』
耳を澄ませた。
足音が一つ。
私とは別の足音が、一定の距離を保ったままついてきている。
「誰かいるの?」
『違う』
「違う?」
『ウマ娘じゃない』
速度を落とす。
後ろの足音も落ちる。
上げる。
同じように上がる。
「……怪異?」
『たぶん』
止まろうとした。
脚が止まらない。
「……っ?」
『お姉ちゃん?』
「勝手に……!」
身体が前へ進む。
速く。
もっと速く。
言葉ではない何かが頭の中へ流れ込んでくる。
後ろの足音が近づいた。
『横!』
視界の端に黒い影が現れる。
顔のないウマ娘だった。
影が速度を上げると、こちらの身体も勝手に加速する。
「なに、これ……!」
『止まって!』
「止まりたいわよ!」
呼吸が苦しくなる。
それでも脚は止まらない。
このままでは身体が持たない。
そう思ったところで。
「ベガちゃーん!」
聞き慣れた声がした。
「……どうしてあなたがいるの」
コース脇からアルタイルが飛び出してくる。
「やっぱり出た!」
「知っているの!?」
「最近、この辺で一人で走ってる子が止まれなくなるって噂があって調べてた!」
「なら先に言いなさい!」
「まだ確証なかったんだよ!」
アルタイルもコースへ入ってきた。
走る。
遅い。
「……」
『……』
「二人とも黙らないで!」
「追いついてないわ」
「知ってる!」
『アルタイル、遅いね』
「妹ちゃんまで!」
「何のために来たのよ」
「霊を祓うためであって、ベガちゃんと競走するためじゃない!」
「まず近くまで来なさい!」
「無茶言わないで!」
速度で追いつけないと悟ったアルタイルは、すぐにコースの内ラチの中へと移動し、ショートカットしてこちらを先回りし始めた。
「妹ちゃん!」
『なに!?』
「そいつ、何言ってる!?」
『ずっと走りたいって! 最後まで走りたいって言ってる!』
「やっぱり!」
「分かるの?」
「なんとなく!」
「またなんとなく!?」
「こういうのはだいたい雰囲気!」
「よく今まで無事だったわね!」
影が私より前へ出る。
身体が勝手に追いかけようとする。
「ベガちゃん、抜かせて!」
「私の意思ではないわ!」
「力抜いて! その子、たぶん勝ちたいんじゃない!」
「なら何なの」
「終わりたいんだと思う!」
「終わりたい?」
「ゴールが分からないんだ!」
そこだけは妙に真剣だった。
私はできる限り身体から力を抜いた。
影が前へ出る。
それでも脚は止まらない。
アルタイルはコースの先まで走っていき、突然上着を脱いだ。
「何をしているの?」
「ゴール作る!」
「上着で!?」
「他にないから!」
両手で上着を広げる。
「ここ! ここがゴール!」
「雑すぎるでしょう!」
でも黒い影は反応した。
急に速度を上げ、アルタイルの横を駆け抜ける。
「ゴール!」
アルタイルが叫んだ瞬間、私の身体が自由になった。
「っ……!」
慌てて減速する。
影も止まった。
ゆっくりと振り返る。
顔は最後まで見えなかった。
『ありがとう』
今度は私にも声が聞こえた。
『最後まで走れた』
そのまま影は夕暮れへ溶けるように消えていった。
「…………」
『…………』
「…………」
アルタイルだけが上着を掲げたまま満足そうに笑っている。
「やった」
「……あなたね」
「はい」
「最初からあれを調べていたの?」
「うん。何回か自分でも走ってみた」
「出なかったのね」
「うん」
「遅すぎて?」
「たぶん」
『かわいそう』
「妹ちゃんに言われると余計つらい」
私は息を整えてから、アルタイルを見る。
結局、今回も助けられた。
「……ありがとう」
「え?」
「一度しか言わないわ」
「もう一回」
「嫌」
「ベガちゃんが私に二度目の感謝を……」
「数えないで」
妹がアルタイルの横へ行く。
『よかったね』
「ありがとう、妹ちゃん」
『うん』
以前なら、そこで終わっていたはずだった。
でも、その日は妹が少し考えてから続けた。
『さすがだね、お義姉ちゃん』
アルタイルの耳が立った。
「今、お姉ちゃんって言った?」
『言ったよ』
「ベガちゃん! 聞いた!?」
「聞いたわよ」
「妹ちゃんがついに私を姉と認めた!」
『うんうん』
「……そう」
妹が何だか妙な顔で笑っていたけれど、アルタイルは満足そうだし、私も細かく追及する気にはならなかった。
それから妹は、時々アルタイルを「おねえちゃん」と呼ぶようになった。
『お義姉ちゃん、今日どこ行くの?』
「購買。妹ちゃんも来る?」
『行く』
「ちょっと待ちなさい」
二人が振り返る。
「……あなた、今日は私と一緒にいるのではなかったの?」
『お姉ちゃん自主トレでしょ?』
「そうだけれど」
『じゃあお義姉ちゃんについてく』
「行ってきます」
「勝手に妹を連れていかないで」
『自分で行くんだよ』
「……そう」
少し面白くない。
なぜなのかは考えないことにした。
妹はアルタイルについて怪異を見に行くこともあれば、ただ買い物についていくこともある。アルタイルもそれが普通になったらしく、
「妹ちゃん、今日は来たの?」
『来たよ』
「ベガちゃんは?」
『トレーニング』
「じゃあ終わるまでお菓子見に行こ」
『私食べられないよ』
「新作見るだけ」
『行く』
などと、すっかり仲良くなっていた。
そのうえ最近では、妹が私の情報まで流す。
『お義姉ちゃん』
「なに?」
『今日のお姉ちゃんちょっと疲れてる』
「妹」
「ベガちゃん、ご飯食べた?」
「食べたわ」
『朝は少なかった』
「妹」
「じゃあ何か食べよう」
「どうしてあなたが仕切るの」
「姉だから」
『お義姉ちゃんだから』
「ほら!」
「……あなたたち、一度その呼び方についてちゃんと話した方がいいのではなくて?」
『大丈夫』
「大丈夫だよ」
二人とも即答した。
何が大丈夫なのか、私には分からない。
入学して数か月。
私のそばには、本物の妹の守護霊がいる。
その妹を見ることができて、学園中の怪異を見つけては首を突っ込み、なんだかんだ解決してしまう変な同級生もいる。
彼女は何の根拠もなく、自分を私の双子の姉だと信じている。
妹を見つけたときには「あれ、三つ子だったのかな」と言い出した。
翌日にはまた普通に「ベガちゃんの双子の姉」を名乗っていた。
たぶん本人も細かいことは考えていない。
「ベガちゃん、明日一緒にお昼食べよ」
「嫌よ」
「じゃあ明日また聞く」
「聞かなくていいわ」
『私は行くよ、お義姉ちゃん』
「じゃあ二人でベガちゃん誘おう」
「勝手に徒党を組まないで」
『三人で食べようよ』
「あなたは食べられないでしょう」
『見てるだけ』
「家族団欒だね」
「家族ではないわ」
『今はね』
「妹?」
『なんでもない』
妹はにこにこしている。
アルタイルもにこにこしている。
二人が何を考えているのか、最近ますます分からなくなってきた。
ただ。
明日もアルタイルが来るのだろうということだけは、もう疑っていなかった。