原作ウマ娘に告白されるモブウマ娘(短編集)   作:雅媛

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3 いつもと違う日々

 アルタイルを見かけなくなったのは、ある朝のことだった。

 最初は何とも思わなかった。

 教室へ向かっても、廊下の角から飛び出してこない。教室の前にもいない。窓の外を確認しても、こちらへ手を振っている姿はない。

 

「……珍しいわね」

『何が?』

「なんでもない」

 

 静かでいい。

 そう思った。

 昼休みになっても来なかった。

 いつもならチャイムが鳴ってしばらくすると、当然のように教室の入口へ現れる。

 

「ベガちゃん、ご飯食べよ」

 

 と言われて、

 

「嫌よ」

 

 と断る。

 断っても隣に座る。

 それがない。

 

「…………」

『お姉ちゃん』

「なに?」

『さっきから入口見てるね』

「見てないわ」

『三回見たよ』

「人が出入りするからでしょう」

『ふうん』

 

 妹がにやにやしている。

 

「何よ」

『別にー』

 

 放課後になった。

 トレーニングへ行ってもアルタイルはいなかった。

 木の陰にもいない。

 フェンスの向こうにもいない。

 終わって水を飲んでいても、

 

「ベガちゃん、お疲れ」

 

 と勝手に飲み物を追加してくる人間はいない。

 静かだった。

 とても静かだった。

 

「……いいことね」

『何が?』

「なんでもない」

 

 寮へ戻る途中も、一度も振り返らなかった。

 本当に。

 一度も。

 

『二回振り返ってたよ』

「数えないで」

 

 一日目は、それで終わった。

 二日目もアルタイルはいなかった。

 三日目も。

 

「……妹」

『なに?』

「アルタイルを見なかった?」

『見てないよ』

「そう」

『気になる?』

「別に」

『じゃあいいね』

「……ええ」

 

 妹は知っている。

 たぶん。

 あまりにも分かりやすかった。

 問い詰めれば吐かせられる気もしたけれど、そこまでする理由もない。

 私はアルタイルの保護者ではない。

 姉でもない。

 もちろん妹でもない。

 ただの同級生だ。

 少し変わった。

 いやかなり変わった。

 勝手に自分を私の姉だと名乗り、付きまとってくる同級生。

 いなくなったからといって、私に何か関係があるわけではない。

 四日目の朝。

 目覚ましより早く目が覚めた。

 時計を見る。

 まだ五時だった。日も上がっていない。

 

「……」

『おはよう』

「おはよう」

『早いね』

「目が覚めただけよ」

『昨日も遅かったのに』

「寝つきが悪かっただけ」

『一昨日も』

「……たまたまよ」

 

 身体が重い。

 食欲もあまりなかった。

 食堂で朝食を前にしても箸が進まない。

 

『お姉ちゃん、それだけ?』

「朝からあまり入らないの」

『いつももっと食べるよ』

「今日はそういう気分なの」

 

 トレーニングでも集中が続かなかった。

 フォームが崩れるほどではない。

 タイムが極端に落ちるわけでもない。

 ただ、何度も意識が逸れた。

 コース脇を見てしまう。

 誰もいない木の陰を確認してしまう。

 

「……馬鹿みたい」

『そうだね』

「誰のことを言っているの」

『お姉ちゃん』

「……」

 

 夕方。

 部屋に戻って椅子へ座ると、妹が正面に立った。

 

『お姉ちゃん』

「なに」

『体調悪いでしょ』

「少し寝不足なだけよ」

『なんで寝不足なの?』

「知らないわ」

『ご飯も食べてない』

「食べたでしょう」

『半分残した』

「よく見てるわね」

『守護霊だから』

「なら静かに見守っていて」

『無理』

 

 妹が腕を組む。

 

『しょうがないから教えてあげる』

「何を」

『お義姉ちゃんがどこにいるか』

「……最初から知っていたのね」

『うん』

「どうして黙っていたの」

『言っちゃ駄目だったから』

「どうして?」

『お義姉ちゃんが言うなって』

「あなた、随分あの子の言うことを聞くのね」

『だって今回はちゃんとした理由があるもん』

「理由?」

『神社』

「神社?」

『今、お義姉ちゃん神社にいるよ』

 

 話を聞けば、アルタイルは数日前から学園を離れ、郊外の神社に籠もっているらしい。

 祭事の準備。

 それだけなら別に隠す必要もない。

 ただ今回は、神事に参加する者として身を清め、余計な人との接触を避けながら準備をする期間なのだという。

 

『だから、邪魔しちゃ駄目なんだって』

「それであなたも黙っていたの」

『うん』

「……そう」

『でもお姉ちゃん、このままだともっと変になりそうだから』

「変ではないわ」

『四日会わないだけで寝られなくなってる』

「偶然よ」

『朝ご飯も食べない』

「偶然」

『トレーニング中ずっと木の陰見てた』

「……」

『行く?』

「どこへ」

『神社』

「行かないわ」

『そっか』

「……」

『……』

「見るだけなら」

『うん』

「邪魔をしないのなら、問題ないでしょう」

『うんうん』

「何よ」

『なんでもない』

 

 妹の案内で神社へ着いた頃には、もう日が傾き始めていた。

 学園から少し離れた山際にある、古い神社だった。

 長い石段を上がる。

 鳥居をくぐると、空気が少し変わった気がした。

 

「アルタイルは?」

『奥』

「本当に気づかれないように見るだけよ」

『お姉ちゃんが言うんだ』

「何よ」

『いつもお義姉ちゃんに見られてる側なのに』

「一緒にしないで」

 

 境内の奥へ回る。

 そこで、足が止まった。

 

「……」

 

 アルタイルがいた。

 最初、別人かと思った。

 白い小袖に緋色の袴。

 いつも適当に下ろしている髪もきちんとまとめられている。

 余計な飾りは何もない。

 ただ静かに立っていた。

 いつものように笑っていない。

 ふざけてもいない。

 私を探して周囲をきょろきょろしてもいない。

 目の前にあるものだけを見ていた。

 

『お姉ちゃん』

「……なに」

『見すぎ』

「見てないわ」

『ずっと見てるよ』

「見に来たのでしょう」

『そうだけど』

 

 アルタイルが弓を手に取った。

 少し離れたところに的が並んでいる。

 神職らしい男性が何かを言い、アルタイルが頷く。

 走り出す。

 私に比べれば速くはない。

 それでも今は、そんなことはどうでもよかった。

 一定の速度で走りながら弓を構える。

 身体がぶれない。

 弦が鳴る。

 一本目。

 的の端。

 二本目。

 今度は中央寄り。

 三本目。

 乾いた音が境内へ響いた。

 真ん中に近い。

 

「……」

『流鏑馬の練習だって』

「流鏑馬」

『うん。お義姉ちゃん、こういうの昔から手伝ってるみたい』

「そうなの」

 

 知らなかった。

 アルタイルについて、私はそれなりに知っているつもりだった。

 霊が見える。

 怪異に首を突っ込む。

 困っている相手を放っておけない。

 走るのは遅い。

 私を見ると寄ってくる。

 勝手に姉を名乗る。

 それくらい。

 でも、今目の前にいるアルタイルは、そのどれとも少し違った。

 流鏑馬の練習が終わると、今度は拝殿の前へ移動した。

 鈴のついた神楽鈴を手にする。

 音が鳴る。

 一歩。

 また一歩。

 静かな動きだった。

 袖が揺れる。

 緋袴がわずかに翻る。

 夕方の光が白い衣へ落ちる。

 綺麗だった。

 そう思った。

 思ってしまった。

 

「アル――」

『だめ』

 

 妹に口を塞がれた。

 正確には霊なので手はすり抜けたけれど、意思だけは伝わった。

 

「……分かってるわよ」

『今呼びそうだった』

「呼んでない」

『アル、まで言った』

「……」

『お義姉ちゃん、今はお仕事中』

「分かっているわ」

 

 アルタイルはこちらに気づかない。

 それが妙に不思議だった。

 私が近くにいるのに、見つけない。

 いつもなら、どれだけ離れていても気づくような気さえするのに。

 

『こういう時はね』

 

 妹が小さな声で言う。

 

『あんまり世俗のこと考えないようにするんだって』

「世俗」

『人とか、学校とか、そういうのから少し離れて、神様のことだけ考えるのが大事なんだって』

「アルタイルがそう言ったの?」

『うん』

「……ちゃんとそういうことを言うのね」

『お義姉ちゃんだって真面目な時は真面目だよ』

「知っているわ」

『へえ』

「何よ」

『なんでもない』

 

 もう一度アルタイルを見る。

 私の知らない顔をしていた。

 そのことが、少しだけ面白くない。

 でも同時にもっと見ていたいとも思った。

 

 

 翌日。

 祭り当日。

 行くつもりはなかった。

 朝までは

 昼になった頃には、私は神社へ向かっていた。

 

『行くんだ』

「昨日見た以上、本番がどうなったかくらい気になるでしょう」

『うんうん』

「その返事やめなさい」

 

 境内は昨日とは違い、大勢の人で賑わっていた。

 

 屋台。

 参拝客。

 子供の声。

 

 その中でアルタイルは忙しそうに動き回っていた。

 流鏑馬の奉納では、綺麗にど真ん中に矢を当てた。

 神楽も最後まで綺麗だった。

 周囲から拍手が起こる。

 アルタイルは静かに頭を下げた。

 いつもの彼女なら、私を見つければすぐこちらへ来る。

 でも今日は来ない。

 そもそも、私がいることにも気づいていない。

 それでいい。

 そのはずなのに。

 

『お姉ちゃん』

「なに」

『寂しい?』

「帰るわよ」

『まだ終わってないよ』

「あなたね」

 

 結局、祭事が終わるまでいた。

 夕方、人が少しずつ減り始めた頃、妹が境内の裏を指差した。

 

『あっち』

「何が?」

『お義姉ちゃん』

 

 言われた方へ行く。

 建物の陰。

 縁側の端にアルタイルが座っていた。

 正確には倒れていた。

 

「……死ぬ」

「何をしているの」

「……え」

 

 ゆっくり顔が上がる。

 私を見る。

 一秒。

 二秒。

 

「ベガちゃん!?」

 

 急に起き上がった。

 

「元気じゃない」

「なんで!?」

「来てはいけなかった?」

「そうじゃなくて! なんでベガちゃんがここにいるの!?」

「祭りを見に来ただけよ」

「この神社に!?」

「ええ」

「偶然!?」

「……」

『私が教えた』

「妹ちゃーん!」

『だってお姉ちゃんが死にそうだったから』

「誰が?」

「余計なことを言わないで」

 

 アルタイルが私を見る。

 

「ベガちゃん、体調悪かったの?」

「悪くないわ」

『寝不足』

「妹」

『ご飯もあんまり食べてない』

「妹」

『トレーニング中もぼーっとしてた』

「あなた、後で話があるわ」

 

 アルタイルの顔が徐々ににやけていく。

 

「もしかして」

「違うわ」

「まだ何も言ってない」

「言わなくても分かる」

「私いなくて寂しかった?」

「違う」

「即答」

「数日姿を見なかったから、何をしているのか気になっただけよ」

「それでわざわざここまで?」

「妹が連れてきたの」

『昨日はね』

「昨日?」

 

 しまった。

 アルタイルの耳が立つ。

 

「昨日も来たの!?」

「……少しだけ」

「修行中から見てた!?」

「声はかけていないわ」

「そこじゃないよ!」

『お姉ちゃん、ずっと見てたよ』

「ずっとではないわ」

『神楽の時、口開いてた』

「開いてない!」

「ベガちゃんが……私の神楽を……」

「何よ、その顔」

「いや、なんか」

 

 アルタイルが顔を背ける。

 珍しい。

 よく見れば、耳の先が少し落ち着かないように動いていた。

 

「……変ね」

「なにが?」

「あなたでも照れるのね」

「照れるよ!」

「私には普段あれだけ好き勝手言うのに」

「それとこれとは別!」

「そう」

 

 少しだけ楽しくなった。

 アルタイルがまた縁側へ倒れ込む。

 

「でも疲れた……」

「流鏑馬も神楽もやっていたものね」

「朝から準備もあったし」

「そう」

「でも成功した」

「ええ」

「見てた?」

「見ていたわ」

「全部?」

「だいたい」

 

 アルタイルがまた黙った。

 

「何よ」

「ベガちゃんに見られてるって知ってたら失敗してたかも」

「では教えなくて正解だったわね」

「うん……」

 

 風が吹いた。

 祭りの名残の音が遠くから聞こえてくる。

 私は少し迷った。

 言う必要はない。

 別に褒めなくてもいい。

 でも。

 

「アルタイル」

「なに?」

「昨日の神楽」

「うん」

「……綺麗だったわ」

 

 アルタイルが固まった。

 

「…………」

「何よ」

「今」

「一度しか言わない」

「もう一回」

「嫌よ」

「ベガちゃんが私を綺麗って」

「神楽が、と言ったの」

「私が踊ってた」

「そうね」

「じゃあ私が綺麗」

「調子に乗らないで」

『お義姉ちゃん、よかったね』

「妹ちゃん……今日という日を私は忘れない」

『大げさ』

「ベガちゃんがわざわざ会いに来て、神楽見て、綺麗って言ってくれた」

「三つとも少しずつ意味が違うわ」

「でも全部本当」

「……」

 

 否定しようとして、やめた。

 実際に来た。

 見た。

 綺麗だと思った。

 アルタイルが嬉しそうに笑う。

 いつもの顔だった。

 数日見なかっただけなのに、妙に懐かしく感じる。

 

「ねえ、ベガちゃん」

「なに」

「修行も終わったし、明日からまたついていっていい?」

「……」

「駄目?」

 

 以前なら即答していた。

 来ないで

 付きまとわないで

 でも、その言葉が出てこなかった。

 

「好きにしなさい」

「えっ」

「ただし、木の陰から見るのはやめて」

「じゃあ隣にいる」

「どうしてそうなるのよ」

「ベガちゃんが木の陰は駄目って」

「普通に見ているっていう選択肢はないの?」

「ない」

「でしょうね」

 

 ため息が出た。

 でも、以前ほど嫌ではなかった。

 

『よかったね、お義姉ちゃん』

「うん!」

『明日からまたお姉ちゃんのところ行けるね』

「毎日行く」

「毎日は来なくていいわよ」

「じゃあ週六」

「一日しか減っていないでしょう」

『お姉ちゃん』

「なに?」

『顔、ちょっと嬉しそう』

「気のせいよ」

 

 歩き出す。

 後ろからアルタイルがついてくる。

 

「ベガちゃん、待って」

「疲れているならゆっくり来なさい」

「待ってくれないの?」

「……」

 

 少しだけ足を緩めた。

 

「ベガちゃん優しい」

「うるさい」

 

 妹が笑う。

 アルタイルも笑う。

 数日ぶりに聞くその声が、思っていた以上に耳に馴染んでいた。

 それが何を意味するのか。

 まだ、このときの私は考えないことにした。

 

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