ダイワスカーレットとデートをすることになった。
本人がさっきから何度もそう言っているので、一応そういうことになっている。
もっとも、私としては普段のお出かけと何が違うのか、未だによく分かっていない。
スカーレットとは昔から二人で買い物にも行くし、ご飯も食べるし、映画だって見る。本人がわざわざデートと呼ばなければ、いつものお出かけと何も変わらないはずなのだ。
学園を出て街へ向かう道を歩きながら隣を見ると、スカーレットは白いブラウスに青いスカートという、普段からよく着ている私服姿だった。特別派手な格好をしているわけではないのに、髪もきちんと整えられているし、何より本人が華やかなので、今日もとてもかわいい。
「……リリー」
「なに?」
「やっぱり最初に服屋行くわよ」
「やっぱり?」
「あんたを見た瞬間に決めた」
スカーレットが呆れたように私を上から下まで見る。
今日の私はTシャツに黒いスウェットパンツ、肩にはエコバッグという、いつも通りの格好だった。Tシャツは左右の裾近くに大きなポケットがついているので便利で、黒いスウェットパンツはかなりゆったりしたもので着心地がいい。エコバッグはスーパーでもらったものだ。丈夫である。
「まだ着られるよ」
「そう言うと思った」
「破れてないし」
「それも言うと思った」
「Tシャツはポケットが二つあるし」
「それが出てくるのも知ってたわよ!」
先回りされた。
「便利だよ」
「Tシャツの裾にそんなでっかいポケット二つもいらないのよ」
「スマホと財布を分けて入れられる」
「バッグ持ってるでしょうが!」
「エコバッグは口が閉じないから貴重品入れるの怖い」
「だったら普通のバッグ買いなさいよ!」
なるほど。そういう解決方法もあるらしい。
「とにかく、今日はそれじゃダメ」
「どうして?」
「デートだから」
また言った。これで今日七回目である。
「でも歩きやすいよ」
「知ってる。あんたが服を選ぶ基準なんて全部知ってるわよ。動きやすい、洗いやすい、丈夫、ポケットが多い、安い。でしょ?」
「あと乾きやすい」
「一個増えたところで何も変わらないわよ!」
他は全部正解だった。やっぱり幼馴染というのはすごい。
それから十分ほど歩き、スカーレットに連れてこられたのは私一人ならまず入らないような服屋だった。別に高級店というわけではないようだが、店内には淡い色の服がたくさん並んでいて、私の持っている服とはだいぶ雰囲気が違う。白とか水色とかピンクとか、その辺である。ひらひらしたものやリボンがついている服も多い。
洗濯が大変そうだ。
「リリー」
「うん」
「一応聞いてあげるけど、何色がいい?」
「何でも――」
「いい、でしょ。知ってる」
「うん」
「じゃあこれは、あたしが決めてもあんたの希望通りってことでいいわね」
「最初からそうするつもりだったの?」
「そうよ」
「じゃあ聞かなくてもよかったんじゃない?」
「一応よ、一応!」
変なの。
スカーレットはそのまま店内を歩き始めた。私も後ろをついていこうとしたのだが、「あんたはそこで待ってなさい」と言われたので、大人しく椅子に座ることにする。
スカーレットはかなり真剣だった。水色の服を持ってきて私の顔の横に置き、戻し、今度は白い服を持ってきてまた戻す。紫っぽいものや黄色っぽいものまで試していたが、何が違うのかはよく分からない。
私は着られれば何でもいいと思う。
そのうちスカーレットはピンク色の服が並んでいるところで足を止め、何着か見比べ始めた。私から見るとどれも似たような色にしか見えないのだが、本人には何か違うらしい。
それから今度は灰色のスカートを何枚も見始めた。
長い。
十分以上かけて、ようやく戻ってくる。
「これ着て」
「全部?」
「まずこれ」
渡されたものを見る。
薄いピンク色の服だった。
シャツ……ではない気がする。たぶんブラウスというやつだ。首の辺りや袖に少しひらひらしたものがついていて、胸元には灰色のリボンまである。
もう一つは濃い灰色のスカートだった。肩に引っかける細い紐までついていて、裾は少し広がっている。よく見ると何か模様も入っているが、何という模様なのかは知らない。
あとは白い靴下と、黒い靴。
全体的にかわいい。
私が普段選ぶものとは、だいぶ違う。
「……これ?」
「これ」
「私が?」
「あんたが」
「ピンクはかわいすぎない?」
「桜色よ」
「ピンクでしょ?」
「桜色!」
「桜ってピンクじゃない?」
「そういう話じゃないの!」
難しい。
「それに、似合わないと思うよ」
スカーレットの眉が動いた。
「いいから着てきなさい」
「でもこういうのって、もっとかわいい子が――」
「リリー」
「うん」
「着て」
「はい」
怒られそうだったので試着室へ入った。
着替えて鏡を見る。
ピンク。
スカート。
リボン。
白い靴下。
ものすごく女の子っぽい。
服はかわいいと思う。ただ、それを着ているのが私なのが問題だった。
普段は適当な服ばかり着ているが、こういう格好をすると自分が思っていたよりずっと小さいのも分かる。長い黒髪の下に、小さな女の子がかわいい服を着せられて立っている。
私だった。
「リリー、着た?」
「うん」
「出てきなさい」
「やっぱり似合わないと思う」
「それはあたしが決める」
そういうものなのだろうか。
カーテンを開ける。
待っていたスカーレットが私を見て、そのまま黙った。
「ほら」
「……何が?」
「かわいすぎる」
「…………」
「やっぱり元の――」
「似合ってる」
遮られた。
「そう?」
「ものすごく似合ってる」
「服が?」
「アンタが!」
「でも店員さんもそう言うと思うよ」
「なんでそこで店員さんの営業トークと一緒にするのよ!」
「でも」
「でもじゃない」
スカーレットが近づいてくる。肩の細い紐の位置を直され、それから胸元の灰色のリボンも整えられ、最後に前髪を指先で軽く払われた。
真正面から顔を見られる。
「かわいい」
「そういうのは好きな人に――」
「その台詞今日は禁止ね?」
「……うん」
「あと、自分で似合わないとかかわいくないとか言うのも禁止」
「なんで?」
「腹立つから」
そこまで言われると黙るしかない。
スカーレットはもう一度私の全身を眺め、それからかなり満足そうに頷いた。
「これにするわ」
「高くない?」
「あたしが払う」
「自分の服なのに悪いよ」
「だったら後で返しなさい。それならいいでしょ」
「それなら」
「あと、そのまま着ていく」
「元の服は?」
「袋に入れてもらう」
「着替えないの?」
「着替えない」
強い。
結局、そのまま買われた。元のTシャツとスウェットパンツは紙袋に入れられ、エコバッグだけは持っていこうとしたら、スカーレットに無言で取り上げられてそちらも紙袋へ押し込まれた。
「エコバッグ便利なのに」
「今日は使わない」
「買い物したらどうするの?」
「あたしがバッグ持ってるでしょ」
「いっぱい入らないよ」
「何をそんなに買うつもりなのよ」
確かに。
服屋を出て、二人で街を歩く。
いつもと違う服を着ているせいか落ち着かない。桜色らしい上の服も、短めの灰色のスカートも、自分とはまるで縁がないものに見える。通り沿いの店のガラスへ姿が映るたび、黒髪の小さな女の子が歩いているように見えて、一瞬自分だと分からなくなる。
「やっぱり変じゃない?」
「変じゃない」
「浮いてない?」
「浮いてない」
「私にはちょっとかわいすぎると思う」
「リリー」
「はい」
怒られた。
スカーレットは今日は本当によく怒る。
「でもスカーレットの方が似合うと思うよ」
「あたしの服を選んでるんじゃないの。あんたの服を選んでるの」
「同じの着る?」
「サイズ合わないでしょうが」
「そうだった」
主に胸周りが。
言ったら怒られそうなので黙っておいた。
昼食を食べた後、映画館へ向かった。スカーレットが選んだのは、公開されたばかりの恋愛映画である。主人公は二人ともウマ娘だった。幼い頃から一緒に育った二人が進路をきっかけに互いの関係を見直し、最終的に恋人になる話らしい。
「幼馴染なんだね」
「そうね」
「私たちと一緒」
「……そうね」
スカーレットが何とも言えない顔をした。
映画自体は面白かった。
主人公の一人は華やかで何でも器用にこなすタイプ、もう一人は大人しくて少し自信がないタイプで、後者が自分なんかでは釣り合わないと勝手に距離を置こうとするたび、前者が怒って引き戻す。
私は途中から少し前者が気の毒になってきた。
「この子大変だね」
小声で言う。
「……誰のこと?」
「こっち」
画面の華やかなウマ娘を指す。
「何で?」
「相手が話聞かないから」
「へえ」
隣から低い声がした。
何かまずいことを言っただろうか。
映画の中では二人が手を繋いだ。少し後には尻尾をそっと絡ませて歩いていた。さらに話が進むと、喧嘩の末に泣いた片方をもう一人が抱きしめる場面があり、最後は街を見下ろす丘の上で告白して終わった。
王道である。
エンドロールが流れ始める。
「面白かったね」
「そうね」
「最後くっついてよかった」
「そうね」
「でも途中で勝手に身を引こうとした方はよくなかったと思う」
スカーレットがこちらを向いた。
「どうして?」
「好きかどうか決めるのは相手でしょ」
「…………」
「自分が釣り合わないと思ってても、相手がいいって言ってるならちゃんと話した方がいいよね」
「…………そうね」
「スカーレット?」
「何でもない」
なぜか額を押さえていた。
映画館を出ると、夕方にはまだ少し早かった。
「次どこ行く?」
「ちょっと歩くわよ」
「うん」
「その前に」
「なに?」
「手」
「手?」
「出して」
右手を出す。
握られた。
「……手繋ぐの?」
「そうよ」
「映画の真似?」
「そうね」
「なんで?」
「いいから」
そのまま歩き出す。
スカーレットとは小さい頃に何度も手を繋いだことがあるので、それ自体は珍しいことではない。ただ、大きくなってからはほとんどした覚えがなく、昔よりずっと大きくなった手に包まれると少し不思議な感じがした。
「スカーレットの手、大きくなったね」
「またそれ?」
「昔は私とそんなに変わらなかった」
「アンタも昔よりは大きくなってるでしょうが」
「ちょっとだけ」
「……まあ、ちょっとね」
「かわいそうなものを見る目やめて」
「してないわよ!」
さらに歩いていると、今度は尻尾に柔らかなものが触れた。
見る。
スカーレットの尻尾だった。
それが私の尻尾へするりと絡みついている。
「尻尾も?」
「映画でやってたでしょ」
「やってた」
「嫌?」
「別に」
少しくすぐったい。
ただ、嫌ではない。
「じゃあこのまま」
「歩きにくくない?」
「慣れれば平気よ」
「スカーレット慣れてるの?」
「慣れてないわよ!」
怒られた。
それでも尻尾は離れない。
手を繋ぎ、尻尾まで絡めた状態で歩いていると、時々通行人からこちらを見られる。今日の服のせいもあるのかもしれないが、スカーレットと並んでいると余計に目立つ。
「結構見られてるよ」
「でしょうね」
「恋人だと思われてない?」
「思われればいいのよ」
「よくないでしょ」
「何で?」
「スカーレットに本当に好きな人ができたとき面倒じゃない?」
握られた手に力が入った。
「あのね、リリー」
「なに?」
「あたし、今日デートって何回言った?」
覚えている。
「十一回。今ので十二回」
「……そういうどうでもいいことはきっちり覚えてるのね」
「数字は分かりやすいから」
「じゃあ十二回も言われて、まだ分からない?」
「何が?」
スカーレットが大きく息を吸って、吐いた。
「まだいいわ。続ける」
「何を?」
「デート」
「十三回」
「いちいち数えなくていい!」
そのまま連れていかれたのは、街の外れにある小さな公園だった。高台になっていて、奥へ行くと街並みを見渡せる。まだ夕焼けには少し早いものの、空には薄く橙色が混じり始めていて、人もそれほど多くない。
そこでスカーレットが立ち止まった。
「リリー」
「なに?」
「映画で他に何してた?」
「抱きしめてた」
「そうね」
一歩近づかれる。そのまま両腕が背中へ回った。
「わ」
抱きしめられた。
私より背が高いので、自然と顔がスカーレットの胸元近くへ来る。近い。さっきまで繋いでいた手どころではなく、身体がぴったり触れている。
「……スカーレット」
「何?」
「これも映画の真似?」
「そう」
「今日は映画の再現する日なの?」
「半分くらいはそうね」
「そうなんだ」
抱きしめられたまま少し身体の力を抜く。
暖かい。
昔からスカーレットは私より体温が高い。それに、引退直後だけあって身体もしっかりしている。触れている肩や背中の筋肉から、まだ現役時代の名残が――。
「右の肩、少し張ってる」
「今言う!?」
「触ったから」
「そこはそういうこと考える場面じゃないでしょうが!」
「でも夜にはちゃんとマッサージした方が――」
「後で!」
「うん」
後でマッサージするらしい。
なら覚えておこう。
しばらくして腕が離れる。ただ、手と尻尾はそのままだった。
「リリー」
「うん」
「今日、服を選んだ」
「選んだね」
「あたしがかわいいって言った」
「言ってた」
「手を繋いだ」
「うん」
「尻尾も絡めた」
「うん」
「抱きしめた」
「今した」
「恋愛映画も一緒に見た」
「見たね」
「それで、何か思うところは?」
考える。
「スカーレット、あの映画かなり気に入ったんだね」
スカーレットが目を閉じた。
「違った?」
「……ある意味、期待を裏切らないわね」
「?」
「もういい。言葉で言う」
スカーレットはさっきまでの苛立った表情を消して、真っ直ぐ私を見る。
「あたし、リリーが好き」
「うん」
「今の『うん』は何?」
「私もスカーレット好きだよ」
「そう言うと思った。だから最後まで聞きなさい」
「はい」
「幼馴染だからでも、親友だからでも、家族みたいだからでもない。恋愛で好き。アンタと付き合いたいし、アンタの恋人になりたい」
「…………」
「あたしが好きなのはミッドナイトリリー。アンタよ」
分からない言葉は一つもなかった。
それなのに、全部聞き終わってから頭の中でもう一度並べ直す必要があった。
「…………私?」
「アンタ」
「ウオッカじゃなくて?」
「違う」
「マーちゃん」
「違う」
「トレーナーさん」
「だから既婚者でしょうが!」
「……私なんだ」
「そうよ」
困った。
ものすごく困った。
今までのことがようやく繋がっていく。昨日からスカーレットが怒っていたこと。デートと言い張っていたこと。桜色の服を選んだこと。映画を見たこと。手を繋いだこと。尻尾を絡めたこと。抱きしめたこと。
全部、練習でも映画の真似でもなかったらしい。
「でも」
「何?」
「なんで私?」
スカーレットの目つきが変わった。
これは怒る。
分かるけれど、聞かないわけにもいかない。
「だってスカーレットなら、もっとちゃんとした子がいると思う」
「ちゃんとしたって?」
「速くて、かわいくて、スタイルもよくて――」
「リリー」
「うん」
「今からあたしが怒るけど、最後まで黙って聞きなさい」
「はい」
やっぱり怒るらしい。
スカーレットは一度息を吐いてから、私の手を握ったまま話し始めた。
「まず、アンタが走るの遅いのは知ってる」
「うん」
「ものすごく遅い」
「そこまで言わなくても」
「アンタが言い出したんでしょうが! でも、それが何なのよ」
「何って」
「なんであたしが恋人を選ぶとき、速いとか、スタイルがいいとか、そういうもので選ぶと思ってるの?」
「だってスカーレットは一番が好きだし」
「あたしは一番が好きよ」
「うん」
「でも恋人はレースじゃないでしょうが」
言われた。
「一番速い子を横に置いたら、あたしの価値が上がるの? 一番かわいい子と付き合ったら自慢になるの? あたしが恋人選ぶのって、条件並べて一番いいアクセサリーを選ぶようなものだと思ってたわけ?」
「そこまでは思ってないよ」
「似たようなものでしょ。速くて、かわいくて、スタイルがよくて、あたしに釣り合う子? そんなので選ぶなら、相手じゃなくて条件を好きになってるだけじゃない」
「……そうかも」
「一緒にいて楽しいとか、信頼できるとか、大事にしたいとか、離れたくないとか、そういうので好きになるに決まってるでしょ。何年あたしと一緒にいるのよ」
「長いね」
「そういう話じゃない!」
怒られた。
でも、言っていることは分かる。
「でも、ほかの子と比べると私なんて大したことないし」
「それも腹立つのよ!」
「なんで?」
「あたしたちがアンタのこと大したことあると思ってるからよ!」
即答だった。
「あたしだけじゃない。ウオッカもマーちゃんもそう。アンタに助けられた子はみんなそう思ってる。なのに本人だけが、走るの遅いから大したことない、本読んだだけ、たまたま分かっただけってずっと言ってる」
「実際走るのは遅いよ」
「そこは否定してないでしょうが!」
「ひどい」
「アンタが自分で言ったのよ!」
確かに。
「でもね、走るのが遅いこととアンタが大したことないことは別でしょう。あたしがオークス前に無茶したとき、まだ本人は大丈夫だと思ってたのに体調がおかしいって気づいて、風邪引く前に止めたの誰?」
「私」
「ウオッカが自分でも気づいてなかった脚の違和感を見つけたのは?」
「私かな」
「マーちゃんが体調崩す前に食事と練習変えさせたのは?」
「私」
「ほかにもいるでしょう。何人、怪我する前に止めたのよ」
「数えてない」
「でしょうね!」
スカーレットの声が少し大きくなる。
「あたしが今まで大きな怪我もせず走ってこられたのだって、全部が全部アンタのおかげなんて言うつもりはないけど、アンタに助けられたところがどれだけあると思ってるのよ。それを横でずっと見てきたあたしに向かって、『私は大したことない』って言うわけ?」
「でも、本読んだり勉強したりすれば、結構できると思うよ」
「それよ!」
今までで一番強く遮られた。
「何?」
「そこが一番腹立つの!」
「一番増えた」
「細かいことはいいの! アンタが『本読んだ』の一言で済ませてるそれ、寝る時間削って何百冊読んだのよ!」
「数えてない」
「そうでしょうね! 授業もあたしのサポートもあるのに、夜中まで専門書広げて、分からないことが出てきたら次の日には別の本探して、休みの日には専門家のところまで話聞きに行ってたでしょうが!」
「分からなかったから聞きに行っただけだよ」
「分からなかったら普通はそこまでしないの!」
「そう?」
「そうよ!」
そういうものなのだろうか。
「食事だってそう。いきなりあたしたちに試したりしないで、自分で食べるもの変えて、毎日体温とか脈とか体調とか書いて、何週間も記録取ってたでしょう」
「自分なら失敗しても困るの私だけだし」
「それが普通じゃないって言ってんの!」
「そうかな」
「マッサージだって自分の腕や脚で何度も試して、効き方が分からないってトレーナーに相談して、それでも分からなかったら専門の人に頭下げて教えてもらって、戻ってきたらまた試してたでしょう」
「うん」
「笹針だってそう! 危ないからって使い方だけじゃなくて身体の構造から勉強して、何人ものトレーナーと意見交換して、まだ足りないってまた調べてたじゃない」
「必要だったから」
「その『必要だったから』で全部済ませるのやめなさい!」
怒られた。
「アンタ、自分がどれだけ努力したかまで『誰でもできる』で片付けるじゃない。本を読めばいい、勉強すればいい、聞けばいい、試せばいいって。じゃあなんでみんなアンタと同じことができないのよ」
「時間がないとか」
「アンタだってなかったでしょうが! だから寝る時間削ってたんでしょう!」
「……はい」
「一時期なんか、あたしが部屋に行くたび机で寝落ちしてたじゃない」
「そうだった?」
「三回本取り上げた」
「覚えてない」
「でしょうね!」
そこまで言われて、少しだけ昔のことを思い出した。
確かに、知りたいことが多くて夜まで本を読んでいた時期はあったし、自分の身体なら多少失敗しても誰にも迷惑をかけないので、色々記録を取りながら試したこともある。専門家に質問しに行ったこともあるし、何人ものトレーナーと話をした。
「それで」
「うん」
「本当は、アンタが自分を大したことないと思ってるのもやめてほしいの」
「うん」
「かわいいって言えば否定する。すごいって言えば否定する。頑張ったって言えば普通だって言う。何年言ってもこれなんだから、もう今日一日でどうにかなるとは思ってないわ」
「諦められてる?」
「ものすごく不本意だけどね!」
「そうなんだ」
「これからも言うし、そのたびに訂正するし、いつか分からせるつもりではいるわよ」
「諦めてないね」
「うるさい!」
やっぱり諦めてはいないらしい。
「でも」
スカーレットが握っていた手を少し持ち上げ、私の目を真っ直ぐ見る。
「それと、あたしの好みを勝手に決めるのはまた別の話」
「好み?」
「そうよ。アンタが自分をかわいくないと思ってようが、大したことないと思ってようが、それは今すぐ直らないんでしょうね。腹立つけど、そこはもう分かった」
「うん」
「でも、あたしがアンタをどう思うかまで勝手に決めないで」
「……うん」
「あたしがアンタをかわいいと思うのも、すごいと思うのも、好きだと思うのも、あたしの勝手でしょう」
「そうだね」
「そこにアンタの許可はいらないの」
「うん」
「まして、『スカーレットならもっとかわいい子がいい』『もっと速い子がいい』『自分じゃ釣り合わない』なんて、あたしの好みまで勝手に決めるのはやめなさい」
「……あ」
そこで、さっき見た映画を思い出した。
自分なんかでは釣り合わないと勝手に決めて、相手が何を言っても距離を取ろうとしていた子。
私はあれを見ながら、好きかどうか決めるのは相手なのに、と偉そうに思っていた。
それなのに。
今の私は、ほとんど同じことをしている。
「私、映画の子と同じことしてる」
「やっと気づいたの?」
「うん」
「遅い!」
「ごめん」
これは私が悪い。
映画を見ているときは簡単に分かったことなのに、自分が相手になった途端、まるで分からなくなっていた。
「スカーレットが誰を好きになるかは、スカーレットが決めることだった」
「そうよ」
「私が釣り合うかどうかも?」
「少なくとも、あたしに釣り合うかどうかをアンタ一人で決める話じゃないでしょう」
「そうだね」
「分かった?」
「分かった」
「本当に?」
「たぶん」
「そこは言い切りなさいよ!」
「はい」
反省している。
かなり。
ただ、問題は何も解決していない。
「でも」
「何?」
「私、恋愛として好きかは分からない」
正直に言う。
スカーレットは一瞬だけ黙った。
「……でしょうね」
「今日まで考えたことなかったし」
「それも知ってる」
「嫌いではないよ」
「それも知ってる」
「すごく大事だとは思ってる」
「それも知ってる」
「何でも知ってるね」
「何年アンタの幼馴染やってると思ってんのよ」
それも昨日から何度も聞いた気がする。
「だから」
スカーレットが繋いでいた手を少し持ち上げた。
「今すぐ付き合えとは言わない」
「いいの?」
「よくはない。できれば今すぐ付き合いたい」
「素直だね」
「でも、あたしだってアンタが何も考えてないの知ってて今日告白したんだから、そのくらい待つわよ」
「どのくらい?」
「それはアンタが考えなさい」
「期限ないと忘れそう」
「忘れたら怒るわよ」
「じゃあ忘れないようにする」
「そうしなさい」
しばらく二人で黙る。
夕方の風が少しだけ冷たい。絡んでいた尻尾はもう離れているのに、手だけはまだ繋いだままだった。
「スカーレット」
「何?」
「本当に私が好きなんだね」
「まだ疑ってんの?」
「疑ってるわけじゃないけど、ちょっと不思議」
「何が?」
「スカーレット、こんなに立派になったのに」
「……リリー」
「うん」
「さっきの話、もう一回最初からする?」
「しなくていい」
「なら余計なこと言わない」
「はい」
危なかった。
スカーレットは少しだけ呆れた顔をして、それから私の服を見る。
「それに」
「なに?」
「今日の服、本当にかわいいから」
「そう?」
「似合ってる」
「……そうなんだ」
「そうよ」
まだ自分ではよく分からない。
自分の服を見る。
桜色らしいピンクの上に、灰色のリボン。灰色のスカートに白い靴下。
改めて見ても、ずいぶんかわいい格好だった。
もちろん服が、である。
「……じゃあ、スカーレットにはかわいく見えてるってことで」
「なんでそんな他人事なのよ」
「でもスカーレットの感想だから」
「もっと素直に喜べないの?」
「努力する」
「そこからなの?」
「うん」
「……まあ、さっきよりは進歩ね」
「そう?」
「そう」
褒められた。
たぶん。
「帰る?」
「もう少しいる」
「いいけど」
「あと手もこのまま」
「うん」
「嫌じゃない?」
「嫌じゃないよ」
「尻尾も?」
「ちょっと歩きにくいけど嫌ではない」
「じゃあ帰りはまた絡める」
「好きだね、尻尾」
「アンタのが好きなの!」
「ああ」
「今ので分かった?」
「分かった」
「本当に?」
「スカーレットは私が恋愛で好き」
「そう!」
問題ができた。
ダイワスカーレットが私を好きらしい。
幼馴染としてではなく、恋人になりたいという意味で。
しかも、本人曰くかなり前から。
私は繋がれた手を見て、それから隣のスカーレットを見る。
綺麗だと思う。
かわいいとも思う。
大切だとも思う。
そして、私が自分をどう思っているかとは関係なく、スカーレットが私をかわいいと思っていることも、すごいと思っていることも、好きだと思っていることも、少なくとも今は分かった。
そこを私が勝手に否定してはいけないことも分かった。
では、それに私はどう答えたいのか。
分からない。
まったく分からない。
午前中は、スカーレットがなぜ怒っているのか分からなくて、誰かに助けてほしかった。
今は怒っている理由ならかなり分かるようになった。
その代わり、前よりもっと困ったことになってしまった。
だから誰か。
本当にちょっと、私を助けてくれないだろうか。