よろしくお願いします!
「これは、ゲームであっても遊びではない。か」
茅場晶彦が去った後の大広場は静まり返っていた。無理もない。彼の宣言した内容は1万人のプレイヤーに言葉を失わせるのに十分過ぎる力を持っていたのだから。
「イヤァァァー!!」
誰かが発した甲高い悲鳴が、静寂を破り、プレイヤー全体に大きな混乱を与えた。恐怖。不安。絶望。そういった感情がプレイヤーを支配するのに時間はかからなかった。
俺も混乱してはいたが、周囲の明らかな狼狽ぶりを目の当たりにして少しの冷静さを取り戻した。
今必要なのは、圧倒的に情報だ。それは間違いない。しかし、茅場の言い方を考えれば、外部との連絡は絶望的だろう。MMORPGではプレイヤー間での情報のやり取りは有効な手段だが、この状況においてはそれも無理だ。なにより、現時点ではどのプレイヤーも持っている情報は同じようなものだろう。むしろ、βテストの経験がある俺の方が多くの情報を持っているまである。
「お、おい!これはどういうことなんだよ!?」
「ひっ。し、知らないよ。僕が聞きたいよ」
見れば先ほどの小太りの少年にヒョロい男が胸倉を掴んで詰め寄っていた。ヒョロい男は恐怖で引きつりながらヒステリックに叫び、小太りの少年は今にも泣きそうになっていた。
いくら俺が影が薄いとはいえ、この場にとどまって思案するのは得策でなないな。どこか人のいない、静かな場所に行こう。そう考えて、足早に大広場を後にした。
街を歩きながら考える。一人になれる場所といえば、やはり自宅や自室だろう。このSAOにおいてそういった空間と言えば、プレイヤーホームか宿屋だ。前者はそれなりに上の層にまで上らないと手に入らないし、例え売り出されていても現在の所持金では到底買うことはできない。そうなると必然的に後者になるわけだが、
「あった。場所はβテストと変わってないみたいだな」
βテストの時の記憶をたよりに来てみたが、『INN』の看板を見つけてそっと安堵する。記憶の中ではここが大広場から最も近い宿屋だった。とにかく中に入ろうとドアノブの手を掛けた瞬間、強烈な違和感に襲われた。
「なんだ?」
思わず声に出してしまうほどの違和感。なんだこれ。そもそも、俺はなぜここに来た?そうだ、一人で冷静に現状を分析するためだ。では、ここを選んだ理由は?それは、近かったからだ。
「そうか」
ここは大広場から近い。ということは、遠からず他のプレイヤー達もこの場所に来るだろう。俺と同じことを考えるプレイヤーもいれば、単にショックから一人になりたいと思うプレイヤーもいるかもしれない。最悪の場合、この宿屋のキャパに対して過剰なプレイヤーが集まることも考えられる。そうなれば先ほど見たように、恐慌状態になったプレイヤー暴れたり、部屋を巡って争いが起きる可能性も否定できない。今は俺一人なので、そういった争いに巻き込まれる心配はない。それに、一旦部屋を取ってしまえば、システム的にほぼ完全な排他空間にすることもできる。
SAOの宿屋の部屋は基本的に、本人あるいはパーティーメンバー、ギルドメンバー以外は扉の開閉ができない。扉の設定を変えれば、本人以外は扉の開閉ができなくなる。さらに、部屋の中と外では完全に音が遮断されている。だが、ノックをすればお互いに音が聞こえるようになってしまう。いくら部屋の中にいても、何度もノックされれば落ち着いていることなどできない。
「となると他の場所を」
しかし、プレイヤーは1万人もいるのだ。この《はじまりの街》の宿屋の合計キャパシティがどの程度なのかはわからないが、近くなくても大きな通りに面している宿屋にはプレイヤーが殺到する。いっそのこと、次の村へ行って宿をとった方がいいかも知れない。
とにかく、これ以上この場所で考えていてもどうしようもない。一刻も早く行動を起こすべきだ。何より、今の俺は怪しい以外の何ものでもない。なにせ、
「宿屋のドアに手を掛けた状態でブツブツ言ってるんだもんな。しかも、今の俺は目が腐ってるし」
これがマスター・ケノービ風のアバターだったらむしろ様になっていたはずだ。いや、それでも怪しいか。思わず自嘲してしまう。やだもっと怪しくなっちゃった。
「ハァ」
ため息をつきながらドアから手を離し、街を出るべく門へと向かう。幸いにして、正式サービス開始とほぼ同時にフィールドへ出て片っ端からmobを狩りまくっていたおかげで、次の街へ行くだけなら問題ないレベルには達している。それに、フィールドへ出ているプレイヤーもまだいないはずなので、mobもそんなに湧いていないだろ。行くなら今が一番いい。
さっきの俺の様子をあいつらが見たらどう反応するだろう。やることも決まり、少しだけ余裕が生まれたせいだろうか。ふとこんなことを考えてしまった。
雪ノ下は絶対零度の視線を俺に向けながらこう言うだろう。
「今のあなた、本当に気持ち悪いわ。」
由比ヶ浜は露骨に引きながらこう言うかもしれない。
「ヒッキー、マジキモイ!えーっと、キモイ!」
なんだよ。そんなに罵倒しなくてもいいだろ。俺泣いちゃうよ?
「………」
「ちくしょう。なんで涙が出るんだよ」
俺の両目から一筋ずつの涙が流れていた。それは顎のあたりで一つになり、地面に落ちては微かな光を放って消えていく。滴が落ちた場所には、涙のあとは残らない。何も残らない。
どれくらいそうして涙を流して歩いていただろうか。気付けば街の外れまで来ていた。やっと止まった涙を、今更のように拭う。あと5メートルも進めばフィールドに出れる。フィールドに出ればシステム的な保護はすべて消え去り、己の体とこの世界の象徴とも言うべきソードスキルを駆使して戦い、そして生き残らなくてはいけない。
「さっき決意したはずなのに」
この場所から動けない。進むと決めたはずだった。なのに、なのに俺は。
あいつらの顔がちらつく。軽蔑した顔。怒った顔。照れた顔。心配そうな顔。笑った顔。いろんな顔が浮かんでは消えていく。
いや、あいつらだけじゃない。小町や戸塚。平塚先生。両親。材木座。一色。葉山。陽乃さん。
「ハハハ、お前はいらねぇよ。材木座」
力ない声が自分の口から洩れる。
「葉山。お前もだ」
やはり力のない声だ。
「いや、なんであなたも出てくるんですか。雪ノ下さん」
無駄だとわかっているのに声に出してしまう。ただ一つの事実を認めないように。
第2話 そして、彼は苦悩する。 終
八幡って動かしにくいw
こいつほど王道バトル系の主人公に向かない主人公はいないんじゃないかと思うw