韓国に占領された日本 ✕ 車輪の国 作:minnie_remon
それから数日が経過した。
日中は教室の隅っこの席から授業風景に目を光らせ、夜は紗千香の狭いワンルームにお世話になる、そんな日々が続いた。
相変わらず紗千香は授業の大半を爆睡に費やし、中島は日替わりで意味不明な電波発言を繰り出していたが、少なくとも学園内で本格的な指導介入や処分に発展するようなトラブルは起きなかった。特別指導員としての初仕事を警戒していた俺にとっては、拍子抜けするほど平和で穏やかな日々が過ぎていく。
夜の紗千香の部屋では、幼いまなの相手をすることが日常となっていた。
そんなある日の夜のこと。
「ねえ、京介はどうして、まなと仲良くしてくれるの?」
「ん?どういう意味だ?」
不意を突かれた問いかけに俺が首を傾げると。
「京介は、まなに嫌なことを言ったり、立ち止まってじっと見たりしないから」
その言葉の裏にある「現実」を、俺はすぐに悟った。
浅黒い肌の色彩、移民の血を引く生い立ち。
この統治社会において、被統治民である日本人すら下に置かれる中で、さらに底辺に位置づけられる外国人移民やその子供たちが、日常的にどれほど陰湿な差別や蔑視の視線に晒されているか、それは直感的に理解できた。まなもまた現在進行形で日常的な差別に晒されていることは想像に難くない。
「お姉ちゃんもね、まなにそういうこと言わないし、じっと見たりしないよ」
そう付け加えたまなの言葉に、俺は静かに納得した。紗千香はそんな下らない差別の優越感なんかに興味は無いタイプの人間だ。
「ところで、まなは勉強を教えてもらったことはあるか?」
「ん?『とーちほー』は、ちゃんとお姉ちゃんに教えてもらったよ」
とーちほー…とうちほう…倒置法ではなく「統治法」。韓国政府が定めた、この日本列島に適用される占領地特別法のことである。この統治法に違反すればA級市民だろうがF級市民だろうが移民だろうが当然、刑罰の対象となる。この国で生きていくにあたっては、必ず理解しておかなければならない法律だ。
「そうか。じゃあお姉ちゃんが夜7時に寝ちゃう理由も分かってるんだな?」
「うんうん、大変だよねー」
どうやら学校教育は受けていないと思われるまなだけど、流石に最低限のルールや法律は紗千香から教わっていると知って、少しホッとした。
そんな、昼も夜も特にやるべき事のない、気楽な日々。
本当にこんな調子でいいのだろうか…なんて不安をちょっとだけ覚えつつ、この日も夜は更けていく。
だが、そんな贅沢な不安は、長くは続かなかった。
ある日の昼休み、教室の片隅で紗千香と香菜が何やら楽し気に言葉を交わしていた。普段はツンツンとした態度の多い香菜も、どこか浮き立った様子で声を弾ませている。
気になった俺がふらりと近づくと、会話の輪から「恩赦日」というワードが聞こえてきた。
「恩赦日…?」
「あ、京介!聞いた?明日は待ちに待った恩赦日なんだよ!」
無邪気に目を輝かせる紗千香、だが俺は、記憶の引き出しをひっくり返してちょっとした不安を覚えた。
恩赦日――かつて第2代総督チェ・スヨンが国民をA級からF級に厳格に分類する「社会信用システム」を導入した際、被統治民の不満を和らげるガス抜き施策として作られた制度だ。数か月に1度だけ、低級階層市民に課せられた各種の義務や制限が特別に免除される日である。例えば普段は居住区外への移動が制限されているF級市民も、恩赦日に限っては自由に日帰り旅行を楽しめる。
そして紗千香のように「時間制限義務」を課せられている者は、その日に限って薬の服用を免除され、丸一日自由に活動することが許される…訳だが
「恩赦日って…もうとっくに廃止されたんじゃなかったか?」
恩赦日はE級・F級といった市民には嬉しい制度であるもののC級以上の「模範市民」には特別の恩恵はなく不公平だという声が強かったため、第3代総督ハン・スンヨンの治世時代に、「反体制分子の活動を助長するだけ」として段階的に縮小され、現在では大半の都市や自治体で完全に廃止されていたはずだ。
すると紗千香が、補足するように言った。
「ここみたいな辺境の田舎町は、昔の制度がそのまま残ってたりするんだよ。総督府の監視も都市部ほど厳しくないから」
それを聞いて俺も、そんなものかなと思う。実際に恩赦日の制定は各自治体に委ねてられいる。地方自治体のずさんな運用や過疎地ゆえの放置が、幸運にもこの街では機能しているということか。
「だから明日は夜の7時になっても薬を飲まなくていいの!丸1日起きていられるなんて夢みたい!」
無邪気に万歳をして喜ぶ紗千香。1日の半分の時間を強制的に剥奪されている彼女にとって、24時間を自由に使えるという当たり前のことが、どれほど得難い救いなのかが痛いほど伝わってくる光景だ。
「ねえ香菜ちゃん、明日は夜遅くまで遊び倒そうよ!何する?どこ行く!?」
「ちょっと、落ち着こうよ。でもそうだね、ホント、何しようか…」
楽しそうに明日の計画を練り始める少女2人の姿を、俺は少し離れた場所から静かに眺めていた。
義務からの解放。束の間の自由。
束縛された日常の中に咲いた小さな歓喜に沸く2人を見つめながら、俺は明日という1日が何事もなく平和に過ぎることを祈っていた、のだけど…