韓国に占領された日本 ✕ 車輪の国 作:minnie_remon
翌朝。
服薬による強制停止から覚醒した紗千香は、開口一番「あー、眠い…」と呟くなり、ベッドの上で再び毛布をかぶって寝入ってしまった。
薬によって強制的に意識を断たれている時間は、脳や身体の生理的な疲労回復にはほとんど寄与していないという。1日12時間という活動制限を強いられている紗千香だが、起きていられる貴重な12時間の一部ないし大部分は当然ながら「本当の睡眠時間」として消費せざるを得ないのだ。
紗千香の規則正しい寝息を横目に、俺は昨日中島から受け取った資料を、周辺地域の詳細な山岳地図と照らし合わせて確認していた。
資料の解読を進めるにつれ、全体像が少しずつ見えてくる。
目標となる山には自然形成されたものから古い鉱山跡まで、無数の洞窟が存在しているようだった。中には内部が複雑に枝分かれした大規模な鍾乳洞らしき記述もある。
中島が持ってきた資料のおかげで、目指すべき洞窟の入口の座標は特定できた。だが問題はその内部構造だ。古文書には入口の位置こそ記されているものの、洞穴の深さや内部の高低差、地盤の状態といった肝心なデータは一切抜け落ちていた。
紙の上で考えていてもラチが開かないことを悟った俺は資料をポケットに押し込み、静かに部屋を後にした。
山道を1人で登り、木々が鬱蒼と茂るエリアへと足を踏み入れる。湿った土と腐葉土の匂いが立ち込める中、地図と記憶を頼りに目星をつけた斜面を探索すること約2時間。
「…これか」
雑木と這い渡る蔦に覆われた岩肌の陰に、ポッカリと黒い口を開けた洞穴が存在していた。
手をかざすと、洞窟の奥からひんやりと湿った冷気が吹き出してくる。中島が持ってきた胡散臭い古文書は、どうやら本物だったらしい。
親父が遺した『何か』が、この漆黒の暗闇のどこかに眠っているかもしれない…その可能性を思うと、胸の奥で静かに熱いものが脈打った。
だが、ここから先に生身で飛び込むのは自殺行為だということもまた、洞窟を目視して確信した。滑落や遭難の危険はもちろんのこと、未知の空洞には有毒ガスが溜まっている可能性すらある。
俺は一度山を下り、装備を買い揃えるために街の商店街へと向かった。
ホームセンターや資材店を何軒か梯子し、洞窟探検に必要な最低限の装備を買い集める。高輝度のヘッドランプに強力なハンディライト、クライミングロープ、ハーネス、滑り止めのついたグローブ、簡易的な毒性ガス検知器、防塵マスク、さらには消毒液や非常食等々。そこそこの出費だったが気にしてはいられない。とにかく金に糸目は付けず、この町で手に入れられる最上級の装備を整えた。
何たって本物の洞窟は、ゲームのように簡単に攻略できるものじゃないからな…
紗千香の部屋に戻ったのは、もう陽が傾きかけている頃だった。
「おおー、凄い!本格的な装備だ!」
俺が買ってきた装備一式を見て、紗千香が目を丸くして声を上げた。
「当たり前だろ。魔法でワープできるダンジョンじゃねえんだぞ」
「それにしても、京介ってホントに物知りだよね」
「うん?」
「だって普通は洞窟探検するってなっても、必要なものなんて分からないよ」
…まあ、色々とやらされてきたからな。
「で、いつアタックするの?」
「そうだな…」
俺は少しばかり考えて。
「明日は体調を整える日に充てて、明後日にしようか。明後日、紗千香が起きたらすぐに登山開始だ」
「よーし、いくぞー!」
探検の日取りが決まり、意気揚々と威勢のいい声をあげる紗千香。俺も気合いが入る。
その時、部屋のドアがガチャリと開いた。
「ただいまー」
まなが帰ってきた。
「おお、まな。お疲れさん。まなは本当に仕事頑張ってるなあ」
そう言って意地悪く紗千香に目を向けてみると。
「そんな挑発には乗らないよーだ」
「挑発だと分かる時点で、自分が働いてないって意識してる証拠だな」
「別に働かなくたってお金はあるんだからいいじゃん」
あっけらかんと言う紗千香。確かに紗千香が生活に困っている様子はない。為替取引で食うには困らない程度の利益は得ているのだろうか。
…しかし、仮に為替取引でそれなりに稼いでるとすれば、働かせるのはさらに難しくなるな。
「あ、もう7時だ。ヤバイヤバイ」
まるで逃げるように、紗千香は薬瓶を手にした。とはいえ、もうすぐ7時であることも確かだ。
間もなく、紗千香はいつものように眠りについた。
「まな。ちゃんと給料は受け取ったか?」
俺はまなに聞いてみた。
「うん、やっぱり月末じゃなくていいよって」
しっかりと賃金が払われたことを確認して俺は安堵する。まあ、労働の対価として賃金が支払われることなど、ごくごく当たり前のことに過ぎないんだが…
しかし…
「なあ、まなは何で働いてるんだ?」
たった今、紗千香は「お金はある」と言っていた。となるとまなのような幼い子が働きに出る必要など無いはずだ。
するとまなは、少し悩んだような様子を見せながらも、紗千香が活動を停止しているのを確認してから、声をひそめて言った。
「えっとね…京介にだけ内緒で教えるけどね、まなはお姉ちゃんに絵の具を上げたいんだよ。筆と、キャンバスも」
それを聞いて、俺は直感した。
おそらくまなは、紗千香に絶大な絵の才能があることを知っている。そして紗千香が、何らかの理由で絵を描くのをやめてしまったことも知っているのだろう。
だからこそ、紗千香にまた絵を描いてもらうために、その用具をプレゼントしたいと思っているのだと。
「でも、お姉ちゃんはいらないって言うんだ…」
まなが寂しそうに言う。
そんな幼い少女の肩に、俺はそっと手を置いた。
「よし、それを絶対にプレゼントするんだ」
「え…でも…」
「そのためにまなは頑張って働いてるんだろ?それにまなは、人からプレゼントを貰ったら嬉しいだろ?」
「…うん」
「だから何だかんだ言って、お姉ちゃんもプレゼントを貰ったら嬉しいはずだ」
「そぉかな…?」
「お姉ちゃんは絵が上手なんだろ?」
「そおだよぉ。お姉ちゃんの絵はすごいんだよぉっ」
「よし。じゃあまなは、お姉ちゃんに何を言われてもプレゼントをあげるんだぞ」
「うん、わかったぁっ!」
無邪気に満面の笑みを浮かべるまな。一方で俺は、ある予感を抱いていた。
まなからの心がこもったプレゼントが、堕落した紗千香を変えるきっかけになるのではないかと。
純真なまなを利用するようで心が痛むけど…いや、俺はまなを利用するんじゃない。まなにとっても、紗千香が絵を描くことが幸せなんだから。
「それはそうと、俺が店長さんとお話してから、仕事で変わったことはないか?」
それも気になっていたことだった。まあ、あれだけ脅してやったんだから、まなが不条理な目に合わされる可能性はぐっと低くなったと思うが…
「うん、変わったことはないよー。あ、でも…」
ふと、何かを思い出したようにまな小さな首をひねった。
「今日の帰り道ね、人に会ったんだよ」
「誰だ?」
「んとね、知らないオジサン」
「知らないオジサン?もしかして『ちょっとついて来て』とか言われた?」
「おーおーおー、よく分かるねっ!」
…おいおい、マジかよ。誘拐未遂じゃねーか。
「その人ね、まなと同じ国の人だって言ってた」
「ほう」
だとすると、ちょっと話が変わってくる。同郷の移民が幼子を見つけて同族意識から声をかけた、あるいは自らのコミュニティに勧誘を試みたのかもしれない。
「あとね、もう一人いたよ」
「その人の特徴は?」
「なんかね、背が高くてキレイな女の人だった」
それを聞いて、嫌な予感が走る。
「もしかしてその女の人、スーツを着てたか?」
「おーおーおー、京介はホントによく分かるねっ!胸にヒマワリのバッジをしてたよ」
「なるほど…」
総督府のシンボルは、正義の象徴である向日葵が冬の厳しい寒さに負けずに花を咲かせている様がをかたどったものだ。当然ユジンさんも、その紋章が記されたバッジを胸元に着用している。
つまり、まなが見た女性ってのは、ユジンさんでまず間違いないだろう。
「女の人は、ずっと怖い顔だったよ」
…これで決定だな。
とはいえ、ユジンさんが絡んでいるのであれば単なるわいせつ目的や誘拐といった犯罪の線は皆無だ。そういう意味では安心していい。
ただ、別の意味で嫌な予感がするけど…