韓国に占領された日本 ✕ 車輪の国 作:minnie_remon
翌日。
明日に控えた洞窟探検に備えるべく、紗千香はこの日も昼過ぎにはベッドで眠りについてしまった。為替に目もくれず明日に備えるその姿勢に、よほど気合いが入っていることが窺える。
そんな無防備な寝息を立てる紗千香の横顔を横目で見つめながら、俺はポケットからスマホを取り出した。画面に表示された『キム・ユジン』の文字を少しの間凝視してから、意を決して発信ボタンを押す。
コール音が二回鳴ったところで、応答が繋がった。
『どうしたの?』
受話器の向こうから聞こえるのは、相変わらず冷涼で刃物のように鋭い声音だ。
「端的に申し上げます。明日、更生指導の一環として紗千香を連れて山登りに行こうと考えています。万が一緊急の召集や呼び出しがあった場合、即座に対応できない可能性がありますので、事前に報告しておこうかと」
あえて『洞窟探検』という言葉は伏せ、単なる運動と生活改善のための『山登り』と称しておいた。
「時間制限義務の範囲内であれば、指導方法は京介に一任しているわ」
あっさりと許可が下りた。拍子抜けするほどの応答に安堵する。
ただ、もう一つ本題がある。
「ありがとうございます。…それと、もう一つよろしいでしょうか」
「認めましょう」
「昨夜、三ッ沢紗千香の同居人の少女と接触されたようですが。一体どういったご用件だったのでしょうか?」
すると、少しの間が置かれた後。
「何かを得るためには、何かを失わなければならない」
「……?」
「京介は、大脳の無い新生児と健常な新生児、どちらに未来があると思う?」
「それは…当然、健常な新生児です」
突拍子のない、しかも嫌な質問だったが、俺はユジンさんが望んでいるだろう模範解答を冷静に返した。
「そう、人間の価値は平等ではない」
…何が言いたいんだ?
「価値の低い人間を社会にどう役立てるか、それが問題であり、京介の質問に対する回答よ」
「…分かりました、ありがとうございます」
通話が切れた。
はぐらかされたが、とても嫌な予感を覚える回答だった。
夜。
いつものように紗千香は服薬によって深い昏睡へと落ち、部屋に静寂が満ちる。
そして少ししてパタパタと廊下を走る足音が聞こえ、玄関のドアが開いた。
「ただいまーっ」
スーパーでの仕事を終えたまなが、元気に帰ってきた。
「おう、まな。おかえり」
俺は疲れた様子も見せずにニコニコしている幼い少女を迎え入れ、手早く夕飯の支度を整えた。
2人でささやかな食事を済ませ、食器を片付けながら、俺はふと思い出したように声をかけた。
「なあ、まな。明日のことなんだけどさ」
「ん? なーにー?」
「明日、お姉ちゃんと一緒に山の洞窟まで探険に行ってくるよ」
「たんけん?どーくつのたんけん!?」
まながパッと目を輝かせ、身を乗り出してきた。
「まなも一緒に行くー!」
「いや、ダメだ」
食いついてくるまなに対し、俺は静かに、しかしはっきりと首を横に振った。
「明日行こうとしてる場所は道も険しいし、結構危険なんだ。だから、まなは家でお留守番しててくれ」
「うー…分かったよぉ……」
口をへの字に曲げて落胆しながらも、素直に諦めてくれるまな。こういった辺りは、本当にお利口さんだと感じさせられる。
その時、まながじっと俺の顔を見つめ返してきたかと思うと、ふと表情を曇らせながらぽつりと疑問を投げかけてきた。
「ねえ、京介、難しいこと聞いていい?」
「おう、俺に知らないことは無いぞ」
「まなは、自分の国があるんでしょ?それなのにどうしてまなは、この国にいるのかな?」
「それは…」
言葉を選んでしまう。
現実的な理由は、単純な経済格差と市場の都合だ。日本はこの数十年で衰退したとはいえ、労働市場としての価値はある。安い労働力を求める統治側と、少しても裕福な生活を求める後進国の人々…これが移民流入の基本的構造だ。
だがそんな社会構造を、この幼い少女に説明した所で何になるというのか。
「自分の国があっても、外国で暮らす人はいるんだよ」
「そお、変なことじゃないのかな?」
「変じゃないよ。どこに住むのも本人の自由だからね」
「じゃあ、どうして国があるの?」
「というと?」
「人がどこに住んでもいいのなら、どうして国が必要なの?」
…あまりにも素朴で、あまりにも本質を突いた問いだった。
「国を作ると、みんなが助け合って、生活しやすくなるんだよ」
その瞬間だった。
「まなは、お姉ちゃんに会うまですごく大変な生活だったよ!」
その怒鳴り声に、俺は息を飲んでしまった。
目を見開いてまなの表情を窺うと、途方もない悲しみが怒りとなって行き場を失っていた。
「…ごめんな」
「どうして、京介が謝るの?」
「いや…まなが大変だったのは、俺たちのせいだから。俺たちの作った国や社会が、しっかりしてなかったせいだから…」
言いながら、思う。とんでもない偽善だと。
「まな、よく分かんない…分かんないけど、なんか変だってことだけは分かるの…」
そう呟くまな。
この子は、俺が思ってた以上に賢くて、強い。
「でも、良かった…」
ふと、まなの口から安心したようなため息がこぼれた。
「まな、この国住んじゃいけないと思ってたの。でも…ここにいてもいいんだね。お姉ちゃんと一緒にいても、いいんだね」
「ああ、もちろんさ」
俺は大きく頷いて、その小さな頭を撫でてやった。
………………………………………
まなが寝静まった後、俺は少し頭が痛かったので、マンションの裏手にある誰もいない薄暗い路地へと出た。
ポケットからパイプを取り出し、火をつけてゆっくりと脱法ハーブの煙を吸い込む。冷たい夜風の中で紫煙がゆるやかに揺れた。
…さて、気持ちを切り替えて洞窟探検の最終チェックでもしましょうかね。
持ち物を再確認し、地図をもう一度見直す。
「まあ、親父が残した宝なんて、おそらくは眉唾話だろうけどな…」
とにかく、ヤバそうだったら紗千香が何と言おうがすぐに引き返すとしよう。その絶対的方針を再確認しながら、俺はケムリにしばし身を委ねた。