韓国に占領された日本 ✕ 車輪の国 作:minnie_remon
洞窟の中は、太陽の光が全く差し込まなくなるまで腰を曲げなければならない低い天井が続いた。湿度の高い風が洞窟の奥から冷気を運んできて肌にまとわりつく。思わず顔をしかめてしまうほどに岩石臭の匂いもきつい。
壁をまとう白色の岩石がつららのように天井から無数に生え、よく見れば薄い水の膜を張った岩が真下の床からも尺を伸ばしている。それはこの洞窟が雨水や地下水が長い年月をかけて石灰岩を溶かしてできた、天然の鍾乳洞である証拠だった。
「ふう、しんどいねぇ…」
ようやく直立しても頭をぶつけない程度の場所まで来ると、紗千香がぽつりと呟いた。
「よし、まずはここを第一の起点にしよう」
俺はザックからアルミホイルを取り出し、目立ちそうな石に巻き付ける。すると紗千香が「何してんの?」と聞いてきた。
「マーキングだよ。ライトに反射するだろ」
「洞窟にそんなもの残しちゃダメでしょ」
「ほお…」
常識ある発言に思わず感心してしまう俺に、紗千香は続ける。
「こういうのは自然のまま綺麗だからいいんだよ。調子ぶっこいてゴミとか捨てて汚すのはマジで許せない」
「もしかして、昔、絵を描いてた時に、何かあったのか?」
「えっ…どうして分かるの?」
「いや、何となく行ってみただけだけど。でも気になるな」
「ま、まあまあまあ、その話は今度ゆっくりね!」
その話はしたくないようだ。だから俺も今は聞くのをやめる。
「安心しろ、もちろんちゃんと戻る時に回収するから」
「というか京介なら、そんなもの無くても道なんか間違えないでしょ?」
信頼してもらえるのは何よりだが、初探検の洞窟で迷わない保障なんてないことを俺は真剣に告げる。
「慎重だねぇ…別に怪物が出てくる訳でもないのに」
「紗千香が気楽すぎるんだよ」
マーキングを終え、先へと進む。地面はでこぼこして落ち着かないが、真っすぐで単調な通路が伸びていた。
「その辺の泥をあんまり踏むんじゃないぞ」
「何で?」
「グアノって言ってな、細菌の巣だ」
「げげげっ!」
「ついでに言うと、コウモリの糞が発酵した固まりでもある」
「ちょっと、気持ち悪いこと言わないでよっ!」
と言われても、事実だから仕方がない。それに洞窟から出た時にはドロドロに汚れているのは間違いない。
それにしても、異常に長い通路だ。しかも水流が岩と岩の間を延々と続いているのを見ても、まだまだ先が長そうだ。
ただ幸いなのは、ここまで分岐らしい分岐が無いことだった。多少の起伏や横穴はあるものの、人が通れるようなものではない。
「いつまで真っすぐなんだろうね?」
流石に、紗千香の声にも苛立ちが見え始めた。
もう洞窟の入り口から2kmは進んだだろう。とんでもない大洞窟だ。細かな支洞も含めると、全長は計り知れない規模だろう。学術調査が入ってないのが不思議なぐらいだ。
「紗千香、この洞窟を学会に発表すれば一躍有名人になれるぞ」
「マジで?お金もガバっと!?」
「…いや、金は微妙だろうな」
そう言うと、途端に興味を失ったようにつまらなさそうな顔を見せる紗千香。本当、分かりやすい奴だ。
でも待てよ、そんなに金に興味があるのなら…
「絵は、金にならないからやめたのか?」
「…あのさあ」
ウンザリといった様子で深いため息をつく紗千香に俺は続ける。
「怒るなって、ちょっと見てみたいと思っただけだよ。それに俺にも画商の知り合いはいるから、ひょっとしたら高値で捌けるかもな」
と、金で誘ってみると。
「…んな訳ないじゃん」
吐き捨てるようにそう言って。
「絵なんて、もう絶対描きたくないよ」
暗い感情が、洞窟の闇にぽとりと落ちて消えた。
普通の友達なら、会話の切り上げ時だ。あるいはしつこく聞いたことを謝るべき場面だろう。
…だが、俺は性格の悪い特別指導員だ。
「紗千香の絵は、きっと凄いんだろうな」
そう言って、紗千香の目を見て薄く笑う。
すると紗千香は急に目を合わせられたのが恥ずかしくなったのか、押し黙って俯いた。
…嫌われたかもしれないな。
とはいえ、紗千香が自力で努力するようになるには過去に誇っていた才能と情熱を突き動かすのが突破口になるはずだ。
紗千香は、努力の価値を知らない人間じゃない。忘れているなら、俺が思い出させてやる。
「疲れたろ?手でも繋ごうか?」
近づいて、手のひらを差し出してみる。
「う、ううん…いい、大丈夫。ありがと…」
紗千香の機嫌に気を使いながら、慎重に先へと進む。
すると…凄まじい竪穴に行き当った。
「止まれっ!!」
俺は大声で、前進停止の命令を出す。
突如として、通路が断崖絶壁となって途切れていた。目の前には、強力なヘッドライトの光すら吸い込んでしまう、果てしない漆黒の大竪穴が広がっていた。
「うわぁ…底見えないよ…」
紗千香が恐る恐る下を見る。50m…いや、ひょっとしたら100m以上の深さを誇る垂直孔だ。地鳴りのような音を立てて噴き上げてくる風の強さも尋常ではない。
「あ、でも左の方に道があるよ?」
ライトで照らしてみると、確かに崖に沿って降下していくような通路があった。
しかし幅は狭く、水も流れている。途中の濡れた岩で足を滑らせでもしたら一巻の終わりだ。
「よし、紗千香はちょっとここで休んでろ」
「えっ!?まさか財宝を独り占めにする気?」
「そんな訳ねえだろ。ちょっと降りて様子を見てみるだけだ。ヤバそうだったらすぐに引き返す」
「私も行くって」
「ダメだ。素人の紗千香には危険すぎる。総督の命令に従え」
「むぅ…」
頬を膨らませる紗千香に、俺は言う。
「そして、1時間しても戻って来なかったら、俺は死んだと思って引き返せ」
「ちょ、ちょっと、縁起でもないこと言わないでよっ」
「大丈夫だ。俺は今まで一度も死んだことはない」
「当たり前じゃん!」
「じゃあな」
手を振って、左の通路へと向かおうとした、その時。
「ま、待ってよっ」
紗千香が俺の手を引いてきた。
「どうした?」
「なんか…凄い不安になってきちゃった…」
見つめてくる紗千香の瞳が、かすかに震えていた。
まあ、それが人間として正常な感覚だ。これまでが能天気過ぎただけに過ぎない。
「大丈夫、絶対に帰ってくる。俺は死なない。それだけは覚えておけ」
しっかりと紗千香の瞳を見据えて、力強く言った。
「分かったよ…」
俺の意思を汲み取ってくれたのか、紗千香の瞳が、諦めたような納得したような輝きを持った。
「気をつけてね…」
「ああ。1時間以内に必ず帰ってくる」