韓国に占領された日本 ✕ 車輪の国 作:minnie_remon
2090年1月4日、早朝。
大韓民国政府が日本に対する『特別軍事作戦』の開始を電撃的に発表した直後、日本全土は未曽有の混乱と暗黒に突き落とされた。
まず襲いかかったのは、歴史上例を見ない大規模な統合サイバー攻撃であった。
国民のスマートフォンやパソコンの画面が一瞬で暗転し、あらゆる通信網が遮断された。被害は通信障害だけに留まらず、金融機関の基幹システムがストップし全国のATMは沈黙、カード決済や口座送金は一切不能となった。全国の信号機は機能を停止し、制御システムを乗っ取られた電車や新幹線は主要駅の手前で緊急停止。社会インフラというインフラが一夜にして崩壊したのである。
総務省は緊急記者会見を開き「通信障害は一時的なシステムエラーである」と必死に平静を装ったが、それが韓国軍による侵攻の第一段階であることは誰の目にも明らかだった。
しかしこの混乱すらも、破滅のほんの序の口に過ぎなかった。
作戦開始の発表からわずか数十分後、日本列島の澄み切った冬空を爆音が切り裂いた。
韓国空軍の最新鋭ステルス戦闘機群が大挙して日本上空へ飛来。全国に点在する陸・海・空自衛隊の主要基地や駐屯地、レーダーサイトを狙い、精密誘導爆弾の雨を降らせたのだ。
この時、防衛の要であるはずの自衛隊は、反撃の手立てを完全に奪われていた。韓国側の高度なサイバー兵器と電子戦(EW)によって、自衛隊の戦術データリンクや防衛通信網は完全に塞がれていた。戦闘機はシステムエラーを起こして離陸すらできず、地対空ミサイルや高射特科のレーダーも敵味方識別すら不能な状態に追い込まれていたのである。
爆撃の炎と黒煙が巻き上がる基地内で、自衛隊員たちが手にできたのは小銃や機関銃、手榴弾といった前時代的な小火器ばかりだった。はるか高空から超音速で飛来し、ピンポイントで施設を粉砕していく韓国軍機を、地上の自衛官たちはただ仰ぎ見ることしかできなかった。
さらに絶望を決定づけたのは、日本海上に展開した韓国海軍のイージス艦および潜水艦からの艦対地ミサイル攻撃であった。
「1,000キロ離れた場所に置かれたコインすら易々と命中させる」と称される極超音速誘導ミサイルが、自衛隊の司令部施設や弾薬庫、重要インフラを過ちなく穿っていく。
空爆開始からわずか6時間。
日本の防衛能力は、文字通り「壊滅」した。近代戦における情報処理能力と電子戦能力の格差が、戦う前に勝敗を決していたのである。
その日の夕刻。韓国大統領府は日本の地上波放送の電波をジャックし、全日本国民に向けて声明を放映した。
『我が軍は間もなく日本本土へ上陸を開始する。しかし、我々の目的はテロ首謀者の確保および、テロを放置・肯定してきた日本国政府の罪を正すことにある。善良な日本市民を傷つける意図は毛頭ない。したがって、武器を捨てて迅速に投降する自衛隊員および市民は、国際法に基づき人道的に保護される。ただし我が軍の正当な作戦行動を妨害する者は、すべてテロリストと同類とみなし即座に排除する』
その夜、太極旗を掲げた無数の軍艦や強襲揚陸艦が、逃げ場のない日本列島をぐるりと包囲した。
翌1月5日未明。韓国軍の大規模上陸部隊が、海に面しない8県と東京を除く全国38道府県の沿岸部へ一斉に上陸した。
「特別軍事作戦に伴う後方安全の確保」。そう名付けられた無血制圧の手順は、驚くほど機械的で精緻であった。自衛隊が反撃能力を完全に失っていたことに加え、前日の大統領声明が国民の抵抗意志を致命的に削いでいたからである。
街に装甲車が進入し、完全武装した韓国軍人が主要施設を占領していく。日本人はただ呆然と、その光景を眺めることしかできなかった。
「何が起きているんだ」
「これは夢なのか」
自らが通う学校や市役所の屋上に掲げられていた日の丸が静かに下ろされ、代わりに青と赤の陰陽マークが躍る太極旗が揚がっていく。それでもなお、人々の心には「国が征服された」という現実感すら湧いてこなかった。平和ボケの中を生きてきた国民の末路と言えた。
破滅の淵で、首相の南條英機は地下壕の臨時スタジオから、途切れ途切れのネット回線を通じて国民へ最後のメッセージを発した。
『韓国人は日本人を奴隷にしようとしている!今こそ国民一人一人が立ち上がり、竹槍を取ってでも徹底抗戦を叫ぶべきだ!』
しかし、その悲痛な叫びに呼応する国民は皆無だった。絶望的な戦力差を知る国民にとって、最新の兵器と武器を構える韓国兵に素手で挑むなど、ただの無意味な犬死に過ぎなかったからである。南條への支持は、恐怖と無力感の前に一瞬で霧散した。
韓国軍の進撃は決して拙速ではなかった。
到達した市町村ごとにまず警察署と自治体機能を支配下に置き、通信と防犯カメラの監視網を再構築。武力反撃の芽を完全に摘み取った上で、必要最低限の「治安維持部隊」を駐屯させる。確実性を最優先したその進軍スタイルに対し、日本人からの組織的な抵抗はついに一度も起きなかった。韓国軍司令部にとっても、拍子抜けするほど簡単な「征服」であった。
1月末、支持を完全に失い、指導力を放棄した南條内閣が総辞職を発表。
しかし、崩壊した国家の舵取りを引き受ける政治家など存在するはずもなかった。後任の首相は現れず、日本は歴史上初となる無政府状態へと陥った。
2月。雪の舞う東京に、韓国軍がついに足を踏み入れた。
もはや首都としての機能を失い、静まり返る東京の街並み。その中心地へ、大韓民国大統領イ・ソンヨンが降り立った。
皇居・宮殿。重苦しい沈黙の中で行われた天皇陛下との謁見を終えたイ・ソンヨンは、詰めかけた世界中の報道陣のカメラを前に、堂々と勝利の声明を読み上げた。
『現在、日本国は政治機能を失い、深刻な無政府状態にあります。これは我が国にとって本意ではなく、また誇りある日本国民にとっても不幸な事態であります。よって大韓民国政府は、苦難に喘ぐ日本人の人道と平和を守るため、ここに「日本統治暫定政府」の樹立を宣言致します』
抗う術を持たない国家の、完全なる終焉の瞬間であった。
日の丸は街から姿を消し、学校では韓国語と新たな歴史が教え込まれることとなった。かつての経済大国・日本は、大韓民国の完全なる従属国…事実上の植民地へと姿を変えたのである。
それから、10年の月日が流れた。