韓国に占領された日本 ✕ 車輪の国 作:minnie_remon
紗千香が薬を飲み活動を停止した後。俺は気分転換にと、まなを連れて夜の町を散歩していた。
山から吹き下ろす乾いた夜風が、高ぶっていた感情を静かに冷ましていく。
「京介、まな出て行かなくてもよくなったのって…お姉ちゃんがまな助けてくれたからなんだよね?」
「ああ、そうだ。お姉ちゃんには感謝しろよ」
「うん!お姉ちゃんはやっぱり、すごく強くて優しいんだね」
「強いか…そうかもな。一人暮らしなのに、まなの面倒見てるんだもんな」
「まな、お姉ちゃんがいなかったら、今頃どうなってたか分からない」
「…なあ、まな。ひとつ聞いてもいいか?」
「なに?」
「まなと紗千香は、どうやって出会ったんだ?」
踏み込んだ問いに、まなは少し驚いたような表情を見せたが、やがてどこか懐かしむような柔らかい微笑みを浮かべた。
「…んとね、向日葵畑だよ」
「町の入り口か…それはいつ?」
「うーん…いち、にぃ、さん…」
思い出すように、指を折りながら数えて。
「4年前の夏のことだよ」
4年前といえば、まだ紗千香が義務を負う以前の話だ。
「その時のこと、詳しく教えてくれないか?」
するとまなは記憶の糸を手繰り寄せるように、ぽつりぽつりと当時のことを回想し始めた。
『んっとね…私、最初はどこかの施設みたいなところで暮らしてたの。でも、周りのみんなは私のことが嫌いみたいで…いじめてきたり、冷たかったりして』
…養護施設だな。そこでまなは、いじめられていたんだ。
おそらくは、周囲の子どもたちとは違う皮膚の色を理由に。
『でもよく分からない内に、その施設は無くなっちゃったの』
『それからずっと、まな、外で一人で生きてたんだ。コンビニの優しいお兄さんから残ったお弁当をもらったり、川の水を飲んだりして。雨が降った日は、背の高いひまわりの下でじっと雨宿りをしてたの』
…なかなか壮絶だ。
まなの賢さとひたむきさは、その頃に養われたのかもしれない、と思う。
『そんなある日ね…向日葵の大きな葉っぱの下で丸くなってたら、私をじーっと見下ろしてくる人がいたの』
まなは言う、それが紗千香だったと。
『「こんなところで何やってんの?」って呆れたみたいに言われて、「おうちが無いから、ここで暮らしてるの」って答えたら、お姉ちゃん、どこかへ走っていっちゃって。そしたら、ほかほかのごはんを買って戻ってきてくれたの。…すごく美味しかったなぁ』
『次の日も、その次の日も…お姉ちゃんは毎日ごはんを持って会いに来てくれたの。向日葵の下で二人で並んで、色んな話をしたよ』
『その中でね、お姉ちゃんが絵の話をしてくれたの。「昔は絵を描いてたんだけど、今は落ち武者になったんだ」って。「最近も有名な画家の人からすっごく嫌なメールが来て、めちゃくちゃ腹が立ってかなしくなった」って…怒りながら、すっごい早口で喋ってて』
…当時の紗千香は、絵はやめたけどまだ未練が残っていて、それを聞いてくれるまなに鬱屈した想いをぶつけてた、って所なんだろう。
『難しい言葉ばかりで、まな、よく分からなかったんだけど…でもお姉ちゃんが絵に対して、すごく特別で、すっごく切ない気持ちを持ってることだけは分かったんだ』
『そうやって何時間もお話したあと……お姉ちゃんがね、私を真っ直ぐ見て言ったの。「……私の部屋に住む?」って』
『びっくりして「本当にいいの?」って聞いたら、お姉ちゃん笑って言ったんだ。「私の妹ってことにして、一緒に暮らせばいいじゃん」って……嬉しかったなぁ……』
静かな夜道に、まなの回想が溶けていく。
4年前…当時、中学生だったはずの紗千香。
大人たちの悪意によって絵を奪われ、世界を絶望の目で見ていた少女が、向日葵畑の陰で震える幼い少女を見つけ、その手を差し伸べた。
社会から見捨てられた2人が肩を寄せ合い、お互いを「姉妹」と呼ぶことで、壊れかけた世界を繋ぎ止めていたのだ。
「昨日ね、まな、連れていかれるって聞いて、怖くて怖くて仕方なかったの。また一人ぼっちになっちゃうのかなって」
「大丈夫、紗千香のおかげで何とかなったから」
「またお姉ちゃんに助けられたよ…だからね、まな、お姉ちゃんにお返ししなくちゃいけないの」
「プレゼントでも考えてるのか?」
「うん…お姉ちゃん、きっと喜んでくれるよ」
そう言ってまなは、絵の具や筆、キャンバスといった画材道具一式をインターネットで注文したことを教えてくれた。
「へえ、まなはインターネットで買い物ができるのか」
「ううん、まなじゃ無理だったから、京介の名前で注文したの?」
「は?」
「そしたら、すごい丁寧な返事のメールが届いたよ。すぐ届けますって。えへへへーっ」
「…こら、人の名前を勝手に使っちゃダメだろ」
俺は顔を近づけて、真剣な瞳を向けて怒る。特別指導員の名前を偽るなんて、バレたらただの詐欺では済まない。
「うぅ…ごめんなさい…」
駄目なものは駄目と、ハッキリ教えておかないといけない。世の中には、いい加減に許されると、許された本人が後々一番困るということが沢山あるから。
「それで、画材道具は明日ぐらいには届くのかな?」
そう聞くとまなは「うん…」と申し訳なさそうに頷いた。
まあ俺が直接受け取れば問題は無いけど、それにしてもこんな僻地に速達便か。
配達員さん、ご苦労様です…
「それじゃ、そろそろ帰ろうか」
「うん、お姉ちゃん、プレゼント喜んでくれるよね」
「……」
返事に詰まった。正直に言うと、今の紗千香なら喜ぶどころか激しい拒絶反応を引き起こす可能性の方が高そうだった。
「ところで、まなは知ってるんだろう?」
「何を?」
「まなが仕事に行ってた時や寝てる時に、紗千香は絵を描いてないって」
するとまなは、少しの間黙ったかと思うと。
「…描いてくれるのっ!」
まなは怒ったように顔を真っ赤にし、俺を睨みつけて抗議するように叫んだ。
「お姉ちゃんは調子が悪いだけなの。昔いろいろ酷いこと言われたから調子が出ないだけで、道具があればきっとまたやる気になってくれるのっ!」
「そうだな…」
俺が強制的に紗千香に筆を渡しても、頑なに拒絶されるだけだろう。
でも、まなからの愛情のこもったプレゼントなら…
正直言ってあまり期待出来なさそうな気がしたが、とはいえ紗千香の止まった心を再び突き動かすためには、現状、そのわずかな可能性に賭けてみるしかないのも事実だった。