韓国に占領された日本 ✕ 車輪の国 作:minnie_remon
歴史の授業が終わって、4時間目。次もまた厄介な授業が始まった。
科目は「政治経済」。
ただ、名称こそ「政治経済」となっているが、実際は「経済」に関する内容は薄く、ほとんどが「政治」に関する項目…つまりは10年前から始まる韓国の統治政策における内容が大半を占めている。
10年前、首都東京をあっけなく陥落させた韓国政府がまず着手したのは、迅速かつ徹底的な戦争の法的後始末であった。
南條内閣の総辞職によって完全な無政府状態へと陥っていた日本に対し、韓国政府は天皇陛下を『国家元首であり終戦の権限を有する当事者』として指名。事実上の降伏文書である『大韓民国および日本国に関する統治権移譲条約』…通称『韓日条約』を突きつけ、これを署名・調印させた。
この条約の発効により、日本の主権、立法・行政・司法の三権、治安維持権、そして一切の外交権は韓国へ無条件で譲渡され、日本が韓国の統治下に置かれることが法的・制度的に担保された。
この流れに対し日本人が最後の希望としてすがったのが国際世論であったが、国際社会の反応はむしろ韓国の圧倒的な影響力を証明するものとなった。
この時、韓国は既に国連安全保障理事会の常任理事国である。緊急で開かれた国連安全保障理事会および総会において、韓日条約の正当性と国際法上の合法性を確認する決議案を自ら提出すると、拒否権を持つ他の常任理事国を含め全加盟国が「満場一致」でこれを採択したのである。アメリカも、欧州諸国も、中国も、ロシアも、その他の国々も、超大国・統一韓国との経済的・安全保障的関係を優先し、日本の事実上の消滅を黙認した。この瞬間、約200カ国以上との国交を結んでいた独立国「日本(JAPAN)」は、国際法上から完全に抹消された。国連発行の世界地図や各国の教科書から「JAPAN」の表記は消し去られ、日本列島は一色に塗られ、ただ『KOREA(韓国東部領土)』とだけ刻まれることとなった。
法的根拠と国際的信認を手にした韓国政府には、本格的な日本統治へと踏み出す前に、何としてもやり遂げなければならない国家的命題があった。
それこそが、過去の歴史における『完全なる清算』である。
韓国政府は「新たな統治の第一歩は、加害者による歴史的罪業の認容から始まる」と宣言。天皇陛下に対し、1910年から1945年にわたる旧大日本帝国による朝鮮半島統治が「完全なる違法かつ悪逆な不法占領」であったこと、当時多くの朝鮮人が日本によって不当に虐げられ、とりわけ数十万人におよぶ女性が「慰安婦」として性的奴隷化されたこと、そして先のソウル繁華街爆破テロの最終的な責任が旧日本国家にあったことを全面的に認めるよう迫った。
2090年5月。世界中のメディアが見守る中、天皇陛下はソウル訪問を余儀なくされた。
ソウル中心部。かつてのテロ惨劇の現場と、その傍らに設置された「平和の少女像(慰安婦像)」の前に、天皇陛下の姿があった。
この時、韓国国内の世論は沸騰していた。「惨劇の現場で天皇に土下座をさせろ」「頭を地面に擦り付けさせたよ」という意見が韓国国民の大半を占めていた。「土下座では生ぬるい、天皇家一族を全員公開処刑にしろ」という過激な意見まであった。
しかし、韓国政府は冷静な政治的計算から、そういった過激な世論を抑え込んだ。
処刑はもちろんのこと、土下座という過度な屈辱を与えては占領初期の日本人を不必要に刺激し、無制限の抵抗運動を招く恐れがあったからである。大統領府は「直立した姿勢での最敬礼による謝罪」に留めることを決定した。
世界中のカメラのフラッシュが激しく焚かれる中、天皇陛下は少女像とテロ慰霊碑の前で深く、長く頭を垂れ、哀悼と謝罪の言葉を読み上げた。
『我が国が過去におかした不法な侵略と幾多の悲劇、そして今般の凄惨なテロ行為に対し、深き反省と心からの謝罪の意を表します』
国家の象徴が敵国の首都で謝罪するこの映像は韓国全土のみならず世界中にリアルタイムで配信され、日本が韓国の統治下に置かれたことを決定的な形で世界中に知らしめる象徴的な光景となった。
ただ、韓国政府としては「慈悲深い大国としての格式」を示したつもりであったが、土下座を免れたとはいえ、自国の象徴を他国の首都へ引っ張り出し、膝を折るかのごとく頭を下げさせた光景は、日本人の民族的自尊心を根底から粉砕したのも事実だ。この時に日本人の心に刻まれた「決定的な屈辱」が、その後に全国各地で起きる激しい不服従運動の引き金となる。
国際的な信認を取り付け、天皇陛下の全面謝罪という完璧な形で歴史清算という悲願を果たした韓国政府は、いよいよ「日本」という国家の解体と、自国の完全な従属領土化へと舵を切った。
2090年6月、韓国国会は『日本統治基本法』を全会一致で可決。これにより、日本国憲法および明治以来積み上げられてきたすべての日本の法律・刑法・民法・行政法は一夜にして完全無効化された。代わりに適用されたのは大韓民国憲法と韓国の法律、そして占領地特別法であった。日本の最高裁判所、検察庁、各省庁は解体され、裁判官や官僚はすべて解任。法治国家としての「旧日本」の制度体系は根底から破壊された。
この巨大な新領土を直接支配するための最高統治機関として、東京・霞が関の旧官庁街に樹立されたのが『日本総督府』である。
初代日本総督として着任したのはパク・ギュリ。
当時、弱冠34歳という若さの女性政治家が日本統治における最高権力者に抜擢された人事には世界中が目を見張った。「かつての男権的・タテ社会の象徴であった日本に対し、若い女性を絶対的支配者として君臨させることで、旧日本人の民族的プライドを根底から打ち砕き、絶対的な心理的屈辱を与えるため」というのがもっぱらの噂であったが、その真相は謎に包まれていた。
しかしその優美な外見とは裏腹に、パク・ギュリは冷徹極まる統治の天才であった。
彼女は着任と同時に、日本全土の従属化を目指す国家戦略『日本改革5か年計画』を発表。徹底した社会構造の改変へ向け、様々な政策を矢継ぎ早に着手した。
ギュリが何よりも最優先で断行したのが、「メディアの全滅と情報の一元化」、「教育の抜本的改革」「不服従運動の徹底弾圧」という三大施策であった。
まず、日本のあらゆる既存メディア…NHKを含むテレビ各局、新聞社、出版社、ラジオ局に対し、即座に放送免許と事業許可の剥奪が言い渡された。電波と紙面はすべて総督府直轄の「東日本放送」「朝鮮中央通信日本支局」といった国営メディアに一元化された。インターネット空間においても総督府情報検閲局が最新のAIアルゴリズムを導入し、日本国内からの外部アクセスや「反韓・反統治」的な書き込みをリアルタイムで検知・遮断・削除する徹底的なグレート・ファイアウォール(検閲網)が構築された。日本の言論の自由は、数週間の内に完全に息の根を止められたのだった。
そして、それ以上に容赦が無かったのが「教育改革」である。
文部科学省および全国の教育委員会は解体され、小中高校・大学に至るあらゆる教育機関の管轄権は、総督府直属の「学務局」へ移管。その学務局が最も力を入れたのが、近現代史教科書の全面書き換えである。従来の歴史教科書は即座に回収・焼却され、総督府が編纂した『新統合正史』の使用が義務付けられた。その内容については前章で記した通りだ。また日本語の授業時間は削減され、代わりに「第一外国語」として韓国語の履修が義務化された。
当然ながら、自尊心を踏みにじられた日本人による反発は凄まじかった。統治初年度、全国の主要都市で総督府に対する大規模な抗議デモや、労働者のストライキ、一部の元自衛官や過激派による抵抗運動が頻発した。
だが、初代総督パク・ギュリは、それらの反乱の兆候を文字通り「血の海」に沈めた。
「完全な支配を定着させるには、最初の1年で『抵抗の対価』がいかに惨めであるかを骨の髄まで叩き込む必要がある」それがギュリの固い信念であった。
彼女は装甲車と武装治安維持部隊を即座に街頭へ投入。非暴力の抗議デモであっても「違法集会」とみなせば、実弾や音響兵器、電磁ガンを容赦なく浴びせた。デモの指導者や不穏分子と指定された人物は深夜に自宅から連行され、二度と戻ってくることはなかった。
統治初年度だけで、韓国当局に逮捕・収監された日本人は1万人を超え、街頭での鎮圧や拷問によって命を落とした死者は公式発表だけでも数千人、実際は万単位に達したと言われる。
だが、この過酷極まりない「血の鉄槌」は、極めて効果的であった。
日々の生活と家族の命を守るため、日本人の抵抗意識は急速に萎えていった。テレビから流れる韓国の威光と、街頭を闊歩する武装兵の軍靴の音。人々は絶望と無力感の中で、「韓国による支配」という絶対に抗えない現実を受け入れざるを得なくなったのである。
絶望の淵に立たされた日本人。しかし彼らの胸の奥にはたった一つだけ、密かな希望が残されていた。
それは、パク・ギュリが掲げた「5か年計画」という言葉そのものであった。
「この地獄も、5年耐えれば終わるのではないか」
「5年間の統治期間が過ぎれば、韓国軍は撤退し、日本に政権が返還されるのではないか」
多くの日本人は、勝手な解釈と願望から「5年」という期限にすがりつき、じっと耐え忍ぶ道を選んだのだった。
しかしそんな儚い希望は、日本人が勝手に作り出した幻想でしかなかった。韓国政府にとって、日本列島と言う領土とその周囲を囲む豊富な海洋資源、さらに1億人の労働力をたった5年ぽっちで手放すつもりなど、最初から微塵も存在しなかった。