韓国に占領された日本 ✕ 車輪の国 作:minnie_remon
教室に戻る。昼休みはまだ終わっておらず、生徒たちは和気あいあいと自由時間を楽しんでいた。
それにしても、本当に平和な空間だなあと思う。俺がこれまで身を置いてきた地獄のような世界とは大違いだ。
と、その時、背後に誰か立っているような違和感を感じた。
反射的に振り向くと。
「っ……」
すぐ後ろに、男が立っていた。
胸の筋肉はありそうなくせに、なで肩なのが妙にアンバランスで特徴的な男だった。
その胸元には…プレートは無し。それはつまり、 彼がD級以上の市民であることを示していた。E級・F級市民はそれを示すプレートを常に体の目立つ場所に表示しなければならず、普通は胸元に着用するのだが、D級以上だとその必要がないからだ。
「…こんにちは」
「おう、こんにちは」
挨拶してきたから、俺も挨拶を返す。すると…
「如月(きさらぎ)セピアです」
「セピア?」
「僕の名前」
「はあ…?」
…いきなり現れて何言ってるんだ、この男は?
「如月は2月という意味ですよ」
「聞いてない。ってか知ってるから」
「あはははっ」
一体何が面白いのか、不気味にクスクスと笑っている。
「おやおや、どしたの?」
その時、紗千香がこちらにやって来た。
「お、紗千香。何なんだこの男は?」
「ん、中島くん?」
「中島…?」
如月セピアとか名乗ってたはずだが…
「うん、それは僕の本名だね。如月セピアはペンネーム」
本人がそう説明する。ただ、ペンネームの由来や、なぜいきなりペンネームで自己紹介してきたのかを聞くのはやめておいた。めんどくさそうだしそもそも興味も無いから。
「広瀬さんは、ミサイルとか好きですか?」
如月セピアこと中島が、いきなり物騒な言葉を口にした。
「ミサイル?」
「核はどう?大量破壊兵器とか好きでしょう?ウラン派?それともプルトニウム派?」
何だ何だ?こいつはこいつで危険思想の持ち主か?…と思っていると。
「見ての通り、セッピ―ってちょっとキマってる系の人なんだよね」
紗千香が言う。まあ…言われなくても分かる。
「でも、2年前からずっと私の子分なんだよね」
と、中島の背中をポンと叩く紗千香。
「はい。今は一般兵卒といった所ですね」
真顔で頷く中島。
C・D級市民がF級市民の下に就くなど実際なら絶対に有り得ない話だが、まあ所詮は子どもの遊びだろう。
そんな下らない話をしている内に、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
ってか、午後の授業時間が始まったはずなのに教員が現れていないってのは大問題だぞ。
…まあ、偏差値の高くない学校ってのはそんなものなのかもしれないが。
………………………………………
午後の授業も終わり、下校時間を告げるチャイムが校内に響き渡った。1人で校門へと向かう者、友達同士でどこかに遊びに行こうと盛り上がる者、部活動へ向かう者など様々だ。
そんな賑やかな喧騒の中。
「まったく…何で私が…」
何やらブツブツ言いながら、香菜がこちらの方へ歩み寄ってきて言った。
「じゃあ、サッサと行きましょう」
「おお、町の案内をしてくれるって話だな」
母親である花村先生からしっかりと話が通っていたようだ。
「というか、何で私が案内役なのよ?」
露骨に不満な態度を示す香菜。
「嫌なのか?」
「嫌というか、お母さんを通して私に命令するのが気に入らないの」
「直接言えってことか?」
「そうよ。セコい手を使わないでよ」
確かに、その感情は分からなくもない。
「よし、じゃあ改めてお願いする。花村、俺にこの町を案内してくれ」
「……イヤ!」
「結局ダメなんじゃねえかよ!」
思いっきりツッコんでしまう。
「だから何で私なの?仲いいんだから紗千香に頼めばいいじゃない」
それは紗千香には部屋に寝泊りさせて貰う手筈になってるからそれ以上観察する機会を得る必要は無く、ここは重点指導対象である香菜の人物像を把握しておきたいから…なんて口が裂けても言えるはずもなく。
…仕方ない、少し演技でも打ってみるか。
「分かったよ、ゴメン。もう頼まないよ……」
俺は傷ついたようにぽつりと呟いて寂しげに背を向けた。
すると。
「あ…ちょ、ちょっと待ってよっ」
「ん…?」
「案内しないとは言ってないでしょっ。それにお母さんに命令されてるから、しょうがないのよ。だから、サッサと行きましょう!」
そう言うと香菜は後ろを振り返ることなく、教室から出て行った。
俺は内心ホッと胸を撫で下ろしつつ、香菜の後を追った。
校舎の外に出ると、どこまでも続く高い山々の稜線へと落ちていく夕陽に目を奪われた。
それにしても、あんなに高い山をよく自力で越えてきたものだと改めて実感する。本当、自分自身を褒めたいよ。タフな男になったな、俺…
なんて思っていると、香菜は校舎を出るとスタスタと早足でどこかに歩いていく。
「おいおい、ちょっと待ってくれよ」
俺は慌てて香菜を追いかける。
「何?できるだけ早く帰りなさいってお母さんに言われてるんだけど?」
「そんなにトゲトゲするなって。ほら、素晴らしい景色じゃないか」
そう言って俺は山を指した。
「じゃあ、最初は山の方を案内しようか?」
「そうだな。てっぺんまでとは言わないけど、9合目ぐらいまで案内してくれると助かる」
「9合目なんかまで登ったら真っ暗になってるでしょ!」
「冗談だって。まあ、ルートは任せるから」
そうやって香菜の案内の下、舗装が行き届いていない道路を歩く。
(本当に、変わってないよなあ…)
古びた電柱の列、道路の脇を流れる小さな用水路のせせらぎ、風に揺れる草木の匂い。そして、夕空に刻まれる山々の雄大な影…それらの景色を目に焼き付けるたび、胸の奥底に眠っていた記憶の破片が、じんわりと温かさを伴って蘇ってくる。
まだ「日本」という国家が存在していた頃、俺はこの街で暮らしていた。
俺がまだ世界のことを何も知らなかった、幼き日の記憶だ。
それから…10年という年月が流れた。
この国は戦争に敗れ、主権を奪われ、地図の上から名前を消された。東京をはじめとする都市部は総督府の威光と巨大な監視インフラに支配され、無機質な街へと少しずつ姿を変えられている。
だが、この辺境の町はどうだ。時が止まったかのように、あの頃のままの姿でここにある。
打ち捨てられたかのような錆びついた看板も、土埃の舞う路地も、夕陽を浴びて橙色に輝く田畑も、かつて幼かった俺が駆け回っていた風景そのものだった。
その時、前を歩く香菜がぽつりと口を開いた。
「その…広瀬京介は…」
「うん?」
「やっぱり何でもない」
…なんじゃそりゃ。
「というか、何で俺のことをフルネームで呼ぶんだよ?」
「…別に」
「別に?じゃあ俺もフルネームで呼んでいいんだな」
「好きにすれば」
「花村香菜。略して香菜」
「それは略してるんじゃなくでただ名前で呼んでるだけじゃないの!」
「フルネームで呼んでいいのなら、名前で呼んだって文句は無いだろ?」
「っ…」
言い返せなくなった香菜はまた無言になり、ツンと顔を背けて歩くペースを速めた。
「おいおい怒るなよ。というかさっき何か言おうとしてなかったか?」
俺が追い付くと香菜は少しだけ歩調を緩めて。
「広瀬京介は…何で特別指導員なんかやってるのよ?」
「どういう意味?」
「だって特別指導員って、韓国人しかなれないはずでしょ?」
香菜の言う通り、特別指導員になれるのは基本的に韓国人だけだ。統治下における日本人教育の監視を担う特別指導員は、厳しい選別をクリアした者しか就くことができない。当然、被統治民である日本人がなれる職種ではないのだ。
「まあ、スカウトされたって所かな」
「スカウト?」
嘘ではないだろう…多分。
「日本人なのにそんな重要な立場にスカウトされるなんて、そんなことあるんだ…」
「極めてレアケースなことだけは間違いないな」
「そうなんだ…広瀬京介って、実はとっても頭いいんだ…」
どこか見直したような驚きを含んだ眼差しを向けてくる香菜。
そんな香菜に、俺は冗談半分で言ってみた。
「お、もしかして恋の予感?」
「はぁっ!?」
「やっぱ経歴ってのはステータスだよなぁ。ちなみに俺、大学は天下のソウル大学だから」
「ふざけないで!広瀬京介なんて嫌いに決まってるでしょ!それに私、学歴や経歴を鼻にかける人は大嫌いだからっ!」
むむ…ソウル大学というパワーワードはここでは完全に逆効果だったらしい。
…じゃあここは、香菜に合わせて下手に出るとするか。
「でも俺、この町の歴史とかは全然知らないから、良かったら教えてくれないかな」
「町のことを何も知らないでやって来たの?」
「ああ。正直、上に言われて赴任してきただけだから」
「ったく、しょうがないなあ…」
そう言いつつ、香菜の表情はどこか上機嫌だ。
「じゃあ特別に教えてあげる。元々この辺の地域はね、罪人の流刑地だったの」
「罪人の流刑地?そりゃまた物騒な」
「江戸時代とかの大昔だけどね。でもその当時の名残からか、移民や社会的弱者が多く流れてきた歴史があるの」
という感じで、香菜によるこの町の歴史講義が始まった。
ただ実を言うと、香菜の話は全て知っていることだった。でもそれを言うとまた機嫌を損ねられることは確実だから、俺は敢えて何も知らないふりをする。
そして、歴史講義も終わりが近づいてきた頃、香菜の声がすっと暗くなった。
「あと、この町を語るのに外せないのが、10年前の暴動」
「ああ、それは俺も流石に知ってる」
「やっぱりそうだよね…」
10年前の終戦直後、日本では敗戦を受け入れない市民は多く、全国各地で韓国に対する抵抗運動が勃発した。その中でも特に大きい暴動の一つとされるのが、まさにこの町で発生した暴動だ。
ただ、それらの暴動は全てパク・ギュリ初代総督の「血の鉄槌」政策により徹底的に鎮圧された。当然、この町で起きた暴動も例外ではない。
――その際に俺は韓国軍に捕えられ、10年の間、想像を絶する過酷な『教育』を経て、またこの町に戻ってきた…
「さあ、次はどこを紹介すればいい?」
町の歴史を一通り話し終えた香菜は、案内を嫌がっていた先程までとは打って変わって、次はどこに行こうかと聞いてくる。
「香菜の好きな所でいいぞ」
「え?そう?そうね…」
「帰りたいなら帰ってもいいし」
「んー…でもまだ陽が落ちるまでは時間あるし…商店街?って言っても特に案内するような場所でもないし…どうしようかなあ…何か見たい景色とかある?」
敢えて「帰る」という選択肢も付け加えてみたけど、決められずに悩む香菜。
…どうやら主体性はあるけど、決断力は無いタイプか。
「じゃあ帰るのと、その商店街に行くのだったらどっちがいい?」
「うーん…帰っても勉強させられるだけだし…かと言って買い物する程お金も無いし…」
2択を迫っても決められないってことは、論理志向よりも感情志向なんだろう。
こういう子を動かす基本ロジックは…
「早く帰らないとお母さん…先生の指導に違反することになるぞ。途中で思わぬ補導や事故に遭うかもしれないし、今日はもう帰った方がいいかもな」
…脅威を示してマイナス感情に誘導してやる、か。
「そうね、言いつけ破ったら学務法違反になっちゃうし…」
案の定、分かりやすく「帰る」に傾く香菜。
あるいは…
「やっぱせっかくの機会だし、街中もっと案内してくれよ!なっ?」
俺は香菜の腕をいきなり掴んで歩き出す。
「なっ、ちょっと、離してよ!」
こういう優柔不断な子には、少し強引に道を示してやるのが一番効く。
「香菜、腕細っそいなぁ…それにスベスベじゃん…」
「え…って、離しなさいよっ!」
強引に振りほどかれる。
「もうあんたなんか置いて行く!バカ!変態!」
顔を真っ赤にしてズカズカと大股で歩き去っていく香菜。
ただ、俺には分かっていた。香菜は本気で激怒した訳ではなく、彼女にとって日常の枠組みを超えた突発的な接触行動を取られて、極度に緊張しただけだと。
恋愛経験もゼロに等しいのだろう。この手の純粋なタイプは、こうした強烈な揺さぶりをきっかけにして、それが恋心に発展する可能性も考えられる。
自惚れではなく、俺は容姿がいい。
身長も高いし、学歴や経歴も社会の最上位層に位置している。
そういった要素が、社会生活を送る上でどれだけ有利に働くかを知っている。
そして女性は…特に若い女の子は、何だかんだ言って男を見た目や経歴で判断することも分かっている。
いずれにしても、指導対象者に好意を持たれていた方が、今後の指導や思想誘導において圧倒的に有利になるのは言うまでもない。
(…本当、自分で自分が嫌になるよな)
冷静な計算で少女の心を誘導する自分自身に嫌気を差しながら、俺は香菜を家まで送るべく、早足で遠ざかる彼女を追いかけた。