「ん………朝……」
窓から差し込む陽光に釣られ、ゆんゆんは目を覚ます。寝ぼけ眼のままベッドの中で身体を伸ばせば、じんわりと血流が巡って意識が覚醒する。
昨日は変な夢を見た。
友人欲しさに悪魔を召喚しようとすれば魔王を名乗る何かが現れ、自分の家で好き勝手寛ぎ出すのだ。
なんと突拍子もない夢だったのだろう。いや、夢である以上、突拍子もクソもないのであるが。兎に角、夢は夢である。それ以上の何でもない。
ふと、鼻腔を擽る美味しそうな匂い。どうやら母親が朝食を作ってくれているようだ。腹の虫がぐぅ、と鳴り身体を起こす。
まだ少しふわふわとした意識が一気に覚醒する。今日の朝はスクランブルエッグがあればいいなぁ、なんてことを思いながら一階の居間へと降りる。
「ふぁ〜………おはよ〜………」
「ささ!魔王様!こちら、我らが里で随一の甘味屋が作りし深淵極めし果実のタルトでございます!」
「こちらは私が作った、生と死を織り交ぜしスクランブルエッグです!」
「ーーーうむ、どちらも悪くない」
「「ありがたき幸せ!」」
「なんでいるんですかぁああ!!」
下に降りればどこから運んできたのだろう。漆黒を凝縮したような玉座に腰掛ける魔王がいた。余計な装飾はなく、気品とは装飾によって生まれるものではないとばかりの玉座に座る姿は正に魔王。
よく来たな、勇者よ。なんて言っても違和感がない。
そして、当然とばかりに平伏する両親が尚のこと頭痛の原因だ。いや、なんでそんなに馴染んでいるのだ。少しは驚くとかしてくれ、と考えるが例によって紅魔族だからで納得してしまう自分が憎い。
そんな自分に気付いたのだろう。ひろぽんがゆんゆんに視線を向ける。流石に友人作るために魔王召喚しました、なんてのは怒られるのかも、と覚悟を決めていれば、ひろぽんがゆっくりと近づく。
「ゆんゆん、お前………」
「ご、ごめーーー」
「でかしたぁああ‼︎」
「うわぁ、やっぱり………」
両親の反応など、紅く光る目を見てから気付いていた。何せ紅魔族。こういったものが大好きな紅魔族だ。興奮するに決まっている。
「魔王様を召喚するとは、流石は我が娘!父として鼻が高い!」
「やめて、褒めないで!今だけは褒めないで!」
「他の子と感性が違うから、ずっとぼっちのままだと思っていたが………やはりお前も紅魔族だったんだな!流石は次期族長だ!」
「ぼっちの件、言う必要あった⁉︎」
なぜか父親に一言余計な事を言われたが、その間も魔王は父親が買ってきたであろうタルトを口に運んでいる。
「小娘、茶」
「まだ状況飲み込めてないんですけど⁉︎それに、その玉座みたいなのどこから出したんですか⁉︎」
「我が腰掛けようと思えばそこに在る」
「昨日、普通に座ってましたよね⁉︎」
「気分」
「気分⁉︎」
「それより、茶」
「あらあら、ゆんゆん。魔王様から直々に指名されるなんて、お母さん感激よ」
「お母さんまで‼︎」
誰も味方がいない。
誰かしら味方が欲しいと思うが、里中を見渡しても味方はいないと悟り、密かに絶望する。
「茶」
「わかりましたよ、もう‼︎‼︎」
朝から目尻に涙を浮かべながら、ゆんゆんは叫ぶしかできなかった。
そうして、なんとか朝食を終えたゆんゆん。そろそろ学校に行く時間だと、準備を進めようとした時である。
「ああ、ゆんゆん。今日は学校休みだぞ」
「え?何かあったの?」
「里全体で魔王様の歓待の宴をする」
「なんで⁉︎」
「名前は『混沌と深淵の王、紅き瞳の民の前に降臨祭』になった。私としては、『万物の王降臨祭』を推していたんだがな」
「本当になんで⁉︎」
「そりゃ、魔王様が降臨なさったんだから、歓待するしかないだろう。既に準備は進んでいるぞ」
「もう黙ってて‼︎」
どうやら、自分が寝ている間に魔王の存在は里中へ知れ渡っていたらしい。いつもより外が騒がしいと思っていたが、その原因がわかってしまった。
「ふむ、殊勝よの。よい、褒めて遣わす」
「ははぁ!ありがたきお言葉!」
「魔王様語録に記載しておきます!」
「もうそんなのできてるの⁉︎」
「当たり前よ‼︎魔王様のお言葉ひとつひとつを記載した書よ!里の名物として保存するわ‼︎」
「もうやだ、この里‼︎」
とはいえ、嫌だからと言って逃げられるわけではない。何せ、祭りの主役が自宅にいるのだ。
しかも当の本人は、自分を歓待するために里全体が動いていると知っても驚くどころか、当然のことであると言わんばかりに玉座へ深く腰掛け、優雅に茶を啜っている。
「魔王様、本日の祭りについてですが、まずは里の中央広場にて歓迎の儀を執り行い、その後は各家より献上品をーーー」
「菓子はあるか?」
「勿論ございますとも!」
「ならばよい」
「判断基準そこなんですか!?」
叫ぶゆんゆんを余所に、ひろぽんは感激したように何度も頷く。
「では、早速参りましょう! 里の者一同、魔王様の御姿を今か今かと待ち望んでおります!」
「待たなくていいから‼︎ 普通に学校やろうよ!」
「ゆんゆん、学校はもう閉めたわ」
「なんでそんな行動だけ早いの!?」
昨日まで普通に授業が行われていたはずである。それが一夜にして祭り。しかも理由は、魔王が来たから。
紅魔族の行動力というものを、ゆんゆんは今日ほど憎らしく思ったことはない。
「小娘、供をせよ」
「私は行きませんよ!?」
「何故じゃ」
「何故って、恥ずかしいからですよ!第一、私必要ないですよね!」
「茶汲み係」
「持ち歩かせる気ですか!?」
「当然」
「当然じゃないです!」
魔王は玉座から立ち上がる。すると、先ほどまで確かにそこにあったはずの漆黒の玉座が、最初から存在しなかったかのように消え失せた。
「…………もう突っ込むの疲れました」
「はん、我が偉大さをようやく理解したか」
「褒められても嬉しくないです!」
ゆんゆんは肩を落としながら、仕方なく外出の準備をする。せめて目立たないように後ろの方を歩こう。
そう心に決めた五分後。
「魔王様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「御降臨、心より歓迎いたします!」
「我ら紅魔族一同、この日を千年先まで語り継ぎましょうぞ!」
「うわぁ…………」
家を出た瞬間、その決意は意味を失った。
道の両脇、屋根の上、塀の上、何故そこにいるのか分からない木の枝の上。
ありとあらゆる場所に紅魔族が並び、魔王の姿が現れるや否や、一斉に真紅の瞳を輝かせる。
誰も彼もが思い思いの外套を翻し、思い思いの決めポーズを取り、ただ祭りの主役が通るのを待っていた。
「なんで皆そんなところにいるの!?」
「ゆんゆん!静かにしろ!」
「ぶっころりーさん!?」
木の上で腕を組んでいたぶっころりーが、真剣な顔で声を潜める。
「今から魔王様が通られるんだぞ! 雰囲気を壊すな!」
「その木に登ってる時点で雰囲気おかしいですよ!」
「ふん、凡人には分からんだろうな。この位置が最も魔王様を仰ぎ見るのに適しているのだ」
「普通に地面から見てください!」
「小娘、騒々しい」
「誰のせいですか!」
魔王は気にした様子もなく歩いていく。
周囲から注がれる視線も、歓声も、平伏する者たちの姿も、まるで生まれた時からそう扱われてきたかのように受け流している。
実際、本人の認識としては、王たる自分が歓待されることなど至極当然なのだろう。
「おお!なんという堂々たる歩み……」
「我々の視線を一切気にしておられぬ……!」
「格好良い……!」
「やめて!魔王様が調子に乗るから!」
「我を貴様の尺度で測るか」
「そういうところですよ!」
ゆんゆんの叫びが響く。すると、その声に気付いた数人が初めてゆんゆんへ視線を向けた。
「おお、ゆんゆん!魔王様を召喚したのはゆんゆんだったな!」
「え、えぇ、まぁ……」
「よくやった!」
「…………へ?」
突然、肩を叩かれた。何を言われたか分からず、眼を白黒させてるゆんゆんをさておき、周囲からの声は止まない。
「いやぁ、見直したぞ!まさか魔王様を召喚するとは!」
「流石は族長の娘ね!」
「これまで真面目すぎると思っていたけど、やる時はやるじゃない!」
「魔王召喚なんて、今まで誰もやったことないわよ!」
「いや、その、別にそんなつもりじゃ……」
続々と声を掛けられる。
いつもならゆんゆんが話しかけても、何故か決闘になったり、名乗り合戦になったり、必殺技の名前を考える流れへと発展する。
だからこそ、こんな風に真正面から褒められることなどほとんどなかった。
「流石次期族長!」
「これは歴代族長でも中々できないぞ!」
「ゆんゆん、すごい!」
ゆんゆんの頬が、ほんの少し緩む。
「そ、そうかな……?」
「うむ!特に友達が欲しいから悪魔召喚に手を出したというのがいい!」
「そこまで知られてるの!?」
「ひろぽんから聞いたぞ!」
「魔王様が昨夜、事細かに教えてくださった!」
「魔王様ぁあああ⁉︎」
「事実であろう」
「そうだけど!事実なんだけど!」
納得がいかないと地団駄を踏むゆんゆん。人混みの先、魔王を先導するひろぽんが爽やかな笑みで親指を立てていた。
「隠す必要はあるまい!」
「一番隠したいところだよ!」
「友達欲しさに禁忌へ踏み込み、結果として魔王様を呼び寄せる!実に紅魔族らしいじゃないか!」
「違うもん!そんな格好いい理由じゃないもん!」
「ゆんゆん」
別の声がする。振り返れば、腕を組んだめぐみんが立っていた。
「な、なに」
「随分と嬉しそうですね」
「嬉しくないよ!」
「にやけていますよ」
「にやけてない!」
「鏡を見せましょうか?」
「いらない!」
慌てて両頬を手で覆う。そんなゆんゆんを見て、周囲から楽しそうな笑い声が上がった。
笑われた。けれど、不思議と嫌ではなかった。
馬鹿にされているわけではない。除け者にされているわけでもない。ただ、皆と一緒に笑っている。それが少しだけ、ほんの少しだけ嬉しかった。
「クハ」
聞こえた笑い声に、ゆんゆんの眉が動く。恐る恐るそちらを見ると、案の定、魔王が扇子で口元を隠しながらこちらを見ていた。
「なんですか………絶対何か思ってますよね」
「いや、なに。随分と調子が良いと思ってのう」
「うっ」
「先ほどまで『もうやだ、この里』などと喚いておったというに、褒められればその顔か」
「だ、だって!」
「ほれ、顔が赤いぞ」
「魔王様は黙っててください!」
周囲から再び笑い声。ゆんゆんは恥ずかしさのあまり俯いた。だが、その口元はやはり僅かに緩んでいた。
魔王はそんなゆんゆんを一瞥すると、それ以上は何も言わず歩き出す。
「小娘、置いていくぞ」
「今行きますよ!」
反射的にその後を追う。それを見ていためぐみんが、何故か意味ありげに頷いた。
「すっかり魔王様の供ですね」
「違う!」
「見事な従者ぶりです」
「違うってば!」
「小娘、茶」
「今持ってませんよ!」
「役立たず」
「ひどい!」
そんなやり取りをしながら、一行は里の中央広場へと辿り着いた。
そこには既に、大掛かりな舞台が組まれていた。
「…………」
ゆんゆんは目を擦った。
目を擦ってもう一度見るーーーやはりある。
昨日の夜にはなかったはずの巨大な舞台。黒と赤の布で飾られ、その中央には何故か角と翼を模した巨大な装飾。
上には、『歓迎!混沌と深淵の王、紅き瞳の民の前に降臨祭!』という長大な横断幕。
「一晩で作ったの!?」
「当然だ!祭りと聞けば、紅魔族の血が騒ぐ!」
「行動力が高すぎる………!」
広場中央では、既に大量の料理が並べられている。
焼いた肉。果物。菓子。酒。そして何故か、各家庭が競い合うように持ち寄った献上品。
「魔王様!こちら我が家に代々伝わる漆黒の饅頭です!」
「こちらは紅魔族秘伝、灼熱の辛味を宿したクッキー!」
「こちら、我が妻が作りました絶望と希望の狭間に揺れるプリンです!」
「全部普通の食べ物ですよね!?」
ゆんゆんが叫ぶが、それが届く様子はない。再び現れた玉座に腰掛けた魔王は順番に品を眺めた。そして、一番手前にあった饅頭を摘む。
「ふむ、悪くない」
「おおおおおおおおおおおおっ!」
「魔王様より『悪くない』を賜ったぞ!」
「家宝にしろ!」
「食べかけを!?」
魔王語録を記録していた者が、ものすごい勢いで筆を走らせる。
『悪くない』
それだけを、何故かやたら荘厳な字体で書いている。ゆんゆんはそれを暫く眺めた後、静かに天を仰いだ。
「もう好きにして……」
肩を落とすゆんゆん。そんな彼女の横へ、あるえがやって来た。
「でも、本当に凄いじゃない」
「え?」
「魔王召喚」
「あるえまで……」
「だって、あの山を消したの、この人なんでしょう?そんな存在を呼び出したんだから、普通に凄いわよ。私なら一生自慢する」
「そう、かな………?」
「そうよ」
ゆんゆんは、ちらりと魔王を見る。
当然のように紅魔族たちから菓子やら料理やらを献上されている魔王。
確かに怖い。無駄に尊大。身勝手。茶とお菓子を要求してくる。自分のことを小娘としか呼ばない。昨日からろくな目に遭っていない。けれどーーー
「…………私が呼んだんだよね」
「そうでしょう?」
ほんの少し。本当に、ほんの少しだけ、胸を張りたくなった。
「ま、まぁ……?私、魔法は得意だし……召喚魔法も、ちょっとくらいは……」
「ゆんゆん」
「なに?」
「また顔がにやけてるわ」
「にやけてないよ!」
「小娘」
「はい!?」
遠くから魔王が呼ぶ。人の声で溢れているというのに、その声は嫌に耳に届く。
「茶がない」
「だからここ祭り会場なんだから、誰か他の人にーーー」
「貴様の方が上手い」
ゆんゆんの動きが止まった。
「…………え?」
「聞こえなんだか?」
「い、いや……」
「疾くせよ」
「…………はい」
僅かに頬が緩む。茶器を探しに歩き出す。それを見ためぐみんが、すかさず口を開いた。
「ゆんゆん。今、嬉しかったでしょう」
「嬉しくない!」
「顔」
「うるさい!」
顔を真っ赤にしながら走っていくゆんゆん。
その背を見送りながら、めぐみんはふむ、と腕を組む。
「しかし」
そして玉座の魔王を見る。角、翼、狩衣、扇子、漆黒の長髪。やはり、何度見ても。
「…………格好いい」
「聞こえておるぞ、小娘」
「褒めているのですからいいでしょう」
「当然じゃ」
「ふふん。やはり私の目に狂いはありませんでしたね」
「貴様は何もしておらぬ」
「細かいことを気にしてはいけません」
めぐみんは堂々と言い切った。
まぁ、よいかと魔王が視線を切ったその時である。
「魔王様!」
新たな紅魔族が前へ飛び出した。
「是非ともこの私へ、格好良い二つ名を授けてください!」
「嫌じゃ」
「おお……!」
「何故喜ぶ」
「その一切媚びぬ御姿勢……!」
魔王の眉間に僅かな皺が寄る。だが、次の瞬間。
「魔王様!こちらの菓子も!」
「ほう」
皺が消えた。
「……この里、案外悪くないのう」
「魔王様ぁぁぁ!」
「我らの里が認められたぞ!」
「宴じゃぁぁぁぁぁ!」
「元から宴だよね⁉︎」
茶を抱えて戻ってきたゆんゆんの叫びが、紅魔の里中へ響き渡った。
こうして、紅魔族の里へ突如現れた魔王は、恐れられるどころか盛大に歓待され。
彼を召喚したゆんゆんもまた、生まれて初めてと言っていいほど同胞たちから持て囃されることとなった。
なお。
「ゆんゆん!魔王様召喚の術式を今度教えてくれ!」
「絶対教えません!」
「では供物は何を使った!?」
「魔石ですけど!」
「よし!俺も試すぞ!」
「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
調子に乗って口を滑らせた結果、新たな問題が生まれたことについては、また別の話である。